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カルディア大陸編5 サーラのスパイ大作戦

 メルド公爵の屋敷は広く、1階には大広間や応接間、キッチンなどがあり、2階には居間や寝室、来客用の宿泊部屋がある。


 大広間には、白いテーブルクロスが掛けられた長机が中央に配置されており、30席程ある。奥には、凝った装飾のマントルピースが美しい、大きな暖炉が取り付けられている。両サイドの壁際には複数のソファーが並び、鮮やかな刺繍のカバーが背凭れに掛けられている。


 ベリンは見習いの身分なので、料理長や家政婦長から色々と仕事を言い付けられている。1階と2階を行ったり来たりしながら、忙しく雑務をこなす。彼に憑依しているサーラは、浅い憑依の状態のまま屋敷を観察していた。


(この人よく働くなぁ。……私には無理)


 視野を共有しているサーラは、あちこちと動き回る視点に酔いそうになっていた。ギルドで依頼を受けて魔道士として戦闘に参加する時は、面倒くさがり屋のサーラも本気を出して俊敏に動き回る。


 しかし、ベリンのドタドタ、アタフタした独特な動きになかなか馴染めないでいる。



「ベリン!」


 ベリンが夕食の配膳をしていた時、後ろから家令のポールに呼び止められた。彼は何かしでかしたのかと思い、慌ててポールの元へ急いだ。


「は、はい、なんでしょう?」


「明日からはメルド公の身仕度を手伝え。そろそろ従者の仕事をメインに覚えてもらおう」


「は……はい。承知しました。ありがとうございます」


「うむ、よく頑張ったな。……しかし、ここからが本番だぞ」


 ベリンは一気に破顔になって、ポールにお辞儀した。見習いもそろそろ卒業ということだ。彼は一気に喜びが込み上げた様子で、両手の拳を握りしめた。彼の様子を見て、ポールは穏やかな表情で頷いた。


(……あ、これはチャンスかも?メルド公爵と2人きりになりやすくなるってことだよね)


 2人きりになれば、サーラが夢魔法でメルド公爵の記憶を引き出すチャンスが増す。彼の記憶を引き出せられれば、謎の集団との関係も簡単に知る事が出来る。彼女にとっては、願ってもない話だ。



 ポールに個室に連れられ、従者の仕事についての注意点を指導されたあと、ベリンは使用人の部屋に戻った。今日の仕事はもう終わりだ。いつの間にか日も暮れている。


 仕事が終わると、使用人達は一同に食堂に集まり夕食を済ませる。その後は各々部屋に戻り自由に過ごす。ベリンは自室で少し寛いだ後、深い眠りについた。


(もう寝た?……よね)


 サーラはベリンが深い眠りについたのを確認すると、一気にベリンへの憑依を深くした。魔力の消費は大きくなるが、これで五感はサーラが操れる。味覚も感じられるようになるのだ。


(これで体が動かせるね……うふふ、クッキー、クッキー!)


 ベリンに憑依しているサーラは、こっそり音がしないように部屋の扉を開けた。廊下は薄暗いが、壁には等間隔で蝋燭が灯っている。


「確か……こっちだったよね」


 サーラはベリンの口から小さく声を発した。そして、階段をそろりと忍び足で1階へ降りる。ベリンのぽっちゃりした体を動かすのに慣れていないため、途中で脚がもつれそうになった。彼女は慎重に1階へ降りると、渡り廊下を渡り、大広間の先にある調理場に辿り着いた。



「よし……ここだね。フォスム」


 サーラは調理場の扉を閉めると、明かりを灯す魔法を唱えた。彼女は右掌の上に光の球を浮かべ、松明のように辺りを照らす。夢魔法という超上級魔法の使い手である彼女は、基本的な魔法も一通り使える。


 彼女はワクワクしながら、昼間見た焼き菓子のあった棚の前に立った。


「あれ?……ない!」


 すると、棚の上段に置いてあったはずの焼き菓子が消えていた。サーラは愕然とした表情を浮かべて、足元から崩れ落ちた。


「えぇぇぇ……はぁ…………。あ!あった」


 彼女はしゃがみこんだ目線の先に、焼き菓子が仕舞われているのを発見した。サーラは、棚の下段から出すと、うっとりとした表情で焼き菓子をまじまじと見つめて、その匂いを確認した。


「はあ、甘い匂い。涎が出てきちゃった。きっとこの丸いのがクッキーね。なに……この変な形……あ、多分ワッフルだ!」


 どちらも、帝国にもエルフの国にも存在しないお菓子だ。サーラは長年エルフの国に住んでいたので、セレネ国の食べ物はほとんど口にしたことがない。前にストームから話を聞いて、ずっと焼き菓子を食べるのを夢見ていたのだ。



