カルディア大陸編19 交錯する者達
「すぐ楽にしてやるぞ」
「……森の恩恵」
ガイムが凶悪な紅に光る瞳を細めると、エリックは魔人を睨み付け、魔法を唱えた。
彼の奥の手だ。今闘っている場所が森である事は、森林魔法使いのエリックにとってプラスに作用する。森から放出されている魔素が体内に取り込まれ、エリックの魔力出力の最大値を上げていく。
しかし、魔力出力が高まる程魂体への負担は増す。つまり、短期で決着が着かない場合、エリックの肉体と精神は強烈な魔力の出力に耐えきれず、破壊されてしまう。能力の向上を引き換えに、エリックは賭けに出たのだ。
「ほう……多少は、骨がありそうだな」
「舐めるなと、言っただろう!」
ガイムは、急激に高まったエリックの魔力に感心するように頷くと、地面を蹴って襲い掛かった。エリックは真木の盾を瞬時に精製し、振り翳された棍棒を眼前で受け流す。
「フィロス!」
「ぐっ、煩わしい……はぁ!」
エリックは披針形の葉を槍状に精製して、数本連射した。至近距離から放たれた濃緑の槍は、ガイムの体躯に複数刺さった。だが、魔人は余り効いてない様子で、棍棒を振り回す。エリックは、再び真木の盾で強烈な一撃を受けるが、その圧力により後方へと吹き飛ばされた。
「大樹の槍!」
エリックは、最上級魔法を放つ。一瞬で大木の幹を頭上に創造した。鋭く尖った大樹の槍は高回転を始め、薄藤色の煌きが放たれる。
エリックは、通常の状態よりも詠唱時間は短く、最上級魔法の連発も可能になっている。
「……っち、厄介だな」
「喰らえ!」
ガイムは警戒するように、棍棒を眼前に構える。そして、藍色の魔力で身体中を覆った。魔人の巨躯に向かって、大樹の槍が襲い掛かる。
ガイムは手元の棍棒でガードし、鋭い先端を受け止める。濃藍色の光と淡い紫の煌めきがぶつかり合う。鋭い回転が周囲に激しい風を生み、魔人の足元の地面は割れた。しかし、踏み止まる。
「ぐおおおお!」
「くそっ、押し切れ!」
エリックは更に魔力を高めると、紫の光は濃度を高め、大樹の槍を包み込む。推進力を増した槍にガイムは堪えきれず、後方へ吹き飛ばされるが、身体を捻って避ける。
魔人の胴体を掠めた大樹の槍は、後方の木々を薙ぎ倒して飛んだ。そして、数十メートル半円状に地面を抉った先で停止する。
「くそっ……人間の癖にやりやがる」
「もう一発喰らえ!」
ガイムの右脇腹は抉れ、群青の血液が滴り落ちている。止血するように右手から黒い靄を放出させ、傷口を包み込む。
その様子を見て、エリックは最上級魔法を再び唱え、大樹の槍を頭上に出現させた。再び紫の魔力に包まれた鋭い槍を出射させる。
「調子に乗るな。スコタデ」
「貫け!!」
ガイムは左手から黒い霧を放出させ、既の所で槍を受け止めた。しかし、その巨幹は回転力を高め、その濃度の濃い黒霧を貫かんと勢いを増していく。
「ぐおおおおっ」
紫の魔力が強烈に回転しエネルギーの激流を作る。ガイムの体は、その摩擦により表皮が抉られていく。しかし、魔人は腹底から雄叫びを上げると、押し返すように両手を前に伸ばした。すると黒い濃霧は勢いを増し、大樹の槍を覆い尽くしていく。
「はぁっ!」
「何!?」
ガイムの発声と共に、大樹の槍は紫の光の粒を撒き散らして崩れ去った。エリックは、驚愕の声を上げる。
「俺様を傷付けやがって、虫けらが!」
「ちっ!大樹の盾」
傷だらけのガイムは、紅い瞳を光らせ眉間に深い皺を寄せる。そして、一足飛びでエリックに接近し鋭い爪で襲い掛かった。
