24話 レッドテイカー
蒼白の死者は蛇骨のアギトを撫でた。
その所作に愛おしさはなく、強者たる自分に過ぎた哀れみを抱かせてくる脆弱への嫌悪で溢れている。
明らかな隙にも関わらず打ち込んでこないケイン。
シンは、どうした来ないかと視線を向けた。
「ん、気になるか? 歪な骨格だろう」
シンの腰部から直接伸びる四頭の骨の蛇。
腕ほどの太さの脊椎が、肉体と癒着した接合部から這い出すように伸びている。
その骨格には、蛇特有の多重の肋骨が存在しない。
肉が落ちた骨だけの体に、肉を支える骨は不要ではあるが……
「機能の収斂というより捨てただけだがな……」
進化でも淘汰でもない、それは喪失と言える。
4本の脊椎が身をよじりトグロを巻いたことで骨と関節同士が軽く鳴った。
硬い、命を感じさせない硬質な音だ。
「……”お前は”誰だ、何なんだ?」
的の定まっていない問いを漏らすケイン。
シンの纏う異様な空気は異質さというより存在そのものを問い質さずにはいられないものだった。
「聞いても無価値だぞ」
シンは四頭の骨の蛇たちを操り、それぞれを腰掛け、ひざ掛け、足掛けとした。
骨の大蛇達が絡み合い出来上がった玉座に腰を下ろしてシンは溜息をつく。
「俺はただの遺灰だ、”骨”の残りカス」
「……なんと言うか……どうしてこう俺は抽象的なことばっか口にする奴と話す機会が多いかね。質問を変える、なんで生きてる」
「ここにあった海胤は、寄生型だ。欠損した部分を補う形で俺に宿った。義肢だな、簡単に言うと」
寄生型、極稀に闇市場のオークションへ出品される先史文明由来の生体装備。
しかも海胤となるとケインですら一度しか見たことがない。
「そいつァ ハッ悪運が強いな」
「そうでもない、ただの予定調和だが……にしてもだ。まったく……軒先を貸して母屋を取られるにしても……」
これから全盛期に立ち返っていくであろう自身の肉体をこんな若輩が振るうなどと。
口惜しい、しかしながら、慰めとして振舞われる最後の晩餐である目の前の相手はかなりの上物だ。
「フむ……しかし、死に水を自分で取るというのは中々どうしてオツだな。念仏すらセルフサービスだというんだから笑えるほど世知辛い……よし、お前、俺が直々に遊んでやろう。だからすぐに壊れるなよ? 少しは耐えてみせろ、何なら」
噛んでみせろ、犬畜生
突如として水深が変わったような纏わりつく重圧に、ケインは自然と前傾姿勢をとった。
後退などなく頭になく、目の前の骨肉を喰らいに行く。
矜持と狂気の狭間を行く闘犬の流儀を見せられてシンの口角がつり上がった。
蛇の玉座が解ける。
「上等な犬肉だ、しっかり解体さんとな、そうと決まれば……まずは食前酒だな」
蛇達がシンの背後、ケインの攻撃により破壊された刃翼の残骸にかぶりついた。
牙から溢れる毒が翼を溶かし、まるで浴びるように呑んでいく。
「【刃が這う】」
刃翼を飲み干した蛇達が脱皮を始めた。
皮、というより骨の表面にヒビが入り、崩れていく。
中から刀剣の如き鋭さを持つ骨格が姿を現した。
「さて、今からコイツらをお前に向けて放つ」
「あ?なんつもりだ………テメェ」
「油断していたと言い訳されては後味が悪い、だから先に言っておくが刀身で間合いを測るなよ。こいつらは形状としなりで周囲の水流すら無類の刃に変える、たった数秒だが這った後の軌跡にも掠るな」
常に”する側”であったからこそ、ケインの理解は早かった。
不意を打った一撃より、あえて性能を見せることでのこちらの動きに制限を掛けようとしてきた。
選んだのだ、自分相手に。
選択肢とは余裕の表れであり、もっと言えば今のは格下への配慮でもあった。
侮られている、自分が。
