46 王城の兵舎へ
マーレイ領の領都マーローには、オリビアの祖母マーガレットが根付かせた習慣がある。
『流行り風邪の病人を看病するのは一家に一人だけにすること』
『夏はもちろん、冬の寒い時期でも新鮮な空気を取り入れること』
『病人が触れたものは全て煮沸消毒するか蒸留酒で拭くこと』
貧しい生活をしている者にとっては煮沸に使う薪代も蒸留酒を使うことも負担になる。だがマーガレットは「家族が死ぬよりいい。生きていればまた働いて収入を得られる。目先の損得にとらわれて家族を死なせてはならない」と繰り返し訴え続けていた。
そして家計に余裕がない人のために、味よりも酒精の強さ最優先の酒をいろいろな店に常備させていた。フレディの店もそのひとつである。
そんなマーロー独特の決まりごとのおかげだろうか、王都で流行り風邪が猛威を振るっていてもこの街はそこまで被害が広がらずに済んでいた。
『スープの森』も普段と変わりなく営業を続け、客足もそう落ちていない。
だが、王都からやって来た商人たちの話では、王都の流行り風邪はとどまるところを知らない状況のようだった。
「困ったことにさ、お医者様や薬師様たちまでが流行り風邪で寝込んでいるらしいよ」
「まあ。お医者様まで」
「お城の使用人たちも寝込んでいて、納品に行っても知らない顔の人が対応に出てきたな」
「そうでしたか」
「話は変わるが、このスープは美味いな。薬味はなにを使っているんだい?」
「葉玉ねぎとかショウガとか。普段通りですよ。あっ、ニガイモ団子の風味が汁に移っているかも」
「ニガイモか。懐かしいな。最近は小麦が豊かに出回っているから食べなくなったなあ」
「飢饉のときは先を争うようにして食べたものだと祖母に聞きましたが」
「ああ、そうだ。ニガイモは暮らしが豊かになると消えて行く食べ物ってことだな」
「そうかもしれませんね」
今日の日替わりは青菜と豚肉団子の塩味のスープ。ニガイモ団子がちらほら入っている。
体を温めるショウガとネギを山盛り入れているので、塩だけでも物足りなさは感じない。飲んでいるうちに汗ばむほど内側から身体を温めてくれる。
ランドルはその後店に来ていない。王都に戻ったのだろうと思っているオリビアは、(ランドルさんは薬師の仕事を引退したと言ってたけど。そんな状況なら、また駆り出されているのかしら)と客が帰ったテーブルを拭きながら思い出している。
アーサーが帰ってきて、流行り風邪の話になった。
「フレディさんの店では格安で蒸留酒を売っているんだけどね、酒好きが飲むために買ってしまわないよう、わざと苦い薬草を漬けこんでいるんだ。おかげで他の店では品切れになっても、うちの店はちゃんと必要な人の手に蒸留酒を渡せるんだよ」
「なるほど。それはいい考えね」
「この肉団子のスープ、旨いなあ。肉団子の中に、なにかシャキシャキするものが入ってるね」
「セリの根っこなの。付け合わせに使ったセリの根。風味と歯応えがあって私は大好き」
「ああ、あれか。洗うのが大変そうだね」
「手間も味のうちよ」
アーサーは青菜と肉団子のスープが気に入ったらしく、三杯も食べて「食べ過ぎた」と言いながら腹を撫でている。暖炉には小さくした火が燃えていて、いつでもお茶が飲めるようお湯が沸いている。
「ランドルさんがいるときに掘ったのがきっかけで楽しくなってしまったの。たくさんのニガイモ団子を作ったわ。明日から手を替え品を替えして、スープに使うつもりよ」
「俺、オリビアが作るスープの中でも、このニガイモ団子を使ったスープが好きだよ」
「ニガイモ団子、大量にあるからお好きなだけどうぞ」
「楽しみだ」
馬車の音がして、ロブが最初に駆け出して行った。「こんな時間に誰かしら」と言うオリビアを制してアーサーが玄関に向かう。来客と少しだけ会話をして、アーサーが険しい顔で台所に戻ってきた。