エリックは咄嗟に真木の盾を出して受ける。大樹の盾を小型化して、密度を高めた形状に精製した盾は、ガイムの一撃を受け切る。
だが、地力で勝るガイムの圧力にエリックの身体は後方へと吹き飛ばされる。更に追撃しようと、ガイムは飛び出し再び右手に棍棒を発現させ襲いかかった。
「ちっ、もう一度!大樹の槍!!…………ぐっ」
エリックは素早く立ち上がり、すぐに魔法を放とうとした……が、意識が薄れ、鼻と耳の穴から血液が垂れた。短時間での大量の魔力の消費により体が耐え切れなくなってきたのだ。
魔法の発動は途中で止まり、エリックは片膝をついた。
「死ね!」
ガイムは無慈悲な一撃を喰らわす為、棍棒を振り翳した。
「風の鉤爪!!」
が、その時青い魔人に襲い掛かる影が、上空から物凄い速度で接近してきた。青と緑の髪をした魔導士は、翠緑の鉤爪狀に視覚化された烈風をガイムの頭上に向け複数飛ばす。
「!?……くそっ」
ガイムは、鋭い風刃を避ける為一気に後方へ跳ねた。風はそのまま地面を抉り、土埃を周囲へ漂わせる。
「団長……あとは俺が」
「ジャスか!……すまない、俺は魂体を回復させる。それまで頼む」
ジャスは魔法の箒で、ヴァールを追ってきたのだ。彼は魔法の箒を瞬時に消すと、魔人とエリックの間に降り立った。エリックは森の恩恵の魔法を解き、歯痒い面持ちで若き天才魔導士の背中を見つめた。
「私達も援護する!」
「いや、俺だけでやる。団長を守っていてくれ。……旋風の剣」
後方で回復に専念していた2人の魔導士も復活して、エリック達の元へ駆け寄った。しかし、ジャスは援護を断ると、風を纏う剣を精製し右手に構えた。彼は眼前の魔人相手では、誰かを守りながら闘う余裕は無いと判断したのだ。
「ふんっ、まとめて葬り去ってやる」
「お前達の野望はここまでだ!」
接近してきたガイムは、ジャスが旋風の剣を出したのと同時に棍棒を振り下ろしてきた。ジャスは一気に身体を翠緑に光らせ、棍棒を剣で受ける。鍔迫り合いしながら、魔人と睨み合う。
拮抗した力のぶつかり合いで、周囲の地面は抉れた。ガイムは、自らの力を正面から押し返された事に驚いたが、すぐに妖しい笑みを浮かべた。
「ほう……やるな。だが、俺はまだ本気じゃないぞ」
「くそっ」
ガイムが濃藍の光に身を包むと、その太腕は更に筋量を増した。ジャスは、一気に上昇した圧力に耐えきれず、棍棒を受け流して宙へ舞った。そして、身体をそのまま翻しガイムの頭上から素早く攻撃を仕掛ける。
「はぁ!」
「ぐっ」
ガイムは速度に対応できず、ジャスの攻撃を左腕で受けた。だが、切り傷は浅く腕を切断するに至らなかった。ジャズは空中を舞いながら連撃を繰り返す。
ガイムの身体中に切り傷が増え、藍の血痕が地面に散る。が、青の魔人の動きを止める程の一撃には至らない。
「くそっ、煩わしい!……スコタデ」
「!?」
ガイムは一度、棍棒を大きく振った後、左手から黒い霧を放出させた。ジャスは、危険を感じて後方へと距離を取った。そして、魔法で強力な気流を作り出すと、黒い濃霧を吹き飛ばした。
「はぁ!」
ジャスは、再びガイムに接近し鋭く剣を振るう。すると、その青い巨躯はいとも簡単に右肩から斜めに切断された。だが、彼は何故か手応えを感じなかった。
「……じゃあな、あばよ」
目の前の魔人は微動だにせずその赤い瞳を細め、ニタリと嗤った。そして、蜃気楼のように揺らめくと眼前からその巨躯は消え去った。
