another story 運命と時間 後編
さっきまで居た空間と明らかに違う異空間だ。けど不思議と、この空間を自然と受け入れられた。
ここは多分、ツナガルモノの能力で繋がった何処かの世界……本能がそう悟らせた。
もう、懐かしくなった風景。
紗絵を亡くしてからは、全く立ち寄らなくなった場所だ。
ショッピングモールに立ち並ぶお店は、あの頃のままだ。誰もこの場所に存在していないのを除けば、記憶通りの風景。店内にも路地にも人の気配はない。だけど、不思議とその不気味さは気にならず、懐かしさに胸が熱くなった。
歩いていると、あの頃の楽しい思い出が浮かんでくる。
あの雑貨屋で、ネックレスを誕生日プレゼントで買ってあげたんだ。……あ、あのレストランのビーフシチューは、2人のお気に入りだったな。何かお祝いしたい事があった時、何度か食べに行ったよね。
そんな思い出と共に、海沿いの夕陽に照らされた煉瓦畳の通路を歩く。所々薄汚れてるけど、ランダムにハート型になった煉瓦が埋め込まれてる。それを2人で探しながら、歩いてた記憶が蘇る。
『コウ君、ここにもあるよ!』
『ほんとだ』
『今日は何個も見つけられたね。絶対、何かいい事ありそう』
そんな会話交わしたのを、思い出す。嬉しそうにはしゃぐ紗絵の姿が、薄っすらと無人の風景の中に見えた気がした。何をしてても2人で居ると、本当に楽しかった。
暫く歩くと、遠目に教会が見えてきた。小高い丘に立つその建物は、存在感があった。中央に蒼色屋根の尖塔が聳える。美しい白壁で囲われ、尖頭アーチ状の大きな門がある。その上には美しくカラフルなステンドグラスの窓も見える。
『ね、向こうに教会あるよ。わ、結婚式やってるよ!!』
『あ、ほんとだ。人がいっぱい……あ、あれ主役の2人っぽいね』
『いいなぁ、ウェディングドレス……綺麗』
『うん。紗絵にも似合いそうだね』
初めて、教会を見つけた日……そんな話したっけ。紗絵は嬉しそうに俯くと、黙って頷いた。まだ付き合って数ヶ月くらいの時だったのに、思えば大胆な発言だったよね。
この道は、最後に紗絵と来た時にも歩いた道。
白血病が一度寛解して、退院出来た時に来たんだ。たまにふらついてたし、きつそうにしてたけど……とても幸せそうな顔してた。
あの日、病気が治ったら結婚しようって約束したんだ。
俺は、絶対それは叶えられると信じてた。
彼女の涙を拭えば、きっと幸せになれるって思ったんだ。
けど、何故か……叶えられなかった。神様なんて、いないと思った。何で、彼女みたいな良い人が死ななきゃいけないんだろって、運命を呪いたくなった。何で、彼女が普通に生きていくことを、運命は許さなかったんだろう……。
『紗絵!紗絵ー!……嘘だろ、約束したろ!!』
あの日、俺は人目も憚らず、喚き、叫び、泣いた。目の前で動かなくなった紗絵を見ても、眠ってるだけだと思いたかった。通夜の時も、夜通し生き返る事を願ってた。
闇を照らす月光が薄雲から淡く光ってたのを、覚えてる。
でも死に化粧を施した彼女は、冷たくて。
次の日になっても、それは変わらなかった。
火葬場で骨になった彼女を見た時、死んだ事実を見せ付けられた気がした。俺は虚しさに覆われた心で、骨を拾って壺に入れた。
箸先で骨を摘むと、軋む音が切なく響いた。
彼女の灰が、光芒に薄っすら漂う。焼けた匂いが鼻腔に香ると、ただ虚無の中に悲しみが流れていく感じがした。
俺は、一言『ありがとう』って呟いた。
悲しみの中、出てきた言葉はそれだけだった。
それから自宅に戻ると、彼女の洋服やペアのお皿、2本ある歯ブラシ……彼女との思い出の品が沢山残っていた。
孤独の部屋で募る想いは、何処にも行く宛がなくて……もう帰ってこない彼女を待つように、月夜を眺めた。星の煌めきは綺麗で、無窮の闇に希望を与える光にも思えた。
『さよなら、紗絵』
俺は、乾燥した空気に吐く息と共に……そう呟いた。
______煉瓦畳の道は続く、少しの凹凸が靴の裏に感じる。俺は、教会の扉に繋がる階段を踏みしめて上がる。
それがまるで、天国へ続く階段のような気さえした。夕陽に照らされた教会は、宛ら天国にある神殿のようだ。
