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スープの森〜動物と会話するオリビアと元傭兵アーサーの物語〜 【書籍発売中・コミカライズ】  作者: 守雨
第一章 

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11 狼との出会いと川釣り

 朝早く起きて、ヤギの若夫婦を外に連れ出した。

 日の出直後の空気はひんやりとしていて、夜の気配が残っている。

(あの鹿はどこまで行っただろうか)と思う。森は広大で、国境を越えても続いている。


(新しい場所が安住の地でありますように)

 何もしてやれないからせめて祈る。

 ヤギたちは『うまっ!』『うまー!』と喜びながら草をんでいる。家畜は幸せであり不幸だ。守られ、食べ物に不自由しない代わりに自由もない。そもそも生まれたときから自由を知らない。

 狼や鹿の野の獣は自由だ。自由な代わりに毎日毎日が生き残るための戦いだ。


 今日は週に一度の休みの日。オリビアは釣りの道具を持って川に向かう。水遊びが好きなロブは、早くもウキウキしている。『水! 川!』とはしゃいでいる心が伝わってくる。

 川まで三十分ほど歩き、歩きながら狼に出会った日のことを思い出した。


 あの狼が親離れ巣離れをしたばかりの頃にオリビアは出会った。

 森に薬草を摘みに行ったとき、狼は右の前足を怪我してピョコン、ピョコンとつらそうに歩いていた。そのまま放置すれば獲物を得られない。あの狼は確実に飢えて死ぬだろうと思いながらその姿を見た。


 森の生き物にはルールがある。弱い者、怪我や病気をした者、不注意な者は生き残れない。他の生き物の餌になる。肉食獣に襲われなくても、死ねば虫や鳥の餌となり植物の栄養になる。

 人間が「可哀想」と手を出すのはよくないと思いながら、苦しむ若い狼の感情が痛々しくて無視できず、オリビアは近寄った。狼は背中の毛を逆立てながら唸り声をあげ、オリビアを威嚇した。

 

「私はあなたを殺さないわ」

 心からそう思いながら声をかけると、若い狼はピタッと唸るのをやめた。そして悲しい気持ちが流れ込んで来た。

『痛い、痛い、痛い』

「痛いのは右足ね。どこが痛いのかよく見せてくれる?」


 オリビアがそう話しかけると、狼はゴロリと横になった。狼のすぐ脇に膝をつき、右前足に触れて覗き込んだ。狼の口はオリビアの顔のすぐ近くだ。空腹な彼女が噛みつけば自分は死ぬだろうと思った。だが狼の心には怯えと悲しみはあるが攻撃する意思は感じられなかった。


 そっと足の裏を見ると、右前足の黒い肉球に硬そうな棘が刺さっていた。黒い肉球から顔をのぞかせている棘の最後の部分がギザギザになっている。歯で噛んで抜くつもりが、噛み折ってしまったらしい。


「今、抜いてあげる。だから痛くても我慢してね」


 横になったまま狼は動かない。目を大きく開いてオリビアを見ている。

 オリビアは肉球に刺さった棘の周囲を指先で押して、棘が少しだけ顔を出すようにした。親指と中指の爪で挟んでゆっくり棘を引っ張った。見覚えのある柑橘類の棘だ。オリビアも実をもぐときに何度も痛い思いをしたことがある。


 棘は硬く長く、引っ張るとズルズルと出てくる。

 全部抜けた棘は三センチもあった。どれだけ痛かったことか。棘が抜けた傷口から血が滲む。この状態で地面を歩けば土が入って傷口が腐るような気がした。


「ちょっと待って。毒消しの汁を塗るから」


 歩きながら摘んできた毒消しの葉を肩掛けカバンから取り出してよくよく揉んだ。毒消しの葉は切り傷やあかぎれに効くから見かけるたびに摘むようにしている。

 きつい臭いの葉を揉んで、ギュッと絞って出た汁を深くて細い傷にすり込んだ。これを塗ると傷が腐りにくい。汁がしみて痛いのか、若い狼は「キューン」と子犬みたいな声を出したが動かないでいてくれた。


