カルディア大陸編8 激突
______その頃、公爵の屋敷ではルセル卿とベリンの様子がおかしい事に周囲が気付き始めていた。
「ルセル伯爵、どうなされました?」
メルド公爵は、急に立ち止まり黙り込んだルセル卿を心配した様子で声を掛けた。屋敷の通路に佇んだまま、ルセル卿はベリンを見据えたままでいる。
ベリンは、サーラの憑依が急に解けた影響で、意識が朦朧とした様子でふらつき始めた。そして、意識を失う様に倒れ込む。ダンは慌てて、ベリンの身体を支えた。
「おい!ベリン、大丈夫か?」
「ふん……上手く逃げたな」
「何かあったのですか?」
ルセル卿が呟いた言葉の意味がわからず、メルド公爵は不思議そうな表情を浮かべ、彼に尋ねた。
「いや、この男に何者かが憑依していたようです。しかし、逃げられましたね」
ルセル卿は、メルド公爵の方へ体を向けるとベリンを指差して話した。
「なんと!……憑依、ですか?それは、悪魔のような存在が憑いていたのですか?」
「いえ……恐らく、魔法でしょう。憑依を得意とする魔導師がいると聞いたことがあります」
「一体、何の目的で……」
「スパイでしょうね。大方、何か探りたいことがあったのでしょう」
ラッセル卿は不敵な表情を浮かべ冷笑した。隣に立つメルド公爵は、スパイを働かれ、更に客人にそれを指摘された事で、恥をかかされた気分になった。彼は眉にシワを寄せ、怒りを露にして言い放つ。
「くっ、スパイを働くとは……わしへの冒涜だ。ダン、ベリンを牢に入れろ」
「いや、ベリンは……憑依されただけで……。いや、そもそも憑依というのは事実なのでしょうか?」
「何だと?お前、わしの客人を疑っているのか?……ルセル卿は高名な魔導師でもあらせられるのだぞ!」
「まぁ、そう激昂なさらなくても。この者も自分の部下を庇い立てしているだけでしょう」
ダンの言葉を受け、更に苛立った様子のメルド公爵を落ち着かせるように、ルセル卿は言葉を掛けた。
「あ……まぁ、そうですな。見苦しい所をお見せしてすみません。ダン、わしもベリンに罪があるわけではないのは分かっておる。だが、また憑依されるかもしれんだろう。牢で監視しておけ!」
庇おうとするダンを睨み付け、メルド公爵は強い口調で命令した。ダンは渋々それを受け入れ、他の使用人と一緒にベリンの身体を担いで、地下牢のある方向へ歩き出した。
ルセル卿は、メルド公爵に更に近づいて話しかける。
「憑依した者が近くにいるようです。早い内に手を打たねば、逃げられます。私が探しましょう」
「そんな、ルセル伯爵自ら……使用人達や騎士団に探させましょう」
「いえ、私は魔力感知が得意ですから。それに、闇雲に探しても分からないでしょう。私の部下にも魔力感知が得意なものがいるので、一緒に動いてもよろしいか?」
「え……ええ、お願いします」
ルセル卿の顔は微笑んでいるが、瞳の奥が怪しく光っていて、有無を言わせない雰囲気がある。メルド公爵はルセル卿の威圧感に押され、言う通りにした。
ルセル卿は2人の部下を連れて屋敷の外に向かって歩き出した。
一方その時、ゲイルは2階の窓からメルド公爵の屋敷を観察していた。すると松明を持った人影が3つ出てきた。
貴族の身なりをした濃紺の髪の男が、他の2人に指示を出している。
「ん、あれは使用人ではないな。もしかして、あれがルセル卿か?」
ゲイルが呟いた瞬間、指示を出していた男がこちらに顔を向けた。素早くゲイルは窓際から体を離し、身を隠した。
「気付かれたか?もし魔力感知に優れるなら、大方場所の検討はついてそうだ。……油断は出来んな」
ゲイルは覚悟を決めるように、剣の鞘へと手をやった。
次第にゲイルのいる建物の方へと足音が近付いてきた。ゲイルは身を潜め、息を殺していたが、玄関から2回ドアノッカーを叩く音が聞こえた。
「やはり来たか……無視しても、無理に立ち入ってくるだろうな。ここは、知らぬ振りを通すか」
ゲイルは諦めたように立ち上がり、玄関へと降りていった。緊張したまま身構えて、扉を開けた。
「失礼、こんな時間に申し訳ない。私はルセルと申します。メルド公爵の客人として招かれた者です」
