9 品定めと手羽元のスープ
十キロと少しを走り、アーサーは領都マーローの南端にある別荘地に着いた。
別荘地の入り口には「マーロー別荘街」という大きな門があり、その中はここが田舎のマーレー領だということを忘れそうなぐらい洒落た屋敷が並んでいた。
どの家も広い庭の奥に屋敷があり、高い石塀は建てられていない。その代わり細部まで手入れされた美しい庭がその家の主の財力を余すところなく見せつけていた。
汗だくのアーサーは一度立ち止まって汗を拭いた。この手の裕福な人たちは外見で人を判断しがちだ。みすぼらしい様子で近寄れば、できる話もできなくなる。
汗を拭き、乱れた服装と髪を整えてから、庭の花を眺めている女性に声をかけた。
「お忙しいところ失礼します。ヒューズ様のお屋敷はどちらでしょうか」
「ヒューズ様ならあれよ」
つば広の日よけ帽子をかぶった年配の女性が指さす方を見ると、白い石畳の通りの先に別荘街の中でも建物の大きさで群を抜いている家があった。アーサーは丁寧に礼を述べてその家へと向かった。
その家に近づくと、家の中から苛立った声が聞こえてくる。
(大騒ぎなんだろうな)と思いながらアーサーは玄関へと歩み寄り、金色の獅子の頭部が付いているドアノッカーを二度鳴らした。
すぐに上品な男性がドアを開けてくれる。
「ウィリアム・ヒューズ様から頼まれて参りました」
「ウィリアム様ですか! ウィリアム様はどちらに! いえ、まずは旦那様にお知らせしますのでこちらへどうぞ」
使用人の男性に中へ誘われたが、アーサーは右手のひらを立てて相手に見せて「いえ」と辞退した。
「ウィリアム様を森の中で発見しました。膝を痛めていて歩けない状態です。迎えの馬車をお願いします」
「お怪我ですか。それは。助けてくださってありがとうございます。ではすぐに馬車の用意をしますので、一緒に乗って案内してもらえますか」
「申し訳ありません。私は仕事に戻らねばならないのです。この地図がウィリアム様が現在いらっしゃる街道沿いの店です」
すると奥から年配の男性がやってきた。
「君、悪いが案内を頼みたい。我々はこの辺の土地には不案内でね。その地図を見ても間違えて時間を無駄にするようなことがあっては困る。君の職場には人を送って事情を説明させる。どうか我々と一緒に息子のいるところへ行ってくれないだろうか」
金持ちと猫は怒らせると厄介だ。一度でも怒らせると後々まで嫌われる。
「承知しました。では、この薬草を届けてもらえると助かります。街のフレディ薬草店です」
「わかった。そうしよう。ありがとう、助かるよ。さあ、馬車に」
半ば強引に馬車へと導かれたアーサーだったが、嫌な感じはしなかった。
きっと親というのはこういうもので、可愛い息子のこととなると周りが見えなくなるのが普通なのだろうと思った。
自分を含め、傭兵たちは親を失っているか親に売られるようにして傭兵になった者が多い。普通の親というのを本当のところ、アーサーはよくわからない。
走って来た道を馬車で戻って到着した『スープの森』ではドアを開ける前から陽気な声が聞こえてきた。
「いやあ、こんなに旨いなら僕は今後、豚ほほ肉ばかり食べるかもしれないよ。え? そうなの? いや、そんな謙遜しなくても。へえ、そうなんですか。僕はついてたなあ」
オリビアの声が全く聞こえずウィリアムの声だけが聞こえる。やっぱり声がでかいな、とアーサーは苦笑した。彼の父親がドアを押し開けながら声を張り上げる。
「ウィリアム! 大丈夫か! 怪我をしたと聞いたぞ! 馬だけが帰ってきてお前が帰って来ないから、どこかで落馬して死んだんじゃないかと思って一睡もできなかった。父の寿命を削る気か!」
「父さん。すみません。森に美しい鹿がいて、あまりに美しいから追いかけているうちに迷子になったんですよ。そのうちにつまづいて転んでしまって」
(声の大きさって受け継がれるものなのかな)と思いながらオリビアを見ると彼女が眉を下げつつも自分を見る目が笑っている。
その目を見返していたら、心の中で(戻ってきてくれて助かったわ)とオリビアがつぶやくのを想像してしまった。その口調が妙に現実味があって、彼女の声色だったのでドギマギする。
