地球編20 必要な力①
※アリサ視点です!
ロシアの傭兵です。第一章 地球編9以来の登場です。
私とケヴィンは、シャゴムットに指定された空き家に荷物を搬入している所よ。もう拠点の変更は3度目になる。元軍用らしき中古トラックで、ロシア国内を移動し続けてる。
私達は、ジョージアとの国境に近い南西の山間の街まで来た。前回から最低限の荷物しか持ってこないように決めた。荷解きしたと思ったら、また移動だもの。やってられないわ。
「なぁ、アリサ。俺のバッグ知らないか?」
「……あの木箱の中に入れてなかった?」
「あ!そういや、そうだな。慌てて詰め込んだから、荷物が何処にあるかも覚えてないぜ。あいつ、急に拠点変えるって言い出しやがって……」
「ほんとよ。前いた組織の連中に追われてんでしょ?私達も、変なのに巻き込まれたわね」
あの少年……キリルの封印が解かれた後、シャゴムットは私達にキリルの世話係を押し付けてきた。傭兵の仕事じゃないって断ろうとしたけど、高額の報酬に目が眩んじゃったわ。
キリルは定期的に発狂する。シャゴムットが言うには、エラドの“悪しき意志”と共振を繰り返していて、深くなる周期が定期的に来るから……って話よ。
ま、その辺はよく理解できないけど……彼が発狂する様子を見てると、居た堪れなくなる。何かを酷く憎むように顔を顰め、目付きは鋭く変化する。悪魔のような表情で、叫び、暴れ出す。
彼の首には金属製のチョーカーが着けられていて、それには魔鉱石が埋め込まれている。彼の共振に反応し魔鉱石は藍色の光を放つ。暫くのたうち回るように発狂を続けるけど、次第にキリルは落ち着きを取り戻していく。
そして……症状が収まると、キリルは疲れ果てたように無表情になり、床に倒れ込む。それが、毎日一回は起こる。見てるだけで疲れるわ。
「おい、そろそろ……薬の時間だろ?」
「あ、そうね。キリル、起きて」
私は、部屋のソファで眠るキリルを揺さぶった。すると彼は、肩まで伸びた漆黒の髪を揺らし、ゆっくりとその扁桃色の瞳を開いた。まだあどけなさも残る表情で、私をぼんやり見つめる。
まだ14歳らしいし、体の線も細い。中性的な顔立ちをしてるから、男の子と言われないとどちらか分からない。
「ほら、薬を飲んで」
「あ……うん」
キリルは、私が差し出した錠剤を水筒の水と一緒に一粒飲み込んだ。錠剤は、シャゴムットから渡された怪しい薬だ。何でも、魔力の放出を抑える薬らしい。それが垂れ流しになってると、追手に発見されやすくなるっていう話よ。
まぁ、私達には魔力って何なのかさえよく分からないけどね。でも報酬貰ってるし、言われた仕事はこなすだけよ。
「ね、あんたの荷物はこれ。あっちの部屋使っていいから、後は自分で荷解きして」
「うん。分かった」
キリルは私の指示に微かな微笑みを見せて頷くと、自分の部屋に荷物を運び込んだ。
最近キリルは、穏やかで柔らかい笑顔を見せてくれるようになった。無口で何考えてるか分かんないけど、何処か儚げで……何となくほっとけない感じがするわ。
「ま、あいつも俺達に慣れてきたみたいだな。最初は全てを忌み嫌うような目をしてたが、最近は笑顔も出てきた」
「そうね。人形みたいに、無感情だったものね……」
シャゴムットに、キリルの過去は聞いた。何でも、前の組織で暴発した時に父親を殺してしまったらしい。それだけでも暗い影を落とすには、十分な過去。それに加えて……彼が捕らえられていた収容施設では、施設の責任者に性暴力を受けていた。
少年の心を砕けさせるには十分な出来事だわ。余りにも酷い人生よね。……少し微笑むことが出来るだけでも、十分よ。
「あの子……生きてて辛くないのかしら?」
「ま、今も結局シャゴムットの道具みたいなもんだしな」
「そうね。キリルが、心の内でどう思ってるのか……分からないわよね」
「そこまで踏み込むと、大変だぜ」
私は、荷解きの手を止めてケヴィンに話し掛けた。すると、彼は段ボールを床に置き、胸ポケットから葉巻きを取り出した。
「それは分かってるけど……十分辛い生き方してるでしょ?普通の幸せもまだ選べる年齢だから」
「まぁな。自ら望むのと、無理矢理させられるのじゃ……大分違うしな」
ケヴィンはそう言いながら……葉巻の煙を吸い込み、開いた窓の外へと吐いた。散開した白煙が陽に照らされ、宙を揺蕩う。
……私も性暴力にあった経験はある。心は傷つき、苦しんだ。けど、その後は自らの意志で傭兵として生きてる。普通の幸せとはいかないけど、別に自分で決めたことだから、不満はないわ。
