1話 ダイバー
髪をとかすように、指先で海を掻き分けていく。
重く、そして柔らかな感触は鮮明で、鮮烈で。
たとえガントレット越しでも広げた指の間を通り抜けていくのが分かる。
（何度味わっても……）
空気抵抗とは違う大きな質感、凄まじい速度で未知なる海底へと向かっている実感に、蒼乃 深也は思わず笑みを浮かべた。
踊る海洋生物と水生植物たちの歓待が、更に深也の冒険心をくすぐってくる。
（これで邪魔が入らなければなぁ……）
背後から再三迫るハープンの文字通りの横槍に、深也は思わず溜め息をついた。
後方確認すると、カーキ色の甲冑がクロスボウのような武器を構えながら迫ってきている。
もっと速く──深也は頭頂からつま先にかけて力の波を起こす。
筋肉の硬直と弛緩をスーツが加速の指示として読み取り推力機構へ伝搬、
応えるように背部と脚部のスラスターが吼えた。
海中探索用パワードスーツ、総称アビスフレーム、
深也の愛機である【蒼炎】が群青の残光を残しながら海底へと潜行していく。
それでも依然として振り切れない。
相手がこちら同等か、それ以上の加速をしたこと、
それによりまた距離が詰まったことを、深也は感じ取っていた。
深也は更に速度を吊り上げたが、やはり振り切れない。
(海賊か…本来出せる最高速なら……いや…そもそも新調したばっかの”馴らし”で来る海域じゃなかったな)
思えば以前にも似たような不用意をやっているな、と
学ばない自分に苦笑しながら深也は振り向きもせずに軽く体を捻ってハープンを躱した。
続く二射、矢継ぎ早の三射、焦れるような連続射撃
深也はあえてこれを紙一重で攻撃を躱し続ける。
相手の射幸心を天井まで煽るために。
(そろそろ手癖になったか？)
頃合いを見測って深也は急停止し、斜め上後方へと飛び退いた。
ここまで深也の装備する新型の速度に付いてくるということは敵も同じく新型。
しかも全く振り切れず、むしろ距離が詰まっていったことから、かなり速度に偏重したカスタムが施されていることが推察される。
深也は、その扱いに困る程の速度を出すように誘った。
「それ、急に止まれたりするか？」
背後をとったことで視覚で視認できた敵機の全容は、深也の予想通り海賊御用達のものだった。
敵のアビスフレームは一撃離脱を主眼としている。
待ち伏せからの急襲、反撃にあったとしても増設した推力機構によって即離脱が可能という構成。
無心に戦法を徹底するならば厄介だが、人が扱うとなれば途端に理論値の域を出なくなる。
そう、例えば、
全速力で追っていた相手が忽然と視界から消えたとしたら？
結果、両手足をばたつかせてまで必死な静止駆動を行う相手を見て思わず吹き出してしまった。
（本当に止まったらダメだろ、減速せずそのまま逃げきるのがセオリーだろうが）
高速移動によって狭まった視野では、僅かに上へ飛び退いただけの深也の姿が忽然と消えたかのように映ったのかもしれない。
その驚愕により相手は理性を手放し、緊急停止という安堵したいだけの本能へ着地したのだろう。
たが、それによって相手は動き出せば止まることを考えてはいけない逃げ足特化型である自覚に欠けた背後を晒すことになった。
深也からすれば、こんな間抜けを見逃す手はない。
「エアソリッド起動【海駆け】」
エアソリッドシステム、海中での生命線となる”エア”の消費によりアビスフレームに搭載した特殊な機構を使用する。
発動したのは加速システム、脚部スラスターから噴出されるエアのバブルリングによって水を"面"として捉えることが可能となった。
深也は足場など無いはずの海中で、そこに壁があるかのように屈みそして蹴る。
背後から感じる異様な潮流に気付き振り返ろうとする海賊、すでに距離を潰ぶして背中に装備した大曲刀に手を掛けている深也。
「【ランブルエッジ】」
間合いへ入ると同時に深也は攻撃システムを起動、背負った大曲刀の峰にあるマフラーが歪に唸った。「今すぐ俺を放て」と震動している。
望みを叶えてやるべく深也は大曲刀を抜きざまに袈裟懸けで叩きつけた。
マフラーから刀身内で圧縮されたエアが急開放されたことにより極限にまで高められた剣速は、一刀両断という結果しか残さない。
『……』
断末魔はなかった。
鎖骨から二つに別れた海賊の体が互いの半身を探して彷徨う様に流血を燻らせながら沈んでいく。
こうまで呆気ないと抵抗感も嫌悪感も湧いてこず、深也はすでに頭の中で戦闘にかかった経費のそろばんが弾かれていた。
(対人向けのシステムじゃないな、オーバーキルだ)
とりあえずの勝利だが、あまりにもコストパフォーマンスの悪い勝利だった。
豪快な戦闘スタイルの深也だがそれでも看過しかねるほど、予想以上のエアの消費量と武器自体の取り回しの悪さがある。
（エアが……俺も上がるか…新調した時点で燃費考え直さねぇと）
しかし今日は新型である蒼炎の試運転であり、どのみち早めに切り上げるつもりだったなと深也は頭の中の予定を辿っていく。
思いがけず戦闘に巻き込まれたが、蒼炎は期待以上の動きが出来た。
戦闘での運用も確認できたのだから、却って良かったまであるだろう。
（まぁ、上出来か。今からだと着く頃には店開いてるな）
深也は機体のログを確認しながら、海面へと反転した。
気付けばもう夕焼けが海底に蒼炎の影を落としていた。
まずは採取した素材を贔屓の店に卸し、そのまま装備のメンテナンスだろうか。
待機させていたボードへあがると、沖にまで街の光が届いていた。
帰還先である火山都市ボルケーノ、酒場と装備屋がひしめくこの世界きっての工業都市。
清涼なる海から、火と酒そして鉄と油の街へ。
