逆襲のアクマ(上)
※ ※ ※
「ねー、ズヴィズダちゃん。トイレ行っていい?」
「駄目。ちょっと前に行ったばかりでしょ」
「出るものは出るんだからしょーがないじゃん。じゃあここでしちゃってもいいの?」
決戦の日。多摩の豊ヶ丘団地のちはるの家では、家主の代わりに綾乃が茶の間に座し、居候たるみらをこの場に縛りつけていた。
「わかった。けどさっきみたいについて行くわよ。ドアもちゃんと開けておくこと」
「うぇーっ。ズヴィズタちゃんって恥じらいとか考えたことないのぉ?」
「同じ女で小さい子でしょ、ヘンなこと言うんじゃないの」
西ノ宮ちはるはここにはいない。みらを花菱璃梨の前に立たせないためだ。彼女には願ったことをカタチに出来るチカラがある。味方として呼べばまず間違いなく有利になったはずだ。
「きょう、この日限りは私の言うことを聞いてもらうわよ。絶対にちはるの邪魔はさせない」
「邪魔って何さジャマって。わたしがいた方がグリッタちゃんは安心安全のはずでしょう?」
「否定しない。否定はしないけど」
敵はちはるのみならず、自分の夢をも奪った相手だ。本当なら自分も戦いに出て、積年の恨みを晴らしてやりたい。
「それ以上に、あなたに今のちはるを見せたくないの。見れば、必ず誰かが不幸になる」
この性格だ。ちはるが劣勢となれば、なりふり構わず参戦するだろう。積年の恨みをぶつけにかかる只中で助力を得たとしても、きっとどちらも納得できる結末にはなり得ない。
「やっぱりおかしいよ。そんなに分かってて行かないの? グリッタちゃんのこと、友達として大切なんじゃないの?」
「そうよ」みらの言葉は正論だ。故に、「だから、私たちは信じて待つの。大丈夫よ、本気で怒ったちはる、ヒくほど強いから」
自分は齢二十五の大人だ。感情のままに動き、後進を悲しませてはいけない。心中に抱えた不安総てを呑み込んで、東雲綾乃はそう告げた。
※ ※ ※
それはまさに異形と呼ぶに相応しい姿だった。
それは異形としか言いようの無い姿であった。
目算で全高五メートル。全長となれば八メートルはあらんかという、蒼い蟷螂の姿をした魔物。頭はなく、頭部にはスマホスタンドめいたくぼみが設けられ、プレディカ本体がそこに収まっている。まるで大仕掛けの機械人形だ。肌色のチューブめいた器官で手足を義体に接続し、微細な動きを伝わせて操作している。
「あの時からずっと、この日が来るのを待ち侘びた。貴様という存在を! この手で! 女王様の宿願を果たし、妹たちの仇を、私の手で討ってくれる!」
口が裂け、頬まで開いたその中から、横開閉する不気味な大顎が飛び出した。前頭からは一対の触角が生え、額には目のような器官が三つ浮き出ている。もうヒトのフリをする必要はない。怒りのままに自らを解放し、西ノ宮ちはるを威嚇する。
「うるせーよ」
ちはるは一切動じず、冷え切って据えた瞳を魔物に返す。魔法少女だった頃のキラキラはとうに無く。濁りという濁りを一点に集めたような気味の悪さだけがそこにあった。
「御託はいらないからさっさとかかってこい、虫ケラ」
短く、悪意に満ち満ちた挑発だった。わざわざぺらぺら口にするなと無言の圧力をかけているかのようだ。
互いに語るべき言葉を無くし、睨み合いながら構えを取る。反応は同時だが動きはプレディカの方が早かった。ちはるが上体を沈ませた刹那、横薙ぎの風圧が彼女の背中を通り過ぎる。
(速い)あの図体だ。リーチに分が悪くとも、懐に潜ればどうとでもなると思っていた。認識が甘かった。あれはデカくて早いのだ。
既に、ちはるが向かわんとしていた正面にプレディカの姿はない。身体を起こさんとするタイミングを狙い、真横から縦一文字の振り下ろしが迫っている。
「このォっ!」眼前に姿がない時点で次の手は読めていた。ちはるは初撃用に溜めた魔力をわざと暴発させ、爆風を以てプレディカから距離を取る。
「遅いんだよォッ」衝撃にたたらを踏んで、次手を打たんとするちはるの眼前に、再び近付く横薙ぎの風。息を付く暇さえない。深く考える余裕さえない。ブリッジ姿勢で目の前の斬撃を躱し、バトンの穂先に魔力を集め、戻るバネで身体を起こし、解き放つ。
(こ、の、お……)桃色の光は中央公園の林の中に消え、木々を二・三本弾き飛ばした。プレディカの姿は既にない。背後にひりつく澱みない殺気。しゃがんだコンマ二秒後を、即死の斬撃が通り過ぎる。
虫如きがと舐めていた。命の取り合いから離れ、長く平穏と倦怠の中に居た反動か。感覚で”わかる”のに、身体がそれについて来られない。
「九年前とは何もかもが違う。女王様のくれたこのカラダで、お前の首を刈ってやる!」
奴の動きが止まった。両の鎌手を上段に構え、背中の翅が縦に開く。まるで野生のカマキリが威嚇しているかのようだ。こんなことをして何になる? 圧倒的優位に侮っているのか?
