53 伝書鳩
アーサーは三日目には回復し、四日目から仕事に戻った。
熱に浮かされているときに話してくれた再婚の件に全く触れないところを見ると、アーサーはあの話をしたことを後悔してるのかもしれない、とその後姿を見ながら思う。
なのでオリビアもその話題には触れず、出勤して行くアーサーを笑顔で見送るだけにした。
アーサーが寝込んでいる間、ダルはオリビアが部屋からほとんど出てこないのに退屈していたらしい。せっせと森に遊びに行って、帰りには必ず蛇や虫を捕まえてくる。そしてオリビアに捕まえた物を見せては『すごい?』と自慢げな顔をする。
「うん。すごいね。おみやげありがとう」
『嬉しい? 食べる?』
「嬉しいわ。ありがとう。あとで食べるね」
『食べる いいよ』
「うん、ありがとう」
そんなやり取りをララがこっそり見ている。
(オリビアさんて、まるで動物と会話してるみたいだけど、まさかね。ああいうところを頭がおかしいって思われたのかしら。ただの動物好きなのに!)
ララはオリビアから聞いたオリビアの家族の話が腹立たしくて忘れられない。ぷりぷりしながら開店前の店の床をモップがけしていると、ロブ用に作られている台所の出入り口からダルが入ろうとしていた。ところが何か大きなものを咥えていて入るのに苦労している様子。
「あらあら、今日のお土産は大きいのね」
そう言ってドアを開けてダルを招き入れようとして固まった。ダルが咥えていたのは真っ白な鳩。しかもまだ生きている。鳩はララがバッとドアを開けた途端に暴れ出した。ダルがしっかり咥え直そうとして口を開けたものだから、鳩は台所の中に逃げ込んでしまった。バタバタと飛び回る鳩。追いかけるダル。慌てるララ。
「やめてやめて! 外に出してあげるから暴れないで!」
そう言ってララが追いかけるものだから、鳩は怖がって余計に暴れる。窓から逃げようとしてガラスにぶつかり、床に落ちてまた飛び立つ。ダルは興奮して走り回り、鳩目がけてジャンプする。
洗濯物を干し終えたオリビアが裏口から入ってきて、その様子に驚いた。
「あらあら」
鳩が床に落ちた。背中に傷があって血が滲んでいる。オリビアは持っていた洗濯籠を素早く鳩に被せた。ダルが駆け寄って『これ 捕まえた!』と自慢げに胸を張る。
「うんうん。大物を捕まえたのね」
猫に狩りをするなというのは無理なことだと、最初にお土産を運んで来たときに心を覗いて理解している。猫にとって狩りは本能的な行動のようだった。
籠を少しだけ傾けて手を差し入れ、鳩をつかみ出す。鳩は恐怖で固まっている。オリビアの手の中で、心臓があり得ないぐらい速く動いている。
「大丈夫。あなたを食べないし殺さない。怪我の手当てをするだけよ。だから暴れないで。ララ、鳩の頭に布を巻いて。その方が落ち着くはず」
「わかりました!」
乾いた布巾を鳩の頭にふんわりと巻くと、鳩は静かになった。
「足環を付けてる。誰かが飼っている鳩なのね。飼い主の名前が書いてあるといいんだけど。まずは傷の手当ね。ああ、これはダルが噛んだんじゃない。鋭い爪みたいので切り裂かれてる。鷲とか鷹とかに襲われたのかも」
綺麗な水をかけて傷口を洗い、薬箪笥から薬草で作った傷薬を取り出す。ごく少量を更に湯冷ましで薄めて傷に塗った。鳥の体が薬にどれだけ耐えられるかわからないので、慎重に。
手当を終えてからパチリと銀色の足環を外した。
「あら。中に紙が入ってる。えーと……えっ」
「オリビアさん、なんて書いてありました? 飼い主の名前ですか?」
「ううん。ララ、私はちょっと出かけてくる。お客様がいらっしゃったら料理を出せる?」
「はい。もうスープも付け合わせもできていますから。大丈夫です」
「あなたの馬車を借りてもいいかしら」
「はい、どうぞ」
オリビアは大急ぎで二階に駆け上がって祖父の本を開いて素早くページをめくる。それからララの馬車に乗って出かけた。行き先はルイーズの屋敷だ。ルイーズの屋敷はマーローの街の住宅街の外れ。広い庭に囲まれた大きな建物で、ルイーズはそこに必要最低限の使用人と暮らしている。
門番はオリビアの顔を覚えていて、「どうぞ」と招き入れてくれた。この屋敷には祖母と一緒に何度も通ったことがある。
