地球編19 キリルとミシェル
俺はミレナに促されて、壁際に設置してある四角い金属製の箱に腰掛けた。ベンチ状になっていて、ミレナと2人横並びで座るのに丁度いい。
魔力の蔵を収納した空間はずっと上の方まで続く。内蔵された煙状の魔力からは、翡翠色の光が発せられ……灰色の壁には、反射して濃緑と化した影が漂っている。
円柱状にぽっかりと空いた大空間が、そのまま研究所になってるようだ。その壁に沿うように螺旋状の廊下が緩やかに伸びている。研究者らしき人達数名が、壁に据付けられた操作卓の前で何か作業している。
「ダリアの子は、ミシェルっていうの。今9歳になるわ。私にも懐いてくれてて、可愛いのよ」
「……思ったより、大っきいね!」
「まぁ、ダリアが19歳の頃産んだ子だからね」
「そんなに早く結婚してたんだ?」
ダリアって普段はスーツが似合うビジネスウーマンって印象だから、9歳になる子供がいると聞いてとても驚いた。若いお母さんだったんだな。
「そう、2人の母親よ。と言っても、1人は夫の連れ子だけど。……ミシェルとは腹違いの兄妹になるわね。3年前、その男の子が賢者候補者だったの」
「え!そうなんだ!?でも、だった……って、今は違うの?」
「その少年……キリルは今、行方不明よ」
「行方不明って、何で?」
「私達は、キリルの行方を必死で追ってるわ。先月彼を捕らえていた施設が破壊されて、何処かに潜伏してるの」
「ん、どういう事?捕らえてた……?」
俺は話の展開に頭がついていってない。つまり……ダリアの義理の息子が、行方不明の少年って事か。彼女は息子については何も語らなかったけど、何でだろ?
アストロさんとマットが話してた時に、行方不明の少年については少し話してた気がする。
「キリルは、当時11歳だった。賢者候補になって暫くしてから、ある能力に目覚めて……暴発してしまったの」
「暴発って、何か起こったの?」
「ええ。…………キリルは、実の父親を殺したの。ダリアの夫であり、ミシェルの父親でもあるロベルトをね。彼も……管理者だったわ」
「な……何でそんな事に?」
ミレナは、顔を顰めて悲しそうな口調で話した。俺も衝撃的な話に頭が混乱した。ダリア……いつも明るいのに、そんな過去があったんだ?
「それも色んな事情があるわ。……それじゃ、まず実験の内容について説明しようかしら?」
ミレナは、ゆっくりと話し始めた。
彼女の説明によると、扱える魔力の容量は、産まれながらに決まってるらしい。
魔力の容量の大きい子供を、管理者達は、100年程前から探し続けてきた。けれど、普通の家庭の子供を連れ去るわけにもいかず……孤児や貧しい家庭の子供を金銭と引き換えに、実験体として連れてきた過去もあるらしい。我が子を差し出す管理者も、中にはいたみたいだ。
賢者候補になる為には、試練に合格した後、扱える魔力の容量を増やす手術が行われる。魔力炉っていう魔力増幅装置を、胸に埋め込む手術らしい。
実験の黎明期には、大人の管理者も手術を受けた事例があるらしいけど、全て失敗に終わったみたいだ。魔力炉の適合率は、かなり低く……長い歴史の中で、手術失敗の犠牲者は数知れずいるようだ。
管理者達が研究を重ねてきた中で……『10歳までに賢者候補の試験に合格し、10歳の頃、埋め込み手術を受ける』場合が、最も適合率を上げられるという結論に至った……という話だった。
「キリルも試練を受けた後、10歳の時に手術を受けたわ。彼は術後の経過も順調だった。今までの歴史の中で、最も安定率、同調率も高かったわ」
「なら、どうして暴発なんて……」
「副作用として、ある能力が発現してしまったの。“意志の共振”……っていう能力をね」
「“意志の共振”……何それ?」
手術の副作用なんて、あるんだ……。思った以上に、厳しい内容の話が続いていく。ミレナは、1つ大きく息を吐いた後再び話し始めた。