「モグモグ……………うっまぁぁぁ…んぐっ!」


 サーラはクッキーを手にとって、一口食べた。初めて味わうサクサク感と芳ばしい香りと程よい甘さに、彼女は震えた。つい叫びだしそうになって慌てて口を押さえた。


「はぁぁ……なんて美味なの。これは止められない」


 彼女は2、3個まとめてクッキーを口に放り込んだ。そして次々に他の種類のお菓子にも手を伸ばしていく。



「んー………さいっこう! じゃあ、ワッフルも………モグモグ…………ん~! これも美味しいぃ~」


 サーラは焼き菓子にうっとりして、体をくねらせた。と言っても憑依中の状態だ。実際は、ぽっちゃりした男が、頬に手を当てて体をくねくねしている姿になる。


「はぁぁ……幸せ。…………あっ、やばい、結構食べちゃった」


 サーラはバレないように、少しだけつまむ予定だった。しかし、彼女が冷静さを取り戻した時には、既に皿の上の焼き菓子は半分に減っていた。


「あら~、えへへ。もうどうせバレちゃうし……全部貰っちゃえばいいよね!」


 サーラは勝手に都合のいい解釈をして、残りを袋に入れて持ち帰ることにした。誰にも見られてないし、明日騒がれても何とかなるだろうとは能天気に考えた。


「さて、どこかに隠しとかなきゃなあ」


 サーラは、ベリンの部屋には使われていない空の木箱があるのを思い出した。そこに2、3日ならお菓子を置いててもバレないだろうと彼女は考えた。



 サーラは調理場を出て2階に戻ろうと、渡り廊下に差し掛かった。その時、彼女は奥の方から足音が近付いてくるのを感じた。通路は真っ直ぐで見通しがよく、隠れる場所はない。


「やば………オフサル」


 サーラは、自分の姿を蜃気楼で目眩ます魔法を唱えた。光に反射すると、使用者の周辺は揺らめいているのが分かる。明るい場所ではバレやすいのだが、暗い場所ならほぼ分からない。


 向かってきたのは、家令のポールと侍女の2人だった。薄暗い廊下の中、等間隔の蝋燭の灯りだけが2人の姿を現す。


「もう真夜中になってしまいましたね」


「……明後日はルゼル卿が来るからな。準備が大変だな」


 侍女が話し掛けると、ポールは右肩が痛む素振りを見せ、肩をグルリと回した。


「……失礼を承知で言いますが、あの方は、正直不気味な感じもします。私はメルド様が心配です」


「うむ。本来なら、私の立場なら客人にそんなことを言うな!……と叱るべきなのだが、お前の言いたいことも分かる」


「ええ、良識あるメルド様を信じてはいるのですが」


「まぁ、本当に間違った道に進む場合は……考える必要もあるやもしれん」


 サーラは柱の陰に背中を密着させ、通り過ぎるのを待った。目の前を通過したポールは、真剣に考え込む表情をしていた。



 サーラは2人の姿が見えなくなると魔法をといた。そして、そそくさと渡り廊下を渡ると、音を立てないように慎重に2階の階段を登った。


(危なかった〜。でもいいコト聞けたね……ルゼル卿について調べたほうがよさそうかな)


 さっきポールは、『明後日ルゼル卿が来る』と話していた。サーラは明日までに何とか情報を引き出したいと考えた。彼女はベリンの部屋に戻ると、木箱にお菓子を隠してベッドに横になった。


(ふぅ……意外と魔力を使っちゃった。私も寝よう)


 体を横たえると急激に眠気を感じたので、サーラは憑依を最大限浅くして、すぐに眠りについた。




 ______次の日、サーラが目を覚ますと、ベリンは昼食を食べている最中だった。憑依をかなり浅くしてたので、ベリンが朝目を覚ましたことにも気付かなかった。


(やばい、寝過ごしちゃった……。ん?……美味しそうなシチュー。くー、悔しい!)


 ベリンは野菜と鹿肉が煮込まれたシチューに、パンを浸しながら口に運んでいる。サーラは今憑依が浅い状態だ。目の前で美味しそうな食べ物を見せつけられても、味覚は感じられないのだ。


「ベリン。昨夜、調理場から焼き菓子が消えたらしいが、お前は何か知らないか?」


 白髪混じりでがっちりした体型の、初老の男が話しかけてきた。現在の従者ダンだ。従者の仕事は主人との信頼関係も必要なため、引き継ぎに何年もかけることもある。ベリンはダンの後釜として、雇われたのだ。


「はぁ……私は知りませんが」


 ベリンは慌てて立ち上がって答えた。


「まぁ、知らんなら構わん。何やら厨房でメイドが騒いでてな。明日のルゼル卿を出迎える晩餐会で使う予定だったようだ」


(そうなんだ?それは悪かったなぁ。でも、もう半分食べちゃったもんね……。あ、残りのクッキーバレる前に処分しなきゃ!)


