74 リディアナの望み
アオカケスは翌日も、夜明けと同時に飛んできた。
店の前のイチイの木に止まり、ラファエルが外に出れば近くを飛び回っている。たまに餌を探しに行く以外はずっと『スープの森』の近くにいる。
オリビアは万が一の事態が起きないよう、猫たちに何度も言い聞かせていた。
「いい、ダル、スノー。あの鳥を捕まえないでほしいの。私からのお願いよ。おなかが空いても食べちゃだめ。わかった?」
『わかった!』
『鳥 食べない』
「ありがとう、ダル、スノー」
それから二日後。
庭に出てヨシ笛を吹くラファエルの肩にアオカケスが止まった。
「お前は本当に可愛いねえ」
『ありがとう。あなたは年をとっても素敵ね』
アオカケスを見ながら目を細めているラファエル。ガラスに映るラファエルは楽しそうだ。オリビアは庭側から窓を拭きながらラファエルの声とアオカケスの声を背中で聞いている。
アオカケスが亡くなった奥さんであることを言うべきか、言わないほうがいいのか、オリビアは迷っている。
夜のコンサーティーナの演奏の時、ラファエルが客に向かってこんなことを言う。
「次は私の亡き妻、リディアナを曲にしました。どうぞお聴きください」
その曲は明るく朗らかで、聴いていると踊り出したくなるような曲だ。オリビアは意外に思う。客が帰ってからラファエルに聞いてみた。
「若くして亡くなった奥さんをイメージして作った曲が楽しそうな曲で、意外です」
「本来のリディは陽気で強い女性なのです。気弱で駆け落ちに踏み切れないでいた私を叱咤激励して、住み慣れた家と街を飛び出す。彼女はそんな人です。だから、あの曲はリディそのものなんですよ」
「そうだったのですね」
そこで話を終えた。オリビアは自分が知ってしまったことを言い出せない。
だが、このままにしておくにはあまりに気がかりで、(どうしたものかしら)と考え続けていた。
そうこうしているうちに離れにいるペペのおなかが、かなり大きくなってきた。
ペペの初めての出産だ。オリビアもアーサーもララも、家畜のお産に立ち会ったことがない。心配しているオリビアをアーサーが見かねて「ビリーさんに一度来てもらおうよ」と言う。
「そうね。ビリーさんは何十年もヤギを飼っているから詳しいわよね」
「見てもらって順調そうなら、君も安心できるだろう?」
「ええ。そうするわ。ララ、買い出しに行く途中に、ビリーさんの農場に寄ってくれるかしら。『一度うちのペペの具合を見てもらえませんか』って伝えてほしいの」
「わかりました。すぐに行ってきます」
「オリビアさん、買い出しなら私も一緒に行きますよ」
「助かります。お願いします、ラファエルさん」
アオカケスは馬小屋の屋根の上にいて、ラファエルと一緒に飛んでいこうとした。それを見たオリビアは、急いで心の中で強く呼びかけた。
(リディアナさん、行かないで。あなたに話したいことがあるの。ここにいてください)
アオカケスは一度飛び立ったが戻ってきた。馬小屋の屋根の上に止まり、横を向いている。オリビアが黙って見ていると、ゆっくりと首を回して視線をオリビアに向けてくる。その動きが実に人間くさくてオリビアは震えそうになったが、脚と握り拳に力を入れて抑え込んだ。
「リディアナさん。私、ご覧の通りの力を持っているの」
『驚いた。話って、なあに?』
「ツイツイッ」という澄んだ鳴き声と同時に、オリビアの心に言葉が伝わってきた。
「あなたが望むなら、あなたがリディアナさんだとラファエルさんに知らせることもできます」
『やめて! お願いだからそんなことはしないで!』
「でも、このままでいいんですか?」
アオカケスはオリビアが立っている隣のイチイの木に飛び移った。
『この体は、もう四回も冬を越したの。いつ命が尽きてもおかしくないわ。私は何度も何度もアオカケスに生まれたの。アオカケスの命の短さを、よく知っています。たった三日しか生きられなかったこともありました』
「そう……ですか」
『私は次の冬を越せるかどうか。ううん。夏の嵐でさえ耐えられるかどうか。ラファエルに二度も私が死ぬところを見せたくないの。どうかわかってほしい』
そう言われてオリビアは何も言えなくなった。黙り込んだオリビアに、リディアナは重ねて頼み込む。
『私がアオカケスに生まれ変わっていたと知ったら、あの人はまたくよくよと悩むでしょう。そんなラファエルに、また死ぬところを見せるわけにいかないわ』
「その気持ちは、私にもわかります」
『よかった。私はもうアオカケスには生まれない。わかるの。これが最後よ。次は神の庭に行けるでしょう。そこで彼を待つわ。だから彼にはなにも言わないで』
