4話 ストームブリンガー
蒼乃深也にもこのゲーム『アビスフレーム』の世界に不満が無いわけではない。
不満その1は、ギルドと呼ばれる組織の存在である。
ギルドは管轄海域の統治を行う大組織、政府組織と言っていい。
この世界には6つの海域に6つのギルドが存在している。
ギルドは主に海賊の取り締まりとした治安維持、ライフラインやインフラ整備、環境保全、そして所属するダイバーたちへの依頼と任務の管理を行っている。
ダイバーライセンスもギルドの管轄であり、各海域ごとに別途のライセンスが必要となる。
深也からすれば、こんな雰囲気出しのために付き合わされるゲーム内設定は煩わしいだけ。
不満その2である組織間の諍いとなれば、尚更。
◆◆◆◆
火山都市ボルケーノを拠点とするギルド『フレイムピラー』の本部に深也は来ていた。
到着前の弾むような足取りは、すでに鳴りを潜めている。
通された部屋で待ち構えていた人物により心理的にも物理的にも深也の右足は引きずるほど重くなっていた。
質量を伴った鬱陶しさに耐え切れなくなり、深也はソファへと沈み込んだ。
(肩こるな、ここ……)
せめて壁や柱にもう少し遊び心があればと深也は嘆息した。
本部は外観も内部も艶のない炭色の黒と煤けた錆色の朱を基調としている。
それらが経年劣化によるものではなく狙った意匠であることは深也の素人目で見ても読み取れた。
そんな建築士の狙い通り、重苦しさに首を竦め、撫で肩になりながら、
深也は心の息継ぎのために目を泳がせる。
そうして目につく机や椅子、キャビネット、その他の調度品すらも黒か灰の二者択一で建物の堅苦しさに右へ倣えしていた。
だが仕方がないのかもしれない、
この場所にかかれば少しでも足並みを乱す色彩は異様に映えてしまう。
なので否が応でも、知らず知らずでも、
異物は排除されていくことになる。
(この景気のいい街のギルドとは思えないな)
何故そんなミニマリスト養成空間みたいなところへと深也は足を運んだのか
先刻、装備屋を冷やかしていたところ、ギルドの職員から呼び止められたのだ。
曰く、特別に依頼したい任務があるとのこと。
深也は逡巡なく、この呼び出しに応じた。
名指しでの依頼は受託か拒否かという強力な交渉カードによりダイバー側が主導権を握ることになり、
依頼主もダイバーから受託を引き出し、一度受託したからには決して逃げられぬよう
報酬を自ら破格へと吊り上げていく構造となっているためである。
(で、撒き餌だったと……)
馬鹿したなー、と深也は見過ごしてしまった幾つかのチェックポイントを振り返る。
呼び出しを受けたその場で依頼概要を聞いていても良かっただろう、
守秘でそれが適わなくとも向かう先で誰が待っているのか、くらいは確認できただろう。
回想と後悔で結ばれたメビウスの輪を廻る深也の眼が依頼書に逸れ、すぐ滑り出した。
「ど、どう?」
先ほどから深也の退出を阻む足枷が気まずそうに尋ねてくる。
声はギルドの依頼管理部門の職員であるシャックのもの。
報酬に釣られて、のこのこやって来た深也を、応接室へと呼び込んだ張本人。
深也の足に縋り付いて、こびりついてでもソファに腰を落とさせ、依頼内容を確認させることに成功したやり手である。
「ライセンス試験の同伴任務か、他当たれ」
「シン君? 結論、は、早くないかな?」
そしてそこまで必死に頼み込んだ依頼内容への、あまりにも早く、断固とした拒絶にシャックは声を裏返した。
「だいたい同伴って、これ護衛だろうが。ダイバーなんてただの個人事業主で、今もどっかで野垂れ死んでるような仕事だろ。それに進んで就こうって奴を護衛?もうちょい上手く隠せよ、お前キナ臭すぎる」
「そんな何発も殴らないでよ……」
「本当に殴ってやりたいよ」
言葉だけでグロッキーとなっているのにシャックは深也の足から手を離さない。
殴って気絶させる気も起こさせない程のシュールさが、深也の丹精込めて作った握り拳を頬杖にグレードダウンさせていた。
「(ほんと残念な二枚目だな)」
「……シン君、聞こえてるからね?」
シャックの年は17か18ほど、輝く金髪に鮮血を思わせる真紅の瞳、整った顔立ち、180強はあろうかという長身と四拍子を揃えている。
だが、表情がコロコロ変わる幼さとあふれ出る頼りなさで付き合いの長い人間ほど彼に二枚目という評価を与えていなかった。
今も深也に任務を断られたことで整った眉は激しくハの字を描き、台無しになっている。
