42 キフジンノタシナミ
野ウサギはオリビアが付いて来ているかを確認しながら進む。
ときどきこちらを振り返り、距離が開くと待っている。オリビアは今までウサギとは会話をできたことがない。食べる、逃げる、子を増やす。その三つが心を占めているところはウサギとハリネズミは似ている。
だがこの野ウサギは心のやり取りができないまでも、なにか考えはあるようだ。
店から三キロほど離れた場所まで来て、(そろそろ引き返さないとならないんだけど)とオリビアが思い始めた頃、野ウサギが止まってオリビアを見た。
「ここ? あっ! キフジンノタシナミじゃないの! これを教えてくれたの?」
キノコから野ウサギに目を向けると、もうそこに野ウサギの姿はなかった。
ウサギはオリビアが毎日キノコを採って来てはキノコ梯子を作っている姿を箱の中から見ていた。キノコが大好物な生き物と思ったのか。
「キノコは大好きだけど、これは……」
傘の直径が十センチほどの鮮やかな黄色のキノコは、店のテーブルほどの面積に円を描くように生えている。その円が三つもあった。昔はたくさん採れたらしいが、味の良さと効能の素晴らしさで乱獲されて減少したキノコだ。オリビアも見るのはこれが三度目。
キフジンノタシナミは、よく水に晒してから食べれば、バターのような香りがする美味しいキノコだ。水に晒さずに少量食べれば、深く眠れてすっきり目覚める。晒してないのを大量に食べれば眠ったまま息絶える。
だが深い眠りを招き、スッキリと目が覚めるのでこう呼ばれるのだと祖母が言っていた。
「なんでそれがキフジンノタシナミになるの?」
「ぐっすり眠ってお肌の調子を整えて、夫より早く起きて薄化粧をするのが貴婦人の嗜みだからよ」
「お化粧なんてしないほうがお肌に優しいんじゃないの?」
「いつかわかるわ」
懐かしい会話に笑いが込み上げる。
「フレディ薬草店に納めたら、喜ばれるかしら」
夫の勤め先とはうまくやっていきたいという妻らしい配慮だ。
近年人の目に触れることがなかったこのキノコなら、かなりの儲けになるだろう。オリビアは慎重にキノコを摘み始めた。
「来年も生えてきてね」
来年も生えることを期待して、一ヶ所につき二本ずつ残してキノコを採った。
何も入れ物を持って来なかったので、薄い毛糸のカーディガンを広げてどんどんキノコを積み上げる。
帰りはずっしり重いキノコを抱えて帰り、薄手のカーディガンは汚れて型崩れしてしまった。
「型崩れと汚れは洗えばどうにかなるし、だめなら編み直す。このキノコは結構高値で売れるはずだから、良しとしましょう」
夜、アーサーがアニーと共に帰って来た。
「アーサー、このキノコをフレディさんに渡してほしいの」
「依頼があったのかい?」
「ううん。贈り物。私の夫をどうぞよろしくっていう」
「ふふふ。いいのに」
そう言いながらキフジンノタシナミがたっぷり入ったスープを飲む。
「バターの香りがする」
「バターは少ししか使ってないの。それ、そのキノコの香りなのよ」
「へえ。フレディさんが喜ぶね」
そんな会話をした翌日。フレディ薬草店に着いたアーサーは、遅れて出勤してきたフレディに籠を差し出した。
「ん? なんだい?」
「妻からです。『私の夫をどうぞよろしく』だそうです」
「雇い主相手に朝からのろけるんじゃないよ。どれどれ、なにかなって、おいっ!」
「はい?」
「キフジンノタシナミじゃないかっ! しかもこんな大量!」
フレディは籠を抱えて大慌てで控室に移動する。そして籠に敷かれた布の四隅を持って静かにテーブルに置いて広げた。
しばらく黄色いキノコの小山を眺め、アーサーに声をかける。
「アーサー、今日はこれから出かけるから。お客様の対応をよろしく頼む。難しい注文は控えておいて。『店主は急用で出かけております。戻り次第お届けします、代金はそのとき引き換えで』これで頼んだ」
「そのキノコ、なにか問題が? オリビアはフレディさんが喜ぶだろうって言ってましたけど」
「喜ぶ。喜ぶけどさ。説明は後で。鮮度が落ちないうちに届けなくちゃ」
