地球編22 コウの決断
公会堂で会議が行われた次の日、俺はマットに呼び出された。誰か紹介したい人がいるっていう話だ。
ニューヨーク支部用の小会議室に向かった。各国、内密で話し合いが出来るように専用の会議室が宛てがわれている。俺やエヴァンの部屋の隣の区画にある。歩いて数分程度で到着する距離だ。
俺は小会議室の前に到着すると、入口の脇にあるモニターに手をかざした。すると、認証システムが作動し掌が緑の光で照らされる。
〔お、来たか。入ってこい〕
数秒後、マットの声と共に扉の鍵は解除され、自動で扉は開いた。俺が足を踏み入れると、マットともう1人女性がいた。ショートボブの黒髪をした40代位の人だ。意志の強そうな切れ長の瞳をこちらに向けた。俺と同じアジア人のようだ。
4人席の机に、マットとその女性は横並びで座っている。
「コウ、こちらが東京支部リーダーのヒトミだ。お前に紹介しておこうと思ってな」
『よろしく、ヒトミよ。あなたの曲はよく聞いてるわ。まさか、その作り手が賢者候補者なんて驚きよ』
『あ、ありがとうございます。……あなたが東京支部のリーダー?どうも、コウです。よろしく』
ヒトミという女性は笑顔を浮かべ、日本語で話掛けてきた。俺も日本語で返答する。差し出された手を握り返し、握手を交わすと、俺は対面に座るように促された。
「……ま、後は英語で話しましょ。話し方もラフな感じでいいわよ。私は東京支部のまとめ役。あなたと仲良しのアラシも、所属はうちの支部よ」
「え、そうなんだ?てっきり、所属はニューヨークだと思ってた」
「キリルが行方不明になる事件があったから、その調査でニューヨーク支部に合流してたのよ。そしてあなたが現れたせいで、そのままアメリカにいるのよ」
彼女は冗談めかすように肩を竦めながら微笑んだ。ヒトミ……さんか。ラフで良いと言われたけど、何となく年上の日本人は呼び捨てしずらい……文化の違いのせいかな
「他に日本人っているの?」
「ええ、東京支部に数名ね。いつか、紹介出来たらいいわね。皆、最近話題の日本人歌手が賢者候補者だった事実に、色めきだってるわ」
「がっはっは、そうだろうな。お前達からしたら誇らしいだろうな」
声色高く、嬉しそうに語るヒトミさんの横で、マットは豪快に笑いながら相槌を打った。確かに皆びっくりするよね。待ち望まれた存在が、まさか日本人のミュージシャンだったなんて……俺自身だって訳が分からないんだから。
「それで、ここに来た感想はどうかしら?」
「そうだな……半信半疑だった現実が明確になった感じかな。エラドを倒す為に色んな人の思いが動いてるんだね」
「ええ。私達は、ずっと水面下で準備してきたのよ」
「うん。千年前から始まった計画なのは聞いたよ。そして、俺はその計画の中で予言されていた存在……らしいね」
俺の言葉に、感慨深そうな表情を浮かべてヒトミさんは頷いた。文明も発達していない時代から……本当に長い間、管理者達は予言を信じて準備をしてきたのだ。その積み上げられた重みは、計り知れない。
「そうね、待ち望んでたわ。過去の管理者達が連ねてきた思いの先に、ちゃんとあなたは現れた」
「うん」
情感が込められたアケミさんの声は、俺の胸を刺激する。俺は先人達のその思いを受け取るように、黙って頷いた。重圧はある、けど、もう逃げない。
この部屋に呼ばれる前に、既に決めていた事があった。それをマットに伝えるつもりで来たんだ。俺の緊張感が伝わったのか、場に沈黙が流れる。2人共、言葉を待つように何処となく宙を眺めている。
「俺は、前に進む。賢者の試練を受けるよ」
「……そうか」
俺は大きく1つ息を吐き、決意を込めて言葉を放つ。マットは、その言葉に大きく頷くと、強い眼差しを向けた。
ロンから賢者の記憶を受け取り、ミレナからキリルとミシェルの話を聞いた。カリム様にも、賢者について教わったし、一瞬だけど紗絵にも会えた。
もう……心は決まった。まだ背負う責任と覚悟についてはよく分からない。けど、付いてきてくれる仲間達が俺の背中を後押ししてくれる。
