カルディア大陸編8 激突②
ゲイルとポールは、玄関前での立ち話を止めて、木片や陶器の欠片が散乱した部屋に入った。
そこには、ゲイルとルセル卿の闘いの爪痕が残っていた。短い時間の闘いだったが、激しい魔力のぶつかり合いだった。それを証明するかのように、壁や床の一部が抉れ、剥がれている。家具や食器も破壊され、その残骸達は部屋の隅へと追いやられていた。
ポールはそれらを眉を顰めて見渡した後、口を開いた。
「実は、声を掛ける少し前から2人の姿を遠くから見ていたのです。部屋の中の様子までは見えませんでしたが」
「……そうでしたか」
「ええ。あなた達が睨み合って部屋の中に消えた直後に、この部屋から激しい音が聞こえ始めました。状況から考えると……」
「…………」
ポールはゲイルの答えを待つように、途中で話を止めた。ゲイルは、もう嘘はバレていると思ったが、彼に真実を伝えるべきか躊躇した。2人の間に沈黙が暫く流れる。
「私もルセル卿の存在は、メルド様に悪影響を与えていると危惧しております。彼の正体を知りたいのです」
ポールは1つ息を吐き、覚悟を決めたように頷くと、本音を口にした。家令という立場上、客人の悪口を叩くことは本来許されることではない。ゲイルはポールの言葉を聞き、彼が本気なのを理解した。
「…………分かりました。隠し事は止めておきましょう。嘘をついて申し訳ない」
「ゲイル殿、あなたとは長い付き合いです。もっと私を信頼してください。あなたが生まれる前から、私はジェネレス家と付き合いがあるのですから」
「はは。確かに、あなたには相談すべきだったのかもしれません」
「それに、長年家令を勤めていると、人を観察する目が養われるのです。ルセル卿には裏がある事くらい、前から理解してましたよ」
「そうでしたか?参りましたね」
ゲイルが諦めたように頭を掻くと、ポールは表情を和らげて、ニコリと笑った。ゲイルの実家であるジェネレス家も、アーガイル地区で有力な貴族なのだ。その縁もあり、ポールはゲイルの祖父とも知り合いなのだ。
ポールは、メルド公爵の前任の統治者の時代から、使用人として屋敷に仕え続けている。地区の貴族とも付き合いは深い。
「それでは……ポール殿を信用して話します。仰る通り、私はルセル卿とこの場所で闘いました。とても強かった……あの魔力は普通ではない。私も殺されるところでした。ポール殿に、命を救われたのかもしれません」
「な!?ゲイル殿が追い詰められていたのですか?」
ポールは驚きのあまり、声を張り上げてしまった。ゲイルは国中に勇名を轟かす実力者だ。彼の実力は、セレネ国でも5本の指に入ると言われている。そんな彼が貴族の男に倒される姿など、ポールには想像できなかった。
「ええ、底が見えない力でしたね。あれは、人外の禍々しい魔力……少なくとも普通の貴族ではないでしょう」
「そうですか?……やはり、危険な存在なのかもしれません。メルド様も最近、たまに悪意に取り憑かれたような判断をなさる事がある」
「悪意……ですか?」
「……最近アーガイル地区の財産が何処かに横流しされているのです。今財政が厳しいのはそれも1つの理由です。本当は、農産物の不作はそれ程ではないのです」
「……メルド公爵が横流ししているということですか?」
「ええ、恐らくは。ルセル卿と会うようになってから、メルド様が無断で財産を持ち出している姿が目撃されています。口止めはしていますが、事実を知る使用人は不信感を募らせております」
「もし、その財産がルセル卿に渡っているのなら……。やはり彼は監視しておく必要がありそうですね」
ゲイルは眉間に皺を寄せ、目線を落とした。水面下で、想像する以上に恐ろしいことが計画されているのではないだろうかと、彼は嫌な予感がした。
「メルド様はルセル卿にお会いになられてから、不自然な行動をされるようになられた。ひと月ほど前……メルド様が、ルセル卿をガアル地区にあるナルの森に案内していたようです」
「その噂は耳にしています」
「自分の従者も連れず、ルセル卿の配下の人間だけを連れてです。ナルの森の奥に何かあるのでしょうか?」
「はい。内容は国家機密ですので言えませんが、目的の検討はつきます」
ナルの森とは、魔竜が眠る洞窟が封印されている場所である。少し前に、その封印を破ろうとした形跡が最近見つかった。ゲイルはポールの話から、その犯人が間違いなくルセル卿だと確信した。
「メルド様は、何故ああなってしまわれたのか……。こうなってはゲイル殿が頼りです。何か対策を練れないでしょうか?」
「私の力で何が出来るかわかりませんが、力を尽くしましょう。……では、ルセル卿に動きがあれば教えていただけますか?」
「分かりました。私は、このアーガイル地区に人生を捧げ、仕えてきました。公爵とはいえ、アーガイル地区を汚す様なことをされるのであれば許せません」
ポールは決意に満ちた表情で、ゲイルを見据えた。その力強い口調に彼の覚悟が現れていた。ゲイルは、彼の思いを受け止めるように頷いた。
「それでは、私はそろそろ失礼します。あまり屋敷を空けると怪しまれますので。他に、協力出来そうな事があれば教えて下さい」
ポールは窓の外に目をやると、玄関の方へ体を向けた。
「ええ。何かあれば部下を使いに出させましょう」
「それでは」
ポールは頷くと、外に出て屋敷の方へ足早に戻っていった。彼がメルド公爵とルセル卿に疑念を持っていた事は、ゲイルにとっては好材料だった。結果的に、今後は重要な内部事情を苦労せず手に入れることが可能となったからだ。