そう言い残してフレディは店を飛び出した。そのままその日も翌日も、翌々日もフレディは戻らず、アーサーとオリビアが本気で心配し始めた四日後に帰って来た。
アーサーが店を開けてすぐ、疲れた顔で入って来たフレディは、ドスッと音を立てて椅子に座る。
「ただいま、アーサー」
「おかえりなさい。奥さんが心配してましたよ」
「ああ、そうだったな。君にも説明しなかった。すまん、あまりに慌てていて」
「あのキノコ、王都まで届けたんですね? 懸賞金でもかかってました?」
「……ああ、さすが元傭兵。鋭いね。あれの代金、君たちと僕で半分ずつの山分けでいいかな」
「いや、俺たちはいりませんよ。プレゼントの代金を貰う人がどこにいるんですか」
「そうはいかないんだよ。もしかしたらオリビアに迷惑がかかるかもしれないし」
「え」
フレディによると、あのキノコを使って患者が眠っている間に患部を切り取ろうという試みがあるのだそうだ。
先進的なことに挑むのは城に勤める医師団で、使用量さえ見誤らなければ副作用がないあのキノコは大変に有用なのだとか。だが、残念なことにこの国では採り尽くされて流通していない。
まだ豊富に採れる他国から乾燥したものを輸入しているが、乾燥させた品は薬液を作っても効果が安定しない。
「意識を失わせないと、腹の中身は切れないものですか?」
「みんながみんな傭兵みたいに痛みに強いわけじゃないからね。中には痛みと恐怖で死ぬ人もいるんだよ」
「ああ、わかります」
「わかるの?」
「ええ。大怪我しても戦闘中は痛みを感じない場合も多いんです。でも、いったん冷静になってから自分の怪我を確認して、(ああ、これはだめだな)って思ったらその場で意識を失って、そのままあっという間に死ぬ人を何人も見ました」
「薬草店の主が言っちゃいけないんだろうけど、人間の身体ってさ、不思議だよね」
「ええ」
「で、これが代金。きっちり半分こだ」
フレディがジャラジャラッとテーブルに出したのは大銀貨が九十四枚。傭兵が四人で居酒屋で満腹するまで食べて大銀貨一枚くらいだから九十四枚は大変な金額だ。
「キノコ一個で大銀貨一枚だとさ」
「それはまた……」
「まだあるかって聞かれたんだけど」
「たぶんもうないです。オリビアは容赦なしに採りますから」
「生えてた場所は?」
「あの森はオリビアの庭ですから、覚えてると思います」
「ええと、アーサー、尾行がついてないか、確認しながら帰ってくれる?」
「そこまでですか?」
「あちらはそんな雰囲気だったよ」
「気をつけますけど、俺は回り道しないで真っ直ぐ帰りたいですし、アニーじゃ追跡を振り切るのは全く無理です。店まで見晴らしのいい一本道ですから」
「すまん。金に目がくらんだ雇い主を許せ」
「そうじゃないでしょう? フレディさんはどなたかの役に立ちたかったんじゃないですか?」
真顔で尋ねるアーサーに、フレディは苦笑した。
「本当のことを言い当てて年上の雇い主に恥ずかしい思いをさせないでよ。その通りだよ。私の兄弟子が、これを喉から手が出るほど欲しがってたんだ。『お前の住んでいる土地で見つけたら、何をおいても持ってきてくれ』と頼まれてた」
「兄弟子思いのいい弟弟子ですね」
「やめなさいよ」
「そんな兄弟子思いのフレディさんを追跡しますかね」
「兄弟子の周りの人間の目の色がね、すごかったんだよ」
「ああ、なるほど」
アーサーはその日の帰り、マーローの繁華街で豚肉の塊とヤギ肉の塊と卵と糖蜜を買った。馬に乗った追跡者が一人いるのに気づいたが、追跡者の馬は大柄な若いオス馬だった。
それをさりげなく確認し、「やっぱりアニーじゃ無理だな」と諦めた。
「気にするな。普通にのんびり帰ろう」とアニーに話しかけ、真っ直ぐ『スープの森』に帰った。
その日のアニーの足取りは、いつもより少しだけ速かった。
「アニー、ごめん。余計なことを言って悪かった。機嫌を直してくれるかい?」
アーサーは帰宅してすぐにニンジンをアニーに与え、ご機嫌取りをした。アニーがちょっとイライラしているのを感じ取ったのだ。
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