「強い意志を持つ相手と共振を始めると、その人が抱く意志を増幅させるの。そしてそれを受けて、キリルもその意志に影響されてしまう」
「共振したら、互いに意志が増幅していくって事?」
「そう。キリルの能力の危険性に気付いた私達は……解決策が見つかるまで、この公会堂内の個室に彼を軟禁する事にしたの」
「軟禁か……仕方なかったんだろうけど、なんか可愛そうだね」
「ええ、彼には可愛そうな事をしたわ。家族だけには面会を許してたけどね」
ミレナは思い返すように、天を仰いだ。多分、彼女にも色んな葛藤もあったのかもしれない。
「……だけど、結果的にそれが良くなかったわ。ミシェルが個室の鍵を開けて、キリルを外に連れ出してしまったの。まぁ、当時6歳だったから……まだ彼女も事情がよく分かってなかったのよね」
「やっぱり外に連れ出したらまずかったの?」
「アストロ様が、個室の周囲に外界を遮断する結界を張ってたのよ。でも、唯一出入り口からは行き来が可能だった」
「じゃあ、個室の外に出てしまったから……誰かの意志と共振したって事か」
確かに、6歳の娘だもんな。自分の兄が閉じ込められていたら、出してあげたいって思うのも無理はない。ダリアも悔やんだだろうな。
「その通りよ。キリルが外に出ると、急に何者かの強烈な怒りに共振し始めた。誰と共振したのかは謎のままだけど、その結果彼は暴発した。公会堂の内部は、彼のせいで一部破壊されたわ」
「この中で暴れたのか……」
「そしてキリルは、この魔力の蔵に迫った。理由は分からないけど、明らかにこれを狙ってたわ」
「この蔵を壊そうとしたって事?」
俺は魔力の蔵を見上げた。分厚い金属で囲われていて、そう簡単に壊れるとは思えない。磨硝子の向こうで不気味に蠢く緑の煙は、まるで生きてるかのようだ。
「さぁ、壊そうとしてたのかしら?……でも千年かけて溜めた魔力よ。絶対に守らなきゃいけなかった」
「そうだよね。全部無駄になっちゃうもんね」
「だから……彼の父親であるロベルトが、身を挺して止めたの。……ちょうどあの辺りでね」
「あそこか……」
ミレナは、かなり高い位置にある通路を指差した。5階以上の高さはありそうだ。魔力の蔵に向かって通路は伸びており、壁側と蔵を繋ぐ橋の様な造りになっている。
「ロベルトは、キリルの強烈な魔力に立ち向かい、息子をナイフで刺した」
「え!?」
「魔法じゃ敵う相手じゃないから、身を犠牲にする特攻だったわ。そして2人はもつれ合いながら、あの場所からそこまで落下した」
「そんな、親子で殺し合うなんて……」
「ロベルトは責任感が強い男だったから、せめて自分の手で……と思ったのかもね」
「……悲しい話だね」
ミレナは、俺達が座る場所と同じフロアの、開けた空間を指差した。あんな高い所から落ちたら、普通の人間なら無事ではいられない。この場所で、そんな事が起こったなんて……。
「でも結局、キリルは生き延びた。血塗れの父親の亡骸の前に立ち尽くしてた所に、アストロ様が駆け付けたの。そして、キリルは捕らえられたわ」
「……凄く悲惨な事件だよね。ん?じゃあ、今キリルが行方不明っていうのは……その後の話って事?」
「そう。3年近くは、ロシアのとある施設に厳重に監禁されてたはずよ。でも、何者の手引によってキリルは解放された。その後、行方が分からないの」
「あれ?それって……何か聞いた事あるかも」
俺は少年を捜索してるって話を、アラシから聞いていた。詳しくは分からないけど、ロシアにアラシ達も行ってたって話してた。
「あなたを襲ったシャゴムット……彼が、キリルを施設から解放した可能性が高いわ」
「え…………一体、何のために?」
「キリルの能力が目的かもね。もしかしたら、ここで彼が暴発したのも、シャゴムットが裏で何か工作していたのかも」
「どういうこと?」
シャゴムット?……確か、元々管理者だったって聞いた。彼もこの場所に居たのか……。そのキリルっていう少年と一緒に何を企んでるんだろう?
