地球編17 賢者の記憶
「過去の賢者の記憶?……その、エラドと戦ったっていう?」
「ああ。その賢者も、残念ながら……エラドの前に倒れた。しかし、私が“生命の核”となる時、賢者アルテラの記憶は、私に託されたのだ」
ロンは着衣したローブの胸元を開くと、胸にはめ込まれた金色に光る宝石を外した。
「これが、アルテラの記憶が結晶化したものだ」
「え……その賢者の記憶が、宝石になってるの?」
「ああ。これを受け取れば、彼の想いに触れられるだろう」
「でも、ほんとに俺が受け取っていいの?……まだ賢者になるって決めてもないのに」
俺は戸惑いながらロンの顔を見た。宝石から発せられる金色の光は、煌めきを発して、俺達の顔を黄金色に照らしている。
「うむ、構わん。お前は運命に導かれ、私の目の前にいる。……アルテラの意志を伝えるのが私の役目だ」
「ま、とりあえず受け取ってみたらどうだ。……お前の知りたい事、知れそうじゃないか?」
「…………そうだね、分かった」
隣に座るエヴァンも、後押しするように声を掛けてきた。俺は緊張しつつも、覚悟を決めて、ロンから金色の宝石を受けとった。
一度眩く輝いたかと思うと……宝石は、光と共に俺の体内へと吸収されていった。感触はないが奇妙な感覚だ。
身体が一瞬熱くなると……眼前に黄金の光が一気に広がった。その余りの眩さに、俺は瞳を閉じた。
______瞳を開くと、エヴァンとロンが目の前から消えて景色が変わっていた。
俺は、集落に立っていた。周囲には、熱帯雨林に生息してるような、巨大な植物が覆い繁る。茅葺き屋根風の簡素な家が、十数軒並んでいる。赤土の地面には、枯れ葉が風に転がされている。科学的な文化は、まだそれ程発達していない雰囲気だ。
何か鳥のような鳴き声に混じり、言葉は分からないが話し声のようなものも聞こえてくる。
これ……別の誰かの視界を見せられているのか?俺の意思とは関係なく、体が勝手に移動して視点は動いていく。何かの存在に憑依している感覚だ。
集落の中央には、ロンにそっくりな姿をしたリザードマンが沢山いる。集落で暮らしている種族みたいだ……。
狩りから帰って来た様子のリザードマンがいたり、何かを調理をしたり、赤ん坊をあやしてる様子も見える。……その光景は、原始的な環境とはいえ、地球の人類と余り変わらない生活に見える。子供らしき背の低いリザードマン達も、無邪気な様子で遊んでいる。
皆、表情がよく分からないが、穏やかで幸福に満ちた感じがする。慈愛に満ちたその風景は、田舎の原風景に通じるかもしれない。何処か……懐かしい感じがした。
(これって……もしかして、アルテラが見ていた世界なのかな?)
俺がそう思った瞬間、また場面が切り替わった。
_______赤土の岩山が広がる、荒れた大地の上に立っている。
いきなり、眼前に沢山の砂煙が立ち込め、強風に吹かれた砂塵が身体を包んだ。
アルテラは砂煙を振り払い、周囲を見渡した。山々は削られ、瓦礫という瓦礫が大地に散乱している。遠目に見える海も一部が蒸発し、海底が抉れ、露出しているようだ。
その時、衝撃波が飛んできて、頭上の岩山が崩れ去った。アルテラは、落ちてくる岩石を素早く避けた。
彼が後を振り返ると、圧倒的な悍ましさを放つ存在が立っていた。
……それは、あの生物だった。
人が両手を横に広げたような形状の上半身をしており、その周りに竜と蛾を混成したような羽と皮膚がある。下半身は、爬虫類のような黒い鱗と昆虫のような外骨格が重なりあうような姿だ。その巨体を見た瞬間、絶望感を覚えた。物凄い迫力をしている。
強烈な呻き声で、大気を痺れさせている。耳を引き裂き、心を潰すような恐ろしい声だ。
賢者アルテラの記憶は、目の前の悍ましき生物をエラドと認識している。
(あ……あの夢で見たのは、エラドだったのか!)
俺は驚愕した。ジェット機で移動中に夢で見たものと違わない姿に慄いた。それに……何で、俺はこの姿を知っていたんだ?
