another story ロックスとコウ
ジェネレス家……アーガイル地区でも数百年続く格式ある貴族の家系だ。現在はゲイルの従兄弟に当たる者が、当主を務めている。
歴史的な建造物でもあるジェネレス家の屋敷は、貴族街でも存在感がある。門には花をモチーフにした彫刻が掘られている。美しく塗られたクリーム色の外壁には、上質に装飾された窓が並んでいる。茜色の屋根が乗っており、規模は中規模程度の屋敷だ。宮殿風の上質な造りで、外で使用人が数名庭園の整備をしている。
その屋敷の近くにゲイル達家族は住んでいる。幼少期から成人する辺りまでは、彼もその屋敷内に住んでいた。しかし、騎士団に入団したのを切っ掛けに分家の屋敷に住み始めた。ジェネレス家一族が所有する庭付きの邸宅だ。
本家の屋敷に比較すれば、小規模だが十分豪華な造りだ。一家族では持て余す広さをしている。
その邸宅には、ゲイルと妻・マリア、息子のロックスとターナーの4人家族が住んでいる。それに加え、使用人の2人が寝泊まりしている。その内の1人は、メイドのボニーだ。主にマリアと子供達の世話係をしている。
「ふう……やっとターナーは眠ってくれたわ」
「ターナー様は、元気なお子様ですね」
「ええ、本当。こんなにちっちゃいのに、泣き出すと力あるわよね。今考えたら、ロックスは手が掛からなかったのね」
「はい。ロックス様は、聡明で落ち着かれてます。大人びた表情をされる時がありますよね」
マリアの腕の中には、まだ1歳にも満たないターナーが抱かれている。激しく泣きじゃくった後、ぐっすり眠りについたところだ。マリアは、元気な赤子が可愛くて仕方ない反面、その世話に悪戦苦闘している。
今も、なかなか眠ってくれないターナーに困ったマリアは、ボニーを呼んで、寝付かせるのを手伝ってもらっていた。
「あら?そう言えば、ロックスはどこに行ったのかしら?」
「先程、庭で見掛けましたけど……何処に行かれたんでしょう?」
「多分、またお屋敷の裏の高台に行ったんでしょう。最近、何故か行くようになったのよね。確かにあそこは見晴らし良い場所だけど」
最近、ロックスは姿を消したと思えば、本家の屋敷の裏にある高台に行っている。最初はマリアも驚いて慌てて探しに行ったが、彼のいつもの行動パターンとなった今では、もう落ち着いたものである。
「私……見に行ってみましょうか?」
「そうね。念の為、お願いしていいかしら?」
マリアは多分大丈夫だとは思った。しかし、やはりまだ5歳。可愛い息子の事が心配だった。彼女は、メイドのボニーの言葉に甘えることにした。
______その頃、アーガイル地区を一望出来る高台にロックスは寝転んでいた。ジェネレス家の屋敷の真裏にあるものの、高台に登る為にはかなりの迂回路を通らなければならない。
しかし、ロックスは身体能力が高い。まだ5歳の子供にも関わらず、簡単に高台に続く崖を登り切ってしまう。彼は見晴らしの良いこの場所がお気に入りだった。
「今日も雲が綺麗だな」
ロックスは草むらに寝転がったまま、ぼんやり空を眺めている。この空の先には何があるんだろう?と最近思うようになった。何故か気になって、空に近いこの場所へ来てしまう。毎日違う形の雲が流れていくのを、彼は眺めて過ごしている。
「空って、何で青いのかな?」
ロックスは、このまま空に吸い込まれそうだとぼんやり思った。穏やかな薫風が吹き、高台の原っぱを撫でる。彼は大地の温もりを背中に感じながら、風に揺らされる野草の匂いに包まれている。
「……何でだろうね?」
その時、何処からか風に乗ってきたように、誰かの声がロックスの耳に届いた。彼は驚いて上体を起こした。振り向くと、クリーム色の髪を靡かせる、優しげな風貌の男が立っていた。彼が身に付けている白いローブが、微風に揺れている。
「え……誰?」
「はじめまして、私はノアって言うんだ。君がロックス君だよね」
「あ……うん。そうだよ」
ロックスは驚いたが、何故か怖いと思わなかった。寧ろ、やっと来てくれた……という気持ちだった。このお気に入りの場所に、自分の運命を変えてくれる誰かが来てくれる予感がしていた。それが何故か、ロックスにも理由が分からない。
「やっと会いに来れた」
「うん、何でだろ?……僕も待ってた気がする」
