35 アーサーの故郷
アーサーの生まれ故郷は湖のある田舎町だった。
片道四日、二頭立ての馬車に揺られて到着したが、人が住んでいない建物は傷むのが早い。平家の小さな家は屋根に大きな穴が開いていた。
家の中には草が育っている。屋根の穴から入る光と雨で育ったのだろう。
「十四年ぶりだ。こうして見ると小さい家だったんだな。せっかく来てくれたのに、なんだか悪いな、オリビア」
「ううん」
蝶番が壊れてドアが傾いている玄関から中を覗き、アーサーがつぶやく。オリビアの返事が短いので振り返ると、彼女は目を閉じて両手を胸に当てて祈っていた。
「ありがとう。両親と妹はこっちだよ」
「子どもの頃のあなたを守ってくれたこの家にもお礼が言いたくて」
(俺はいい人と結婚できた)
しみじみそう思う。貴族の出身なのに平民として生き、こんな貧しい廃屋にさえ感謝の祈りを捧げる妻。アーサーの目には彼女の姿がとても優しく見える。
二人で森へと進み、雑草と低木が生える場所に出た。
「ここだよ。この三本の木が墓石代わりなんだ。家族を獣に荒らされないよう、深く掘って埋葬してから植えたんだ。俺が来ない間にすっかり成長している」
そこには三本のグミの木が育っていた。アーサーは木に近寄り、一本ずつ手で触れながら説明してくれる。
「これが父親の木、これは母親。そしてこっちが妹の木だ。ちゃんとした墓石を買う金もなくて、どこかから大きな石を運ぶ力もなかったからね。だから目印に、森からグミの小さな苗を引っこ抜いて植えたんだ。実がつけば小鳥がたくさん来る。俺がいなくても少しは気が紛れていいだろうって……」
「十四歳のあなたの優しい気持ち、きっと届いているわね」
アーサーは三本の木に向かって目を閉じていた。
(ただいま。俺の妻を連れてきたよ。とても優しくて働き者のいい妻だ。俺、元気に暮らしているよ。俺、ずっと帰って来られなかったね。ごめんな。でも、やっと帰ってくる勇気が出たんだ。オリビアのおかげだよ)
オリビアもアーサーの隣で祈る。
(こんにちは。オリビアです。アーサーと結婚しました。優しくて強くて素敵なアーサーを、必ず大切にします。だから安心してください)
互いに祈り、顔を上げて相手を見て微笑む。
「馬たちに水を飲ませたいから、こっちに連れて行こう。小川があるんだ」
「借りてきた馬が大人しい働き者でよかったわ。あなたのアニーとも上手くやっているし」
「そうだな。いがみ合うことがなくて助かったよ」
二人はどちらからともなく手をつなぎ、小川へと向かう。水の匂いを嗅ぎつけた馬たちの足取りが軽い。小川は細く穏やかで、馬たちは嬉しそうに水を飲む。
『水! うま!』『冷たい 水!』
馬たちはだいぶ喉が渇いていたようだ。
「この川があるからあの場所に家を建てたって父さんが言ってた。井戸は日照りの夏に涸れることがあるけど、川はまず干上がらないからって」
「きれいな川ね。子供が遊ぶにはちょうどいい感じ」
「小魚を捕まえるのは楽しかったよ。妹と二人でタモで追いかけて捕まえるんだ。母さんが料理して食卓に出してくれたなぁ」
「あなたから聞く家族のお話は、どれも胸を打つわ。仲のいい家族だったのね」
「今思い返すとそうだね。当時はなんとも思わなかったけど」
たっぷり水を飲んだ馬たちを連れて、今度はアーサーが泳ぎを覚えたという湖に向かった。到着した湖は大きく、中央部分で漁をしている小舟がちらほら見える。
ふと気づくとロブがいなかった。
「ロブ! ロブ? いやだわ、いつの間にかいなくなってる。ウサギでも見つけたのかしら」
オリビアがピュウッと指笛を鳴らしてロブを待つ。
しばらくしてガサガサと音を立ててロブが帰って来た。そしてその後ろから現れたのが……。
