カルディア大陸編7 藍色の瞳
「あれ? 昨日メルド様の酌取してたけど……あれからどうしたんだっけ?」
朝目を覚ますと、ベリンは頭がぼやけていた。何回も思い出そうとするのだが、昨日メルド公爵の部屋に行ってからの記憶が、どうしても出てこない。
公爵の部屋に行って、酌取の準備はしたことは覚えているのだが、その後どうしたか全く分からないのだ。
「そういえば、前も記憶が抜けるときがあったな。……どうしたんだろ?」
ベリンは、不思議そうに頭を抱えた。
(そろそろ変だと思い始めてるなぁ。もう深い憑依をするのは控えた方がいいかな?)
ベリンが目を覚ましたのと同時に、憑依中のサーラも目を覚ました。彼女はベリンの様子を見て、これ以上深い憑依をするのはリスクがあると感じた。彼が寝ている時だけ限定にしようと、サーラは思った。
「……はぁ、とりあえずダン様より早く部屋に行って、メルド様の身支度の準備をしないと」
ベリンは気を取り直すように一気に立ち上がった。そして急いで身支度を整えて、部屋を出た。
ベリンはメルド公爵の朝の身支度を、ダンと共に手伝った。その後、ダンに言い付けられて、従者の仕事に必要な物品の管理や補充などの、雑務をこなす。
屋敷内を動き回るベリンの様子を見て、サーラは感心しつつも、出迎えの準備で慌てふためく屋敷内の様子を見て、スパイのチャンスを窺うどころではないなと思った。
(朝から皆働き者だなぁ……。ふぁ〜、眠くなってきちゃった。ルセル卿は午後に到着するみたいだし、あと少し寝とこうかな?)
サーラは連日深い憑依を繰り返したせいで、まだ眠かった。彼女は憑依を最大限浅くして、再び眠りについた。
_______家令のポールの部屋では、ルセル卿の出迎えの最終確認が行われていた。
「ルセル卿の出迎えの準備は、これで一通り終わりましたね」
ダンは、メルド公爵の身の回りの準備が出来たので、家令のポールへ報告しに来ていた。
厨房で食事の準備はまだ続いているが、大広間での晩餐会のセッティングや、ルセル卿が宿泊する客間の清掃や道具の準備などは済んでいる。
「ご苦労。ルセル卿の爵位は伯爵だ。公式の場ではルセル伯爵とお呼びしろ」
「そうでしたな。部下にも徹底させます」
「今回は、メルド様はご内密の話もしたいと仰られている。必要なときは従者であるお前も、席をはずせ」
「はい。それでは私も自身の支度がありますので、自室へ戻ります」
ポールの指示にダンは深く頷くと、部屋を出ていった。
1人部屋に残されたポールは、今回のスケジュールを頭で整理する。出迎えから晩餐会まで粗相がないように、抜けている点はないかを再度、頭に巡らせた。
「ふむ、準備は大丈夫そうだな。後はルセル卿が来てから考えるとしよう。それにしても、……チャンスがあればいいが」
ポールは今回の会合で、ルセル卿の正体を探りたいと密かに考えていた。
(ルセル卿はおそらく普通の貴族ではない。メルド様も我らに隠し事をされている)
そう考える根拠が、家令であるポールの胸の内にあった。
自分達使用人に行き先を隠して、メルド公爵はルセル卿を連れ立って何処かに向かう機会が何度かあった。そして、アーガイル地区の資産が何処かに横流れしている事実もあるのだ。それも、ルセル卿との付き合いが始まったタイミングからだ。
出自不明のルセル卿に、何故メルド公爵が肩入れしているのかも、ポールには理由が分からなかった。
「このままでは、良くない。……が、しかし、まずは自分の役割を全うせねばな」
ポールは目を閉じて、自分を落ち着かせるように呟いた。何か証拠を掴む機会を伺うには、冷静になる必要もある。その為には、トラブルに繋がる事は防がねばならない。彼は家令としての責任を全うする事を優先する事にした。
日が傾きかけた頃に、物見からルセル卿一行の姿が見えたという連絡がポールの元へ届いた。連絡を受けたポールは、屋敷の前にメルド公爵とその妻や子供、主だった使用人達を呼んで、出迎える体制を整えた。
屋敷の門が開くと、従者達と共に馬に乗ったルセル卿が入ってきた。全部で10人ほどの従者や護衛達を伴っている。
ルセル卿はフードをはずして顔を見せた。整った顔立ちをしていて、肌が白く、濃紺の髪をしている。漆黒の外套を羽織り、その内側には赤いプールポワンを身に着けている。
彼は鋭い目付きで辺りを見回し、屋敷内の様子を伺った。そして、従者に手を取られ馬から降りた。
「長旅でお疲れでしょう。ルセル伯爵」
「メルド公爵、盛大な出迎え痛み入ります」
地面に降り立ったルセル卿に、メルド公爵は声をかけた。身に付けていた武器などを従者に手渡しながら、ルセル卿は柔和な笑顔を見せた。
ルセル卿はメルド公爵に一礼すると、彼の家族や使用人たちの前に移動して、1人1人の前に立ち丁寧に挨拶を交わした。
「さぁ、こちらにどうぞ。アーガイル自慢の料理をご用意しております。今日はごゆっくりされてください」
ルセル卿が一通り挨拶を終わったのを見て、メルド公爵は屋敷内へと先導した。そして大広間へと続く廊下へ伯爵一行を案内する。ルセル卿は濃紺の髪をなびかせて、屋敷へと入っていった。
(え、何?この不気味な魔力は?)
