28 引っ越しの日の夕食
フレディ薬草店では、再雇用を願いに来たアーサーにフレディが笑顔で対応している。
「もちろんだよアーサー。君には今まで通りここで働いてほしい」
「あんな勝手な辞め方をしたのに。ありがとうございます、フレディさん」
「いやぁ、よかったよかった。あの一家も大慌てで引っ越していったし、万事解決だ」
「あの一家、もうですか?」
「ああ。ルイーズ様のおかげだよ。お会いしたかい? ルイーズ様に」
「はい。元王女様で隣国の公爵家の大奥様と聞いて緊張してしまいました」
ヒューズ家はルイーズと面談した翌日には管理している商会に売却の相談をもちかけ、売却が決まるとすぐに家具類は全てそのままで出て行ったという。
アーサーは早速店の掃除を始め、フレディは薬草の配合を始めた。
「ルイーズ様は『今後の対応は娘次第』と話をつけたそうだ。つまり父親はよほど娘を信用できないらしい」
「自業自得ですね」
「商売はできる男だったんだろうが、我が子の育て方は間違えたんだな。そうそう、今朝、噂で聞いたんだが、農村部に強盗が入ったらしいね。物騒な話だよ」
「それ、オリビアの店です。俺がたまたま居合わせたので、全員取り押さえました。オリビアは無事です」
フレディが何も言わないので窓ガラスを拭いていた手を止めて振り返った。フレディは乾燥させた薬草を天秤に載せて量っている姿勢のまま固まっていた。
「フレディさん?」
「ああ、すまないね。そうか。『スープの森』に強盗が入ったか」
「店の金と、その、オリビアを狙ったようでした」
「はぁぁ。そんな日がいつか来るんじゃないかと客の全員が恐れていたよ。だが君がいてくれたか。ありがとう、アーサー。ジェンキンズに代わって礼を言うよ」
「実は俺、あのまま彼女を独りにしておくことができなくて、今日から店の裏にある離れに引っ越すんです」
「そうか。そうか! それがいい。ぜひそうしてくれ。店の常連たちが皆喜ぶ。ありがとう、アーサー」
「え?」
フレディはアーサーを手招きすると椅子に座らせ、静かな声で説明してくれた。
「あそこで暮らすのなら、詳しい経緯を知っておいてくれ。そのほうがいい。ジェンキンズも自分がこの世からいなくなったときのために、と私に話して聞かせてくれた話だよ」
「はい。ぜひ」
「オリビアを育てたマーガレットは、母親が薬師を引退するときにルイーズ様の担当を引き継いだんだよ。ジェンキンズはルイーズ様専属の護衛騎士だった」
「はい」
「ルイーズ様が隣国の王子に嫁ぐとき、王命でマーガレットは付いて行った。だが、ジェンキンズは行けなかった。二人は恋仲だったんだが、護衛騎士は他国の城では働けないからね。それで、当時二十歳だったマーガレットは、ルイーズ様の三人のお子様が成人するまで働いてから帰国したんだ」
アーサーは(それっていったい何年間の話だ?)と思うが、王家批判に繋がるかと思い、口を閉じている。
「マーガレットは四十四歳になって、やっと辞職し、帰国できた。その間に隣国へ行こうとしたジェンキンズの辞職は受け入れられなかった。陛下は病弱なルイーズ様を案じられて、マーガレットには仕事に専念させたいとお考えだったのかもしれない。そのあたりのことは私には知り得ないことだがね」
「四十四歳……」
「マーガレットは、自分の子供は望めない年齢まで働いてから帰国して、やっとジェンキンズと結婚できたのさ。それから数年後のことだよ、オリビアが保護されたのは」
(二十四年も会えないなんて。オリビアの祖父は、どんな思いでいたのだろう)
この国の騎士はその役に就くときに「命果てるまで主の命に従う」と宣誓する。ジェンキンズは待つしかなかっただろう。アーサーはジェンキンズにもマーガレットにも心から同情した。
「マーガレットとジェンキンズはオリビアを心から愛していたよ。そしてあの子を案じていた。『スープの森』の常連は皆、マーガレットとジェンキンズに世話になっているんだ。オリビアが少し変わっていることも、他人と距離を置いていることも承知だ」