「……踏み込みすぎるな。あいつの力は、俺達普通の人間が踏み込んでいい領域じゃないぜ」
「そうね。人知を超えた力を持ってるのは事実だものね」
ケヴィンは窓の外を眺めながら呟いた。彼の言う通り、私達がどうにか出来る範疇を超えた存在……同情なんて、しても無駄なのかもしれない。でも、キリルの笑顔には寂しさを感じてしまうのよね。
______次の日、シャゴムットからメールが来ていた。今日ここに来る予定だって文面だった。
彼も何してるんだか分からないけど、忙しそうだわ。何か怪しげな計画があるようで、叔父のザハールと世界を飛び回ってる。
私とケヴィンとキリルは、食卓を囲んでるとこよ。朝食にお粥を作った。懐かしい味だから、たまに食べたくなるのよね。朝の穏やかな陽射しが心地良い。私達は、黒海に近い都市まで移動してきた。ここまで来ると、過ごしやすい気候になるわね。
「ここは、寝心地は悪くないな」
「そうね。前の場所は最低だったものね」
「ああ、ありゃ掘っ立て小屋だ。ここなら、長期滞在しても良さそうだぜ」
「そうね、もう下手に動きたくないわ」
私達も金銭を貰ってるとはいえ、引っ越しにはウンザリしてる。寝床は、落ち着ける場所が一番よ。バターの香りがテーブル上を漂っている。こうやって、朝食はゆっくり食べたいわ。隣でキリルも黙ってお粥を食べている。
「どう、ロシアの料理は?」
「……うん、美味しい」
「そう?良かったわ。そういえば……あんた、どこの国が出身なの?」
「……アメリカ」
「お、じゃあ俺と同じだな。だから英語を話すのか?」
私普段はロシア語を話すんたけど、英語も日常会話程度なら話せる。傭兵やってると、やっぱり英語も必要なのよね。キリルと話す時は英語で話し掛けるようにしている。
「あんたも大変ね。知らない土地で逃避行させられてるんだもん」
「……うん。でも、自由だ」
「そうだな。3年も閉じ込められてたんじゃな。こんな田舎の街でも、外の風は気分が良いだろうな」
キリルは、ケヴィンの言葉に薄っすらと笑みを浮かべて頷いた。確かに、あんな地下の閉鎖的な空間に3年も監禁されるなんて……気が狂いそうだわ。
「美味かったぜ。ちょっと俺には足りなかったけどな。昼は肉でも食べたいもんだ」
ケヴィンはそう言いながら、食べ終わった皿を持ってキッチンへ向かった。そして少し窓を開けると、葉巻を取り出した。
「あんたは食べ過ぎよ。いい歳なんだし、ダイエットでもしたら?」
「うるせぇな。こんな生活……旨いもん食うくらいしか楽しみがねぇだろ」
「……ま、それは言えてるわ。キリル、何か食べたい物あったら言いなさいよ。あんたは、細いんだからもっと食べなきゃ」
「食べたい物……?」
私はケヴィンの返答に苦笑いすると、キリルに話し掛けた。彼は育ち盛りの年齢なのに、少食だ。キリルは私の言葉を聞いて、不思議そうな表情を浮かべた。
「そうよ。あんた……あれしたいとか、これしたいとか無いの?」
「分からない。……考えた事ない」
「ふーん。あんたも色々あるんだろうけど、自分がやりたい事やってもいいのよ」
「……やりたい事か」
キリルは興味深げに私に目を向けた後、何か考え込むように目線を落とし、テーブルの1点をぼんやり見つめた。
「……ん?おい、周囲に怪しげな気配がするぞ」
「え!もう追手がここまで来たの?」
ケヴィンは葉巻をしまうと、窓際の壁に身を隠し、銃を取り出した。私は、キリルに背を屈めるよう指示して棚の上のライフルを手に取ると、玄関横の小窓から外の様子を確認した。
玄関の周囲には、手入れされてない枯れ草が風に揺れ、黄金色に反射している。色彩を無くした落葉樹が枝葉を露わにして、寂れた雰囲気を際立たせる。
その中に、獲物を狙う肉食獣のように身を屈めている影を見つけた。
私の視線に気付くと、急に草叢からその人影が飛び出してきた。鋭い動きでこちらへ向かって突撃してきくる。茶を基調とした砂漠用の迷彩の戦闘服に身を包み、両手にはアーミーナイフを持っている。
「ちょっと、こっちから1人来るわよ!!くそっ、撃ち殺してやる」
「こっちからも1人だ。そっちは任せたぞ」
私はM4A1を構えて、向かってくる男に照準を合わせた。この距離なら一撃ね。ナイフだけで向かってくる度胸だけは買ってあげるわ。
「じゃ、さよなら」