「でも、ラファエルさんは、あなたが最期にご両親を呼んでいたのを聞いて、『妻は駆け落ちを後悔していたのだろう』と悔やんでいましたよ」
アオカケスは「ピュルルル!」と鋭く鳴いた。オリビアには『全くもう!』と聞こえる。
『あれは父と母に心配をかけたことを謝っただけなのに。ラファエルったら。今も昔も、優しくて気弱な人。私は神の庭で彼を待ちます。伝えるべきことはそこで伝えますから。だから……お願いよ』
「わかりました。リディアナさん、寒さが和らぐまで、家の中で過ごしませんか? 少しは体が楽ですよ」
『考えさせてね』
そう言うと、アオカケスは森へ飛んで行ってしまった。
午後の休憩時間が終わるころ、ララの馬車と、馬に乗ったビリーが到着した。
「やあ、オリビア。ヤギの様子を見に来たよ」
「お願いします、ビリーさん。私もう、心配で」
「大丈夫だよ。ほとんどのヤギは安産だからね」
ビリーはヤギ小屋に入り、大きなおなかのペペを診てくれた。ビリーがペペを診ている間、ずっとピートは怒っていた。
『ペペに触るな あっち行け 離れろ』
「ピート、大丈夫。ビリーさんはヤギのことに詳しいのよ」
『いやだ! 離れろ!』
ビリーが「まるでオリビアとピートがおしゃべりしているみたいだな」と笑う。オリビアも「ええ、私はピートの言うことがわかりますから」と笑ってピートの首を撫でた。
「順調だよ。ペペはきっと上手に産むさ。子は一頭だな」
「それを聞いて安心しました。私は初めてのことなので、お産の邪魔だけはしないよう気をつけます」
「ヤギは誰にも何も教わらなくても、ちゃんと産んで育てるもんだ。それでもなにかあったら、またうちに知らせてくれ。俺がすぐに見に来るから」
「はい。ぜひそうさせてください」
「ペペを散歩させるといい。大切にしすぎると子が育ちすぎて難産になる。いつも通りに暮らさせればいいさ」
「はい。心がけます」
ラファエルも一緒にそこにいて、オリビアとビリーのやり取りを聞いている。
オリビアがビリーに薬湯と手羽元のスープを鍋で持たせると、ビリーは日焼けした顔をほころばせた。
「ありがとう、オリビア。家族がみんな喜ぶよ。鍋は次に来るときに持ってくる」
「お鍋は急がなくていいですよ」
ビリーが帰り、オリビアはヤギ小屋の水を交換していると、ラファエルが遠慮がちに声をかけてきた。
「オリビアさん、わがままを言って申し訳ありませんが、ヤギ小屋に寝泊まりしてもいいでしょうか」
「まあ。どうしてでしょう。毎日掃除をしてはいますけど、ヤギ小屋は家畜のにおいがしますし、ベッドもないのに」
「家畜小屋ならアオカケスが夜も一緒にいてくれないかな、と思いましてね。マーレイ領の冬の寒さは厳しいですからね。あんなに私に懐いているあの鳥が、夜の寒さに震えているんじゃないかと、気になってしまって」
(ラファエルさんはアオカケスのリディアナさんに、なにかを感じているのかしら)
少し考えて、オリビアは別の提案をしてみる。
「今の部屋にアオカケスを入れても、私はかまいませんが」
「いえいえ、それでは私が気にします。そこまで甘えては、私が申し訳なくていたたまれません。どうかヤギ小屋の隅に寝泊まりさせてください。私がいれば、夜の間にヤギのお産が始まってもすぐにお知らせできますし」
ラファエルはもう決めているらしく、笑顔でヤギ小屋の隅に寝床を作り始めた。
ヤギ小屋の隅にラファエルが寝泊まりするのならと、アーサーは丸い石を何個も探してきて洗い、暖炉の端で温めた。
「こうして温めた石を布で何重にも包むと、朝まで温かいんだ。傭兵時代はそうやって真冬のテントで寝たものだ」
「真冬のテント……あなたが無事に冬を越してくれてよかった」
その夜、ラファエルは離れの一階で眠った。アーサーはオリビアとリディアナのやり取りを聞いて、考え込んでいる。
「神様はどうしてそんなことをしたのだろうか」
「そうね。私もそう思う。なぜリディアナさんを何度もアオカケスに……」
しばらく沈黙して、アーサーがぽつりとつぶやいた。
「世の中には想像もつかないことが起きるんだな」
「そうね。私も『なぜ神様は私にこんな力を与えたのだろう』と数えきれないほど思ったわ。恨んだ、と言ったほうが正しいかも」
アーサーがそっとオリビアの手を握った。温かく大きなアーサーの右手に左手を握られて、オリビアの心が落ち着いてくる。
「アオカケスのリディアナさん、ヤギ小屋で寝てくれるといいな」
「そうね。明日、どうだったか聞いてみるわ」
手をつないだまま、オリビアは眠り込んだ。
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