答えは否だ。奴が構えを取った瞬間、池の水面が大波を生じさせ、飛沫が縦横無尽に飛び散った。木々の枝葉が剥がれ落ち、地表が激しく揺れている。
(なによ、これ……!)この現象が何なのか、ちはるは感覚で理解した。骨の髄を揺さぶる不快な音。じっとしていると肉が骨から千切れそうになる。手にしたバトンを取りこぼし、耳を塞いでたたらを踏んだ。
”音”だ。虫や動物が外敵を追い払うのに使う羽音。あれを音響兵器に転用しているのか。
「ははは、いいぞプレディカ。そのまま奴を血祭りにあげてしまぇい!」
創造主たる璃梨は耳を塞ぎ、身体を丸めてこちらを視ている。主さえこうなら指向性でなく、範囲を制御できないタイプか。
「身悶えするほど苦しいか? そうだろうそうだろう。我が主の受けた屈辱、死んで行った妹たちの憎しみ、その身で贖えぇえ」
奴には振動を知覚する器官が無いのか? この超音波の中で震え一つ見せず平然と振る舞っている。
(このままじゃ、死ぬ!)
プレディカは羽根を振るわせじりじりと距離を詰めて来ている。反撃の芽を完全に潰し、無抵抗のこちらを確実に裂いて殺す為に。
苦しさに身悶えしているだけでは駄目だ。起死回生の一手はないか。あるにはある。圧倒的優位に気付いていないのか。それすらも分からぬ虫頭なのか。どちらだっていい。肉を切らせて骨を立つ。ちはるは歯の根を食い縛り、耳を塞ぐ手を開くと、バトンを掴んで側転し、集束させた赤のエネルギーを解き放つ。
「な」
「にぃっ!?」
目標はプレディカではなく、その背後で公園のモニュメントに座し、耳を塞いでいる花菱瑠梨だ。憎き相手がやられる様をこの目で見たいが故に留まったのは理解出来る。しかし、ここは互いが命を削る戦場だ。自ら戦うちはると違い、瑠梨には自らを守る術などない。
「女王様!」
プレディカの反応は素早かった。バトンの穂先が自分を狙ったものでないと分かった瞬間、瑠梨の前に立ちはだかり、腕を☓字に構えていた。両の腕で光弾を切り捨て、余波が四方に拡散する。
「おのれ、貴様よくも」
卑怯者・と罵るより早く、プレディカは自らの失策を悟った。先の一発が妙に軽かった時点で違和感はあった。軽いわけだ。今のは囮。主を守り、攻め手が止まったその隙に、向こうは既に次手を整えていた。
「シュテルン・グリッタ・ステラブレイク!」
次いで放たれた赤の光はプレディカの頭上で五つに拡散。うち二発を長く伸ばした刃で弾くも、背面に飛んだ三発はカバーしきれない。超音波を発する一対の翅が、この一撃で千切れ飛んだ。
「卑怯が何だって言いたいワケ?」間髪入れず、脚に向けて二発を放ち、敵の機動力を削ぎながら。「人質取るような真似して自分だけ平気みたいな顔して座ってるのが悪いんだよ馬ぁ鹿。命の取り合いで無力なあほがウロチョロしてんじゃねぇ」
口汚いがぐうの音も出ない程の正論だ。一度プレディカが前線に出てしまえば、瑠梨を守る者は何もなくなる。
「こ、この野郎……!」心の中で甘えがあったのは瑠梨も同じだった。短い間ではあったが、同じ場所に身を置く仲間だった。まさかあの西ノ宮ちはるが、躊躇いなくこんな手を使って来ようとは。
「女王様、ここはお逃げを。後は私が」
「すまない。頼む」
西ノ宮ちはるは本気だ。自分という人間を殺すまで止まらない。今更ながらようやくその事実を理解した瑠梨は、ひとり公園の林の中へと駆けてゆく。
「でさあ、よそ見してる、場合?」
プレディカが主の行く手を見守る最中、ちはるは既に彼女の懐に潜り込んでいた。相手の獲物は両手の鎌だけ。間合いの中に飛び込めば攻撃のしようがない。
(馬鹿だよね。これ見よがしに配置して、狙ってくれって言ってるようなもんじゃん)
答えは最初から見えていた。幾ら図体がデカくなろうが、本体は顔にあたる部分に紐づけられたまま動かない。向こうに躱す術はない。
「シュテルン・グリッタ・スタぁバースト!」
紅く輝くエネルギーを穂先の一点に集束させ、ひと呼吸のもとに解き放つ。今度こそ終わりだ。あの化け物を討ち、元締めたる瑠梨に然るべき罰を与えてくれる。
「馬鹿ね。解っててそうしたに決まってるでしょうが」
「え」
ほんの一瞬意識が飛び、集束させた光が凝固を止めて空の彼方へ融けてゆく。撃つ意思はあるのに、一体何故? 戻り行く意識と共に、右肩が力なくがくんと落ちる。
「痛……」この時ようやく、眼前の魔物が『足りない』ことに気付く。顔がない。頭部の代わりに埋め込まれ、カラダと紐付けされた"本体"がそこにはない。
「嘘でしょ」
右肩に袈裟の傷が走り、赤黒い血がポンプめいて噴き出した。プレディカはちはるの背後に立っている。両手首から刃渡り六十センチ程の鎌を生やし、空中前転からすれ違い様に斬りつけたのか。
しかも、それを知覚し反応する暇もない。本体が外れ、操作不能になった巨大なカマキリは、飛び退いて距離を取った。
(ふざけてる。遠隔操縦ってわけ?)
ちはるは心中そう毒づき、痛みに顔を引き釣らす。グリッタちゃん衣装の腹部に真一文字の傷が刻まれ、赤の飛沫が飛び散った。
・次回、『逆襲のアクマ(下)』につづきます。