 ベリンが疑われてしまったら、サーラのスパイ活動に大きな支障が出てしまう。それに加え、頑張っているベリンに申し訳ないという気持ちがサーラの心に浮かんだ。彼女は反省しつつも、残りのクッキーは早めに食べてしまおうと決心した。その辺はちゃっかりしている。


「お前は今日から私の元で働く。メルド様は今日狩りに行かれる。その後片付けはお前がしなさい。あとでやり方を教えるから、食べたらメルド様の部屋に来なさい」


「あ、はい。すぐ参ります」


 ダンはそう言い残して、食堂を出ていった。ベリンはシチューを掻き込むように平らげると、すぐにメルド公爵の部屋へと向かった。



 メルド公爵の部屋は2階の一番奥にある。寝室と居間が繋がった大きな部屋がある。ベリンが到着する前に、ダンは先に狩りの準備を進めていた。ベリンに気が付くと、彼は狩猟用の服や必要な道具をテーブルに並べ始めた。


「いいか、ベリン。今用意してるものを全て覚えろ。メルド様は、他の貴族との付き合いや気分転換を目的として、たまに狩りに行かれる」


 所狭しと並べられた道具達は、刺繍の入ったチュニックやマント、短剣から水筒まで、細かく30点ほどある。


「弓矢は、厩舎の横の武器庫にある。それも事前に用意をしておけ」


「はい」


「いいか、覚え切れない部分があればちゃんとまた尋ねてきなさい。道具を無くしたり壊したりした時は正直に私に言うように」


 ダンはベリンに服や道具の収納場所や使用方法を教えた。そして、一通り説明するとベリンに注意を促した。


「狩りはメルド様の息抜きだ。それに付き合うのも従者の役目。お前もその内行く事になる。まぁ今日は私が付き添う。お前はメルド様が帰ってくるまで、納屋の掃除でもしておけ」


「承知しました。では失礼します」


 ベリンは一度お辞儀をすると、部屋を出た。狩りの後片付けの際、従者はメルド公爵の更衣も手伝う。その時、2人だけになる可能性が高い。


(よ~し、勝負はその時だね!)


 サーラは、このチャンスを逃すまいと張り切った。





 ______その頃、晴天の上空からセレネ魔導学院へ降り立つ大鷲の姿があった。


 その焦茶の羽毛は美しく、鋭く尖る爪、掴力が強い太い趾、鉤型に曲がった嘴……その姿には空の王者の貫禄を感じる。羽根を広げると水車小屋を覆う程の大きさがある。人間1人なら余裕で乗せられる程の体長だ。


 その黄金の目は鋭く、視力に優れる。森林の枝葉から湖の雫、はたまた地形に隠された洞窟まで見通す力がある。


 魔導学院の最上階から外へ伸びる展望所に、その大鷲は降り立つと、人間の容姿へ擬態した。


 紅鳶色の髪が逆立つ、鋭い目付きをした長身の男の姿となった大鷲は、室内へと足を運ぶ。その視線の先には、魔導学院長セイントの姿があった。



「よく来てくれたな、風の王シェラよ」


「ふん、私にとっても無視は出来んからな。それより、お前が言っていた()()()が、もう既にセレネ国に入国したぞ」


「ああ、構わぬ。奴の狙いがはっきりするまでは、様子を見る事にする」


 風の王シェラというのは、大陸の守り人として古くから存在する者だ。先祖代々、その眼力で大陸の変化を見守り続けていた。どの国にも属さず、(しがらみ)を嫌う。


 しかし、管理者(ディアス)とは目的が一致する部分が多く、協力関係を築いている。


 セイントは、シェラからの情報提供により大陸の状況を把握する事が出来ているのだ。



「それと、ヴァーサノ山脈の魔人達がそろそろ動き出しそうだぞ。あの男とも接触するかもしれんな。しかし、私の能力を持ってしても奴らが何を企んでいるか……見通せん。周囲に靄がかっている」


「……そうか、動乱が近く起きそうだな」


 セイントは、暗雲立ち込める未来を想像し、重苦しい息を吐く。そして彼は、気持ちとは対照的な雲1つない蒼穹に目を向ける。

 その空の遥か先に漂う邪悪な存在を打倒すべく、彼は永き戦いに身を投じる決意を固める。


「我等は、成すべき事を成す。風の王よ……この大陸の未来を見守ってくれ」


「ああ、私もその為に尽力しよう」


 風の王は、その視力を持って北の大地を見通す。その視野の先には、妖しい光が漂う活火山が映り込んでいた。

 

 


読んでいただいて、ありがとうございます。

是非続きもご覧くださいませ。


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