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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第三章

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95/102

95 ウサギを見習う

 オリビアとアーサーの強い抗議を聞いて、タイラーはいったん引くことにした。


「そうですか。そこまであなたたちが嫌がるのでしたら、一度帰ります。でも、諦めたわけではありません。また後日訪問します」


 去っていくタイラーを見送る二人は、苛立ちと困惑を抱えている。アーサーは「困ったことになった」とつぶやいて店の椅子に座った。

 そこへ入れ違いのようにやって来たのがアーサーの元雇い主、フレディだ。ドアをノックして微笑んでいるフレディを見て、アーサーが大股でドアに向かい、ガッとドアを開けた。


「フレディさんじゃないですか。今日は薬草店の休業日ですよね。どうしました?」

「君たちを助けに来たぞ。ま、救いの神が来たと思ってくれ」


 いたずらっ子のような笑みを浮かべたフレディがアーサーの太い腕をポンポンと叩く。そしてオリビアをふんわりハグした。


「救いの神ですか?」

「そうだよアーサー。私が途中ですれ違ったのは恋愛小説家のタイラー・ハーディンだったな。もしかして、この店や君たちのことを小説に書きたいと言いに来たのでは?」

「なぜそれを? 俺たちは小説に書かれるぐらいならここを離れると伝えたところです」

「そうか。だがせっかちはいけないよ。うちの奥さんがいいことを考えたんだ」

 

 怪訝そうな顔のアーサーに、フレディが説明した。

 

「うちのブリタニーは日々情報収集をしているんだよ。どこそこで腹痛の風邪が流行っている、咳の風邪が流行っている、王都では日焼けを防ぐクリームが人気だ、などの情報さ。夕べ、食事の最中にブリタニーが『どうやら恋愛小説家が、オリビアと彼女の店に興味を持っているらしい』と言いだしたんだ。オリビアのことを根掘り葉掘り聞かれたのは小間物の配達員とパンの配達員。きっと他にもいるだろうな。タイラーの妻が、君たちの情報を集めていたそうだ」


 アーサーとオリビアは黙って話の続きを待った。


「ブリタニーが俄然やる気になってね。『別荘の人々はおおらかで上品な人たちがほとんどだけれど、タイラーとその妻のように王都の流儀を持ち込む人もいる。貴族の醜聞とここの住民の秘密は同じではないのに』と嘆いていたよ」


 オリビアが立ち上がり、お茶を淹れた。フレディは出されたミントティーの香りを楽しみ、味わう。


「うん、美味しいお茶だ。ブリタニーは『タイラーたちが君たちの私生活を飯の種にするつもりなら、敵対するのではなく、上手に対処すべきだ』と言うんだ。私もそう思う」


 フレディの説明が続く。


「淑女新報にオリビアの知識を提供すればいい。美容と健康に役立つ知識、薬草、薬湯の活用法を載せてもらうんだよ。君たちの私生活を守るのと引き換えにね。なに、心配はいらないよ。その旨を手紙に書いてくれれば、小間物配達員のクリスが淑女新報に届けてくれる。クリスはタイラーの妻に君たちのことを自慢するつもりで、あれこれしゃべったんだ」


 アーサーがわずかに顔をしかめた。


「ブリタニーが『考えなしのことをした』と注意したから、クリスは反省しているよ」

「手紙なら今すぐ書きますわ。私には思いつかない考えでした。ありがとうございます、フレディさん」


 オリビアはすぐに紙とペンを持ってきて、フレディとアーサーに意見を求めながら手紙を書いた。三人で意見を出し合い、数回書き直して手紙が完成した。

 フレディが手紙を持ち帰り、王都とマーローを往復しているクリスが運び、淑女新報に届けられた。


 淑女新報の対応は素早かった。

 王城の薬師は薬師の中でも特に優秀で、平民はなかなか診てもらうことができない。その王城の薬師と同等とされているオリビアが知識を提供してくれるのは、淑女新報にとって願ってもないことだった。


 十日後、王都から垢抜けた服装の男性が『スープの森』にやって来た。


「はじめまして。淑女新報のトレヴァー・フィンチです。このたびは貴重なお申し出をありがとうございます」


 トレヴァーはアーサーとオリビアに握手を求め、さっそく契約条件の話になった。

 契約は素早く進められ、オリビアがサインをした。


「ありがとうございます、オリビアさん。今後、毎月一回私ども宛てに掲載する文章を手紙で送ってください。それを分割して、週に一度ずつ記事を載せます」

「季節に応じた内容を心がけますね」

「助かります。それで、タイラーさんの小説のことですが、こうして実名で記事を提供してくださる方を小説の題材にするのは……少々バランスが取れませんのでね、アーサーさんのおっしゃるとおり、この店やあなたがたご夫婦に関する小説は避けてもらうよう、私がタイラーさんに伝えましょう」