「どうしたの? あなたの方から来てくれるなんて、珍しいじゃない?」
「突然申し訳ございません。緊急の用事なもので」
オリビアはそう言いながらカバンから一枚の小さな紙を取り出した。マホガニー製の丸いテーブルの上で、スッとルイーズに向けて滑らせた。
ルイーズは老眼鏡をかけ、折り畳まれた跡のあるしわくちゃの紙を読む。「え?」とつぶやきながら二度、三度と読んだ。
折り畳まれた小さな紙には、小さな文字がびっしりと書き込まれていた。
『大旦那様がご乱心です。大奥様と奥様、お嬢様を地下牢に閉じ込めています。男の使用人は全員解雇され、私たちでは逆らえません。助けて!』
「これは……本当なら大変なことよ」
「はい。私もそう思います。鳩に付けられていた足環がこれです。貴族の家紋のことは詳しくないので、祖父の本で確認しました。ミストラル家の家紋に間違いないかと。ご確認ください」
ルイーズは指先で銀の足環を摘まみ上げ、眼鏡に近づけてしげしげと眺めた。
「そうね。三羽の鷲に交差する剣。ミストラル家の家紋だわ。オリビア、私に最初に話を持ってきてくれてありがとう。マーレイの領主や王家に知られたら、厄介なことになっていたはずよ。閉じ込められているのは私の学友だわ」
「はい。以前その方のお話を聞いたことを覚えておりました」
「いずれこうなるような気もしていたわ。ミストラル家の先代は、跡継ぎを失ったときからお酒に溺れていたそうなの。あの男は牢に私の学友と娘と孫娘を閉じ込めているわけね」
ルイーズは磨かれている爪を軽く噛んでしばらく考え込んでいる。それからオリビアを見た。
「私が表立ってミストラル家に行けば話が大きくなる。我が家の衛兵を三人出しますから、オリビア、ミストラル家まで行ってくれないかしら。そしてこちらまでその男を連れてくる間の処置をしてほしいの。私からの指示だとわかってもらえるように、一筆書いて持たせます。アーサーにはあなたを借りる旨、フレディの店まで連絡を入れるわ」
「わかりました。お引き受けします」
「ありがとう。恩に着ます。スープの森に衛兵を行かせるから、それまでに準備をしておいて」
「はい」
オリビアは手紙をルイーズに渡して屋敷を後にした。
(お酒に依存して正気を失っているのなら、準備が必要だわ。薬草は、あれとあれと、あれも必要ね。あ、あの薬草も持って行こう)
正常な判断が出来なくなった当主が、妻、息子の嫁、孫娘を監禁している。緊急を要する事態だ。オリビアは馬を操りながら、これから用意する薬草を数え上げていた。
店に戻り、ララに事情を話すと、「お店はどうするんですか?」とオロオロされた。
「お店を閉めてもいいし、ララがもしお店を引き受けてくれるのなら、誰が作っても間違いないレシピを書くけど、どうする? パンは届けてもらうから心配ないのだけど」
「私、やります。お役に立ちたいです。やらせてください」
「ありがとう。助かる。すぐにレシピを書くわ」
大急ぎで豆とベーコンのスープのレシピを書き、付け合わせは干しキノコと干し肉の炒め煮だ。
レシピを書き終わり、ミストラル家に持ち込む荷物の準備も終わったころにルイーズ様の家の衛兵が三人到着した。
さあ、出発だ。
ルイーズの家の馬車に乗り込み、窓から顔を出してララに声をかける。
「頼んだわ! ロブとダルとヤギ夫婦の世話もお願い!」
「安心してお任せください! 全力で頑張ります!」
ロブが悲し気な顔で見送ってくれる。ダルは一見無表情だが『サミシイ いない サミシイ』と繰り返している。可愛い、と思いながらオリビアは笑顔で手を振ってから窓を閉めた。
(ミストラル家の領地は近いから、明日の夜には着くはず)
オリビアはこれから顔を合わせるであろう病人と監禁されている女性三人にどう対応するか、頭の中で順序立てて考え始めた。相手は正常な判断力を失っている男性だ。
(会っていきなり暴力を振るわれたりしないよう、気を引き締めて依頼をこなさなければ)
ルイーズ様のためにも、監禁されている女性たちのためにも、オリビアは持てる知識と経験を総動員する決意。頭を猛烈に働かせながら、オリビアは目を閉じて背もたれに身を任せた。





