54 ミストラル家の白い猫
タイトルを『スープ』に変更しました。その方がスッキリするかなと。
出発してしばらくした頃。馬車が止まり、衛兵が声をかけてきた。
「オリビア様、灰色の髪の大柄な男性がこの馬車を追いかけて来ていますが、もしやオリビア様の旦那様でしょうか?」
「アーサーが?」
ドアを開けて外に出ると、馬に乗ってこちらに向かって来るのは間違いなくアーサーだ。
「よかった、やっと追いついた」
「アーサー、どうしたの? お仕事は?」
「ルイーズ様が気を遣って店の商品をごっそり買ってくださってね。フレディさんが今週分の利益はもう十分出たから、オリビアに同行してやりなさいと言ってくれたんだよ」
「まあ、いつも申し訳ないこと」
オリビアは荒い息をしているアニーの首を撫でながら、衛兵たちに聞かれないよう小声で話しかけた。
「アニーも疲れたわね。アーサーには馬車に移ってもらおうね」
『疲れ ない! ない! 走る!』
アニーが苛立った感じに足踏みした。
「あっ、そう? じゃあ、アーサーをよろしくね」
うっかりアニーの誇りを傷つけてしまった、と反省しながら馬車に乗り、出発した。
窓から見える位置にアーサーがいる。普段見慣れているアーサーだが、馬に乗っているときの彼は格段に凛々しく勇ましく見える。
(何度見ても素敵だわ)と心でつぶやいてから(あっ、しまった)とアーサーの顔を見ると、オリビアの心の声が聞こえたらしい。アーサーは前を向いたまま照れくさそうに口元を綻ばせている。
(この能力は便利だけど不便……)と思うオリビアの顔が赤い。
気を取り直し、ミストラル家に到着してからの手順を考え始めた。
(到着時に当主が酔っていたら、衛兵さんたちとアーサーに対応してもらうしかない。その間に監禁されているご家族を助け出そう)
当主に飲ませるために持参した薬は祖母のレシピだ。効果は間違いない。それを飲むと半日はお酒の味を苦く感じるようになるはずだ。
「薬を飲み続けてもらって、あとはルイーズ様のお屋敷に着くまでしっかり見張ればいいわね」
ミストラル家の当主は七十代のご老人だが、三十年前の戦争で活躍した武人だと聞いている。油断は禁物だ。
翌日の午後、オリビアたち一行は、無事にミストラル伯爵家に到着した。
広い庭は手入れが行き届いておらず、荒れている。馬車が来たというのに門を開ける人もいない。
「オリビア、俺が門を開けるよ」
「ええ、お願い」
アーサーは背の高い鉄格子の門に足を掛け、軽々と門を乗り越える。中から重そうな閂を外して門を開けてくれた。馬車に乗ったまま玄関に近づくと、やっと中から人が出てきた。
「こんにちは。白い伝書鳩を保護した者です。伝書鳩を飛ばしたのは、こちらで間違いないですよね?」
「あっ、はい! はい! 助けに来てくださったんですね! ありがとうございます!」
顔色の悪い侍女は、疲れ切った表情。何度も背後を振り返ってから小声で「助けてください」と言う。オリビアも声をひそめた。
「わかりました。あなたは外の安全な場所に隠れていて。できる?」
「はい、はい、できます」
「全てが終わって安全になったら、私が呼びますから。それまではじっと待っていてください」
「はいっ」
鞘に入れたままの剣を構えるアーサーを先頭に、オリビアを守るようにして護衛役の三人が進む。「殺さないでほしい」というのはルイーズ様の強い要望だ。広い屋敷には人の気配がしない。
「こんにちは! どなたかいらっしゃいますか?」
オリビアが声を張り上げたが返事はない。
男たちが耳を澄ませつつ少しずつ進む。主の書斎はこちらだろうかと様子を見ながら通路を進むと、「ナーン」という猫の声。
どこにいるのだろうと見回していると、通路の先、曲がり角からヒョイ、と真っ白な猫が顔を出した。オリビアがそっちに行こうとするとアーサーが止めた。
「まず俺が行く。安全とわかるまで、オリビアは俺の後ろから来てくれ」
「わかった」
今にもどこかからこの屋敷の主が襲い掛かってくるのではないかと緊張しながら進む。猫が合流してオリビアの隣を歩く。
やがてひときわ立派なドアがあった。ここが執務室だろうと全員が目くばせをする。
アーサーがドアをノックするが返事はない。ドアを静かに押すと、高さも厚さもあるドアは静かに内側に向かって動いた。一気に男たちがなだれ込む。荒れ果てた室内。食べ物が腐ったような臭気。
「誰もいないわね」
「こんな状態を放置して、使用人たちはどこにいるんだ?」
オリビアとアーサーの会話を聞きながら、衛兵たちが部屋の主を探すが見つからない。当主を探してきた衛兵がアーサーに提案する。
「まずは救出を先にしますか」
「そうですね。時間を無駄にしたくないです」
入口で立ち止まっていた白い猫が執務室に入って来た。男たちを警戒してるらしく、緊張した様子でいつでも逃げられるような構えを取って、こちらを見ている。
