地球編20 必要な力②
私が目を覚ますと、薄暗い部屋だった。天井に吊り下げられた裸電球のフィラメントが、橙に発光し微かに揺れている。その心許無い光は、罅割れたコンクリートの壁を薄暗く照らす。
「ん?ここ……何処?」
「お、目を覚ましたか?」
横を向くと、ケヴィンがいた。彼は瞳を大きく開いた後、安堵した表情を浮かべて私を見た。彼は、その大きな図体に似つかわしく無い、小さな木製の丸椅子に腰掛けている。
「また拠点の移動したんだよ。あの場所、良かったんだけどな」
「あ……あの後、どうなったの?」
「シャゴムットが来て、俺達を襲った連中は制圧出来た。で……あの家は後にして、この黴臭いビルに移動してきたんだよ」
「そう?シャゴムットが……。あれ、そう言えば……私、キリルに……」
私は腹部を深く刺された後、キリルが私に手を翳してきたのを思い出した。何かが体内に流れ込んできて、身体全体が熱くなった。
あれが……キリルの魔力?私を包んだ淡い藍の光。
柔らかな温もりの中で苦悶を抱え込むような、至純な白が漆黒の闇に侵食されるような……そんな感覚だった。慟哭が耳を劈くかと思う程の哀しみの渦。心が分裂するかと思ったわ。
「あれは不思議な光景だった。藍色の光が消えると、すぐにお前の出血は収まって、顔色も良くなった。……で、シャゴムットが連れてきた男が、元軍医だったらしくてな。お前は、あの場で傷の縫合手術を受けたんだ」
「そう……傷は、ちゃんと処置して貰えたのね」
「おい、まだ動くな。まだ1日しか経過してない。傷口が開くぞ」
私は、肩肘を立て少し上体を上げると、お腹に巻かれた包帯を確認した。ケヴィンは、制止するように言葉を投げた。確かに傷口が疼くわね。
「起きたか?」
その時、ドアが開いて蝶板が軋む音がした。同時に、シャゴムットが入室してきた。相変わらず、頭から足先まで黒に包まれている。胸元に、シャツの白絹だけが浮かび上がって見える。彼は、壁に立て掛けられたパイプ椅子をベッドの近くに寄せると、展開して腰を下ろした。
「無事で何よりだ。安心した」
「ええ、私も死ぬかと思ったわよ。にしても……襲撃した奴ら、何だったの?動きが普通の人間じゃなかった」
「あれは闘士だ。特別な修行を受け、身体能力を強化された存在だ」
「あんたみたいに魔法を使える奴に加えて、あんな化け物みたいな動きする奴までいるのね?」
私は対峙した男の動きを思い出した。人間とは思えなかった。だって、銃弾を避けるのよ?それにあの力と素早さ……人の動きの限界を超えてる。
「あのよ、あんなのに襲撃されちゃ……いくら戦闘経験豊富な俺達でも、守りきれないぜ」
「ああ、すまんな。まさか……こんなに早く潜伏先が見付けられるとは、私も計算外だった」
「今回は、たまたまお前等が奴等を追跡してたから、間に合ったが……次は厳しいぞ」
「だろうな。……そこで、お前達に相談だ」
ケヴィンが、シャゴムットに不服を唱えると彼は素直に謝った。そして頭を上げると、真剣な瞳を向け、私達2人を交互に見る。
「お前達も、力を得ないか?特に、アリサ……お前はキリルの魔力が流れ込んだ事で、お前に秘められていた魂体が目覚めたようだ」
「魂体?……何それ」
「元々、人間の中にも魔力を使える素質がある人間がたまにいる。そういう素質を持つ者を、“魂体の質が高い”と表現するのだ」
「はぁ……よく分からないけど、あれは何だったのよ?」
魂体ね……シャゴムットの話は、いつも理解の範疇を超えてくる。ファンタジー映画みたいな台詞には慣れたわ。にしても、私の身体に何が起こったのかしら?