 その日以降、オリビアが早朝や昼間の森に入ると狼が寄って来るようになった。あんまり人間に慣れさせるのは危険だから、名前をつけたいのを我慢し、触りたいのも我慢した。


 数か月後には若い狼は大人になり、恋をした。オスの狼と遠目にオリビアを見に来たが、もう近寄っては来なかった。

 オスの狼は殺気こそ放っていなかったが、オリビアに近寄る気は全くないようだった。それでいい、と思った。やたらに人間を信用して近づけば、いつかは人間に殺される。


 恋人ができて以降、狼は姿を見せなくなった。だけど我が子が毒桃を食べてしまい、よくよく困ってオリビアを思い出して来てくれた。それで十分だ。

 会ったのは数年ぶりで、オリビアの家までやってきたのは初めてだった。家の場所はどうやってわかったのか。オリビアが薬草を摘むときに歩く獣道の匂いをたどったのか。



 思い出に浸りながら歩き、川に出た。

 まずはロブが満足するまで遊ばせないと釣りはできない。既に興奮して呼吸が荒いロブに「いいよ」と声をかけると、ロブは一直線に川に飛び込む。ロブと暮らすまでは犬が笑うことを知らなかったが、今のロブは間違いなく顔が笑っている。


 川上から川下へと流されながら泳ぎ、岸辺に上がってブルブルと身体を振って水を弾き飛ばす。たまにわざわざオリビアの隣に来てそれをやるのはなぜか。心を読んでも『ひゃー!』とか『わははは!』などという心の声だけが伝わって来る。何も考えていない。


 泳いでは岸に上がってブルブルし、また川に飛び込んで泳ぐ。それを何十回も繰り返してやっと満足したらしい。木陰に横になって舌を出し、ハアハアと息を整えながらロブは笑っている。


「さて、釣りますか」


 今の騒ぎで魚はみんな川上へと移動しただろう。つば広の帽子にズボン、シャツという格好でバケツを持って少し場所を変える。

 川の流れは速いがところどころふちになっていて、そこはエメラルド色に見える。流れが穏やかな淵にはいつもマスがいる。淵の上には対岸の崖から張り出した松の枝が伸びて、日陰を作っている。


 蓋つきのガラス瓶の中には、庭で掘って捕まえたミミズがたくさん。街の女性なら悲鳴をあげそうなガラス瓶から一匹ミミズを取り出して針につけ、淵を目指して竿を振る。長い糸がきれいな曲線を描いて飛んで行く瞬間がオリビアは好きだ。


 淵の上流にミミズは落ちて、流されて淵に届いた。

 マスが空腹でありますようにと願いながら待つ。やがてクン!と手ごたえが糸を通して伝わって来る。マスがしっかりミミズを咥えるのを待ってグッと竿を立て、マスを釣り上げた。魚や蛇や昆虫の感情は伝わらない。だからオリビアでも釣りはできる。


 マスをバケツごと川の水で冷やしながら次を釣る。山の雪解け水が流れている川は、夏でもとても冷たい。釣りは祖父が教えてくれた。

 

「お前は神様からの贈り物だよ」と祖父はことあるごとに言っていた。

「子がいない私たちの人生の最後に、神様が子育ての楽しみを与えてくださったんだ」

 祖父も祖母も、一度だってオリビアに嫌な感情を持たなかった。


「私たちは先が短いからね、お前には教えておかなきゃいけないことがたくさんあるよ」

 そう言うときの祖父母の心はいつも慈愛に満ちていた。オリビアはわがままを言わないようにしていたが、それでも幼い頃は失敗をたくさんした。だが、祖父母が声を荒らげたことなど一度もない。


 日が高くなるとマスはミミズをあまり食べなくなる。

「そろそろ釣りは終わりね。帰りますか」

 今日の釣果はマスが大小八匹。まあまあだ。


「明日は牛乳が届く日だからマスと野菜のチャウダーにしよう」

 バケツを手に立ち上がると、寝ていたロブも起き上がる。『さあ帰ろう』というロブの考えが伝わる。犬は驚くほど人間みたいな思考や感情を持っている。

 

「明日はミルクが届くわよ」

『ミルク! 美味しいミルク! うひゃー!』

 はしゃぐロブの心が可愛くて、笑いながら家を目指した。


 

オリビアがロブにミルクを与えるときは、お楽しみとして大さじ1ぱいぐらいを水で薄めて与えていますのでご安心ください。

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書籍『スープの森1・2巻』
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