「ハハ、野良犬め、意図を分かって尚も奪いに来るか、ますます……どうした?」
憤怒に狂うケインに喜び勇むシンの足に何かが縋りついてきた。
分かりきっている手の主へシンが振り向くと、やはりフィオナであった。
ヘルムで彼女の顔は見えないがシンには透けて見える。
覗き込んだ先には、ないまぜの感情に激しく揺さぶられた瞳があった。
そこにあるのは誰なのかという疑問、誰なのかは知らないがその体で戦うなという批難。
感情が歪んで、潤んで、建て直そうとして涙なって零れ落ちる。
「……今になってこういう感情は持ちたくないが、やはり愛おしいものだな」
フィオナの感情ひとつひとつの解消に付き合う時間は流石のシンにも無い。
ただ、はじめる前に"自分の"感情に気付けたのは大きい。
シンにとってもフィオナは急所であった、だからこそ布石としても使える。
シンは腰を曲げ、足を弱々しく掴むフィオナの手を優しく払いながら彼女の頭に手をのせた。
「ゆっくり語り合いたかったが、今は無理だ。分かるな? 協力してくれ、奴の海胤を封じている魔導、それは解除するな。今の俺にとってお前を守りながら戦うには荷が勝ちすぎる相手だ」
シンはフィオナの頭に乗せたを手を滑らせ、彼女の輪郭を確かめるように頬を撫でた。
「……無粋だぞ、犬」
そうしてシンは振り向きもせず迫るケインに向け蛇達を放つ。
蛇は予め身を捩り、溜めていた力を開放した。
切り裂く水流を発生させながら音速を超える。
だが、ケインもこんな簡単に背後が取れるなど思っていない。
攻撃を中断、発生した水流の余波を読んでそれに乗りながら4つの死線を回避しきってみせた。
「中々いいぞ、よく躾けられてあるな。”まて”は出来るようだ………”よし”」
「エサが喋ってんじゃねぇ」
突貫するケインがトップスピードへと至る境目へ置くように放たれていく蛇達。
ケインは鼻先をくすぐる死臭に逆らわない。
ゼロマックスゼロ、最高速と停止反転を繰り返しながら触れなくとも切れる蛇鱗の刃を躱し続ける。
そうして鼻先寸前、紙一重、薄皮一枚、次々と外れて通り過ぎていく蛇達を舐めるように見た。
(大体わかってきた……)
この序盤の攻防の中でケインには攻める気がほとんど無かった。
トップスピードを見せてでもシンの海胤の性能を分析する。
速度、射程、射角、連射性能、これらは潜瞳者の能力を以てすれば筒抜けも同然だ。
「なんだよ、意外と勝手が悪いじゃねぇか」
シンには聞こえないほど小さく呟かれるケインによる蛇達への評価。
蛇達の速度は溜めがあれば音速を超えるだろうが、速射では折角の速射であるのに速度が出ていない。
射程、射角、連射性能、これらについては密接に関係しているようだ。
蛇達はシンの腰部から生えてきている。
尾が見えないところから察するに射程はエアさえ続くのであれば無制限なのだろう。
だが伸ばしすぎると”|返し”が遅くなり躱された際の次弾が間に合わなくなる。
(頭部が使い手から離れるほど精度が落ちるのか。精密機動が可能な領域は使い手の近中距離に限られてる。それでも中遠距離に徹しているということは……)
連射性能は悪くないが仕様上の欠点を隠すような様相だ。
四段式、一匹ずつを次の攻撃の溜めと返しという間断へ重ねるように放っている。
(一斉射も可能みたいだが虎の子だろうな。躱されれば隙ができちまうからな。……能力は吞み込んだ物体の特性の獲得……無限に強くなり得るか、単一増殖あたりを獲得すれば化けたんだろうが)
まだ弱い。
今や相手はその弱い海胤以外の武装は破壊され、素手となっている。
お望み通り中遠距離に位置取って攻撃を誘い、それを躱して近接戦闘へと持ち込む。