「ポール殿が味方になってくれるのは心強い。彼をもっと信頼し、相談しておいてもよかったのかもな。まぁ、それも結果論だが」
ゲイルとしては、家令であるポール相手に“メルド公爵に疑惑を持っている”、と事前に相談するのはリスクがあった。騎士団長である彼の立場からして、目立つ行動が取れなかったのは致し方ない部分もあった。
「さて、私もアマンドの村へと向かわねば。ストーム達は無事街を出られただろうか……」
ゲイルは、窓から屋敷を眺めながら呟いた。先程までの闘いが嘘のような静けさだ。夜の帳が落ちた街は、静寂に包まれている。
ゲイルがいる建物の向かいには、通路を挟むように建物が並び立つ。その内の1つの建物から、ゲイルの様子を窺う2つの影があった。
「……まぁ、何事もなく済んだようだな」
「もうセイント様ったら、ノア様の予言を信頼出来てないのかしら」
「そうではないが……彼は重要な役割がある人物だ。運命の流れは絶対ではない。万が一もあり得るからな」
「ふふ……心配してらしたのね」
セレネ魔導学院長セイントと魔導師アンナは、2階の窓から一部始終を見ていた。2人共、カルディア大陸の管理者でもある。
アンナ=ルートヴィヒ……22歳になったばかりの彼女は、その麗しき微笑みをセイントに向けた。アンナは綺羅びやかな金髪と、吸い込まれるような碧眼を持つ。その仕草にはあどけなさも残る。
「まぁ、いらぬ心配だったな。しかし、2人の力量を確認できたのは収穫だった」
「ええ。ゲイルさんの魔力は力強く、燃え盛るようでしたね。でも、ルセル卿の魔力は桁違いに凄かったです。それも、藍色をした禍々しい類の……」
「ああ、邪悪な魔力だったな」
「ええ。そして悲しみに包まれたような魔力です。……何故か、胸が締め付けられました」
アンナは哀しそうな表情を浮かべ、胸に手をやった。すると、セイントは彼女の言葉に少し驚いた様子で目を見開いた。彼は何かに納得するように頷き、1つ息を大きく吐いた。
「……まぁ、ルセル卿に関してはストーム達に任せてみよう」
「あ、そろそろ魔香炉の効果が切れますよ。早く戻らないと」
魔香炉とは、セイントの発明品の1つである。中に様々な種類の魔香草を入れ、香を焚く事により色んな効果が得られる優れ物だ。今回、自分達の魔力を隠す効果のある魔香草を焚いている。
2人は、魔力をルセル卿達に感知されないように、アーガイルの街に入る前から使用していたのだ。
「ああ。では、戻るか」
「はい。ここの住民さんには、無許可で部屋をお借りしてますしね」
2人がいる部屋の1階には、その建物の住民が眠らされている。眠らせる効果のある魔香草を、侵入する前に焚いて眠らせたのだ。
「それでは、お世話になりました」
アンナは階段を降りると、テーブルに上体を預けて眠る住民の男に頭を下げた。そして、2人はそっと1階の裏口から、建物を出ていった。
「屋敷と逆方向から出よう。ルセル卿の部下が彷徨いてるかもしれぬ。魔法も使えんしな」
「そうですね。ゆっくり夜のお散歩をしましょう」
セイントが渋い顔で呟くと、アンナは夜空を眺めながら答えた。いくら魔香炉の効果があったとしても、魔法を使ってしまったら魔力は隠せない。2人は回り道をして、街の外へ出る事にした。
彼らは、セレネ魔導学院からアーガイルの街まで転移魔法を使用して来た。転移魔法は、使用者が転移先に専用の魔石を設置しなければ使用できない。アーガイルの街近郊の森の中に、アンナは1つ設置している。
正当なルートヴィヒ家の血筋を持つ者しか、転移魔法は使用出来ない。アンナはその貴重な存在だ。ルートヴィヒ家では代々、転移魔法を使用したある重要な役割を担い続けている。
セイント達は街の外まで出ると、隣に広がる森の中へと進んだ。闇に包まれる森の上空には、明るい星空が広がっている。閑静な森の中からは、時折、魔物の叫び声が響く。夜を好む魔物が活動的に動いているのだ。
2人は警戒しつつ、静寂の中を進んでいく。
(それにしても、あの禍々しさ……彼の姿形は昔と変わらぬが、魔力の質は昔と正反対だな)
セイントは歩みを進めながら、懐かしき思い出の欠片に触れた。それは温かくもあり、悲しい記憶……彼は過ぎた歳月の長さに想いを馳せる。
(ルセル……いや、ラッセルか……。ラドンよ、彼を救う方法はあるのだろうか?)
ラドンは伝説の剣士であり、ゲイルの剣の師でもある。そして、セイントの古くからの友だ。彼は遠く離れた友に願いを託すように、空を仰ぎ見た。
街の灯りは遠ざかり、闇は深くなっていく。足元はおぼつき、手探りで前へと進む。まるで全貌の見えない運命の流れへ吸い込まれているようだなと、セイントは感じた。
「だいぶ離れましたね。そろそろ魔法を使っても大丈夫でしょう。……フォスム」
前を歩くアンナは立ち止まり、右手に明かりを灯した。彼女はそれを行く先へ向かって掲げる。すると闇夜は照らされ、歩くべき道筋が明確となった。
(そうだ。この若き者達が、未来に光を齎すであろう)
運命の先を包む闇があれば、運命を切り開く光も存在している。セイントはその光を導く為に、まだ見えぬ運命へと足を進めていく。
読んでいただいて、ありがとうございます。
是非続きも読んでください。
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