「助かります。そうしてもらえると、俺もオリビアも安心して暮らせます」


 トレヴァーは笑顔で立ち上がったが、オリビアが引き留めた。


「せっかくここまでいらしたのですから、私の料理を召し上がってくださいな」

「いいんですか? 嬉しいな。では遠慮なく」


 アスパラガスのスープ、燻製のソーセージ、ラズベリージャムとバター、素朴なライ麦パン。採れたて野菜の炒めもの。トレヴァーはどれも完食し、満足した。

(田舎料理ではあるが、なかなかどうして美味しいじゃないか。滋味深いとはこういう味のことなんだろうな。そうだ、彼女に田舎風家庭料理のコラムを書いてもらう手もあるぞ。王都の読者にとっては興味深いかもしれない)


 トレヴァーは笑顔で王都へと帰って行った。

 今、台所のテーブル席で、アーサーがオリビアの肩をマッサージしている。


「カチカチだな」

「気疲れしたんだと思うわ。アーサー、あなたマッサージが上手ね」

「お袋の足や肩をよくこうしてほぐしたもんさ」


 階段をスノーが下りてきた。


『ルーカス 泣いてる』

「今行くわ」

「俺が行こう」


 アーサーがしなやかな動作で階段を駆け上がり、ルーカスを抱えて下りてくる。


「ママ」

「はい、ルーカス。ママが抱っこしてあげましょうね」


 オリビアは膝の上にルーカスを抱え、背中を優しく叩きながらルーカスに話しかける。


「ルーカス、ママはひとつお利口さんになったわ。困ったときは逃げるだけじゃなくて、上手に向かい合うことも必要だったの」

「ママ」

「それはフレディさんの奥さんに教わったの。ママはお利口さんになって、あなたを守るわ」


 語りかけるオリビアのおなかは少し膨らんでいる。まだつわりが続いているが、だいぶ慣れてきた。空腹になると吐き気が強くなることに気づいて、最近は少しずつスープを飲むことにしている。


「ねえ、アーサー。私、ルーカスとおなかの子を守るためなら、もっと人間相手の対処方法を身につけるつもりよ。逃げるだけじゃなくてね」

「俺も心掛けよう」

「私、この店が好き。この森が好き。この土地の人々が好きなの」

「俺もだ」

『ボクも! ここスキ!』

「ありがとう、ダル」

『ダイスキ! ダイスキ!』

「ありがとう、ロブ」


 スノーは豪華な尻尾をパタンパタンと左右に振るだけだったが、満足している心が伝わってくる。


 後日、オリビアの「日焼けしたあとの肌に潤いを与える薬草水」の初回記事が淑女新報に掲載された。王城の薬師並みの知識を持つ、という肩書も書き添えられていて、オリビアの書く短い文章を切り抜いて保存する読者がたくさんいた。


 その後、タイラー・ハーディンは妻のパティを連れて『スープの森』にたびたびやって来るようになった。オリビアとアーサーは何もなかったかのように接客している。それがオリビアの望みだ。


「こんにちは。また来ましたよ。パティがあなたの料理に夢中なんだ」

「いらっしゃいませ。そう言ってくださって嬉しいです。今日のスープは鴨肉の煮込みですよ」

「まあ、嬉しいわ。大好物よ」


 タイラーは伯爵令嬢を題材にした恋愛小説を書き始めていた。ハーディン夫妻が帰ると、アーサーはなんとも微妙な顔になる。


「君は心が広いな」

「ウサギみたいに賢くなったと言ってほしいわ。ウサギは巣穴から何本もトンネルを作って、敵に追いかけられたらいろんな場所から逃げ込めるようにしているの。私もそうすべきだと思ったのよ。状況に応じて使うトンネルを作っておくことにしたの。遠くに逃げるより、そのほうが簡単だもの。タイラーさんにはここを出て行くと言ったけれど、本当はここを離れたくないもの」


 アーサーがオリビアをそっと抱き締める。ダルがすかさず『ツガイ仲良し』とつぶやいて、その声を聞いたオリビアは明るい表情で笑った。

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書籍『スープの森1・2巻』
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