8話 レイズ レイズ! レイズ!!
戦闘開始直後を除いてフィオナは蟻の女王の姿を捉えることが出来なかった。
目の前かと思えば背後から、頭上からかと思えば直下から。
かすかに感じる気配と、わずかに視界に写るブレた影、位置情報の矛盾が混乱を途切れさせない。
全周囲から雪崩れ込む情報量は脳と三半規管のキャパシティを優に超えて、フィオナは自身の姿勢制御すらおぼつかなくなっていた。
一方の女王はフィオナが完全に自身を見失った際にのみ口から酸弾を射出していく。
高速移動を行いながらでは命中率に期待は出来ないが間隙を与えなければそれでいい。
極度の混乱が死の恐怖に変わり、フィオナがうずくまるまで粛々と繰り返す。
放たれた透明な酸弾は海水に触れると硬質の結晶へと変貌した。
液体のままでは得られない貫通力を得て迫まる。
当たれば即死、対するフィオナには選択している猶予などなく、ほぼ反射的に魔導を展開した。
「深海の蒼詩!」
威力は身をもって知っている。当然ながら初見よりも多く魔力を消費して展開した泡の壁が酸弾を完全に阻んだ。
そうして、すぐさま高い手札を切らされたことに気付く。
泡が絡めとった酸弾は直撃コースから外れていたのだ。
限られた魔力を無駄に消耗してしまった。命惜しさが理性を押しのけ悪手を打たせてくる。
そもそも逃げても無駄ならば、踏みとどまり戦闘という分の悪い賭けに出るしかないのだ。
だが、容易くそれを覚悟し、命を賭けられる者がどれだけいるだろうか。
脳裏にチラつく逃亡の選択肢、フィオナの無意識がその死に札に縋りつこうとする。
(私はこんなところで……加速と足止めの魔導を併用して……違う、このままだと”見逃す”ことになる)
そう、運よく撤退することが出来たとして、討伐のため万全を期して駆除に向かってくるであろうダイバー達を待つほど、この女王が悠長なはずがない。
巣を捨て、また新たな巣と手駒を揃える日まで身を潜めることだろう。
そうなれば事態は振り出しに戻ってしまう。
また誰かが巣に入り、同じ状況に陥る。
そんな連鎖は、なんとしても防がなくてはならない。
逃げられないが、逃がすわけにもいかない。
覚悟を決めてフィオナは、巣穴の壁を背にして陣取った。
これにより退路は断たれてしまったが、攻撃がやってくる方向が限定される。
死角を取られ振り向く動作による時間差がなければ迎撃が間に合う目算はある。
初見の射出の際、威力と精度を両立させるために女王が四枚羽でその反動を殺すことに使用して一瞬停止していたことをフィオナは見ていた。
(強力な魔導は後一発しか打てない。外せない上に仕留め切れる出力となると……ブレイドシャードの背面への展開リソースを速度と威力に回せば……!!)
射程範囲を広げれば威力と速度が落ちる、威力と速度を高めるならば射程範囲を絞ることになる。
だが、フィオナの陣取りでこのトレードオフは粗方解消したと言える。
女王の装甲を切り裂き確実に仕留めきれるであろう高威力、そして酸弾の射出による停止からの再始動では回避が間に合わない展開速度を確保してもフィオナは自身の視界のおよそ6割近くを薙ぎ払える。
(ついには動かくなった獲物……確実に仕留めにくるはず)
動かなくなるまで嬲ろうとする女王と、動きを止めることで迎撃態勢を整えたフィオナ。
互いの思惑が噛み合い、蟻の女王が姿を現した。
高威力の酸の結晶弾、羽を広げて足を止めるモーションに入る。
(これなら、私の魔導が早い!!)
