78 四人の絵
このあたりの住人が埋葬されている墓地は、街道沿いの小高い場所にある。
祖父母が亡くなったばかりのころは毎週のように通っていた道を、オリビアはレジーとロブと一緒にのんびり墓地に向かって歩いている。
「おじいさんもおばあさんも、長患いはしなかったわ。おばあさんは少しずつ弱って最期は眠るように微笑みながら旅立ったし、おじいさんは眠っている間に旅立った。二人とも神様が定めた寿命を全うしたんだと思ってる」
「そうか」
「ええ。二人がいなくなって五年間は寂しかったけれど、一人で生きる覚悟はしていたし、私は最初から一人でも生きていけるように育てられたの。それに、お客さんたちがみんな心配してくれたから、どうにかやってこれた。私ね、去年結婚したの。だから今は寂しくないの。同居人のララという女の子もいるし猫も犬もヤギもいる。ララは今、マーローに買い物に行っているわ。買い物兼デートね」
「ええと、結婚? オリビアが?」
「ええ、そうよ。驚いた?」
「驚いたよ。僕はてっきり……」
「私は生涯独身だろう、と思ってたのね」
「あ、いや、そういうわけじゃ」
慌ててそう返事をしたが、実はその通りだった。
レジーが知っているオリビアは、祖父母以外に心を開かない少女だった。決してツンツンしていたわけではないが、明らかに人を避けていた。
だから今日オリビアに会って、以前とはまるで別人のように雰囲気が柔らかくなっているのに驚いている。
「そうかぁ。オリビアが結婚したかぁ」
「そうよ。ふふ」
レジーは十五歳のとき、絵描きとして成功するために家を出た。旅に出て最初に長逗留したのが『ジェンキンズダイナー』だった。
「ジェンキンズダイナーという名前を『スープの森』に変えたのはどうしてだい?」
「私が私の店を維持していくんだっていう覚悟かしら。同じ名前だと、今までいた祖父母が欠けているのを感じてしまうっていうのもあったわ」
「そうだったのか。大変なときに力になってやれなくて、悪かったな」
「ううん。こうしてまたここに来てくれただけで、十分嬉しい」
そのあとは二人無言で歩く。
レジーはマーガレットとジェンキンズの思い出に浸りながら。
オリビアはレジーが滞在していたころの祖父母を思い出しながら。
墓地の中を歩き、祖父母の墓石の前で立った二人は、途中で摘んできた野の花をそっと手向けた。それから胸の前で両手を重ね、目を閉じる。
オリビアは心の中で(おじいさん、おばあさん、私は元気にやっています。今日はアーサーじゃなくてレジーと来たの)と話しかけ、隣を見ると、レジーは目を閉じてまだ祈っている。かなり長い時間、レジーは祈っていて、オリビアは静かに待った。
「待たせたね、オリビア。気が済むまで報告をしたよ。さあ、戻ろうか」
「おじいさん、おばあさん、じゃあ、また来るわね」とオリビアが墓石に声をかけて、来た道を戻った。
「オリビア、僕は画家を諦めるってあの二人に報告したよ」
「レジー……諦めるって、ほんとに?」
「僕以外はみんながとっくにわかっていたことさ。僕には画家として生きていくだけの才能がない。諦めるために二十年もかかってしまった」
「本当に諦められたの?」
「ああ。二十年頑張って芽が出なかった。それが答えの全てだ。働けるうちに他の仕事を見つけるよ。もう潮時だ」
オリビアは慰めの言葉が見つからず、黙って歩いた。
マーガレットもジェンキンズも、レジーを可愛がっていた。まるで親のように面倒を見て、「将来きっと成功するよ」と繰り返しレジーを励ましていた。(レジーはそういう過去があるから、画家をやめる報告に来たのね。律義な人だわ)
オリビアは養祖父母の誠実な人柄が、こういう誠実な人を呼び寄せているのだろうと思った。常連客もそうだ。
(おじいさんとおばあさんの遺産に、私は今も助けられている。『人間は悪いこともするけれどいいこともする』って、二人は繰り返し言ってたっけ。今、その言葉の意味が身に染みてわかる。本当にありがとう、おじいさん、おばあさん)
「ものすごく楽観的に考えれば、死んで何十年もしてから評価されるかもしれないけど、それは俺にとってはなんの意味もない。すっぱり諦めて他の仕事で働くつもりだ」
「そう……実家に帰るの?」
「いや。実家は兄が継いでいる。いまさら俺が帰っても、みんなを困らせるだけさ。マーローの街で仕事を探すつもりだよ。ここは居心地がいい土地だ」
「じゃあ、これからもレジーに会えるのね。レジーは私にとってお兄さんみたいなものだから、嬉しいわ」
「そう言ってくれて、ありがとうな」
「今夜はどうするの? うちに泊まってよ」
「いや。マーローに行くよ。スープをご馳走になってもいいかい? そのくらいの手持ちならあるんだ」
「また私の絵を描いてくれる? 描いてくれるなら、それで十分」
