グリッタちゃんにぜぇ~んぶおまかせ☆
「よぉ、帰ったかちはる。“お仕事“はもういいのか?」
「うん。お父ちゃんお腹空いたあ。お昼ごはん作ってえ」
住み慣れた西ノ宮洗濯店に降り立ち、グリッタちゃん衣装のまま我が家へと戻る。父・西ノ宮正臣は、その姿に一切動じず、手元の仕事を切り上げ、キッチンへと潜っていった。
「おかえりちはる。また色んな子を助けてあげたんだって?」
装束のまま居間のテーブル前に座すちはるに、赤のセーターにベージュのロングスカートを穿いた女性が声を掛けてくる。
「そりゃあもお、困ってる人を助けるのはグリッタちゃんの努めだもんね」
「本当にちはるはお仕事熱心ね。お母さんも鼻が高いわ」
親しげにちはると話をするそれは、顔に幼い頃の『家族写真』が仮面代わりに貼り付いており、素顔を窺うことは叶わない。
「おーい、出来たぞ昼飯。きょうはちはるの大好きなふわふわオムライスとハンバーグだ」
「わあ、ありがとお父ちゃん! やったあ、めちゃくちゃおいしそー」
「こぉら。ちはる、その前に」
「手洗いうがい、でしょ。それくらいわかってますよーだ」
暖かく湯気の立つハンバーグに箸を入れ、はふはふと熱がりながら咀嚼する。昔ながらの実家の味。どんな店に行くよりも、これを食べるのが何より楽しみだった。
何一つケチの付けようがない幸せな家庭だ。ちはるは自らの趣味を隠すことなく振る舞い、両親もそれを笑うことはない。
「ああ、もうこんな時間。お父ちゃん、お母ちゃん。そろそろ学校行ってくるね」
「おお。気を付けてなあ」
「学校でのお話、またいっぱい聞かせてね」
飛び跳ねるように机を立ち、歯を磨いて駆け出した。
「グリッタ★フュージョン・げぇえええと!」
バトンを振って桃色のゲートを生じさせ、学校との繋がりを作り飛び込んでゆく。私生活ではちはる、なれど自己の認識はグリッタちゃん。なんとも歪な光景だ。ちはるが去ったのを見届けた両親たちはそのままの形で静止し、ぴくりとも動かない。
それはちはるの側も同じだ。自分は『高校二年生』だと信じて疑わず、何のリアクションも起こさない。当然である。ここは西ノ宮ちはるが思い描いた理想の世界。『夢』の主に物申す駒が何処にいると言うのか。
…
……
…………
「はあ……はあ……。もう無理、キツい……」
「あはは。どうしたの? わたしを殺したいんじゃあないの?」
息が弾み、顎が上がる。相手は目の前で自分を笑っているのに、いつまで経ってもそこまで届かない。
こと戦いに於いて、トドメのタイミングと隠した手札の数は純粋な戦闘力以上に重要視される。最初から勝ち目が無いことは解っていた。故に心理的物理的な隙を突き、強引に勝利をもぎ取る算段であった。
「何その体たらく。わたしはここよ。ここに居るってのに!」
幻相手に自らの手の内を晒し切った綾乃は、その報復としてハムスターの回し車めいた空間に放り込まれ、一切の休み無く走らされ続けている。ただ走るだけならこれまでの延長線だが、それが平均時速200キロともなれば話は別だ。
稚気染みた、それでいてえげつない報復である。魔法の力で強化されたとはいえもう間もなく一時間。足を止めず走り続けるのが精一杯で、その他のことを考えている余裕はない。
「ぐあ……ぐあ、あぁあ! やめろ、やめてくれ、ぐあ……あ……」
それでも、直接攻撃を受けているプレティカよりは幾分マシだろうか。強引に繋いだ鎌を斬り落とされ、逆さ吊りで火に炙られている。抵抗にとミノムシめいて身を捩らせるが全くの無意味。人としての素肌が黒く変色し始め、蝋めいた体液を垂らし続けている。
「やば……意識、飛んでく……」
右を出したか左なのか。それさえもわからない。太ももから下の感覚が消えた。ミシリ、と何かが砕ける音がした。脚の衝撃を和らげるジャッキが圧力に耐えかね、綾乃の脚から弾け飛んだのだ。
(あー……。壊れた)
上体が大きくつんのめり、体勢を崩したその瞬間。綾乃は他人事めいてそう呟く。無茶に無理を重ねて駆け抜けて、恐怖さえも感じなかった。綾乃は約200キロの加速を伴って胸から床に倒れ込み、バウンドしながら次いで背中を打ち、錐揉み回転で右肩を強かにぶつけ、脚のパーツを撒き散らしながら横転し続ける。
回し車が役目を終え、綾乃を通用口から吐き出した。彼女の両腕は関節とは逆を向いて静止しており、ちはる謹製の脚を覆う補助パーツは粉々に破砕。魔法少女衣装を纏っていなければ、この時点で肉塊となり果てていただろう。
「あぐ……ぐあ、お、お、う……!」