このままいけば間違いなく号泣するだろう、鼻水もついてくるだろう。
「手離せよ、帰る」
「離したら帰るからじゃん!!」
泣かれでもしたらズボンが汚れると深也はまんまと大人しくなった。
俗に言う泣き落としだということをシャックは覚らせない。
シャック自身の業務では、依頼を引き受けないダイバーの懐柔が占める割合は大きい。
今も泣き落としが効いたのを見て、みるみるメンタルを持ち直していく。
ここからだと奮起するシャックの眉、やる気に満ち満ちていくシャックの赤い瞳、イラつく深也。
「まだ言ってないことあるなら聞くだけ聞いてやるから、足に巻き付くのやめろ」
「うん、やめるね!」
「元気いいのもやめろ」
人心地ついて椅子に掛けなおすシャック、文字通り腰を据える。
なにせ目の前の深也、ギルドに登録するだけ登録して依頼も、ある程度の強制力のある任務も片手で足りるほどしかこなしていない。
稼げるだけの能力があるのに街の装備屋から頼まれた代金替わりの採取依頼のみをこなしているという稀にみる金銭感覚の持ち主だ。
人生を趣味でやっているとしか思えない、境遇を鑑みるに実際そうなのかもしれないが。
本当に興味深い、街中で急に姿を消したという報告が特に。
シャックは自身の屈折した好奇が満たされつつ上層部の要望に応えられるよう業務を遂行する。
自分に使える手練手管は全て使う、まずは金銭から。
「報酬金いっぱい出るよ!」
「金なぁ……ケタにもよるが金に困ったことないな」
破格の報酬に目が眩んでやってきた深也だが、別にこれはイコール金銭目当てというわけではない。
欲しいものは別にある。
依頼主がギルドとなれば、余計に目が出てくる。
「女の人とか!!」
「遊ぶ女くらい自分で見繕うだろ普通」
「ええ、大半ここで落ちるのに」
「流石だな、この街のダイバーは」
金と女で揺るがない噂に違わぬ変人ぶりにシャックの手札は早くも尽きかける。
シャックの手札は、ギルドが長年かけて編み出した“ダイバー懐柔マニュアル”そのものだった。
だが、深也には効かない、マニュアルの外にふんぞり返っている。
残すはもう1枚しかないが一番の望み薄である。
「名誉とか……どう? 勲章的な! 分かり易いとこでいくなら……」
「ライセンスのグレードを上げるって?いらねぇよ。 というか扱いに困るくらいの厄ネタなら防波の盾にでも流しちまえよ」
深也の口からでたその組織名にシャックがうへぇと舌をだす。
「海神の三叉槍の1つに? だったら他当たるよ」
「それでやり返したのつもりか、ぶっ飛ばすぞ、テメェ。つかなんで出来ないないんだよ。敵対してるんだろ?」
「……ギルドはテロ組織まがいのカルト連中と商談なんてしないよ、向こうもだろうけど」
「へぇ……シャック、お前ちょっとそれ見せろ」
先ほどからシャックが口頭だけで見せようとしない依頼書の写し、
のように見せかけた2枚目を、深也は無理やりひったくった。
「あっシン君ひどい!」
「黙って渡すんだよ!」
深也はゲームでは、わりとヤクザプレイする方なのである。
ひったくった依頼書、そこにあった主な記載内容は3つ。
桁のおかしい報酬金と詳細な依頼内容、そして護衛対象の素性。
「魔導士かよ。伏せるわけだな」
「あははー……自称神の尖兵さんたちに魔女は預けられないでしょ?」
魔導士、滅びた先史文明の残響をその血に宿す者たち。
ギルドと海神の三叉槍の間に横たわる深い溝を作っている存在の1つ。
という設定。
「俺に依頼したのも高ランクのダイバーが仕事を受けたとなると察知されると思ったわけだ」
「そ、腕は立つけどランクが低いっていうのが理想でさ。でもまぁ中々いないわけ、ライセンスのランクで報酬の基本給金が決まるから低いランクを維持する意味って皆無でしょ?」
「けどちょうどそんな意味ないことをやってるのがいたな、と」
深也に対して「うんうん」と嬉しそうに首を振るシャック。
さながら金の体毛を持つ人懐っこい大型犬を思わせた。
面倒事への水先案内人には見えない。
「お前らのいざこざには関わりたくねぇけど興味は出てきた」
「え、ほんと? ……関わらないと興味は満たせないよ!」
「急に扱いを心得た感だしてくるな、鬱陶しい……まぁ受けるけどな」
魔導士に関するクエストを深也は、まだ見たことも聞いたこともない。
ネタバレを食らう前の一番乗り、それだけで十分すぎる報酬だった。