「あ……あぁ、客人の方が来られているのは聞いております。私はこの地区の騎士団長のゲイルと申します。何かご用がおありで?」
ルセル卿は、思いの外柔らかい物腰で一礼した。その表情は微笑みを湛えている。その気品のある所作に少し面食らいながら、ゲイルも一礼を返した。
「ほぅ、騎士団長殿でしたか。この辺りは貴族街のようですね。気品のある建物が多い」
「えぇ、その通りです」
「……実は今、スパイが屋敷に紛れ込んでいたようで。この辺りで魔導師を探しているのですが、心当たりは?」
「なんと!?……それは、魔導師がスパイを行っていたということですか?それならば、私達騎士団も協力しましょう」
「ふ……その返答は、心当たりがないという事ですかね?」
「ええ、私は魔導師は見ておりません」
ゲイルは、出来るだけ冷静を装うようにルセル卿を正面に見据えながら、淡々と話した。
ルセル卿はゲイルの嘘を見透かしたように鼻で笑うと、サーラが先程までいた2階の部屋の窓を見上げた。
「……何か残り香がするのだが」
ルセル卿はそう呟くと、一気に魔力マナを放出し始めた。鋭い顔つきに変わり、ヒリヒリとした緊張した空気が周囲を包む。ゲイルは息が詰まるような圧力を感じた。
(サーラの言った通り、こいつは普通じゃない)
ゲイルは咄嗟に剣の鞘に手を取り、身構えた。
ルセル卿はその藍色の目を光らせ、鋭い眼光をゲイルに向けている。藍色をした魔力がルセル卿の身体から、放たれ始めた。それはまるで濃度の濃い煙のように、彼の身体から立ち昇る。
「くだらん茶番は、嫌いなのでな。正直に吐け、お前は何かを知っているだろう。屋敷の使用人の憑依が解けた時、俺は使用人に魔法をかけた魔導師の魔力に触れたのだ。その魔力を辿るとこの場所を示した」
「……何のことでしょうな!」
威圧感のある魔力に押されそうになるが、ゲイルは気を発してはね除ける。すると玄関の扉や窓がカタカタと揺れだし、2人の周囲に風が渦を巻く。
「ふん……なかなかやりそうだな。だが、お前は憑依していた犯人ではないだろう。魔導師はもう逃げたようだな」
「くっ……私はこの地区の騎士団長だ。疑いをかけられる筋合いはない!」
ルセル卿は、ゲイルの言葉に苛立つように顔を顰める。彼は右手に魔力を込めると、手が青白く光り始めた。ゲイルはそれを見て、覚悟を決め鞘から剣を抜き、構えた。
「正直に言えば助けてやる」
ラッセル卿が圧力を高めると、ゲイルはそれに押され部屋の中へと後退りした。周囲で渦巻く風は激しさを更に増し、室内のカーテンが激しく靡く。ゲイルの頬も少し切れるほどの圧力だ。頬から赤い血が流れ、顎へと伝っていく。
ゲイルは覚悟を決め、剣に魔力を込めていく。剣に橙の熱が籠り、彼の体からは炎のような紅のオーラが立ち昇る。
2人の周りを藍色と紅の魔力が、煙霞が渦を巻くように、ぶつかり合う。室内の家具は徐々に破壊され、激しく欠片が飛び散った。
「スキアド」
ルセル卿が魔法を唱えると、右手から藍色の魔弾が放たれる。咄嗟にゲイルは剣で跳ね返そうとするが、その剣筋を逃れ魔弾は襲いかかってくる。
藍色の光弾がゲイルにぶつかり、彼は奥の壁まで、一気に吹き飛ばされた。その衝撃により、彼は一瞬呼吸が出来なくなり膝を落とした。
「ぐはっ……く、フロガ」
ゲイルは素早く立ち上がりながら炎の魔法を唱え、剣に炎を宿らせた。
そして一足飛びでルセル卿の懐へと飛び込み、思い切り剣を振り下ろす。焔が空を切り割き、鋭く襲いかかる。
「たあああああ!」
「ぐっ!……ほう、これはなかなか」
ルセル卿は左手に魔法障壁を展開し、剣を受ける。その衝撃により、彼の足元の床は割れ、破片が飛び散った。
ルセル卿は怪しい笑みを浮かべると、剣を右手で掴んだ。ジュウ……と皮膚が焼ける音がするが、彼は無表情のままでいる。
「な!?……動かん。くっ……くそぉ!!」
「むっ?」
ゲイルは、振り払おうと剣に力を込めるが動かない。彼は全力で魔力を高め、逆にこのまま押しきろうと力を剣に込めた。ルセル卿の足元は更に床にめり込んでいく。しかしゲイルの全力を嘲るかのように、彼は更に口角を上げた。