相打ちになるやもしれない、というフィオナの予想は外れた。
相打ちどころかフィオナの魔導が先に女王の命へ届く。
「深海の蒼詩! 【ブレイドシャード】!!」
前方への展開に魔力のリソースを割かれた刀剣の檻はその密度を極限にまで高められていた。
研ぎ澄まされた刃の波が幾重にも隙間なく重なり蟻の女王の体を通り抜けていく。
抵抗感どころか手ごたえすら全く感じさせることなく蟻の女王は細断された。
だが細断された女王の体が崩れることはなく、射出のモーションは止まらない。
(何が…どうして……)
魔力が底を尽き、打てる手がないフィオナを嘲笑うかの如く、射出の予備動作が長い。
停止するフィオナの思考、だが手品の種はそんな状態でもすぐに突き止めることができた。
女王の羽が妖しく光った、フィオナの顔が”頭上からの”光に照らされる。
それは真正面にいるはずの女王が放つ光。
(……!偏光で位置を)
女王はアーマーアントとミラージュストライダーのキメラ。
ミラージュストライダーは光の反射を利用して一瞬姿を消すことや位置を誤認させることが出来る身体機能を持ち、それにより外敵から逃亡する。
そんなことはフィオナも知っている。
だが用途となれば別、女王は攻撃におけるフェイントにこれを転用したのだ。
戦える体を持たず逃走のためだけに特性を用いる原種では絶対に確認できない使用法。
水と光が作り出す屈折を操り、フィオナに錯視をかけた。
勇ましくタクトを構えていたフィオナの腕が力なく落ちた。
せめて苦しまず済むようにと全身から力が抜けだしていく。
誰にも看取られず海の底で虫共のエサとなる、最低の死に様にフィオナは弱々しく口元を緩めた。
耳をつんざく女王の咆哮、音の爆発が推力として結晶化した酸弾に乗り切らんとしたその瞬間。
フィオナが背にした巣穴の壁がはじけ飛んだ。
「うるせぇなぁ」
「あ……」
崩落の轟音にも、女王の咆哮にも難なく割って入る苛立ちの声。
声の主がフィオナの肩を引き、立ち替わるように彼女の前へ出た。
剣幕が透けて見えるような低くドスの利いたその声は今朝方に彼女が会った男のものだった
◆◆◆◆◆
乱入してきた深也の様相にフィオナは思わず見入ってしまう。
両手の剣銃、テンペストには、ここまで駆除してきたのであろうアーマーアントの頭部の欠片が突き刺さったままであった。
アビスフレームも強行突破して来たからなのか酸液により細部が溶けていた。
船で見た時の【蒼炎】の名に恥じぬ流麗さは見る影もない。
「無視してパなそうとしてんじゃねぇ」
当然ながら見入っていたのはフィオナだけで蟻の女王は今まさに酸弾を射出しようとしていた。
深也がアーマーアントの頭部が突き刺さったままの状態で剣銃の引き金を引く。
高速で吹き飛んだ蟻の頭蓋が、酸の結晶を完全に生成される前に弾き飛ばした。
続く二射三射は、女王が身をひるがえして躱す、当たっているにしか見えないがすり抜けたということは偏光による錯視。
「……ああ、蟻ンコの分際でミラージュ系との雑種かよ」
愚痴をこぼしながら放たれる深也のマシンガンもかくやというほどの剣銃による連射が女王の体を掠めた。”フィオナの目には”当たっていないように見えた。
だが当たっていないはずの、大きく逸れる射線に対して女王が回避行動をとる。
つまり、それは
(正確な位置が……)
なぜ分かるのか、発動しているはずの女王の偏光による幻惑を意に介さず深也の猛攻は止まらない。
絶え間なく放射される熱線を巨体ながらも見事に躱していく女王、だがそれすら深也は瞬時に戦略の1ピースへと組み込む。
たとえスピードがあろうと巨体を持つ相手は連射に対して次の回避を確保するために、ただ躱すのではなくスペースのある方へと躱したくなるのが必然。
射線により進路を操り、女王が躱したくなる方向が自分の間合いに重なるよう誘導する。
「エアソリッド起動 【海駆け】【ブレイズエッジ】」
エアを消費して発生させたエネルギーを剣銃のブレードに移し、対象を溶かし切る灼熱の刃を作り出す。
狙うは攻撃の起点になっている女王の顎、この部位を破壊することで一気に戦闘力を奪う。
倒しきる手立ても考えたが、下手に欲を出して長引けば別の懸念が出てくる。
作り出したルート上のポイントへ女王が到達するタイミングに深也は自身の加速を合わせた。
解放された脚部のスラスターからエアを放出し、一気にトップスピードへと。
(”ここ”だろうが)
だが灼熱の双刃は、顎の部分ではなく頭の側面をわずかに十字に切り裂いただけだった。
狙いが顎より”後ろ”にズレてしまった。
タイミング、シチュエーション、ともに完璧な攻撃になるはずだった。
誘導したポイントへの到達するタイミングに合わせて仕掛けたはずが、予測より女王側の到達が早い。
この時、深也が見誤ったのは速度というより、女王の蟲としての見切りの良さである
この敵には偏光による幻惑が通用しない、女王はその事実をただ認識し、それまで偏光につかっていた4枚中2枚の羽根も用いて全てを推力増強に回したのだ。
女王は自身の能力に過信も誇りも持ち合わせていない、通用しないと分かれば簡単に切り替えられる。
それが功を奏してしまった。
瞬間、手繰り寄せていたはずの勝負の綾がすり抜けていくのを深也は感じた。
(いや、まだ間に合う!!)