だが彼女にとっての地獄はここからだ。衝撃分散で痛みを引き受けていたジャッキなどが失せた今、これまでの疲労と元々の激痛が時間差で綾乃の身体を蝕んでゆく。全身打撲に複雑骨折、衣装を纏っていなければ即死となっていた程のダメージだ。戦意など、一欠片も残ってはいない。
「あはは。あははのは。分かったでしょ? わたしに楯突くことがどういうことか。争ったって無駄だってことがさあ!」
幕を引くと意気込んで、結果この体たらくか。終わってみれば、自分は攻撃を当てさえ出来なかった。
(参ったな、悔しささえも感じないや)
これが力の差。魔法そのものを生み出すアイテムと、産み出された眷属との格差だというのか。あまりにも無慈悲過ぎる。
「ああ、水……。水水水! 水水水!! アーッ! アーッ!!」
次いで、火炙りにされたプレティカが焼けついたまま綾乃の隣に放られた。かさぶたの上から更に燃やされ、美しかったその容姿は見る影もない。
(完ッ全に手詰まりかよ、クソッタレ)
万策尽きたとはこのことか。激痛で鈍化した空間の中、嗤うアイムを見上げながら、綾乃は心中そう毒づく。
『――そうだよん。だから呼んできたまえキミの親友、西ノ宮ちはるを』
「え……?」
口に出した覚えのない悪態に、誰かが反応し言葉を返した。幻覚か? 身を捩り周囲を見回せば、アイムの傍らに見覚えのあるピンク色の外套。
『――はじめまして、かな。いいや前にも何回も会っている。だよね? 東雲綾乃』
(心が、読まれてる……?)
最後にその姿を観たのは何年前だっただろう。ちはるにチカラを与えた得体の知れないシルクハットの怪人。ずっと怪しいと思ってはいたが、重要な意思決定の場には毎回いなかったから、その存在を失念していた。
『――アイムは大事な大事な"成果物"なんだ。キミらごとき格下に引っ掻き回されても、ちっとも面白くないんだよん』
…………
……
…
「みんなーっ! おっはよー!」
「おはようって何よちはる。昼過ぎから登校とは全く恐れ入るわね」
「しゃーないてアヤのん。ちーちゃんはグリッタちゃんやからなあ。きょうもお勤め、ごくろうさんですー」
ナナカマド女子高等学校二年B組。見知った教室には隣の席に綾乃、前の席に三葉が座し、ワープで入ってきたちはるを邪険に扱うこと無く受け容れる。
「ねぇねぇグリッタちゃん。また見せてよ星のまほう」
「わたしたちも一緒に空飛びたーい」
他のクラスメイトも魔法少女衣装のちはるに違和を持つことなく擦り寄ってくる。尤も、綾乃と三葉以外の者たちは顔に紙が貼られ、そこに描かれた似顔絵となっており、真に浮かべている表情は伺い知れない。
「駄目駄目。グリッタちゃんのまほうは、ひとを助けるためにあるんだからーっ」
浮世離れしたその言動も、ここでは誰からも咎められることはない。西ノ宮ちはるが頂点たるゆめの世界。まほう――、キラキラ少女グリッタちゃんのことを誰もが知っていて、崇め奉る異様なセカイ。
「お、おはよ……」
「あっ、瑠梨ちゃん。おっはよー」
気まずそうに戸を開き、小学生と見紛うほどに小さな女の子が教室に入ってきた。濡れ羽色の長い髪を後ろでハーフアップにし、冬制服の上からベージュのカーディガンを纏った寒がりの女の子。大親友の花菱瑠梨だ。
「ごめんねちはるちゃん。その……寝坊、しちゃって」
「いーのいーの。登校して来てくれただけでわたし嬉しい。さ、今日は何して遊ぼっか」
「うん。ありがと、ちはるちゃん」
ここは西ノ宮ちはるのゆめの中。糾弾する第三者も、敵として殺し合った同級生も居ない優しいセカイ。
「あー、教科書が無いっ。昨日ちゃんと確認したのにい」
「もぉ、りりちゃんってばドジっ子さんだなあ。そんなときはえぇいっ」
キラキラ少女グリッタちゃんは星の魔法が使える皇女さま。グリッタバトンをさっと振れば、どんな願いも叶ってしまう。虹色のモヤが瑠梨の机を陣取り、忘れてきた教科書が総て揃って現れた。
「わぁ! ありがとうちはるちゃん!」
「なぁに。りりちゃんの為ならお安い御用ってね」
ゆめにはこうしたい、こうありたいという願望がダイレクトに表れる。敵だった花菱瑠梨は親友となり、同級生は誰も魔法少女衣装のちはるを責めたりしない。あの頃のちはるは高校生という年齢・世にはびこる『ふつう』からあぶれ、浮いた生活を送り続けていた。
ここは彼女にとってのユートピア。傷付き・傷つけあうことはなく、食い扶持を稼ぐために苦しむこともない。大切な家族も友人も、みんな仲良く暮らす最高のセカイ――。