「そうですか」
「もう気づいているだろうが、オリビアが安心して笑うのは動物の前だけだ。それがなぜかはわからないが、実家でよほどつらい思いをしたのだろうと、私を含めたみんなが思っている」
フレディは優しい目でアーサーを見る。
「だが、オリビアは君には心を開いている気がするよ。大雨の日に、君はジェンキンズの服を着てジェンキンズの座っていた席にいたそうだね。それを見た常連客が私に教えてくれたよ。オリビアは、今まであの席には誰も座らせなかったんだ。だから君がこのマーローを出ていくと言ったときには、本当に残念だった」
アーサーは『スープの森』を初めて訪れたときのことを思い出している。あの席に座れと勧めたのはオリビアではなかったか。
(誰にも座らせなかった席? ならなぜ自分にすすめたのだろう)
「いきなり辞めたこと、本当に申し訳ありませんでした。でもあの席に座るよう勧めたのはオリビアだったと思うんです」
「オリビアの心を開かせる何かが、君にはあるんじゃないかな。全てはいい方向に向かっている。よかったよ。私もこれで安心できる」
フレディは何度も何度も「ああ、よかった、安心した」と繰り返す。
(オリビアは多くの人に愛されているんだな)
孤独に生きていると思ったオリビアが、実はそうではなかったことが何とも嬉しい。本人はそれを知らないのかもしれないが。
アーサーはその日の夕方に仕事を終えると、自分が使っていた薬草店の部屋を片付け、馬を買い、ガラスも買って、『スープの森』へと帰った。家中の窓という窓が明るくなっている。暗い景色の中で、あの建物が遠くからでも見えた。
引っ越してくるアーサーをオリビアが歓迎してくれているのが伝わってくる。
「ただいま、オリビア」
「おかえりなさい、アーサーさん」
「馬を買ったよ。アニーというメスの馬だ。四歳だそうだ」
「見てくる!」
オリビアは駆け出して行き、アーサーは後ろから歩いて店を出た。オリビアは屋根だけの小屋に繋がれている馬に話しかけていた。
「そう。アーサーのことが気に入ったのね。彼はいい人よ。とっても強いの。私とも仲良くしてね。犬もいるのよ。あっ、来たわ。この子はロブ。ロブもいい子なの。よろしくね」
そして近づいてきたアーサーを笑顔で振り返った。とてもいい顔で笑っている。
「今夜はアーサーさんの引っ越しの日だから、夕食は少し豪華にしてみました」
「おお。楽しみだな。窓ガラスを買ってきたから、今入れるよ」
「助かります。あのままだと虫が入ってきてしまうから」
オリビアが料理を温めたりテーブルに並べたりしている間に、アーサーは玄関ドアにガラスをはめ込んだ。
台所のテーブルにはマスの香草焼き、豚バラ肉とキノコと青菜の蒸し焼き。朝食べた青菜とハムのスープにはニンジンの角切りと小麦粉団子が加えられている。
「釣りに行ったの?」
「ロブと一緒に行ったの。キノコもそのときに」
「俺も釣りは好きだよ。明日、一緒に行く?」
「ええ! 早起きでも大丈夫?」
「任せてくれ。料理、どれも美味しいよ」
「それはよかったわ」
「そうだ、家賃を決めてくれる?」
「優秀な人に守ってもらうのに、お金は貰えないわ。部屋代と朝夕の食事、洗濯と掃除でも、まだ小金貨七枚には全然足りないもの」
そこからしばらくは互いに意見を主張し合ったが、最後はアーサーが折れた。
食事を終え、二人で食器を洗い、アーサーはヤギ小屋の上へと上がった。部屋は拭き清められ、床板は蜜蝋で磨かれていた。シーツも枕カバーも洗いたてのいい香りだ。
「明日は釣りをして、馬小屋に壁を作るか。壁は夕方だな」
たちまち眠ってしまったアーサーは、夢を見た。
実家のテーブルには美味しそうなスープ、焼き魚、バター焼きパンの他に、ゆでた山栗がたっぷり並べられていた。
夢の中で、父も母も妹も自分も笑いながら食事をしていた。