すでにブレードの間合いの外だが射撃ならば射程内、深也がテンペストを弾く。
2つの熱線が伸びた、だが、”わずかに”届かない。
「……ッ…コイツ」
確かめるためにも、”わずかに”距離を詰めて続けざまに連射を見舞うが、”わずかに”届かない。
この事態を前に深也の見切りも早かった。
すぐにでも、この勝負から降りなければならない。
後方でへたり込むフィオナの腕を掴んで退散しようとする。
「オイ 退くぞ、今すぐだ!」
「ちょっと! 痛いです!」
痛みは、そのまま彼女を見捨てたくないと思っていることの表れだが無理矢理にでも連れていこうとする深也の手をフィオナが振り払うようにもがく。
深也は無視して牽制射撃を行いながら引きずっていく。
「いっ……たい!! 貴方、あんな危険な個体を放置していくつもりですか!?」
「ハァ? 正気かお前!」
「そっくりお返しします! 後ろから見てるだけでしたが貴方なら……!」
「勝てねぇよ、バーカ!! 近接も遠距離も射程とスピードを覚えられた! 今の装備じゃ万回やっても負ける!」
「なっ!」
言いたいことは分かったが、これだけ確信をもって力強く自身の敗北を宣言する男をフィオナは見たことがなかった。
そのある種の不甲斐なさがそうさせるのか、フィオナの義憤と期待の心に余計に火がついた。
というより初対面から妙にそういう気にさせる空気を深也が纏っているのだ。
強さを隠すような仕草に、演出された頼りなさげな気だるさに、彼女は腹が立ってしょうがなかった。
「この機会を逃せば、将来もっと多く人に被害が出ます!」
「クソ他人事じゃねーか! 弱いクセに責任感に目覚めるな!」
「……! 貴方だって強いのに逃げるクセに!」
戦闘開始からずっと冴えてきた深也の思考がここにきて明後日へ飛び立つ。
一体なんだというのか、このNPCは。
意志どころか命も持たないはずのゲームキャラがなぜここまで自分をかき乱すのか。
出会った時に感じた出所の分からない懐かしさを筆頭に、バックボーンとするものがない降ってわいただけの感情を止めらない。
そんな感情によって自分の中の指針が揺らぎ始めていることを自覚できる。
(まさか、コイツに嫌われたくないのか俺は……ハァ!?)
いったい何を考えているのか自分は、たかがゲームのキャラに嫌われたくないなどと気色の悪い。
深也は今すぐにでもこれを考えたバカ開発者を呼びつけてやりたい衝動を何とか抑え込んだ。
なぜなら、今から自分も負けず劣らずバカな賭けをすることになるから。
「…勝てない勝負に勝てって……お前さ、これ片付いたら覚悟出来てるんだろうな」
「!……本当に不埒ですね!!」
「ハァ!?? いいから下がってろ!!」
そう言って深也はフィオナの腕をさらに力強く引っ張って自分の後方へと放り投げる。
一度振り出しに戻すように迫る女王にテンペストを一発。
凄まじいスピードを加味した置くような射撃を女王は、あたかも見切っていると誇示するかのように射程外ギリギリまで下がって躱してみせた。
(インプットの時に射程をケチったツケがでかいか……こういう時に融通が利かなさが出るな)
エアソリッドシステムは予め大気の魔導炉にインプットした動作のみを行う。
状況に合わせて強めに打つ、弱めに打つといったことは強弱の設定をした別コードが必要になる。
今ある手札の中でどう運用するのかということだ。
期せずして真面目なバカだなと内心で罵った蟻たちと同じことをしている自分に驚く深也。
(なるほど、女からの頼みを断れなかったのか)
そりゃバカもするか、と合点がいったところで要らぬ思考を切り捨てる。
今現在求められていること、その前提条件は、はっきりしている。
手段は、そこから逆算していけばいい。
奇しくも深也はフィオナが行った思考と同じ軌跡を辿っていた。
異なるのは描く放物線の着地点のみ。
間合いが見切られていない武装で、
見せてしまった《海駆け》以上の超スピードで、
一撃で決められる威力を以て、
殺る
足を止めた深也に対して女王が四枚羽を開いた。
場所は通路ばかりの巣の中でも先ほどよりも広い、踊り場のように開けた空間だった。
スピードの差がより顕著となる不利な地形だ。
女王が海中を飛翔する。
(さっきより速い……!)