この場所で、誰かが待ってる。俺はそう確信していた。
高鳴る鼓動を抑えきれないまま、歩く。教会の前に辿り着くと、門の扉の前で緊張を解す為に深く息を吐いた。
扉を開くと、祭壇の前に立つ女の人の姿があった。それは……思い出の中で、何度も見た後ろ姿。胸は高鳴り、緊張で肌がざわめく。
「紗絵……なのか?」
そう呟きながら、足を進める。眼前に存在する人の輪郭が本物かと確かめるように、半信半疑で見つめる。すると、彼女は振り返った。
丸く憂いを帯びた瞳、真っ直ぐな鼻筋、少しカールした艶やかな髪。儚さも感じる美しい顔立ち。
……紗絵だ。
振り返った彼女は、屈託ない笑顔を見せた。
仄かに紅くなった頬と目元のほくろ。彼女の綺麗な黒瞳は、俺を包み込むように柔らかい視線を向ける。
その愛くるしい微笑みは……何度も何度も、思い出した笑顔。間違えようがない。
俺は強く打つ鼓動の音に気を取られたまま、立ち尽くす。嘘だ、本当に……紗絵なのか?
「コウ君、やっと会えた」
紗絵は俺に近付いてくると、そう呟いて感慨深げに頷いた。彼女の甘く、柔らかい香りが鼻孔を刺激した。
夢なのか?いや、夢でもいい。
「紗絵……会いたかった」
「うん」
俺は気付けば、紗絵を抱きしめていた。もう二度と触れられなかった筈の彼女の温もりを、確かめるように。強く、抱きしめた。
俺の頬を彼女の髪が撫でる。右肩に彼女の吐息を感じる。両手で触れる背中は柔らかく、彼女の体温が掌に伝わる。
俺の瞳から流れる涙は大粒で、視界にはぼやけた景色が映る。2人しかいない静寂の世界には、2人の息遣いだけが耳に届く。
胸に抱き寄せられた彼女は、黙ったまま俺のシャツの裾をぎゅっと握った。
「夢みたいだ……本当に、生きてるのか?」
「……」
紗絵が、寂しそうに笑うと……その姿は次第に透明に変化していく、光の粒が彼女の輪郭を覆って、同時に、彼女を抱きしめる感触も次第に薄れていく。
「待ってくれ!!」
俺は消えてしまわないように、彼女を必死で腕の中で包み込む。その思いも虚しく、徐々に光の粒の輝きは増して紗絵の姿は、輝きの中へ吸い込まれるように薄れていく。
「コウ君、ありがとう」
彼女はそう言い残すと、完全に光の粒となり俺の身体に纏わりつくように消えていった。
その残った光の粒子は、暗闇を照らす蛍の光のように宙を舞う。尖塔の天井まで広がる頭上の空間をゆったりと浮遊して、消えた。
俺の眼からは、涙が溢れていく。
何の感情なのか、分からない。
それでも、涙は溢れていく。
一度会えた歓びと、再び失った虚無感が入り混じった心で……その場に立ち尽くす。視界を覆う涙のせいで、その世界はぼやけていく。
そして、白く眩い光が周囲に広がった。俺は咄嗟に瞳を閉じる。……ゆっくりと再び瞳を開くと、元居た部屋に戻っていた。教会の景色は消えて、眼の前にはカリム様が居る。
「戻ってきたか?」
「え…………?」
俺は周囲を見渡す。白壁に包まれた殺風景な部屋だ。カリム様と俺しか存在していない。俺は呆然と現実の世界を眺める。さっきまで、何処かの世界で確かに紗絵の温もりを感じた筈なのに。
「お前が今まで視ていたのは、お前の心の中だ」
カリム様は、戸惑う俺に声を掛けてきた。じゃあ、俺の心の中に繋がっていたのか。
「え、……今の紗絵は……何だったんだ」
「紗絵?……心の中で会っていた存在の事か?」
「あ、そうです。じゃ、俺の想像だったんですか?」
俺はカリム様の言葉に項垂れた。本当に会えたと思ったし、明確に感触まで感じられたのに……そんな。
「まぁ、そうとも言えるが……その紗絵という人物の想いが、その宝玉に強く残存しているのだ。それがお前の魔力により、具現化されたのだろう」
「……それは、どういう事ですか?」
「知的生命体が死ぬ時、精神エネルギーが体外へ排出される。通常、それは通常宇宙に放出され、循環して新たな生命に宿る。しかし、紗絵という人物の精神エネルギーは一部が留まり、その宝玉に宿った」
カリム様は、俺の右手の指輪を手で指した。そのターコイズのブルーを俺は眺めた。これに、紗絵の一部が宿ってる……本当に?