「うえぇん。うぇえん。寂しいよう」
はて。どこからだろう。ナナカマドの女子校に或るはずのない少女の声。自身の背後、教室の隅に目を向けてみれば、長い髪をした女の子が体育座りで顔を埋めて啜り泣いている。
「さ、さあ。授業、授業ーっ。今日はなにだったかなーっと」
誰か、見知らぬ子が泣いているのは理解した。だがちはるは声をかけることなく背を向ける。触れては駄目だと自分が自分に命令したのだ。このセカイの安寧に、あの子は絶対に相応しくないと。
「ばかちは。次は体育よ。教科書探る前に体操着探しな」
「せやせや。はよ着替え行こ。更衣室混むに?」
誰も、泣いているあの子を認識していない。あれは目の錯覚だ。楽しい時間に水を差す意地悪な輩に違いない。ほんの少し陰った表情を微笑みで包み込み、二人と共に立ち上がる。
『へぇ。助けないんだ。グリッタちゃんなのに』
「え」
振り向いた先にいた姿と声に背筋が伸び、ちはるの動きが完全に止まった。ピンク色のショートボブにおでこ出し、外向きにくるんと向いた毛先。両耳についた星の耳飾り、地球を宇宙から見た時のような蒼い瞳。自分と全く同じ衣装を纏う『本物の』グリッタちゃんがそこにいた。
※ ※ ※
「成果物、ってどういうことよ」
『――言葉通りの意味だよん。まほうのアイテムを渡し、その使い方・使い道を観察する。最初はそれだけで面白かったんだけどね。最近はどの子も頭打ちになっちゃってつまらないんだよん』
白いシルクハットを目深に被ったその存在は、満身創痍の綾乃を前にそう言い放つ。西ノ宮ちはるがまほうの力を獲得したその日、自分は彼女と一緒にこの存在と話をした。ズヴィズダちゃんとなったあの日には、二人で魔力を使えば解決すると助言を受けた。
元々そんなに出逢わないのと、そうした助言のせいで候補から完全に外れていた。だが、候補に入れて考えれば何もかもに合点が行く。
「あんたが……全部の黒幕だっていうの。ちはるやみらをこんな風にして、何がしたいの」
『――何って。ずっと同じことしか言ってないはずだよん? 西ノ宮ちはるも、我妻アイムも、花菱瑠梨も。総て私が楽しみたいがための"産物"だと』
耳の奥にこびり付いて離れないような悪辣なる声で、桃色の外套は綾乃に向かいそう告げる。単純明快といえば聞こえはいいが、無論それで納得できるわけが無い。
「ふざ……ふざけんな。あんたの楽しみの為に、ちはるは」
『――そう、心が折れて今も眠り続けている。彼女"にも"特別目をかけていたというのに、本当にしょうもない幕切れなんだよん』
「心が、折れた?」腹の立つ単語らを横に置き。「折れたって、何」
『――私は舞台袖から総てを聴き、総てを視る。親友にトドメを刺せず、最愛の『娘』を喪い、支えだった魔法少女の姿にはもうなれない。観察対象としての面白みはゼロ。だから九年前に切り捨てた。向上心の無い人間にまほうを操る資格はないんだよん』
「観察対象、切り捨てた、面白い……?」
東雲綾乃には夢があった。陸上選手として世界のてっぺんを取りたいと思う時期だってあった。偶然ならば仕方ないと諦めて、唇を噛んで次の夢を追おうと思った。それが、『面白い』?
「必死に足掻いて諦めて、それでも前に進もうとする人たちを嘲笑って! あたしや、あの子の人生は! あんたの退屈しのぎなんかじゃない!」
与えた側でありながら、語り口はどこまでも他人事。しかも悪いのはちはるだという。とっくに空っぽだった綾乃の炉の中に怒りという薪がくべられ、立ち上がる力が湧き上がる。
『――ふふふ。あはは、あははのは』
そんな綾乃を前にしてもなお、ファンタマズルの上着から笑い声が止むことはない。否、彼女の激昂を耳にして、心底楽しそうに腹を抱えている。
『――そう! それだよ東雲綾乃! 湧き上がる怒り、眉間に寄せる皺! 脚を失い、死にかけてなおその身を動かす感情の躍動! これがっ、これがッ! これがぁ〜〜ッ、観たかった!!!!』
たのしそう。
外套とシルクハットの間から響くその声を聴き、綾乃の顔から一瞬怒りが失せた。善悪を抜きにし、子どものようにはしゃぎ嗤うその姿に抗う意思を削がれてしまった。
『――いやア良かったぁ〜〜。生かしておいて本当に良かったァ。必要ないと思っていたが、こんな形で感情を搾り出すことが出来たとはなァ〜〜アーッハッハッハッ』
(ああ、こいつは)
人間じゃない。根本的にヒトとは違う生き物なのだ。東雲綾乃は唐突にそう理解した。
次回、『おとなになんて、なりたくない』につづきます。