周りには、リザードマンの姿をした管理者らしき者達が、エラドに立ち向かっている。
管理者や闘士は、目まぐるしく動き回りながら、攻撃し続けている。剣から衝撃波を放ったり、炎の塊や光線を手から放っている。
その激しい攻撃に、エラドの皮膚の表面が所々削られていく。映画で見るCGとしか思えない様な、派手な死闘が眼前で繰り広げられる。
「ギィィィィエエエエエエ」
エラドが呻きながら、黒い衝撃波を周囲に放出した。接近戦をしていた数体のリザードマンは、避けきれずに一撃でバラバラに砕け散った。肉の塊となったその顔の一部が、足元に転がってきた。
その目はもう無機質で、生命が宿っていない事が分かる。
アルテラは、オカリナの様な形状をした笛を取り出すと、集中力を高めるように一つ深く息を吸う。金色の輝きが体から放出され始める。
そして、彼はその笛を吹き始めた。……その心地良い音色は、悲しくも優しげだ。心の琴線に触れて、俺の恐怖も和らいでいく。
次第に金色の靄が、音と共に笛から漏れ出ていく。靄が漂いながら、エラドの方へと近付くと、一気に拡散しその巨体を包み込んでいく。
すると、エラドは苦しそうに悶え始め、羽根や腕を激しく振り始めた。暴れる度に放たれる衝撃波により、周囲の大地は破壊されていく。
だが……エラドは衰弱していき、動きが緩慢になっていく。身体からは黒い蒸気が出始めた。
「よし、弱っているぞ。今の内に全ての魔力を使って総攻撃をするんだ!!」
背後で指揮を取る男が叫ぶと、十数人の生き残った管理者達は、魔法陣のようなものを、各々の体の前に展開させた。彼らの体は緑に眩く光りだす。中には赤いオーラのようなものに包まれている者達もいる。多分、あれは闘士だろう。
「我の攻撃に合わせよ!…………いくぞ、聖光の槍!!」
背後から放たれた眩い光線が、エラドの身体に刺さった瞬間、周囲の管理者達も攻撃を放った。すると、直視出来ない程の光と強烈な衝撃が周囲に放たれた。
「ギィィオオオオオオ!!」
耳を劈くような、強烈な叫び声がその中心から聞こえてくる。正に断末魔のようだ。絶望的で苦痛に満ちたその叫びは、大地を震わせた。
______暫くして、その叫びが消えると共に強烈な光も止んだ。エラドの様子が窺い知れない程、辺りには土煙が舞っている。
横風に吹かれ、やがて土埃の煙が晴れてくると、……傷だらけのエラドの姿が見えた。羽根はもがれ、皮膚の表皮は焼け爛れている。
「やったか?」
アルテラは、笛を吹くのを止めて眼前の光景を注視した。
しかし、その期待はすぐに裏切られた。エラドの怒りを孕んだような強烈な咆哮が、天に登っていく。黒い煙を口から吐き出すと、その身に纏わせる。
そして、一瞬の出来事だった。その黒い煙は刃のように薄く変化し、衝撃波の様に周囲へ飛んだ。
周囲に居た管理者達は、力を使い果たし、それを避ける余力もなかった。呆然とエラドの様子を眺めたまま、その黒い刃に大多数が体を両断され、大地に倒れていった。
生命力を失った仲間達は、地に伏せ、もう動かない。
眼前には、怒り狂ったように暴れるエラドが存在している。
「く……敵わないのか!?強大過ぎる」
アルテラは、悔しそうに呟いた。俺の心の中に、仲間達を一瞬で失った悲しみと悔しさが沸き上がってくる。これは……アルテラの気持ちに同調しているのか?
目からは涙が零れている。
アルテラは、己の全ての生命力を魔力に変換させていく。身体の隅々から腕へと熱が移っていく感覚がする。
脳裏には、あの集落の平和な光景がフラッシュバックする。あの幸福に溢れる世界を、命を賭しても守りたい!という強い意志が、俺の心にも伝わってくる。
“どうか、この星を守れますように”
アルテラの声が響くと、彼は全ての力を振り絞るように一気に魔法を放った。
視界は眩い光に包まれ、何も見えなくなった。
……そこで、俺の意識は途切れた。
「ん……どうなったんだ?」
もう一度瞳を開くと、エヴァンとロンがいる部屋に戻っていた。彼らは、不思議そうな表情を浮かべて俺を見ている。……まだ、頭がぼんやりするな。
あれ?……俺の瞳から、涙が流れてる。
何だろ……この虚無感は?哀しい気持ちが胸に迫ってくる。同時に星を守れなかった現実に打ちのめされるかのように、悔しい気持ちが湧いてきた。
俺は堪えきれず、手で顔を覆い、咽び泣いた。
「お、おい……コウ、大丈夫か?」
「……………守れなかった」
エヴァンは、心配そうに俺の背中に手をやった。俺は止めどなく溢れる涙を堪えきれなかった。……何だ、この気持ち。アルテラの気持ちが俺に乗り移ったみたいだ。
無念……だったよね?