「くそ……やられた!」
「な、どうしたんだ?」
エリックは、急に動きを止めたジャスに後方から声を掛けた。急に消え去った魔人の前で、ジャスは悔しそうな表情を浮かべ、疾風の剣を右手から消した。
「閉じ込められたか……」
「どういう事だ?……ん、ジル達は何処に消えた?」
「団長、消えたのは俺達2人の方だ。ここは、亜空間だ。ちっ……いつの間に飛ばされてたんだ?」
ジャスがそう呟くと、エリックは周囲を見渡した。森の景色に変化は無いが、エリックは違和感を感じた。実際には、この場所には物体が存在していない……そんな薄気味悪さを直感で感じた。
今、自分が立っているのか、宙に浮いているのかさえも分からない感覚……空と地面は視認出来るが、重力は感じない。エリックは、そんな感覚に陥った。
「何なんだ、ここは……」
「恐らく、もう1人の魔人……ヴァールの仕業だろう。因果律を歪め、俺達の存在自体を別の空間へ消し去ったんだ」
「……因果律?」
「ああ、俺達が元々存在しなかった事にすれば……あの場所で魔人に立ち向かえる者は消える」
ジャスはそう言いながら、現実の世界で起こっている事を想像した。残された団員達の記憶からは、自分達の存在は消え、2人だけで眼前の敵わない敵に立ち向かっているのだろう。そして……恐らく、既にもう。
「そんな能力があるのか?とにかく、俺達別空間に閉じ込められているという事か……」
「ああ。くそっ、戦闘中に……魔法をかけられたのか?なんて奴らだ」
「元の世界に戻れないのか?」
「難しいだろう……」
ジャスは目を閉じ、溜息を吐いた。エリックは何とか藻掻こうと歩き出してみたが、地面を踏みしめる感覚はない。同じ地点から風景は変わらない。
彼の目には森の風景は有機的には見える。だが、体感は無機質な感覚だ。風もなく、気温もない。肌には空気の感触すら感じない。ただ不気味な空間に浮遊している。
「くそーーー!」
エリックは、行き場のない怒りを発散するかのように叫ぶ事しか出来なかった。
_____その頃、2人の魔人は破壊した結界の奥へと安々と入り込んでいた。
ガイムは、洞窟入り口の厳重な柵を片手で引き千切ると宙に投げた。洞穴の入り口は湿っていて苔が所々生えている。ガイムの身丈と同程度の大きさの穴の奥へと、2人の魔人は足を踏み入れた。
「ふん……お前の力が無くとも、あの2人程度あと少しで殺せたぞ」
「もう時間が無いからな、手っ取り早く消させてもらった。それに、ああいう輩は死ぬ間際ほどしつこいもんじゃ」
「まぁ、確かに面倒そうではあったな。後は雑魚だったがな」
魔人達の背後には、紫の魔導士団員2人の屍体が地面に倒れていた……。奮闘も虚しく2人は散った。彼等は敵わぬ相手と知りながらも最後まで立ち向かった。
「急ぐぞ、ここからが本番じゃ」
「ああ。早く離れとかないと、あれに巻き込まれるしな」
「そうじゃ、せいぜい派手に暴れてもらわんとな」
先導するヴァールは、松明代わりの炎を魔法で眼前に浮かせながら、醜悪な笑みを浮かべた。
事態は更に深刻な方向へと舵を切る。魔人達が洞窟の奥深くまで侵入した頃、封印が解かれたダマスク地区の洞窟入口に近付く轟音があった。
数千の数に及ぶ魔物の群れの足音。
ただ凶暴な本能に満ちた動作は、一糸乱れぬ軍隊の行進とは程遠い。ただ、己の欲望を満たさんと目的の場所まで、押し合うように洞穴を進む。