(何を勝手な想像してんだ、俺。それより仕事だ。初日から怠け者と思われる)
「では私はこれで失礼します」
「いや、待ってくれたまえ。今から息子を連れて屋敷に戻る。それに乗るといい。仕事場はマーローの街中なんだろう? 馬車のほうが遠回りをしても早く着く」
「いえ、店に連絡していただいたのですからもう十分です」
「いいからいいから。遠慮は無用だ。お嬢さん、改めてお礼に来ますよ。息子を助けてくれてありがとう」
ウィリアムと父親はオリビアに挨拶をさせる余裕も与えずに馬車へと移動し、アーサーも馬車に押し込まれた。こうしてアーサーは再び馬車の人となり、マーローへと向かう。さすがに途中で降りて、そこからフレディ薬草店へと出勤した。フレディはアーサーを見て笑顔になった。
「アーサー、薬草を受け取ったよ。人助け、お手柄だったね」
「はぁ。遅くなって申し訳ありません。もっと早く戻るつもりでしたが」
「いやいや。薬草の採取は時間がかかるものだよ。早い方さ。薬草も助かったが、連絡に来た使用人がごっそり薬草茶やうがい薬を買って行ってくれたんだ。きっと主にそうしろと命じられたんだろうね。うちは大助かりさ。仕事初日から君は大変役に立った」
「そうでしたか。それで、毒桃はここで使ってますか?」
「ああ。もちろんだ。いい状態の毒桃ばかりで驚いたよ。どこにあったんだい? 場所を覚えているなら教えてもらいたいよ」
「あー、いえ、初めて入った森ですので場所までは」
「そうだよなあ。初めて入った森で毒桃を見つけるなんて幸運はなかなかないからね」
本当は場所を覚えているが、あの場所を勝手に教えるのは躊躇われた。どうやら毒桃は高価な薬草らしい。そんな毒桃の場所をあんなにあっさり自分に教えるとは。
(やっぱりあの人はいろいろと不用心だな)とアーサーは思った。
※・・・※・・・※
「ああ、嵐のようだった」
そう言いながらオリビアは騒ぎが昼食時の直前で片付いたことに感謝した。あの勢いで昼食時になっていたらと思うと恐ろしい。
ウィリアムは店に着いて濡れた布で身体の汚れや汗を拭いたあとは、猛然と食べた。残り物の豚ほほ肉のスープを二杯、パンを三枚、今日出す予定の骨付き手羽元のスープを一杯、キュウリのピクルスをひと皿、そしてさくらんぼのお茶を二杯。
ここのところアーサーと三回顔を合わせ、会話をし、なんの緊張もせずに二人で行動できたから「私も二十五歳にもなったからかしら。だいぶ人間と関わるのも上手になったんだわ」と考えていたのだが、それは間違いだったことを思い知らされた。
大きな声でしゃべり続け、こちらの話を聞かないウィリアムと一緒にいるだけで、オリビアはへとへとになってしまった。
彼の心があまりにあけっぴろげで、会話の途中で『いやあ、美人さんだな、この人』と繰り返すのが居心地悪かった。自分の身体をチラチラ見ているのも薄気味悪かった。
(私を女として品定めするのはやめて!)と何度思ったことか。
カランとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ、ボブさん」
「今日のスープとパンを二枚頼むよ」
「はい、かしこまりました」
常連さんが続々と入ってきて、オリビアは考え事を中断した。
お客さんはいい。
お客さんはオリビアを「お店の人」として見ている。オリビア個人に関心を持つ人は少ない。すくなくとも常連の人たちはオリビアを女性として品定めしたりはしない。
もう少しでオリビアの心が(あの人は特別に楽な人間なんじゃない?)と結論を出しそうだったが、その考えが形になる前に手羽元のスープを温め直すことに気持ちが切り替わった。
今日の手羽元は骨からほろりと離れるまで煮込んである。とろける寸前のにんじんと玉ねぎも味が染みて美味しい。皿の底に隠れるレンズ豆は食べ応えも栄養もたっぷりだ。
またカランとドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ、ジョシュアさん」
ほんの一瞬、(アーサーさんにもこのスープを飲んでほしかったな)と思ったが、店に入って来た客の対応をしているうちにその考えは消えていった。