(ようするにバカでかい鞭だ。タメが必要なうえに近間じゃマトモに振れやしない)
「それで分析は終わったのか?」
一連の内心で行った算段をまるで浅瀬でも見透かすように笑いながら訪ねてくるシン。
その嘲笑にケインの眉が跳ね上がる。
「皮算用の結果はどうだ、彼我の差は視えたか?」
「視えたよ、お前の底がな」
では見せてみろと言わんばかりに蛇達が飛ぶ。
「視えてるって言ったろうが」
合わせてケインも前へ出た。
相対速度により一気に狂う遠近感、蛇達の姿が巨大化するような錯視がケインの背筋を舐めあげる。
ああ、当たれば死ぬー……
命中すれば絶命必至の攻撃を容易く躱せる全能感に包まれていく。
ケインは死線をすり抜けシンの懐へと踏み込んでみせた。
活路を見いだした近間、それも自分と相手には武器と徒手の差がある。
全力で回転させれば丸ノコとそう変わらぬ旋棍、それをシンの頭と胴体へと打ち込もうとするケイン。
「これくらいは視えるわけか、それはこちらもだ」
顔面と腹部への受けられない攻撃、シンは少しだけ踏み込んだ後に両手でケインの両肘を押さえこむことで、攻撃のために必要な可動領域を奪った。
そのまま押さえた肘を橋頭堡にガードへ移行しようとするケインの腕の動きを阻害どころかこれは。
(俺が操られる?!)
「アガタ持ち相手に手練比べとはな、吹き上がるなよ若輩」
速度を重視したシンの拳が動きの起点である肘を押さえられモタつくケインの腕を尻目に次々と叩き込まれていく。
踏ん張るための足場がない海中での殴打、アビスフレームによる姿勢制御があっても骨身にまでは響かない。
だが潜瞳者の剛腕で行うとなれば話は違う。
交通事故のような金属同士の轟音が連続する。
「ッ!!(巧ぇ!)」
シンは常に腕をケインの肘の内側に陣取ることで曲げる伸ばすといった動作を満足に取らせない。
自分の体が起こす力の流れ、その川の中に流れを歪める杭が打ち込まれていくような。
つっかえては止まり、歪められては淀む。
防御も反撃も出来ないままに拳、肘、膝、蹴りが叩き込まれていく。
「退いてみるか? 延髄が要らぬならだが」
「誰が!!」
首筋に氷が滑り込んできたような気配にケインは踏みとどまった。
一瞬ケインが身を退こうとしたことすらシンは感知している。
もし身を退けば、そのタイミングと力にあわせて鎌のような掌打がカウンターで首筋裏に叩き込まれるだろう。
潜瞳者による見切りとその見切った情報への回答を実行するだけの技巧を可能にするアガタ、能力と装備の相互作用がケインを完全に捕えていた。
このまま正面を抑え込みつつ背後から蛇達による連撃で畳み掛けようとするシン。
そうしてくるだろうと腹を括ったケインの反撃は非常に緩やかなものだった。
「………!!」
先程まで自分の拳に返ってきていた感触がまるで変ったことにシンは目を見開く。
鉛の柱でも殴っているような。
動きを封じるほどの連打を浴びているにも関わらずケインの肘がゆっくりと引かれていく。
シンの手業の速さへ対抗することをやめ、完全に自分が上回る膂力にモノを言わせた予備動作。
ケインの腕と体、そして下半身が捻りこまれていく。
タメを作るように。
木っ端なダメージなどくれてやると言わんばかりに。
「チッ 面倒なことをする」
分かりやすく脅威的な一撃を”シンは”躱せばよいが角度がとにかく良くなかった。
後ろのフィオナに当たる可能性が否定できない。
リーチは足りていない、それも海胤ナシならばの話だ。
ケインの海胤は未だフィオナによって封じられているが、そのフィオナの限界をシンは感じていた。
シンは返ってきた蛇達に突撃ではなくケインへ巻き付くよう指示、そのまま上へと運ぶことで無理矢理に射出点をずらす。