「私も魔力を相手に分ける……なんて能力は初めて見た。だが、そのお陰でお前の魂体は活性化し、生命力が上昇したようだな」
「……私は、キリルに助けられたの?」
「かもしれん。元軍医のカツァルドが、お前の手術を行った。彼が言うには……通常なら出血性ショックで心肺停止してもいい程の出血量だったが、お前にその兆候は見られなかったらしい」
「不思議よね。私もあの時死は覚悟したわ。あ……その、カツァルドって人にもお礼言わなきゃね」
あの時、体からは力が抜けて、悪寒を感じた。ゆっくりと私の生命が失われていく感覚があった。けれど、キリルの魔力が流れ込むと体が楽になった気がする。……何にせよ、命拾い出来て良かったわ。
「ああ、後で紹介しよう。……それでだ、お前達も訓練を受けてみないか?」
「って、どんな訓練だよ」
「魔力を扱う素質があれば……襲撃した奴らと同等の動きが出来る可能性はある。その能力を引き出す訓練だ」
「ふーん。でも……アリサには素質があるって言ってたけどよ。俺にもあるのか?」
シャゴムットの提案に、ケヴィンが質問を投げた。ま、胡散臭い話から察すると、普通の訓練ではないんでしょうね。
「あまり無いだろう。だが、全く無いわけではない。魔力を操作し、運動シナプスを刺激する訓練をすれば身体能力強化は可能だろう。ただし、肉体への負荷はかなりある」
「そりゃ……どんな訓練するんだ?」
「魔力は想像力が肝心だ。集中力を高め、具現化したい力のイメージを強く抱く……その訓練を繰り返してもらう」
「お前が教えてくれるのか?」
ケヴィンは溜息を吐きながらも、興味深げに尋ねた。まぁ、やるやらないは別にして、面白そうな内容ではあるわよね。
「当面、カツァルドをお前達に同行させる。彼に強化を担当してもらう。厳しい訓練になるが、短期間でそれなりにはなるだろう」
「俺は、まだ了承はしてないぜ」
「……私は、その訓練受ける事にするわ」
「はぁ……アリサ、本気かよ」
私は即決した。自分で驚くほど早く決断出来た。胡散臭い内容だけど、元々強くなりたいって動機で傭兵になったし……キリルの事は放っておけない。彼の側にいる選択をする場合、もっと私が強くならなきゃ、今度は本当に死ぬかもしれない。
隣でケヴィンは、頭を抱えた。まぁ彼は訓練が好きそうな性格ではないし、怪しい内容だから無理もないわ。
「ったく、仕方ないな。俺も受けるか。だが、しんどかったら、途中で止めるぞ。俺ももう41だし、身体に無理は利かねえ」
「……ああ、構わん。では、カツァルドを呼んでこよう」
ケヴィンは天井を仰いで、諦めたように了承した。彼の答えを聞いて、シャゴムットは立ち上がり部屋を後にしようとした。
「あ、シャゴムット……ちょっと待って」
「何だ?」
「キリルの魔力が、私の体内に流れ込むのと同時に、彼の感情に触れた気がするの。……彼は、絶望的な哀しみを抱いていたわ」
「そうか。……そうかもしれんな」
呼び止めると、シャゴムットは立ち止まり私を見下ろした。そしてキリルの話をすると、大きな溜息を吐いて頷いた。……あの感情を知った私としては、放っておけない。
「キリルを、解放してあげられないの?彼には傷を癒やす時間が必要だわ」
「……私も、彼が哀れだと思う気持ちはある。だが、代用が可能な存在がいない」
「彼の……共振の能力の事?」
「ああ、あれは私にとって……最後の切り札だ。何を犠牲にしたとしても、成さねばならん」
シャゴムットは、私の瞳を見据えて強い口調で言葉を放った。黒いストローハットの影の中で、鷲色の瞳が鋭く光る。珍しく感情的な様子で、眉間に皺を寄せた。どうしてもやらなきゃいけない理由がありそうね。
「それは……エラドを倒すって話?」
「そうだ。組織の奴等に証明しなくてはならない。別の方法で倒せる可能性をな」
「確か……その組織は、エラドを地球に引き付けてから魔力で倒そうとしてるんだっけ」
「ああ、そのせいで長年苦しんでいる存在もいるのだ。私が証明すれば、奴らも方針を変えるだろう」
……何か、込み入った事情もありそうね。とにかく、キリルの共振の力でエラドを倒せる可能性を提示したいのが、シャゴムットの狙いのようね。
「あの子にも、意思は確認すべきよ」
「……そうだな。お前には懐いてるから、お前が聞いてくれ。本心を話すかもしれん」
「いいわ。分かった」
何でも押し付けられるのは癪だけど、シャゴムットはそういうのは苦手そうだし、任せてても答えは出なさそうだわ。仕方ない。
「だがな……キリルは既にエラドの意志に反応している。もう、運命の定めからは逃れられんぞ」
「彼の本心がどうであれって事?」
「ああ……どうにもならない。だが、私もキリルと一緒に、地獄に落ちてやる。彼を1人にするつもりはない」
シャゴムットは、覚悟を決めているようね。彼の放つ言葉には、悲壮な決意が満ちていた。その決意が込められた言葉に反論出来ず、彼が部屋を出ていく姿を眺めることしか出来なかった。
私は悟った。シャゴムットもキリルも救われるべき人だという事を。彼等を支配してるのは、悪意ではない。
あのエラドという存在が、彼等の運命を支配してる。それに縛られて、心が闇で塗り潰されているだけ。
私の力じゃ、救えないかもしれない。でも、僅かな可能性に賭けて……2人の側にいたい。私……男の好みが悪趣味なのか、お人好しの馬鹿なのかしら。けど、私の人生に、やっと明確な目的が見付かった気がするわ。
私も強くならなきゃね……。彼等が間違っていようとも、その信念だけは信じられるから。