「……証拠はないけど、状況的に可能性が高い。シャゴムットは、賢者候補を造り出す実験に反対していたし……人体実験なんてするべきじゃないってね」
「……まぁ、それは正しい意見でもあるね」
「そう。彼は間違ってるわけじゃないの」
「だったら、ちゃんと話し合えば……」
俺の言葉に、ミレナは厳しい顔付きになって首を振った。
「簡単じゃないわ。彼にも、引けない理由があるんだと思う」
「……そうなんだ」
ミレナは悲しそうに俯いた。何か、別に深い理由がありそうだ。シャゴムットは、何故組織を裏切ったんだろう?
「それより、ミシェルの話。……ミシェルはね、自分の兄が暴走して父親を殺したのは、自分が部屋から出したせいだって……自分を責めてるの」
「そんな……」
「だから、彼女は自ら賢者候補になる事を選んだ。まだ当時6歳の女の子がよ?」
ミレナは思い出したように、俺を見て話し始めた。自ら希望したんだ?……色々ショックも大きかっただろうし、どんな気持ちで決めたのかな。
「ダリアは、止めなかったの?」
「凄く迷ったみたいよ。死んだカルロスは、この地球を愛してる人だったから。だから、キリルが賢者候補になった事……誇らしくしてた」
「あ、それを見てたから、ミシェルは……」
「そう、父親の意志を継ぎたかったのかもね。結局、ミシェルの意志を尊重する結果になった。まぁ、カルロスの子だもの。あの正義感を受け継いでるのかもね」
地球を愛してる……か。なんか、さっき記憶で見たアルテラの気持ちに似てるのかもしれない。この地球の為に、身を挺するなんて凄い覚悟だ。
「……ミシェルの魔力炉の埋め込み手術は、数カ月後に控えてる」
「これから……なんだ?」
「うん。出来れば、私は中止にしたい。何が起こるか、分からないもの」
「……そう、だよね」
話を聞く限り、ミレナはミシェルを守りたいんだと思う。俺が賢者になる決断をすれば……ミシェルは手術を受けなくて済むかもしれない。多分、彼女が言いたかったのはそういう事だろう。
「俺は……どうすればいいんだろ?」
「私だって、あなたに押し付けるのは気が引ける部分もある。でも、魔力研究所の所長の立場として考えるなら、あなたがなるべきだと判断せざるを得ないわ」
「俺が、なるべき……か。何で?」
「ええ。あなたから感じる魔力は、底知れない。あなたとこうやって正対してると……人造の賢者候補も、やっぱり限界があったんだなって思い知らされるわ。キリルよりも、全然上だもの」
ミレナは、悔しそうに呟いた。そんなに、“金色の輝き”って凄いんだ?……何で、俺なんかが持ってんだろうな。
「自分じゃ、分かんないな」
「まだ、魔力が眠ってる感じだもんね。アストロ様が、その覚醒に協力してくれるし……色々話聞いたらいいわ」
「そっか。まぁ、考えてみるよ……」
「うん、ミシェルとも今度会ってあげて」
ミレナは俺の瞳を真っ直ぐ見たまま、笑顔を見せた。
やらなきゃいけない理由が、どんどん増えていく。外堀は勝手に埋められていく。もうこの運命の渦流からは逃れられないのかな……。でも、心の底から湧いてくる気持ちは、その運命を否定してる訳じゃない。
俺が賢者をやる理由……ちゃんとそれを見付けたい。
少しずつ答えの欠片が、集まってきた気がする。答えの形も少し見えてきた。でも、それを受け入れられる自信は……まだない。
もっと、強くなりたいな……。
この運命を、自分の意志で歩ける強さが欲しい。
千年の歴史が詰まった魔力の蔵から放たれる緑の光に、俺は手を伸ばした。