「お城からだ。オリビアに火急の用事だそうだ」
無言でドアまで走り寄ると、疲れた顔の男が立っていた。
「オリビアさんですか」
「はい」
「お城から招集がかかっています。今すぐ私と一緒にお城に向かっていただきたい」
「まずは中へどうぞ。どういうことか事情を聞かせてください」
アーサーも話に加わり、事情を聞いた。
「お城の薬師と医師が次々倒れまして。過労で患者と接しているうちに流行り風邪をもらってしまったのです。ぜひお城に来て治療に協力していただきたい」
「私のことをなぜご存じなのでしょう」
「同じく招集されたランドル様のご指名です」
「ああ……。ですが、私は薬師の届け出もしていませんし、資格も持っていません」
「ランドル様が書きつけを残しているはずです。それがあれば問題ありません。ランドル様は薬師登録試験の総責任者ですので」
(あれか! あの書きつけはこういう場合を想定して渡したのか!)とオリビアとアーサーは同時に納得して顔を見合わせた。
「非常事態ですので、どうぞ今夜にも王都に向かってください」
「今夜、ですか。お断りできない状況だということはわかりました。参ります」
「俺も行くよ」
「それはだめ。アーサーには仕事があるじゃない。それにロブとヤギ夫婦の世話もしてほしいし」
「……」
即断られたアーサーは(確かに)とがっかりするも、「夜の間だけは付き添う」と言って譲らない。オリビアもそれは断れず、その夜のうちに三人は『スープの森』を出発した。大量のニガイモ団子を持って。
「あんなに手間をかけてここまで大量に作ったんだもの。無駄にするなんて耐えられない」
そう訴えるオリビアをアーサーが止められるはずもない。
三人とニガイモ団子は出発し、アーサーはアニーに乗って馬車と並走している。招集にきた人物はエドガーと名乗り、ここまでの事情を説明しながら馬車は進む。
「王都では最初は平民の間に広がっていたのです。しかし現在はもう身分は関係ありません。マーレイ領での流行り風邪の状況はいかがです?」
「私はマーローのことしか知りませんが、マーローはそこまで酷くはないと思います」
「何が違うのでしょうね」
「人が密集しているかどうか、ではないですか。流行り風邪は人から人へと広がるものですから」
移動の途中で朝日が昇り、アーサーは残念そうな顔でオリビアを抱きしめる。
「オリビア。無事に帰っておいで。ロブと一緒に待ってる」
「ええ。すぐに戻れるよう、頑張るわ」
エドガーは甘い二人を眩しそうに見ていたが「そろそろよろしいでしょうか」と申し訳なさそうに出発を急かした。
そこからはエドガーとオリビアが交代で手綱を持ち、交替で仮眠を取りながら王都を目指した。
王都に着き、城に入る。驚いたことに門番も受付係も全員がスカーフで鼻と口を覆っている。
「エドガーさん、あれは」
「ランドル様のご指示です。ランドル様は病は口と鼻から入るとお考えです」
「なるほど。では私も見習います」
「お願いします。城内ではそれが規則となっております」
オリビアが案内された場所は兵士たちの宿舎だ。
各部屋のベッドの上で、体格のいい患者たちが力なく咳き込んでいる。白衣を着て動き回っている男性に歩み寄り、オリビアは声をかけた。
「手助けに参りました。オリビアと申します。ランドル様に召集された者です。私は何をすれば?」
「ああ、あなたが。話はランドル様から聞いています。オリビアさんは重症の患者を巡回してください。重症者がいる部屋には赤い布が入口にかけられています。必要な薬は医務室に準備してあります。全て自由にお使いください」
「わかりました」