「通常はあり得ない事だ。だが、お前の潜在能力が繋ぎ止めたのだろう。2人の想いが生んだ奇跡だ」
「じゃあ、紗絵がこの中に居るんですか?」
「そうだな。正確には、同じ生命体ではなく、同質の別の存在だがな」
「同質の別の存在…………か。でも、さっきみたいにまた会えるんですか?」
「それは……お前次第だ」
カリム様は静かに頷いて、俺の瞳を見据えた。俺は別の存在という意味がよく分からなかったが、それが紗絵の一部ならまた会いたいと思った。どういう形でも、再会したい。
「お前のツナガルモノの能力は特殊だ。我にもない能力だ。自らの心象の世界に繋がれるのも、お前だけの能力だろう」
「何で、今繋がれたんだろ……?」
「我が、お前の魔力に刺激を与えたのだ。だが、不完全だったのではないか?」
「……確かに、紗絵はすぐ消えてしまいました」
紗絵が胸の中で消え去る感触を、思い出した。でも、ほんの少しの時間……確かに腕の中に彼女は生きていた。
「お前が魔力を解放し、それをコントロール出来れば……具現化は、より明確に可能となるだろう」
「!?……じゃあ、その方法を教えて下さい!」
「ふむ……お前が、この先に進むのであれば……賢者にはなってもらうぞ。私欲だけで解放を許せる程、容易い能力ではないからな」
「…………」
カリム様は、険しい表情で俺を見た。確かに、俺は紗絵に会いたいだけなのかもしれない。そんな理由だけでは、前に進ませない……その考えは理解出来る。けど……だけど。
「まぁ、一度冷静になって考えろ。今日、お前に自らの心象を見せたのは、お前が持つ能力の可能性を示したかったからだ」
「……確かに、彼女に会いたいって気持ちしか、今はないです」
「そうであろう。死んだ筈の精神に再び会うなど、理を超えた力だ。その力をどう使うのかは、お前次第だぞ」
カリム様から強い眼差しを向けられた。俺は胸に覚悟を突き付けられた気がした。……そうか、そういう覚悟とも向き合わなきゃいけないんだ。
「よいか、魅惑的な能力は身を滅ぼす場合もある。お前には、前を向いてもらわなければならない。だが、その前に覚悟は持て」
「……分かりました」
「うむ。……とは言え、お前は運命に選ばれし者だ。正しい道を選べる者にしか、“金色の輝き”が纏うことはない。我は、お前を信じているぞ」
カリム様は柔和な笑顔に戻って、俺に優しく語りかける。きっと俺を試しながらも、信じてくれてはいるんだ。その包み込むようなおおらかな雰囲気は、慈愛に満ちていた。
指輪からも何か温もりが伝わってきた気がした。紗絵の精神の一部が本当にここに居るのなら、勇気が出てくる。
さっき君に触れてしまった。その感触が、まだ腕に残ってる。
どんな形でもいい……やっぱり、君にまた会いたい。もう前に進むしか、選択肢はない。
あとは、俺の覚悟次第……か。