「猫ちゃん、奥様やお嬢様はどこにいるのか知ってる? 知っていたら案内してくれる?」
『こっち』
オリビア以外には「ナーン」としか聞こえないが、猫は尻尾をピンと高く立てて歩き出した。少し進んでから人間たちがちゃんとついて来ているかを確かめるように振り返った。
『こっち』
「行きましょう。この猫が案内してくれます。人間が思っているより、猫は利口なんですよ」
「はぁ、そうですか」
衛兵たちの顔に戸惑いの表情が浮かんだ。彼らからは『この人、大丈夫か?』『猫に案内って!』『ルイーズ様はこの人の指示に従えっておっしゃったけど』という心の声が漏れてくる。
猫を先頭に五人が進む。階段を下り、半地下の通路を進むと、やがて人の囁くような声が聞こえてきた。すぐにアーサーが呼びかける。
「どなたかいらっしゃいますか?」
「助けてっ! 助けてくださいっ!」
切羽詰まった女性の声が聞こえ、アーサーが走る。続いてオリビアたちも走った。白猫が皆を追い越して先頭を走る。
突き当りの鉄格子の奥に、六人の女性が閉じ込められていた。オリビアたちを見て何人かが「ああっ」と悲鳴のような安堵の声を出し、両手で口を覆っている。
女性たちの髪は乱れて疲れ切った表情。奥にいる年配の女性、五十歳手前くらいの女性、若い女性が服装から伯爵家の人間だとわかる。
牢屋には大きな鉄製の鍵がかけられていた。アーサーが中の女性たちに声をかける。
「これを開ける鍵は?」
「旦那様が持っていらっしゃいます」
「その当主が見つからないんです。鍵を叩き壊しますから離れてください」
アーサーの声で中から鉄格子に近寄ってた三人は後ろに下がった。そこから交代で男たちが南京錠を叩くが、大きくて頑丈な鉄製の鍵は壊れない。
「ふーっ。手ごわいな」
「これほど大きな鍵をかけた当人はどこにいるんだ?」
『アイツ キライ』
小さな声が聞こえてきた。あの白い猫だ。オリビアはしゃがんで白猫にこっそりと話しかけた。
「鍵をかけた人、どこにいるか知ってる?」
『アイツ カッチン 持ってる カッチン』
「その人、今どこにいるの?」
『こっち』
「案内してくれる?」
『アイツ キライ』
白く美しい猫から強い嫌悪の感情が流れて来る。
『アイツ カッチン こっち』
カッチンとは、鍵のことだろうかと思いながらついて歩く。猫は早足で進む。鍵を叩き壊している男たちはそのままにして、アーサーとオリビアは猫の後に続く。二人と一匹で階段を上り、通路を進む。やがて厨房の前で猫は足を止めた。
『アイツ ここ』
アーサーが静かに厨房のドアを押し開ける。厨房も散らかっている。二人で中に入り、当主が酔って床で寝ていないかと調理台の影を覗いて回る。オリビアが大きな観音開きの戸棚に近づいた時、猫の叫び声と言葉が同時に聞こえてきた。
『そこ! アイツ いる!』
逃げる暇もなく、オリビアの横の大きな食料庫の扉が開き、中から白髪の男性が飛び出してきた。
大きな肉切り包丁を振りかざして飛びかかってきたのは、大柄で筋骨たくましい白髪の男性だった。
包丁を避けようとして床に倒れるオリビア。倒れながら(私はなんで枯れた老人を想像していたんだろう!)と後悔する。
背中の毛を逆立てて叫びながら、白猫が当主の顔に飛びかかった。アーサーもオリビアと当主の間に飛び込んでくる。
「ぎゃああっ!」
男が悲鳴をあげながら自分の右目を押さえてうずくまった。その男の肩と首の境目を鞘に入れた剣で強打するアーサー。男の目を引っかいて逃げていく白猫。
白猫は十分に距離を取ってからこちらに向き直った。背中を弓なりにし、尻尾はブラシのように膨らんでいる
『目 ツブス!』
「待って。この人は連れて行くから」
『コイツ キライ』
「この人は病気なのよ! だから待って」
『目! ツブス!』
「だめっ!」
オリビアが猫の前に立ち、両手を広げる。アーサーは歯向かおうとする当主をもう一発殴りつけ、倒れたところを後ろ手に縛り始めた。
白猫はシャーシャー言いながら当主の周囲を歩き回っている。ずっと『キライ キライ』と叫びながら。
そこに衛兵たちが走って来た。
「大丈夫ですかっ!」
「大丈夫です。でも、この方は片目を失ったかもしれません」
衛兵たちの後ろから、侍女に支えられた女性たちがヨロヨロと入って来た。三人とも、縛られて床に転がされている当主を見るとホッとした表情になる。
十代前半くらいの少女は、衛兵の影に隠れて少しだけ顔を出し、自分の祖父を眺めている。
当主は運び出され、見張りがついた。
オリビアは手早くスープを作った。ろくな食材がなかったが、麦と卵と玉ねぎとチーズ入りのスープを作った。庭に隠れていた侍女も呼び戻し、スープを並べると全員が物も言わずに一心不乱にスープを飲み、食べる。
皆が落ち着いたところで話を聞くことになった。
白猫は少女の膝の上で、ずっと喉を鳴らしている。





