カルディア大陸編3 夢魔法使い
「え?……めんどくさいよ〜。むはぁぁ、フワフワして気持ちいいなぁ」
銀色の癖毛を持つ女エルフが、布団の感触に身を委ねながら答えた。帝国本部のギルドに所属するサーラだ。
彼女は、ぱっちりとした丸い瞳が印象的で、その明るい表情と仕草は愛くるしい雰囲気を持つ。そして、小顔でスタイル抜群の身体をしている。彼女が街を歩けば、男達が振り向く事も多い。
「だーもう!分かったよ。今度砂糖を買ってくるように、カタスト国の知り合いに頼んどくよ。それでどうだ?」
ジェナミ帝国に戻ったストームは、サーラの家を訪ねた。ゲイルに依頼されたスパイの仕事を、彼女にお願いする為だ。しかし彼女は面倒臭がり屋で、気が乗らないと仕事を引き受けない。
サーラはスパイの依頼を引き受けて失敗したことは殆どない。エルフである彼女は、大陸でも指折りの実力がある魔導師の内の1人だ。元々、人間よりエルフの方が質の高い魂体を持っている。
カルディア大陸の自然界に多く存在する魔素は、知的生命体が持つ魂体と反応し、魔力を産み出す。それが魔法を使用する際の源泉となっている。
魂体の質が高い方が、魔素から魔力への変換効率が高い。つまり、人間よりエルフの方が魔道士向けの能力を持っているという事だ。
「ん〜?砂糖より、お菓子がいいなぁ」
「お菓子か……難しいな」
サーラは甘いものが大好きなので、ストームはそれで釣ろうと思い付いたのだが、砂糖を使った甘いお菓子となると、貴重なのだ。なかなか流通していないし、お店で見かけることは少ない。
「前さ、ストームが言ってたクッキーってお菓子食べてみたい」
「あれは貴族の食べ物だから、簡単に手に入らないんだよ」
「えー。……じゃあ、引き受けたくない」
サーラは口を尖らせて答えた。気乗りしない様子でストームに背を向け、その癖毛を左指で弄っている。
「……くっ…………あ、そうだ、今回の依頼は貴族の屋敷でのスパイだ。きっと屋敷にクッキーもあるんじゃないか?」
「ほんと? じゃあ、引き受けてもいいかも」
サーラはストームの方に振り向いて、一気に目を輝かせた。“よし!食いついた!”と、ストームは胸を撫で下ろした。実はゲイルから、既に依頼の前金も受け取っていたのだ。
サーラは夢魔法を使う。
夢魔法の使い手は、触れた相手の精神に憑依し、操ることが出来る。または相手の夢をコントロールし、洗脳を行う、などの能力がある。ただし、魂体マナスの質が高い相手には、憑依が効かなかったり、存在に気付かれる場合もある。
魂体の質が低い相手なら簡単に憑依して、対象の場所に侵入できるスパイ向けの能力だ。しかし憑依魔法の使用中は、使い手の身体は眠ったような状態になる。なのでその間、信頼できる仲間に本体を守ってもらう必要がある。
「よしよし、じゃ、頼んだぞ。セレネ国は食べ物が美味しいから、きっとお菓子も美味しいはずだ」
「そうなんだ? わ~い、クッキー楽しみー」
ストームは説得が上手くいき、安堵した様子で話した。サーラは体を起こすと、その人懐っこい笑顔を彼に向けて、両手を挙げて喜んだ。夢魔法の使い手は大陸全体でも数人しかいない。ストームは、どうしても彼女にお願いする必要があったのだ。
「今回は……アーガイル地区を治めるメルド公爵がターゲットだ。その屋敷で働く使用人に憑依してもらいたい」
「ふーん、誰でもいいよ。上手く操るから。でも……」
ストームは、真面目な顔になって本題を切り出した。サーラは話を聞いて自信ありげに笑顔を見せた後、上目遣いで何かお願いする様子でストームを見る。
「あ、ああ、分かってるよ。俺がその間は本体守ってやるから」
「うんうん。ストームなら安心ね」