一歩踏み出そうって、前に進む事を俺の心は望んでいる。……迷いは消えた。
「ありがとう」
マットは、テーブルに額がつく程深々と頭を垂れた。その言葉には、深い感謝の響きがあった。彼も、管理者を率いる者として、俺に対して色んな思いがあっただろう。
何か指示するでもなく、賢者の候補者になる事を強制しようとはしなかった。俺に変な重圧を与えないように配慮してくれてたんだろう。そして、俺を信じて判断を任せてくれてたんだと思う。
『末の露 本の雫や 世の中の 後れ先立つ
ためしなるらん』
マットの隣に座るヒトミさんは、日本語でそう呟いた。何かの和歌のようだ。
「他人に先立たれる事もあるし、自分が先に死ぬかもしれない……寿命に長短はあるけど、皆いつかは滅び、死ぬ運命よ。その生命の本質は変わらない」
「そうだな。生物にも星にも寿命はある」
ヒトミさんは再び英語で話し始め、和歌の内容を説明した。マットは彼女の意図を悟ったのか、何か感慨深げに相槌を打った。
「賢者になれない私達は、あなたに対して偉そうに言える立場じゃない。けど何か言葉を送るなら……って考えたら、この和歌が浮かんだの」
「賢者も普通の人間も本質は変わらない……と言いたいのか?」
「そうね。永遠の使命というのも辛いでしょ?ちゃんと、終焉があるのよ」
俺は、マットとヒトミのやり取りを黙って聞いていた。最初、その深い内容に意味が理解出来なかったけど、何となく真意は分かった。後先の差はあるけど、生はいつか滅びる……それはゴールがあるという事。確かに、賢者の使命は長いけど、永遠ではない事は救いなのかもしれない。
「まあ、実際の感覚は賢者にしか分からんがな。……俺達が生きている限りは、全面的にお前をバックアップするからな」
「ええ。地球で起こるトラブルについては、私達を頼りなさい。悩みを聞くことなら出来るしね」
ベテランの管理者である2人は、俺に笑顔を向けて話す。この先不安が多いけど、ちゃんとこの人達を信頼しよう……そう思った。俺には、頼れる人が沢山いる事に改めて気付かされる。
「俺、これからどうしたらいいかな?」
「そうだな。カリム様に、再度会ってもらうか。ん?……あ、ちょうどダリアが来たぞ」
俺がマットに質問すると、急にインターフォンの電子音と共に、壁に据え付けられたモニターに動画が表示された。カーナビ程度の大きさの画面にダリアの姿が映っている。
「ほんと……モスクワ支部の奴、頭にくるわ!」
「どうしたの?」
「あら?コウ……それに、ヒトミサン」
ダリアは入口の扉が開くと同時に、早足で入室してくると、吐き捨てるように言葉を発した。珍しく激昂している。
彼女は俺達の姿に気付くと、驚いた様子で目を丸くした。
「何かあったのかしら?」
「……キリルを監禁していた施設。モスクワ支部が直轄で管理した訳じゃなくて、別の会社に委託してたらしいのよ」
「え、そうなの?」
「そうよ。怪しいと思ってたけど、証拠が出てきたの。……しかも、杜撰な管理をしてたみたい」
ヒトミさんの質問に、ダリアは怒りで声を上ずらせながら答えた。余程頭にきている様子だ。マットがその様子を見て、大きな溜息を吐いた。
「やはり……モスクワ支部に任せるべきではなかったな。俺もその話は昨日聞いた……キリルの扱いがどんな内容だったのかも、お前は聞いたか?」
「ええ。……日常的に性暴力を受けてた可能性があるのも聞いたわよ」
「え、何ですって?」
ダリアの言葉に、ヒトミさんは驚愕の声を上げた。俺もショッキングな事実に唖然とした。ミレナの説明だと、組織が管理してるような話だった。けど、実際のモスクワ支部の管理状況までは、別支部の皆は知らされてなかった様子だ。
「私も血の繋がりは無いけど、義理の息子よ。母親として、モスクワ支部に抗議したけど、まともに聞きもしない。人手が足りなかったの一点張り!」
「そうだろうな。奴らは、キリルを預かってやっていたのに恩知らずが……と開き直ってるくらいだ」
ダリアとマットは、苛立ちを隠しきれない様子で。不満気に言葉を交わした。確かに、酷い話だ。モスクワ支部と仲が悪い理由がよく分かる。