「おお……これはまあまあ使えそうだな。むん!」
「くっ、がぁぁ……!」
ルセル卿は、何か企んだような笑みを浮かべると、魔力マナを更に高めた。次第に、ゲイルは押し返されていく。ルセル卿は、剣身を右手で握ったまま、ゲイルの身体を魔力の圧力で跳ね飛ばした。ゲイルの手から剣が離れ、彼は仰向けに床に叩きつけられる。
ルセル卿は奪った剣を投げ捨て、左手に藍色の魔力を纏わせた。渦を巻いた魔力は禍々しく、ゲイルの方へ向けられている。
「さて、どうするかな」
(くっ……強過ぎる。しかし、ここで倒れる訳には)
ゲイルの脳裏に、愛する妻と息子達の姿が浮かんだ。
その時
「ルセル伯爵!そこに居るのですか? どうなされた?」
家令のポールの声が、建物の外からゲイル達の元へ聞こえてきた。彼は激しい戦いの物音に気付き、慌てて2人のいる場所へ駆けつけたのだ。
「ふん……まぁ、見逃してやるか。今は事を荒立てたくない。騎士団長のお前を殺したら、面倒そうだしな。……いいか、俺の話に合わせろ。でなければ、お前もあの家令も殺す」
近付いてくるポールの姿を窓越しに確認すると、ルセル卿は纏っていた藍色の魔力を一気に消した。そして、藍色の瞳を光らせ、ゲイルを睨みつけた。
「……わ、分かった」
ゲイルは、この男なら事も無げに自分とポールを殺すだろうと確信し、話を合わせることにした。
「あ、ゲイル殿も? 何をなされてたのですか?」
ポールは外れかけた玄関の扉を見て、怪訝な表情を浮かべた。そして、問い詰めるような口調で2人に話しかける。
「これはポール殿。いえ、怪しい魔導師がいたもので、騎士団長殿と協力して捕らえようとしたのですが……この通り、逃げられてしまいました」
破壊された部屋の中を、手で指し示しながらルセル卿は説明した。彼は貴族の柔らかい物腰と口調に戻っている。
「あ、そうですか?……これは、激しい争いがあったようですな」
「ええ。手強い相手でした。深手を追わせたので、当面は大丈夫でしょうが……警備は強めた方がいいでしょう」
「……そうですね。騎士団から警備部隊を編成し、屋敷の警護を行いましょう」
ルセル卿は涼しい顔で、ゲイルの方を見た。ゲイルは話を合わせ、頷いた。
「メルド公爵には懇意にしていただいてますから、騎士団長殿とも良い関係でいたいものですな。それでは、私は失礼します」
不敵な含み笑みをゲイルに向けると、ルセル卿は建物の外へ出て行った。まるで何事もなかったかのようにルセル卿は屋敷の方へ向かっていく。
「ゲイル殿、ルセル卿の言っていることは本当ですか?」
ルセル卿の姿が見えなくなると、ポールは怪訝な顔をしてゲイルを見た。
「ええ。賊を捉えきれないとは、騎士団長失格ですね」
ゲイルは、とりあえずルセル卿の話に合わせることにした。彼も自分がスパイを依頼した事を話す訳にはいかないと判断したのだ。それに、下手に説明してしまうとポールの身に危険が及ぶ可能性もある……彼はそう考えた。
しかしポールは、ゲイルの言葉に納得がいかない様子でいる。ゲイルは、これ以上問い詰められるのはまずいと思い、違う話をポールに振った。
「それより、公爵の屋敷にスパイが出たのは本当ですか?」
「ええ、何者かが使用人のベリンに憑依していたようなのです。……以前、ゲイル殿に紹介しましたよね」
「ああ、覚えています。憑依とは……彼が操られていたということですか?」
「どうでしょう? 私には普段と変わらなく見えたのですが……彼は牢に捕らえています」
(そうか……べリンには悪い事をした。出来るだけ早く出せるよう尽力しよう)
ゲイルは自分の依頼が原因で、ベリンが牢に捕らえられた事に責任を感じた。どうにかして、メルド公爵を説得しようと彼は決意した。
「……それより、ゲイル殿。しつこいようですが、ルセル卿は嘘をついていませんか?」
「……!?……いえ、ルセル卿が言われた通り…」
「ゲイル殿!丁度いい機会です。一度、腹を割って話しませんか?」
ポールはゲイルの言葉を遮り、何か決意した表情で言葉を放った。