数匹の魔物がダマスク地区の洞穴から出現すると、その後続からパラパラと魔物が姿を現していく。そして、ある時点から堰を切ったように無数の魔物が、飛び出してきた。
その魔物達は、激流のように目的の場所を目指す。南西の方角へと数千のオークの群れが、不気味な叫声を上げながら進んでいく。
その魔物の大軍はセレネ国を縦断し、大地に轟音を響かせる……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【セレネ城・軍議の間】
その頃、セレネ城では慌ただしく戦の準備が進められていた。軍議の間では、月の女神の兵士の軍団長とセイントが円卓を挟み軍議を行っていた。
その最中、紅鷲色の髪をした長身の男が、部屋に姿を現した。そして、セイントに近付いていく。
「とうとう始まったか……」
「ああ」
現れた風の王シェラの表情を見て現状が芳しくないのを悟ったセイントは、険しく顔を顰めた。
シェラは、アーガイル地区を飛び去った後、セレネ城にも作戦開始を知らせる為に訪れたのだ。彼は移動中も、黄金の目でダマスク地区の動向を視ていた。そこで何が起こったか、彼は既に把握していた。
「ダマスクの封印は解かれ、既に魔人2体が洞窟内に侵入した。そして、数千のオークの大軍がここに向かってきている」
「そうか、破られたか。……くっ、想定より動きが早いな」
セイントも予測はしていたが、想定以上に事態は悪化していた。その事実に驚嘆し、顔を歪めて円卓を叩いた。
「私は、魔物の群れを迎え撃つ。あとは、皆を信じ任せる他ない」
「ああ、状況は逐一伝えよう」
「頼むぞ。月の女神の兵士よ、出撃の準備を急げ!」
「承知しました」
セイントは覚悟を決めたように頷くと、軍議の卓の対面に立つ軍団長へ命令した。月の紋章が輝く鎧を身に纏う男は、軍議の間を後にして、城下で待機する万の軍勢の元へ歩き出した。
______再び、場面はエリックとジャスが閉じ込められた亜空間に戻る。彼等は、脱出する事が出来ない無力感に、苛立ちを募らせていた。
「はぁ……今頃、どうなってるんだろうな」
「魔人達は、既に洞穴の奥まで入り込んでるだろう」
「何が、奴等の狙いなんだ?」
「魔竜だ……」
エリックの問いに、ジャスは淡々と答えた。どうにも出来ない苛立ちを抑えるように、無感情な口調で呟く。
「何故、魔竜を狙う?あれは、セレネ国にとって災いを齎す存在だろう。利用して、国家を滅ぼすつもりか?」
「違う。……だが詳しくは話せない」
「お前は、何か知ってるんだな?」
「そうだ」
ジャスは、エリックに秘密を明かしてもいいと考えた。だが、自らにかけられた沈黙の契約のせいで話せなかった。
そう……ジャスの正体は、管理者の一員なのだ。そして、魔竜の秘密も彼は知っている。魔人が何故それを狙っているのかも推測出来ているのだ。
(魔竜を、今失うわけには……)
ジャスが悔しそうに拳を握りしめた瞬間……彼の眼前の景色が、硝子が割れるように崩れ落ちていった。
……そして、その崩れ落ちた先の風景には光の道が続いている。ジャスは目を見開いて、瞬時に何が起きたかを把握した。
「な、何が起きたんだ?」
「亜空間が外側から破られたようだ。……助かりました」
エリックとジャスは驚愕し、光の道の方へと視線を移す。そこには、1人の男の姿があった。
「ジャス、共に行きましょう。運命を見極める時が来ましたよ」
右手を差し出した男は、運命を司る魔導士ノアだ。彼はクリーム色の髪を揺らし、柔和な笑みを浮かべていた。