ベリンに憑依したままウトウトしていたサーラは、不気味な魔力が近づいてきたのを感知して、目を覚ました。その時、ベリンは調理場の奥で、料理の仕込みの手伝いをしていた。
大広間の方から薄っすら漂ってくる気配に、サーラは怪しさを感じた。表面上は隠しているようだが、漏れ出てくる魔力に異質な印象を受けた。
(あ、ルセル卿が到着したみたいだね。これってルセル卿の魔力かな? だとしたら、やっぱり普通の人間じゃない……)
サーラは気になって、もっと魔力感知を行おうと思ったがやめた。あまり憑依を深くすると、不気味な魔力の持ち主に存在を悟られる恐れがある。彼女は、逆に憑依を出来るだけ浅くして様子を見守る事にした。
「乾杯!」
メルド公爵がワインの入ったカップを掲げると晩餐の宴が始まった。
食卓には肉や魚の贅沢な料理や鮮やかな果物も並び、楽士達は演奏で場を盛り上げている。ルセル卿の一同とメルド公の家族も、楽しそうに会話をして酒を酌み交わしており、時折大きな笑い声がする。
給仕や酌取は忙しそうに歩き回っている。ベリンも何度か宴の会場に料理を運んだりもして、彼らを手伝っていた。ベリンは、ルセル卿の姿を横目で見て、“思ったより若いな”と思った。彼はルセル卿を見るのが初めてだった。
(あの雰囲気と魔力……昔どこかで、感じたことある気がするんだよね~)
ルセル卿の姿を見て、憑依しているサーラも考えを巡らせていた。彼の姿は、彼女の記憶の何かに引っ掛かっていた。それに、“アペルプロド”という言葉をもう少しで思い出せそうな気がしている。
頭を使い過ぎて、彼女は空腹を感じた。いや、正確には憑依中なので空腹は感じない筈なのだが、気分の問題でだ。彼女は料理を見ている内に食欲が湧いてきた。
(あーもう、お腹空いてきちゃった。料理美味しそうだし、食べたいなぁ。……あ、そう言えばクッキー、木箱に入れっぱなし!!後でベリンが寝てから、食べよ♡)
______宴が終わると、メルド公爵とルセル卿は公爵の自室に向かっていった。その様子に気付いたダンは、大広間で片付けを行っていたベリンに声を掛け、2人の後に続いた。
「メルド様、部屋まで付き添います。必要なものがあれば、ベリンに持ってこさせますが……」
従者であるダンは、念の為付き添う必要があるかもしれないと思い、メルド公爵の背中に向かって声を掛けた。
「あぁ、そうだな。だが、今から内密の話がしたいのだ。お前達は部屋の外で警護でもしておけ」
メルド公爵は、ダンとベリンの方を振り返った。隣に立つルセル卿も、それに伴い振り返る。
その時、ダンの後方にいるベリンと、ルセル卿の目が合った。ルセル卿は、底知れない暗さを感じる藍色の瞳をしている。
(この瞳の色は!そうか、アペルプロドって……)
サーラは、その藍色の瞳を見てルセル卿の正体を理解した。そして、彼女の忌まわしい記憶も蘇ってきた。
同時に彼女は背筋が凍るような魔力を感じた。ベリンの精神の中にいるはずなのだが、サーラはまるで背後に誰かいる感覚がしたのだ。目の前のルセル卿は、ベリンの目を見据えたまま微動だに動いていない。
“お前は何を観察している?”
