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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第二章

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63 牛肉のスープと金色の鹿

 また雪が降ってきた。マーレイ領は本格的な冬だ。

 オリビアとララは、馬小屋の扉を陽が落ちる前に閉めるようになった。

 夏場は開け放していた高い位置の窓も、春までは閉めきりになる。


 秋からずっと拾い集め続けた小枝を、馬小屋の周囲に屋根の高さまでぐるりと積み上げる。ここに雪が積もると、馬小屋に冷たい風が吹き込むのを防いでくれるのだ。

 マーレイ領の人々は、数ヶ月続く冬の対策に余念がない。オリビアも家の裏庭に掘ってある深い穴に、野菜をたくさん保存している。


「ララ、薬師試験の勉強は進んでる?」

「はい! 毎日着々と頑張っています。それで、オリビアさんにご相談があるんですが」

「なあに?」

「私が薬師試験に合格してもしなくても、あと一年はここに住まわせていただけませんか?」

「私はララがいてくれたら嬉しいけど、コリンはなんて? お付き合いしているコリンの意見も聞いておいたほうがいいんじゃない?」


 ララが少し恥ずかしそうに、「それでしたら」と説明する。


「コリンもそれでいいと言っています。私もコリンも、まだ半人前ですから。ちゃんと二人で暮らしていけるようになるまでは、お互いの目標に向かって、今のまま頑張ろうってことになりました。それに私、オリビアさんにもっと料理を教わりたいです」

「料理ならいつでも教えるわ。ララがまだここにいてくれるなんて嬉しい!」

「私こそありがとうございます!」

「そう、いつかは二人で暮らすのね」

「はい!」


 ララは両親の死後は苦労したものの、それまでは愛情を受けて育っているからだろう。人間を怖がることがない。オリビアは育ての親であるジェンキンズとマーガレットに出会うまでは人間が怖かった。安心できるのは嘘をつかない動物と植物だけだった自分の過去を思うと(よく頑張った)とその頃の自分を慰めたくなる。

 そんな自分が偽りを口にしない祖父母と巡り会い、アーサーと出会った。そしてララとも出会えた。

 

「幸運なことね」

「え? なんですか? オリビアさん」

「ううん。なんでもないわ。独り言よ」


 今日のスープは牛肉と冬野菜のスープ。

 香草をたっぷり使って牛肉をマリネしておき、バターを使って野菜と牛肉を炒めた。月桂樹の葉、タイム、パセリの茎といっしょに煮込んでから最後に小麦粉のお団子を入れたスープ。

 お客さんに出す直前に少しバターをのせると、香りが嬉しいスープになる。寒い冬には寒さから身体を守ってくれるこってりしたスープが喜ばれる。


「ああ、本当にいい香りですねえ」

「いつか家庭を持ったら、月桂樹を育てるといいわ。鉢植えなら冬は家の中にいれればいいし。丈夫な木だから、家の中でも元気に育つ。パセリも丈夫だからたくさん育てて乾燥させておけば一年中使えるの」

「はい。月桂樹とパセリですね。覚えておきます」


 そこまで笑顔だったララが、真面目な顔になって深々と頭を下げた。


「オリビアさんは私の心のお姉さんです。私になんの要求もしないで助けてくれて、優しくしてくれて。世の中にはこんな人がいるんだって、いつも思っています」

「ララ。私こそあなたには感謝しているのに」

「私、オリビアさんのお役に立ちたいです」

「十分だってば。今だって私が留守にしている間に、お店や動物たちのことを心配しないで出かけていられるもの」

「もっとです。もっとお役に立ちたいです」

「ありがとう」


 ララは心が真っすぐで、言葉と心がいつも同じだ。なかなかそんな人はいない。こんなララと出会えたことは、オリビアにとって喉が渇いているときにきれいな水が湧く泉に出会ったような幸運だ。


 昼。

 鼻や頬を赤くした客たちは、こってりしたスープにパンを浸しながら食べる。


「ああ、旨い。身体が温まるよ」

「まだ干し野菜は使ってないんだな」

「俺は干し野菜も好きだぞ」

「ジェンキンズは干し野菜の時期になると、『早く春が来ないかな』と繰り返していたな」

「そのたびにマーガレットに『贅沢を言うな』と叱られていたっけ」

「そうだった。懐かしい」


 客たちの会話を聞きながら料理を運ぶオリビアが、我慢できずに思い出し笑いをしてしまう。祖父のジェンキンズは干し野菜を好まなかった。そして愚痴をこぼすたびに祖母に叱られていた。

 オリビアは干し野菜の歯ごたえや甘みが好きだったので、祖母の話はいつも「オリビアは文句を言わずにスープを飲んでますよ」という言葉で締めくくられたものだ。


 客たちは思い出話をして笑いながらスープとパンを食べて帰って行く。

 客たちが帰ったあとの昼休憩時は、馬たちを運動させる。

 ララと二人で馬を歩かせ、少しでも雪を踏み潰すように心がける。街道の雪は踏んだ場所のほうが先に溶ける。

 祖父は「雪を踏んでおくとそこから春が芽生える」と繰り返して、祖母に『あなたはそのセリフが好きねぇ』と微笑まれていたっけ。祖父母は実に仲の良い夫婦だった。


 その日の夜。

 ふと目が覚めたオリビアは、懐かしい感情が流れ込んでいるのに気がついた。アーサーを起こさないよう気をつけてベッドから抜け出したが、傭兵生活が長かったアーサーはすぐに目を開けた。