「でも、多感な年齢の時期に性暴力なんて……キリルの精神状態が心配ね」
「そうね。あんな事件を起こした上に、監禁されて……だもん。母親として、ちゃんと守れなかったのが悔しい」
心配そうにヒトミさんは呟いた。それに同意して、ダリアは悔しそうに言葉を絞り出すと、テーブルを右手で叩いた。その振動と音が、彼女の悔しさを現していた。
「そうね。キリルは、今どういう気持ちでいるのかしら……」
「ええ。あの子繊細なとこもあるから……不安だわ」
ダリアは母親の表情で呟いた。確かに凄惨な体験をした少年は、今どんな気持ちでいるんだろう?父親を殺し、性暴力を受けた……なんて正気でいられるとは思えない。
「仮に……だが、キリルが自分の意志でシャゴムットと行動を共にしている場合が、大きな問題となる」
「ええ。先日、モスクワ支部の管理者と闘士の2人組が、シャゴムット達の潜伏先を襲撃したらしいけど……2人とも行方不明になったって話だったわよね」
「そうだ。シャゴムットだけではなく、キリルも脅威になり得るなら、早い内に手を打たねば」
対して、マットは冷静に状況を分析している様子だ。彼は管理者達を率いる立場として、失敗は許されないのだろう。キリルか……もしかしたら、その内俺達と対峙する事になるのかもしれない。
「……ええ、早くキリルを保護しなきゃ」
ダリアは苦しそうな表情でそう呟くと、焦燥感に苛立つように天井を仰いだ。そして、彼女がふと目線を正面に戻した瞬間、俺と目が合った。
「……あ、コウも経緯は聞いたんでしょ?ミレナに」
「うん、大体聞いたよ。今話してた内容も、理解は出来たよ。酷い話だ」
「そう!最低よね。やっぱり……あの時無理矢理にでも私が面倒見るように主張するべきだったわ」
「けど事件時に、家族であるミシェルが少年を解放したのは事実でしょう?無関係の支部が厳重に管理するという組織の決断は、間違っていた訳ではないわよ」
「それはそう……だけど」
本当に口惜しそうに話すダリアを前にして、彼女を諭すようにヒトミさんは話した。確かにヒトミさんの言う通り、家族が厳重に監禁するのは感情的に難しいかもしれない。どうしても、緩みが出てくるだろう。
「まあ、ダリアの気持ちは分かるが、私情を挟む余裕は無いぞ。シャゴムットを捕らえ、キリルを保護するには、全支部協力体制を取らねば無理だ」
「……分かったわ。でも事後は、モスクワ支部にしっかり責任追及させてもらうわよ」
「ああ、それは協力する。俺だって、腹に据えかねている。本当に無責任な奴らだ」
マットも理性的に淡々と説明した。確かに状況的に内部で争っている場合ではない。けど、彼も管理者を束ねる存在として、怒りは感じてるようだ。
「……それはそうと、コウが決断してくれたぞ」
「え……決断って、賢者になるって事?」
マットは場の雰囲気を変えるように、嬉しそうな口調で話した。すると、ダリアは驚いた声を上げた。彼女から初めて秘密を明かされたあの日、俺は後ろ向きに考えていた。あの時落ち込んでた姿を、彼女は見ている。だから、俺の前向きな回答に驚いたのだろう。
「うん。まだ覚悟は出来てないけど、とりあえず前に進もうと思って」
「そっか……良かった」
俺の返答に、ダリアはホッとした様子で声を漏らした。瞳が少し涙ぐんでいる気もする。彼女の場合、愛娘が賢者候補者だから安堵するのは当然か。
「今ちょうど、ミシェルが、カリム様直々に特訓を受けている時間だろう?」
「ええ、そうよ」
「ちょうどいい。コウを今案内したらどうだ?」
「あ、そうね。ミシェルを紹介しなきゃね!」
マットの提案に答えると、ダリアはいつもの明るい調子で俺の肩を叩いた。ミシェルか……気になる存在だな。これから、行動を共にする機会は多いかもしれない。
「じゃあ、案内するわ。付いて来て」
「あ、うん。頼むよ」
ダリアは弾んだ声で付いてくるように促すと、部屋の外へと足を運んだ。俺はマットとヒトミさんに会釈をすると、部屋を後にして彼女の背中に追った。