「ええっ! あなたここまで来ていたの?」
「うわ、でかい鹿だな。本当に金色だ」
「てっきりマーレイ領の隣の領地にいるんだと思ってたのに。いったいどうして」
金色の鹿がゆったりと森の奥から姿を現した。とは言っても森の境界線からは出てこない。人の目を用心しているのと、アーサーが一緒にいるからだろうか。
『元気か?』
「ええ。私は元気よ。こんな遠くまで移動してたのね」
『人間 多い』
鹿の記憶が流れてきた。どうやら隣の領地でも猟師に追いかけられたらしい。
金色の鹿の後ろには四頭のメスの鹿がひっそりと佇んでこちらを見ていた。
「あの、後ろにいるのはあなたの奥さん?」
『そうだ その人間 オス』
「あ、うん。この人は私の夫。結婚したの」
金色の鹿は赤みを帯びた目でアーサーをじっと見る。
『ツガイか』
「ええ。そうよ。互いに心が読めるの」
『本物 ツガイ』
「ええ。たぶん」
アーサーはオリビアの言葉からオリビアと金色の鹿の会話を推測して聞いていた。オリビアがまるで人と会話しているかのように鹿と話しているが、鹿の言葉は聞こえないのだ。
『元気で 子を産む』
「ええ。そのうちね。ありがとう」
金色の鹿は待っているメスたちのほうへと向きを変え、振り返ることなく森の奥へと消えて行った。
「あっさりしてるんだね」
「ええ。執着していたのは私の方だけだから」
「本当に君は気が済んだの? 俺なら待ってるのに」
「ええ。気が済んだわ。あの鹿が生きていたことを確かめられただけで十分。会えてよかった」
「そのうちって言ってたけど、なんのこと?」
「ああ、いいの。そのうちお話すると思うけど」
少し赤くなったオリビアにそれ以上は聞かず、二人は今夜の宿を目指した。
オリビアは「乗ってきた馬車で寝泊まりしてもいい」と言ったが、ここに来る道中もアーサーはずっと宿に泊まることにこだわった。
「こんなときくらい贅沢をしようよ。俺がそうしたいんだ。清潔なシーツとのびのび手足を伸ばして眠れる旅がいい。俺の奥さんには、そうしてほしいんだ」
その宿の一階の食堂で食事をしているときのことだ。
二人で何気なくおしゃべりをしていると、オリビアがアーサーの名前を呼んだときに隣の席の男性が一瞬動きを止めてこちらを見た。
(隣の席の人がずっとアーサーを見てる)とオリビアが不審に思っていると、ついに我慢できなくなったらしく隣の席の男性が声をかけてきた。
「アーサー? アーサーじゃないか?」
「はい、そうですが、あなたは」
「君の父親の友人のカールだよ。覚えてないか。ずいぶん前に会ったきりだ。だがすぐにわかったよ。君はお父さんによく似ている」
「似てますか。嬉しいな。実は結婚休暇で俺の実家まで妻を連れてきたんですよ」
「結婚したのか。おめでとう!」
そこからアーサーとカールの会話が続き、オリビアはにこにこしながら話を聞いていた。だが途中でその表情が凍り付く。
「もうすぐここで王家主催の狩りが行われるんだよ」
「狩り? ここまで王家の方がいらっしゃるんですか?」
「ああ。実は最近、この近くの森で金色の鹿が目撃されてね。領主様がお城で働いている親戚に知らせたらしい。そこから話はとんとん拍子に決まったのさ。今、この領地はその話題で持ちきりだ」
「そうですか」
アーサーはオリビアに配慮し、適当なところで話を切り上げて自分たちの部屋へと引き上げた。
「どうしようアーサー。王家主催の狩りだなんて。猟犬は優秀だし参加する貴族や猟師だって、きっと腕がある人ばかりだわ」
「知らせに行くか?」
「行く! 一刻も早く知らせなきゃ」
「よし、じゃあ明日の朝、日の出前に宿を出よう」
もしかしたらですが、少しの間、不定期更新になるやも。