「どうした」

「誰か来てる。多分、あの鹿」

「えっ。あの鹿、戻って来たのか。俺も会いたい」

「一緒に行きましょうか」


 二人は寝間着を脱ぎ、気がきながら何枚も重ね着をして、階段を下りる。

 深夜にドアベルの音を立てればララが心配するだろうと考えて、裏口から外に出た。冷え切った夜の空に、三日月が冴え冴えと明るい。重ね着をしていてもブルブルと身体が震えてくる。


 早く鹿に会いたい一心で、オリビアはザクザクと固くなった雪を踏みしめて森へと歩いて行く。アーサーはそんな妻の背中を眺めながら斜め後ろを歩く。

 森に入ってしばらく歩くと、木々の間に金色の鹿が立っていた。月明りを浴びている鹿は、本当に黄金でできているかのように見える。


 オリビアが何かを思うより先に身体が動いた。ザッザッザッザッと走って隣まで駆け寄ったものの、金色の鹿が人間のにおいを嫌がっていたことを思い出し、伸ばしかけた腕を止めた。


「帰ってきたのね」

『見られた 猟師 たくさん 来た』

「そうだったの。無事にここまで来られてよかったわね」

『この森 猟師 少ない』

「そうなの。この森には猟師があまり来なくなったの」

『お前 叫んだ』

「うん。あの時から猟師はあまり来なくなった」

『ツガイ』

「ええ。仲良く暮らしているわ」


 スリッと鹿が首をオリビアにこすりつけた。


「いいの? 人間のにおいが付いてしまうわよ」

『いい』

「私も触ってもいい?」

『いい』


 オリビアはゆっくりと鹿の首を触ると、高い体温が伝わってくる。首と背中の次はつのに触る。別れたときは血がかよっている柔らかい皮膚に包まれていた角。あのときは触ると温かかったが、今は骨のように硬く冷たい。


「またこの森で暮らすの?」

『静か 森 暮らす』

「ずっと静かなままだといいわね」


 それに返事はせず、金色の鹿はアーサーに歩み寄る。少し離れた場所に立っていたアーサーは、鹿が近づいたので驚いた。だが一歩も動かずに鹿と正面から向かい合っている。


『ツガイ 長く 仲良く 子 見せに 来い』


 金色の鹿はそう言ってアーサーの目をじっと見つめてから森の奥へと入って行った。アーサーは金色の鹿の迫力に圧倒されたまま、その後ろ姿を見送った。


「あの鹿が私以外に興味を示すなんて」

「なにか言っていたんだろう? なんて?」

「二人でいつまでも仲良く暮らしなさいって」

「それだけ?」

「子供が生まれたら見せに来い、って」

「そうか。俺たちに子供ができたら見てほしいな」

「ええ」

「うう、寒い。もう帰ろう」

「うん」


 どちらからともなく手袋をした手をつなぐ。手袋は、常連客であるジョシュアの妻から結婚祝いに贈られたものだ。上等な毛糸で編まれていて、二人とも大切に使っている。 

 オリビアの手袋は深い緑色の地に白で、アーサーは茶色の地に白の雪の模様が編み込まれている。


 しばらく無言で歩いていると、前方の木の枝の間を猫ほどの大きさの影が動く。アーサーがピクッと反応した。飛んで移動している影は、大きさの割に全く羽音がしない。


「シロフクロウだわ」

「この森では初めて見た」

「ここには寒くならないと来ないから。もっと寒いところから冬越しに来るの。寒いところが好きなシロフクロウだけど、もっと北の冬は、さすがに寒すぎるのかもね」

「ここが避寒地ってこと?」

「そうみたい」

「マーレーの寒さを避けて姿を消す鳥がたくさんいるのに、ここの冬をちょうどいいと思う鳥もいるんだな」

「面白いわよね。私たちはずっとここにいるから気がつくけれど。こうして森に棲む動物たちの顔ぶれが変わると、季節が変わったなあって実感するわ」


『スープの森』が見えてきた。


「そうだ。今朝言われたんだけど、まだ当分はララが我が家にいてくれることになったの」

「そうか」

「嬉しいわ。でも一緒に暮らせば暮らすほど、別れが寂しくなるわね」

「ララがいなくなるころには、我が家に赤ちゃんがいるかもしれないさ」

「うん」

「俺はオリビアがいてくれれば、それで幸せだけどな」

「ありがとう。私もよ」


 家に着き、足元の雪をよく払い落としてから中に入る。

 

「冷えたな」

「ええ。でもアーサーは体温が高いから、すぐ温まるわよ」

「オリビアは足が冷えるから。俺に足をくっつけて温めればいいよ」

「湯たんぽなしで眠れるのはありがたいこと」

「そんなことなら、お安いご用だ」


 階段を上っていると、背後の暗い台所の隅からダルの、『ツガイ 仲良し』というつぶやきが聞こえ、スノーの『ドア 開ける 寒い』というつぶやきも聞こえてくる。ロブは寝ぼけていて『走るの タノシイ』とつぶやいている。

 

 二匹の猫と一匹の大型犬は、アーサーが新たに作った大きい箱で体を寄せ合って眠っている。今は使われていない二つの箱も、春になったらそれぞれが自分のベッドとして使うことになるだろう。

 オリビアはベッドに入り『冬の間にアーサーにセーターを編んであげよう』と思いながら眠りに落ちた。

シロフクロウはあれです、額に稲妻型の傷がある魔法使い少年が飼っていたあれ。

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書籍『スープの森1・2巻』
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