サーラは安心した表情になり、笑顔で頷いた。憑依の魔法を使用する際、彼女はこれまでも何度かストームに本体の事をお願いした事がある。本当に信頼できる相手がいない限り、使用できない魔法でもあるのだ。
ストームは詳細な依頼内容をサーラに説明し、セレネ国へ行く仕度をすぐ始めるように指示した。スパイの都合上、1週間以内には、セレネ国に着いておきたい事情があった。
「セレネのアーガイル地区までは、馬で5日かかる。悪いが、今日中には出たいんだ」
「そんなぁ、はぁ……もう少し寝ちゃダメ?」
「やれやれ、だな」
サーラは、仕事が始まれば有能なのだが、取りかかるまでがのんびりしている。再びベッドに横になった彼女を見て、ストームは頭を掻きながら溜息をついた。
_______一方その頃、ゲイルはアーガイル地区を治めるメルド公爵の屋敷で、家令のポールと会う約束をしていた。屋敷にいる使用人の中から憑依対象を決める為だ。
「これは騎士団長殿、お久し振りでございます」
屋敷の入り口には、重厚な煉瓦造りの門が立っている。ゲイルが扉の中に入ると、ポールは屋敷の前の広場で出迎えに立っていた。石畳の広場には使用人達が数名作業をしている姿がある。
家令であるポールと騎士団長であるゲイルは、仕事上の付き合いは長い。顔を合わせる時は、良く言葉を交わす間柄だ。
「久し振りですね。ポール殿、メルド公はお変わりないですか?」
「ええ。しかし残念ですが、今は外出中でお戻りになられていません。最近、メルド様もお忙しそうですよ。領民の声を聞きながら苦心されております」
「今年は地区の穀物の出来が良くなかったみたいですね」
「あ……はい。ですので、ゲオール国から大量に穀物を買い付けたいのですが、なかなか財政にも余裕があるわけでもないのですよ」
ポールは話しながら渋い顔付きに変わっていき、頭を傾けて顎をかいた。
基本的にメルド公爵は、良き領主である。アーガイル地区の経済が安定しているのは彼の裁量の良さのお陰でもある。公爵の悪い噂が耳に入るようになったのは、最近になってからだ。
「財政の細かい管理も大変でしょう。……使用人も多く雇われてるようですね?」
「ええ。役割を分けると、その分人が要りますからね。全部で40人くらいはいますよ。料理人に従者や女中もいますし、管理が大変ですよ……。おっと、愚痴になりましたね」
「そういえば、従者にも新人が入ったと聞きました」
本当はそんな情報は知らないのだが、ゲイルはカマをかけてみた。新しい従者が欲しいという話を、彼は以前から耳にしていた。新人が入っていても不思議ではない。
「ええ、少し前ですが入りましたな。まだ見習いとして、屋敷内の雑用もさせてますがね」
“その従者が良さそうだな”とゲイルは思った。
「名は何と? いや……私の友人の男が、“知り合いがこの屋敷に最近登用された”と言ってたので、もしやと思って」
「成程、そうですか?彼はベリンと言います。今呼びましょうか?」
「ええ、そうしていただけますか?」
「……おい、ベリンを呼べ」
近くにいる女中に、ポールは声を掛けて指示をした。彼女は頷くと、すぐに屋敷の奥へと足早に向かった。
ゲイルは従者が来るのを待つ間も、ポールと談笑しながら色々と屋敷の情報を引き出した。屋敷内の状況を何となく把握できた頃、従者のベリンが駆け足でやってきた。
「……あ、ポール様、何かご用命でしょうか?」
ベリンは栗色の髪の毛を持つぽっちゃりした小柄な男だ。クリっとした円らな瞳が印象的で、少しおどおどしている様子を見せている。
「こちら、騎士団長のゲイル殿だ。アーガイル地区の治安維持を主になされている」
「……え…あ、私はベリンと、も、申します」