男の低い声が、サーラの意識の背後から響く。他人の精神の中にいる状態だ。サーラ自身の背後に誰かがいる感覚なんて感じるわけがない。しかしサーラは、自身の精神体の背後にルセル卿が立っていると確信した。彼女には振り返って確かめる勇気が出なかった。
(うそ……? 憑依中の精神の中に入り込んでくるなんて……そんな!?)
サーラは背後から強烈な圧迫感を感じた。彼女が憑依しているベリンの額に冷や汗が伝い、手足が震え出す。
背後から邪悪な魔力がまとわりついてきた。サーラは自分の精神体が捕らえられてしまうと、直感で感じた。
(まずい! ………クセフ!)
サーラは緊急離脱する魔法を唱え、一気にベリンの憑依を解き、肉体から離れる。彼女は自身の魔力を一気に高め、纏わりつく邪悪な魔力を、無理矢理引きちぎった。
同時に魔力感知で本体の場所を察知されないように、存在を遮断するように魔力操作も行った。
「はあっ……!」
サーラは本体に戻ると自分の身体を起こした。彼女の視界は、ストームが待機している部屋の風景に一気に変わる。
「「うお!」」
部屋で待機していたストームとゲイルは驚いて声を上げた。ゲイルはストームに食事の差し入れついでに、晩酌に付き合っていたところだった。急に起き上がったサーラに、2人共仰天して一瞬動きが固まった。
「は、早く逃げないと。追ってくる!」
青ざめた顔で、サーラはストームを見る。いつものような、ふんわりした雰囲気と違い、とても緊迫した様子だ。ストームはこんなに切迫感のあるサーラを見るのは初めてだった。
「どうしたんだ? 落ち着いて話せ」
「憑依がルセル卿にばれちゃった」
ストームは、動揺している様子のサーラに近付いて肩に手をやった。
「ルセル卿? それは夕方頃、屋敷に入っていった一団のことか?」
ゲイルは、聞き覚えのない名前に反応した。夕方頃に、見慣れない一団が屋敷の方へ向かうのを騎士団の詰所から彼も見ていたのだ。
「うん、でもアイツは……とにかく、早く逃げないと! 魔力感知されないように、細工したけど完全じゃない。この場所もその内ばれちゃうよ」
サーラは焦燥した状態で、ストームの腕を掴んだ。彼女の右手が震えているのが、ストームに伝わってきた。
「ゲイル、とりあえず俺達はここを離れる。サーラは大陸でもトップクラスの魔導師だ。ここまで怯えさせるとはな……相手は只者じゃないぞ」
「分かった。ここから北のアマンド地区にリールという村がある。そこで明日の夕方落ち合おう」
ストームはただ事ではないことを察知して、険しい表情でゲイルを見た。ゲイルは状況を理解して、ストーム達に冷静に指示を行う。
「あぁ、そこは一度行ったことがある。サーラ、準備をしてすぐに発つぞ」
「うん!」
サーラは急いで立ち上がって、慌てて荷物を纏める。早くしないと、自分の魔力を感知してルセル卿がここまで追ってくると彼女は確信していた。しかし自分が遠ざかれば、魔力感知も難しくなるはずだと彼女は考えたのだ。
ゲイルは、ストーム達が準備している間、窓から屋敷の様子を伺っていた。
「街を出るまで気を付けろ。騎士団の厩舎にお前たちの馬は置いてある。私は、屋敷の様子を窺う」
「あぁ。でも、お前も気を付けろよ。無理だけは、絶対するな!」
「大丈夫だ。仮に怪しまれても、私はこの地区の騎士団長だ。簡単に手出しはできないだろう」
「そうだな。じゃあ、先に行ってるぜ!」
ストームはゲイルを1人残すのも気がかりだったが、ゲイルもストームに劣らない実力のある騎士だ。相手が誰であろうと簡単にやられることはない筈だ、と彼はゲイルを信じる事にした。
ストームは自分達の荷物を持つと、サーラと一緒に急ぎ足で部屋を出ていった。
ゲイルはストーム達が裏口から出たのを確認すると、メルド公爵の屋敷を見つめたまま腕を組んで思案した。
「さて、どうしたものか……。メルド公爵はどう出るかな?」
ゲイルは、はっきりとした証拠もなく自分が疑われ断罪される可能性は低いと考える。だが、ルセル卿という存在の不気味さに、不安を覚えずにはいられなかった。
彼は今後の事を思案しながら、屋敷の門の両脇に揺らめく篝火を眺めた。