明らかに決めにかかってきている、だがスピードを重視しているためか直進が多い。
これならまた先ほどのように進路を操れる。
あとは一瞬でも、このスピード差を覆せば攻撃を合わせられる。
深也も、ここまでの道中でエアも残り少ない、もう後がない。
最後の攻撃になるだろう。
テンペストが放つ熱線が蟻の女王の行く手を遮りながらその進路を操作していく。
極限の集中が必要となる進路予想と精密連射、エアの消耗がもたらす脳が焼き切れるような感覚に深也は酔いしれる。
「離れてろフィオナ!! エアソリッド起動! 《海駆け》《ラス・イグニス》!!」
加速と熱線強化、二つのエアソリッドを同時に起動する。
深也は剣銃をスラスターに見立て、後方へと噴射させた。
女王の酸弾しかり強力な射撃には比例するように強力な反動が付き物、それを利用する。
反動とそこに加わる熱線のエネルギーが想定を超える速度をもたらす。
叩きつけられる水の抵抗をアビスフレーム《蒼炎》の流線型の装甲が受け流した。
そして熱線の放出は一瞬、体を速度にのせればブーストにもう用はない。
ためらうことなく剣銃から手を放して無手になる深也。
その、ほんのわずかな積載量の削減が女王との速度差を、距離を、完全に潰した。
女王の眼に時間が飛んだかのようにアップになった深也の姿が映る。
深也はそのまま女王の体にある先ほど自分がつけた十字傷に掌底を叩き込んだ。
常軌を逸した深也の膂力と傷が、ただの掌底に外殻を貫通させる。
「エアソリッド起動! 【エーテル・ブリンガー・リバース】!!」
深也が持つ最後のカード、それは掌底部分に仕込んだエア吸収のシステムであった。
システム本来の用途は敵の大気の魔導炉やレベル2以上の海魔石からエアを吸収するというもの。
その吸収せんと走るシステムコードを反転させる。
用意された正規の供給箇所を無視して、許容量を超えてもなお、相手に劇薬を流し込み続ける。己の生命線を顧みないことで手に入る確殺の一撃。
これは相手アビスフレームの大気の魔導炉と各種武装をつなぐ回路へ無理矢理にコネクトすることで可能になる。
海魔石を心臓とする生体アビスフレームとも言える海凶にも、この回路に近似したものがあった。
「くたばりやがれ!」
堅牢を誇るアーマーアントの外殻、その特性を併せ持つ女王の体がいびつに膨れ上がる。
だが、全長8メートル越えを誇る巨体を溢れさせることができない。
女王が突き刺さった深也の腕を引き抜こうともがき、必死の抵抗を見せる。
決めきれない原因は明白だった。
最低限のエアを確保するために組み込んだセーフティコードが供給を抑えていた。
「ッ往生際の!……クソがァ! 全部くれてやるよ! いい加減ッ……爆ぜろ!!」
大気の魔導炉が上げる悲鳴を無視して、今持てる全てのエアを叩き込む。
急激な無酸素状態で赤黒く濁る視界、それと比例するように意識が白で覆いつくされていく。
(ヤバイ…なんだ…落ちる? これゲームのはず……)
一瞬浮かんだ疑問、しかし白くぼやける意識では捕まえられず、深也はひたすらエアを流し続ける。
赤黒く濁る瞳も、弾け飛んだ女王だった残骸を映す前には閉じられてしまっていた。