ベリンは急に騎士団長を紹介されて、その円らな瞳を更に丸く見開き、驚愕したまま硬直している。一般の住民が騎士団長に会う機会など、殆ど無い。何故、自分に紹介されたのか不思議で仕方ないのだ。
「お前にゲイル殿が用があるそうなので、呼び立てたのだ」
「すまないな、お前はベルモンテの知り合いではないか?」
「はぁ、ベルモンテ様…………?……うーん、さぁ……知り合いには……あ、ベルナルドならいますが」
ゲイルは、適当な名前を出して話を合わせた。彼は不自然に見えないように、堂々と振舞っている。ベリンは、頭を悩ませるように腕組みをして首を傾げた。そして何か思い付いた顔でゲイルの方を向くと、知り合いの名前を出した。
「うーん、そうか。では、人違いかもしれないな。わざわざ呼び出してすまない。友人の知り合いかもしれないと思ったのだが、どうやら違うようだ」
「あ……そうですか?」
「わざわざすまないな。用はそれだけだ」
ゲイルは長話になると怪しまれると思い、ポールの方を見て、頷いた。ベリンはどうすれば良いか戸惑う様子で、ポールの方をチラリと見た。
「もうよろしいので? ……それじゃあ、ベリン、メルド様が帰られるまでに厩舎の掃除をしておけ」
「はい。それでは失礼します」
ベリンはポールの言葉に頷き、一度深々と頭を垂れると、厩舎の方へ足早に駆けていった。その後姿を見送った後、ゲイルはポールの方へ向き直った。
「では……私もそろそろ失礼します」
「メルド様にはお会いにならないで大丈夫なのですか?」
「ええ、外出中なのでしょう? 私もこのあと用事があるので、また近々出向きますよ」
「そうですか?またいらしてください。ゲイル殿はいつでも歓迎いたしますぞ」
「ありがとうございます。それでは、メルド公によろしくお伝えください」
ゲイルは目的は果たしたので、足早に貴族の屋敷を後にした。彼は家令のポールと長話が出来るように、敢えてメルド公爵がいない時間を見計らって屋敷を訪問したのだ。
ゲイルは、ベリンが屋敷を外出する時を狙って、彼に憑依してもらうことに決めた。
彼はポールとの雑談の中から、使用人が1日に1度、街に出て買い物を任されることを聞き出していた。ベリンは従者として登用されたが、まだ見習いのため彼も買い物を任されることがあるようだ。
しばらくの間、屋敷の近くでストーム達に張り込んでもらおう……とゲイルは考えた。
______数日後、ゲイルとストーム達は落ち合った。アーガイル地区の外れの農地に、誰も使用していない水車小屋がある。騎士団長のゲイルは身分を隠す為に、農民のようなチュニックを身に付けて、そこでストーム達を待っていた。
「よう、今着いたぜ」
「……お、来たか。思ったより早かったな」
到着したストームが、馬上から小屋の中にいるゲイルに声を掛けた。ゲイルは小屋の扉を開けると、彼らを出迎えた。ストームの後には、夢魔法使いのサーラが一緒に来ている。
「彼女がこないだ言っていたサーラだ」
「君がか?優秀な魔道士と聞いている。私が、アーガイル地区の騎士団長ゲイルだ」
「よいしょ……どうも!魔導師のサーラです。よろしく~」
「あ……ああ、よろしく」
ストームは馬から降りると、サーラをゲイルに紹介した。彼女は馬から飛び降りると、人懐っこい笑顔で元気よく挨拶した。ゲイルは今迄、冷静で寡黙なエルフしか見たことが無かった。明るく笑顔を振りまく彼女を見て、彼は驚いた。
そもそも、エルフが人間のギルドに所属してること事態珍しいのだ。通常エルフは、人間との交流を深めたがらない。
「えっと、夢魔法の使い手と聞いたのだが……。君にはスパイの仕事を依頼したい。今回、ベリンという男に憑依して欲しいのだ」