私はそう呟くと、引き金を引いた。その瞬間……男の頭は、弾け飛ぶはずだった。この距離で、狙いを外したことなんてない。
けれどその男は、人とは思えない速度で反応し、弾丸をナイフで弾いた。同時に赤い靄が男の身体を包んでいく。目標を外した鉛の跳弾音が、私の耳に届いた時……もう既に家まであと数歩の距離まで、男は近付いていた。
「嘘?……食らえ!!」
私は慌てて引き金を引き、弾丸を発射したが……男の姿は一瞬で消えた。気付いた時には、玄関の扉が吹き飛ばされて埃が舞っていた。
細かな木片が宙に舞う間から、男の右手に掴まれたナイフが迫ってくる。横に一閃、鋭い刃が私の眼前を走ったが、既の所で後ろに飛んで避けた。
「があっ!」
「アリサ!!」
しかし腹部に強い痛みと熱を感じ、呻き声を上げた。私は、2撃目の存在に気付いていなかった。知らぬ間に、私の腹部にはナイフが突き立てられている。
ケヴィンの呼び声が耳に届いた瞬間……首筋に迫ってくるもう一つのナイフを、私は視界に捉えた。鋭い刃の尖端は、冷たい煌めきを見せる。
(あ、……死ぬ)
私は、ナイフが首に突き立てられ、動脈から大量の血液が吹き出す様子を頭に浮かべた。
その時だった。藍色の光が私の瞳孔を刺激した瞬間……眼の前の男は外まで吹き飛んだ。私は呆気にとられ、大きく穴が空いた玄関の壁にぶら下がる木片を呆然と眺めた。
何が起きたのか、頭の処理が間に合わない。私ははっとして首筋に手をやったが、ナイフによる切り傷はない。腹部からは血が溢れ出してるけど、即死は免れたようね。
「え……あんたがやったの?」
背後を振り返ると、キリルが右手を私の方へ向けて伸ばしていた。彼の身体は藍色の靄に包まれ、シャツの下からは翠緑の煌めきが透けて見えている。キリルは、無言のまま私に一瞬目をやると、すぐにケヴィンの方へ向かった。
「あと、1人……」
「おい、ちょっと待て」
キリルは、ケヴィンの制止を無視して窓から外に飛び出した。その瞬間、キッチンの壁が爆破されたかの様に吹き飛んだ。ケヴィンの巨体もその衝撃波によって、私の近くまで転がってきた。
外からは、金属がぶつかる音や破裂するような衝撃音が、何度も続いている。
「アリサ!……くそ、出血が酷いな。とりあえず止血するぞ」
「う……キリルは……」
「分からんが、お前の命が先決だ。じっとしてろ」
吹き飛ばされたケヴィンは、すぐに立ち上がり私に近付いてきた。怪我の状況を確認すると応急処置の道具が入った箱を取りに行った。……確かに、マズイかもね。このままじゃ、私、失血死するかも。
「強めに抑えるぞ」
「うぐ……」
「くそ……早く、病院に連れて行かないと。この街にも確かあったな」
ケヴィンは、腹部に分厚いガーゼを当てた。鈍い痛みに襲われ、身体からは悪寒を感じ、力が抜けていく。ケヴィンは焦った様子で、胸ポケットから携帯を取り出した。
「大丈夫?」
その時、キリルが部屋に戻ってきた。左手から血が滴り落ち、白いシャツには返り血の斑点が見える。
「お前……」
「外は大丈夫……。シャゴムット達が来てる。襲撃してきた人達を、追ってきたみたいだよ」
「そうなのか?……それより、早く病院に連れて行かないと。トラックまで運ぶの手伝え!」
「……アリサ、死なないで。僕が魔力を分けてあげるから」
ケヴィンは、返り血を浴びたキリルの姿に目を見開いた。しかし、すぐに彼は冷静を取り戻すとキリルに私の身体の足側を持つように、指示した。
しかし、キリルはそれを無視して、無表情のまま私の目の前に立った。そして、右手を私の身体に向けて翳した。彼の胸から、再び翡翠の光が放たれたかと思うと、私の身体は一気に熱くなった。淡い藍色の光がこの身を包んでいる。
「何……これ」
私は、何か人外の力が体内に流れ込んでくる事を悟った。けれど、それに抵抗する力もなく……心地良さも感じさせる熱に、全てを委ねた。
私は意識が薄れる中、キリルが微笑んだのを目にした。それは、残酷なまでに無垢な笑顔だった。笑顔で虫の羽を毟るような、足元の蟻を踏み潰すような……そんな種類の無垢さ。
(キリルはもう世界に絶望し、拒絶してるのかも……)
私は気付いてしまった……。体内に流れ込んでくる彼の魔力には、ドス黒い感情が混ざっている。同時に、心を引き裂くような哀しみの豪雨が、私の胸に降り注ぐ。
こんな気持ちに、あんたは耐えてたの?
救われたいと願う心さえ、棄ててしまったの?
……太陽の光は、あんたにも降り注いでるのに。