「お安いご用だ。一緒に描いてほしいのは犬? ヤギ? それとも猫?」
「夫と二人の絵を描いてほしいんだけど」
「そうだった。それがいいな。オリビアの結婚相手に会えるのが楽しみだよ」
「すごく優しくて強くて、いい人よ」
「そうなんだろうな。なにせオリビアが選んだ男だからな」
「楽しみ楽しみ」と歌うように繰り返しながら歩くオリビアを、レジーはニコニコと眺めて歩く。
家に帰り、夕食分の仕込みをしている間も、レジーはオリビアを描いた。
珍しくスノーがレジーに近寄り、足元でレジーの絵を眺めている。ロブは『はじめまして! はじめまして! 僕、ロブです!』とブンブン尻尾を振っている。ダルはレジーの膝に繰り返し乗っては、オリビアに「今はだめよ」と下ろされている。
「以前から思っていたけど、君の周りにいる動物は、みんな愛想がいいな」
「言われてみたらそうかもしれないわね」
オリビアはそう言うだけにとどめて微笑んだ。
アーサーが帰ってきたときには、四枚の働くオリビアのラフ画ができていた。そのどの絵にもダル、スノー、ロブが描かれている。
「アーサー、お帰りなさい。こちらはレジー。私が子供のころから絵を描いてくれていた人よ。ほら、二階の部屋に飾ってあるあの絵。今日は私とアーサーの絵を描いてくれるの」
「はじめまして。アーサーです。画家に描いてもらえるなんて、光栄です」
「はじめまして、アーサー。レジーです。そうか、君がオリビアの心をつかんだ男なんだね。たしかに優しそうで強そうでいい人そうだ」
アーサーは恥ずかしそうに苦笑し、そんなアーサーを、レジーは笑顔で眺めている。
客が帰りオリビアたちの夕食も終わってから、レジーが二人の絵を描き始めた。
オリビアが椅子に座り、アーサーが脇に立ってオリビアの肩に手を置いている。幸せそうなオリビアの笑顔を見ながら、レジーは手を動かした。
四十分ほどでラフ画が描きあがり、「見てくれるかい?」とレジーが声をかけ、オリビアとアーサーが絵を覗き込んだ。
「まあ」
「驚いたよ」
レジーが描いたのは寄り添っている二人なのだが、その後ろにマーガレットとジェンキンズが笑顔で立っている。
「ああ、そっくりだわ、レジー」
アーサーが初めて見るマーガレットとジェンキンズを興味深げに見ている。
「君のおじいさんとおばあさんは、こういう顔だったんだね」
「そうなの、アーサー。そっくり。懐かしくて泣けてくるわ」
「勝手なことをして悪かった。でも、どうしてもこれを描きたかったんだ。もちろん君たち二人だけの絵も別に描くよ」
「謝らないでよ。嬉しいんだから。ねえ、レジー、この絵を店に飾ってもいい? 古い常連さんたちがみんな喜ぶと思うの」
「もちろんさ。君の好きな場所に飾ってくれ。店に飾ってもらえるなら、俺も嬉しいよ」
その夜はアーサーが馬車でレジーをマーローの街まで送って行った。アーサーは何度も家に泊まるように勧めたが、レジーは「明日の朝早くにマーローで行きたい場所があるから」と言って泊まらなかった。
アーサーが馬車でレジーを送り届け、帰ってきた。
「ありがとう、アーサー。レジーはなにか言っていた?」
「うん。俺の人生の目標はなにかと尋ねられた。だから『オリビアを守って幸せにすることだ』と答えたよ。えっ? なんでそんな顔をするんだい? その答えじゃだめだった?」
「だめじゃないわ。嬉しいけどちょっと恥ずかしいだけ。そんなことを言ってくれたのね。ありがとう。レジーはそれを聞いてなにか言ってた?」
「『オリビアを幸せにしてくれてありがとう』って。何度も頭を下げられた」
「そう……ありがたいわね」
「レジーは君のことが好きなのかと思ったけど、ちょっと違う感じだったな。本当に君を妹みたいに思っているようだった」
「アーサー。あなた、私のことを女性として高く評価しすぎです」
「そんなことはない。君は俺が知っている中で、最高に素敵な女性だ」
オリビアは笑い、アーサーに軽くキスをして話を終わりにした。
翌日、レジーの描いた絵を店の『本日のメニュー』の隣に貼ると、古株の客たちは、一人残らずその絵を見て絶句した。
「これは……オリビア、昼飯を食べに来た客を泣かす気かい?」
「いやだわ、ボブさん、言ってるそばから泣かないで」
「マーガレットとジェンキンズは、こういう顔だった。もちろん忘れちゃいないが、こうやって絵に描いてもらうと、はっきり思い出すな。懐かしいよ。いやあ、素晴らしい絵だな。本当に君たちが四人でここで暮らしてるみたいだ」
ビリーも、アランも、ジェンキンズダイナー時代からの客たちは全員が驚き、懐かしがり、少しだけ泣いた。そして全員がこう尋ねたのだ。
「これを描いた人は、俺の家族も描いてくれるかな。高額でなければうちも描いてもらいたい」