「うんうん、どんな内容の依頼かはストームから聞いてるよ」
「そうか、ならば詳しい説明は不要か?ベリンについて、部下に素性を調べさせた。メルド公の親族の落とし子のようだ」
「ほぅ……訳ありなんだな」
ゲイルの話に、ストームが納得をしたように頷いた。隣でサーラはよく理解出来ないという表情で、首を傾げている。
従者は主人の身の回りのことを世話をするので、出自がしっかりしていて信頼できる人間しか置かない場合が殆どだ。ベリンは落とし子だが、一応メルド公爵の血族ではある。貴族の諸事情で従者に選ばれたのだろう。
スパイをするに当たり、メルド公爵に直に接する機会が多いと踏んで、ゲイルは従者の人間を選んだのだ。
「あぁ。あとは、魔力感知に優れた部下に調べさせたが……ベリンの魂体の質は低いとの事だ」
「そっか?それなら、安心」
ゲイルの言葉に、サーラは胸を撫で下ろした。
魂体の質が高いと、憑依する魔法を使う時に抵抗されることがある。セレネ国には魔導学校があるので、魂体の質が高い人間が集まってきている。
基本的には訓練を受けた騎士、魔導師などしか魔法は使えない。しかし貴族や庶民の中に、質の高い魂体を秘めた人間がたまにいることもあるのだ。
ゲイルとストーム達は、計画の段取りを確認し合った。以前、魔竜の洞窟に案内されていたという素性不明の団体と、メルド公爵が数日中に再び接触する情報も得ていた。
「メルド公の屋敷の入口が見える部屋を用意している。街の地図を用意した。この……印がある建物に行ってくれ。部下を待機させている」
「分かった、任せておけ。……って、おい、サーラ!」
ストームはゲイルから地図を受け取ると、再び出発すべく立ち上がった。隣でサーラは真面目な話を聞いて眠くなったのか、ソファーに横になろうとしている。ストームは、無理やり立たせるように彼女の腕を引っ張った。
「いったーい!馬鹿力!!ひどい!」
「って!な、なんだよ……ったく、アーガイルの街まで行けば、思う存分眠れるから頑張れよ!」
「……くくくっ、お前も大変だな。では、2人共よろしく頼む」
サーラは抗議するように、ストームの背中にパンチをお見舞いした。いつも威風堂堂としているストームが尻を敷かれ気味の姿を見て、ゲイルは笑いが込み上げてきた。隣でストームは、首を振って呆れた表情を浮かべている。
「そうだ!……エルフであることは悟られないように、フードや髪で耳は隠しておいてくれ。セレネ国にエルフが来ること自体が珍しいからな。目立たない様に頼む」
「そうなんだ?じゃあ、髪は下ろしとこっと」
ゲイルがサーラに注意すると、彼女は後ろでくくっていた髪を肩まで下ろした。サーラは癖毛なので、髪を下ろせば耳も隠れる。遠目から見ると人間とほとんど区別がつかない。
「……じゃあな」
「ああ、またアーガイルで会おう。私も仕事の合間に顔を出す」
「それじゃ、ばいばーい。あ、ストーム待ってよ〜」
ストームとサーラは、再び馬に跨がって出発した。先に進むストームを慌ててサーラは追いかける。アーガイルの街の方へと続く道に馬蹄の跡を残しながら、2人の姿が小さくなっていくのをゲイルは眺めた。
「頼んだぞ……。さて、私は早く騎士団に戻らねばな」
ゲイルが抱いたメルド公への疑惑は、大きな事件へと発展していく。それは、千年の刻を生きる大魔道士ノアが想定する、大きな運命の流れを左右する重要な歯車の1つでもあった。
……ゲイルは、その事をまだ知る由もない。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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