そっか……。俺も、紗絵を亡くした時……こんな気持ちだった。
ま、俺とは全然規模が違うけどさ、守れなかった辛さは分かる。あの時、ああしてたら……なんて考え始めると、悔しくて、苦しくて……心がもがれそうなくらい辛かった。
でも……もう、時は戻らないんだ。
______暫くすると、気持ちが治まってきた。エヴァンは心配そうな様子でこっちを見ている。
「ごめん。なんか……この賢者の気持ちと同調した感覚になって、コントロール出来なくなってた」
「お、おう……無理すんな」
「……うん、もう落ち着いたよ」
「そうか。なら安心したぜ」
俺は数分間気を失った後、目覚めたみたいだ。その後、急に俺が泣き出したから、エヴァンは何事かとかなり焦ったようだ。
でも、たった数分だったのか……とんでもない時間を過ごした感覚だ。疲労感が凄くある。
「水でも飲むか?」
ロンが壁のボタンを押すと、戸棚程の大きさの扉が開いた。ロンは冷やされたペットボトルを取り出して、俺に手渡した。
「ありがとう」
「私の想像以上に、アルテラの記憶と同調したようだな」
「うん、現実感のある記憶だったよ。アルテラの視点で世界を見た。……凄い光景だった」
「では、あの闘いの記憶を見たのか……?」
ロンは、悲しげな口調で呟いた。今なら、彼の気持ちが理解できる。ロンも……1人残されて辛かっただろうな。
「うん。エラドは……恐ろしく強大だった」
「…………そうだ、記憶は伝わったようだな。これで、私の使命は果たせたよ。あ、あと渡すものがある……」
ロンは安心したように目を伏せた後、懐から箱を取り出した。漆器のような艶がある黒く四角い箱だ。
「開けてみろ。数千年の間……誰にも触れられる事なく、眠っていた物だ」
「え……何、これ」
俺は箱を受け取った。蓋を開けようとしたが動かない。
「普通には開かないようになっている。蓋の中央に掌を置け。そして開くイメージを持つのだ」
「……開くイメージ?」
俺は言われた通り、蓋に手を置いて開くイメージをする。すると蓋の縁が一瞬光り、ゆっくりと蓋が開いた。
中には……さっき記憶の中で見た、オカリナのような形状をした笛が入っていた。
「アルテラが使用していた道具だ。彼も音楽が好きだったのだ。お前も音楽家なのだろう?」
「あ……うん」
「それに魔力を込めて吹けば、エラドの動きを鈍らせる事が出来る」
「あ……そう言えば、さっきそんな事してた気がする」
俺は先程見た記憶の光景を思い出した。あの旋律はまだ覚えている。
「これもお前に渡す為に、託された物だ。お前が音楽が好きなのも、運命の導きなのかもしれんな」
「はは。そんな……まさか音楽が役に立つなんて、思ってなかったな」
俺は予想外の展開に驚きつつも、嬉しい気持ちになった。笛は吹いたことないけど、絶対使えるようになりたいな。……いや、実際あんな化物と戦う勇気なんて、まだ無いけどさ。
「元は、悪しき意志の集合体だったものが……エラドという存在に化したのだ。音楽は、精神を落ち着かせる効果もあるからな。そう考えると、理に適っているのかもしれん」
「へー成程な。なぁ、俺の分はないのか?俺も有名な音楽家だぞ」
「残念だが、お前の分はない。それに、その笛には賢者レベルの魔力を込めないと、効果が出ない」
「何だよ、俺じゃ力不足って事か。そりゃ、残念だぜ」
エヴァンは羨ましそうに、俺の手にある笛を見つめた。しかし、ロンの返事を聞くと、肩をすくめて溜息を吐いた。
「今渡した賢者アルテラの記憶は、お前が迷った時に助けになってくれるはずだ」
ロンはそう言うと、徐に椅子から立ち上がった。
「さて、ついでに紹介しておきたい場所がある。普段は入れないが、お前達は特別だ」
「え、何処かに行くの?」
「まぁ、付いてこい。話だけでは伝わらんだろう」
ロンは、部屋の出口に向かいながら話した。俺とエヴァンは、一度見合わせてから立ち上がると、ロンの後ろに続いた。
それにしても、凄い体験だった。あの記憶のような出来事が、いつか地球でも起こるなんて……信じられない。
賢者の覚悟を感じる内容だった。俺は……アルテラみたいに、地球を愛せるのかな?まだ自分の身近な人しか、守ろうって思える自信がない。
でも、命を賭してでも守るっていう誇りには、心を打たれた。
きっと……優しくて、強い人だったんだろうな。