オリビアはすぐさま患者の間を走り回り、状態を見て湿布をしたり飲み薬を作って配ったりし続けた。飲食を忘れて働いていたが、ランドルがやって来て「休め」という。
「ですが、こうも重症の人が多いと……」
「疲労は病を呼び込む。休みなさい。君までが患者になったら困る」
「そうでしたね。わかりました」
そこでハッと思い出したのは、馬車に積んできたたくさんのニガイモ団子だ。店で使おうと思って大量に作った団子は無事だろうか、と走って自分の荷物に駆けつけてクンクンと匂いを嗅ぐ。
「よかった! 大丈夫そう。これ、スープに入れてもらえるかな」
調理場に持って行って試食をしてもらい、許可が出てニガイモ団子はスープに放り込まれた。アツアツのニガイモ団子入りチキンスープは、疲れた身体に染み渡る美味しさだった。
他の医師、薬師、助手の人たちもそれぞれ手が空いた人からスープを飲む。重症者にはその汁だけを。軽症者は具も。大量のニガイモ団子はわずか一回で使い切った。
その夜から城の病人たちは熱が下がり始めた。走り回っていた人々がそれに気づいたのは翌朝だ。
「昨夜は久しぶりに横になれた。みんな峠を越したのかな」
「そうかもな。よかったよかった」
「お尋ねしたいことがあります!」
会話を割って入って来たのは三十歳少し手前くらいの白衣の男性だ。
「あれ? ユリス先生ではありませんか。何を尋ねたいんです?」
「私が担当している侍女たちは、峠なんて越してません。重症者が急に減ったのはここだけだ。侍女たちが集められている宿舎は相変わらず酷い状況です。もしや兵士にだけ良い薬が使われたのではありませんか? 侍女たちだって命が危ない者が何人もいるんです。薬に余裕があるのなら、こっちにも回してください!」
血相を変えてそう訴えられ、兵舎で働いていた医師たちがぽかんとした顔になった。すぐに兵舎で働いていた若手の医師が反論した。
「ユリス先生、こちらだってそんな薬は使っていません。我々は今使える薬と薬湯だけで乗り切ったのです。兵士は体力があるので、その差ではありませんか?」
「体力に差があっても、今までは重症患者の発生率はほぼ同じだったではありませんか! なのに昨日から急にこちらの患者が回復し始めている。おかしいですよ!」
「そう言われましても」
皆が困っていると、近くのベッドから声がかけられた。
「昨日のスープ」
「はい?」
ニガイモ団子をやや強引にスープの鍋に放り込んだオリビアが慌てて振り返った。声をかけてきた兵士が考え考え皆に説明する。
「昨日、少し苦みのある団子のスープが出ましたよね。食べたことがない味の団子でしたが、あれを食べてしばらくしたら急に熱が下がり、身体が楽になりました。あの苦みは薬の苦みかと思ってましたが。薬入りの団子を食べたから熱が急に下がったのかと。違うんですか?」
「ほら! やっぱり」
「違います。あれは私が作ったニガイモ団子で、薬ではありません。苦みは本来の風味なんです」
ユリスがオリビアに詰め寄る。
「なんです? そのニガイモとは。それはどんな効果のある薬草なんです?」
「いえ、そんな薬効はないと思います。昔から食べられている木の根ですから」
「まだそのニガイモ団子とやらは残っていますか?」
「私が持ち込んだお団子ですから、私が行って聞いてきます」
「僕も行きます」
兵舎に料理を出しているのは兵舎の調理場。そこの料理人は飛び込んできたオリビアとユリスに驚いている。
「昨日のスープでしたらまだ少し残っていますが、団子は煮溶けてしまってもう……」
「それでもいい、分けてほしい」
「はいはい。どうぞ」
ユリスが大鍋に残っていたスープを小鍋に移し、
「だめで元々だ。これを侍女たちの重症者に飲ませてきます!」
と言って調理場を後にした。