「ついでだ。このまま捻じり切るのもいいか」
「いちいち……まどろっこしいんだよ!!」
蛇達の絞めつける力を強めてケインを輪切りにしようとするシンだが先の憂慮のとおりフィオナの枷が解けてしまった。
振動の力を開放するケイン、鱗の刃も接地面に対して立つことを許されず、また数千回分にも増幅されたケインの膂力を押さえつけていられるほど蛇達は頑強ではない。
察知していたシンは破壊されてしまう前に蛇達を引っ込めた。
「ハァーハァー!!(見たぞ! 見たぞ見たぞ!!)」
気炎を吐くケイン、それだけのものを見た。
この蛇達を従える化け物の弱点を見たのだから無理もない。
落ち着けと、跳ねる心臓に言い聞かせるケイン、まだ確信に至っていないと。
そうして移動させたケインの位置まで上がってくるシン、その動作が見たかった。
「……」
(案の定だ、射線の重なりを外してきた……エアの残量は……よし行けるな)
何のことはない。別人のような動きのキレではあるが、弱点は変わっていない。
技巧の程も見た、付き合わずに渾身の一撃で仕留める。
後は、その間を作るだけ。
ケインから能動的にフィオナを狙ってもいいが、その隙を見逃してはくれないだろう。
振り切る前に殺される、そのために射線が重ならぬように位置取りをしてきた。
ならば……
(この駄犬が、分かり易く誘い始めたな)
ケインはシンを中心に攻撃の返しが遅くなるかどうかのギリギリの間合いを旋回し始めた。
この誘いに伸るか反るかで言えば、シンとしては伸るしかない。
このままもつれ込んで長期戦になる展開が一番まずいからだ。
ケインはこれまでの流れやシンの攻勢の強さから勝負が長引くのを避けていることを感じ取っていた。
それはエアの残り少ないため、というケインの予想は外れてはいたが取った戦法としては間違っていなかった。
(見合いしたままの防戦になれば”俺が”先に果て、深也に代わる……そうなれば振り出しに戻るどころか即詰みになりかねん)
シンに攻めないという選択肢は無かった。
そうして今までよりも速く鋭く蛇達を放つ、直線的だけでなく蛇行もさせながらケインを追う。
速く、速く、もっと速く、あと少し……それでもケインは旋回を続けながら見事に躱していく。
引きずられるようにシンの攻撃から無駄な思考が省かれ、反射の領域に近づいていく。
だが、それこそがケインの誘導、攻撃を誘ったというよりは思考の排除を誘った。
「俺の攻撃からは守れていたな」
行動が反射へと近づき、思考への回帰が遅れるように、単純な解決策を執る以外に間に合わぬほどの最適最速の攻撃になるように。
先程からシンの思考には”ケインの攻撃から”フィオナを守るという絶対のラインが設けられている。
この想定したケースであればどれだけ思考から離れようとも問題ない。
神速を以てケインを殺していただろう
だがこれは違う。
シンの攻撃の射線にケインとフィオナが重なるこの状況は違う。
”自分の攻撃”によってフィオナの殺しかねない状況は、果たして想定されていたのか。
ケインの狙い通り最も安易な選択、攻撃の停止が行われた。
だが、ここからでもシンは蛇たちを再召喚が可能な領域まで返し、状況を整えればよい。
しかしケインの海胤がそれを許さない。
「させるかよ、霞でも食ってろ」
振動を操り海を震わせて蛇たち固める、使えていなかったが一時停止したとなれば決められる。
躱す必要すらなくなった蛇達、ケインは最短距離で以って間合いを潰す。
小細工なし、だからこそ先程のような技巧で凌ぐことなど出来ない、ただの力と速度比べ。
それに対してシンは自らも前に出た。
両者の距離が一気に詰まる。
互いに牙剥き、喉笛噛み合う死近距離