「……へぇ、興味深いね。うーん、やっぱり君は強力な運命を持ってるからかな?普通の子より、落ち着いてるよね」
「ふーん?」
ロックスは、無垢な瞳でノアを見た。お互い、不思議と初めて会った気がしなかった。未来を視る能力を持つノアは、ロックスが出現する事を何百年も前に予知していた。
彼と実際に会って、目を合わせた瞬間……懐かしい感情が胸に湧いてきた。そんな気持ちになるとは思いがけず、ノアは自分に驚いた。
「やっぱり君は特別な力があるようだね」
「特別な力……?」
「うん。私はその能力を引き出す切っ掛けを作りに来たよ。まだ発現してないようだけど、少しずつ引き出していこう。私の魔力でコントロールしてあげるから」
「魔力?僕は魔法は使えないよ」
「ううん、君の魂体は途轍もないよ。自然と自分で抑え込んでいるんだ。多分魔素がある空間に居るだけで、勝手に魔力を放出し続けてしまって、身体が耐えきれなくなる。その防御反応だと思う」
「……んー?」
ノアは優しい口調で説明したが、ロックスは意味がよく分からず、ぽかんとした表情で首を傾げた。
「ま、よく分からないよね。とりあえず、君の能力を少しずつ開放していこう。体が慣れるまでゆっくりやろうか?」
「まぁ、よく分からないけど……お願いします」
ノアの言葉にロックスは素直に頷いた。目の前にいるこの男の人は、信頼しても大丈夫……と彼は直感していた。そして、ノアとの出会いが自分にとって必要な事だと、本能的に悟っていたのだ。
今、出会うべくして出会った2人によって、運命の大きな歯車が動かされようとしている。そしてその歯車は、地球に存在するコウの運命の歯車にも噛み合っていく事になる。
銀河を超えた遥か遠く離れた地で、彼らの運命は交錯し始める。
______カルディア大陸から遥か彼方にある、地球に舞台を移す。
今、“金色の輝きを持つ者”であるコウは、突き付けられた現実に打ちひしがれていた。
先程、管理者・ダリスに真実を打ち明けられた。自分が賢者という重大な役割を持つ存在の、貴重な候補だという話だった。コウは、その事実を受け入れられず頭を悩ませていた。
その隣に立つエヴァンも、知らない内に自分が管理者の候補者になっていた事実を、ダリアに突き付けられたところだ。
「どうしたもんかな」
「……うん。何が何だかね」
「だよな……。地球の危機が近いなんて、大それた話を急にされても、付いていけないよな。でも、ダリアは本当の事を言ってるのは確かだろう」
「……そうだね。でもなんか、音楽活動も大事な時期だからさ……まだ、何も考えられないのが正直なとこだよ」
「ああ、そうだよな。お前の場合、バンドメンバーと仲良いしな。まぁ……とりあえず、ダリア達の本拠地には行ってみないか?判断するにも、現状じゃ答え出せないだろ」
「そうだね。さっきの話も怖いし、このまま普通には、生活出来ないよね。実際、どんな感じか見てみたら、少しは考えられるのかな?」
コウは、数万年という期間その責務を負うという賢者の重責を知らされた。更に、自分を狙っている存在が居るという話だった。ただでさえ受け入れ難い事実に加え、身の危険も仄めかされ、彼は精神的に参っていた。
「ま、今日はダリアと一緒に泊まってけよ。誰かが付きまとってるかもしれないんだろ?部屋も余ってるし、お前達に一部屋ずつ貸してやるよ」
「あ、ありがと。確かに状況がよく分からないし……そうした方が良いのかもね」
「ああ、そうしろよ。じゃあ、とりあえず俺はダリアと話してくる」
エヴァンはそう言うと、キッチンで洗い物をしているダリアの方へ歩いていった。
コウは、1人窓の外の摩天楼を眺める。ニューヨークの街並みは、角度が低くなった斜陽の光に照らされ、高層ビル群のシルエットが際立っている。
空には、橙と紫空のグラデーションが広がる。その空の向こう……銀河を超えた場所にも別の世界が存在している。そう思うと、彼の目にはいつもより異質な光景に映った。
「……重たい運命だなぁ」
マンハッタンの街に夕陽が没んでいく。空が次第に暗くなるのは、時間が過ぎていく証明でもある。
「紗絵だったら、何て言うかな?」
コウは、昔の恋人の事を思い出した。彼女は3年前に死んだ。彼にとって最愛の人だった。未だに彼女のことを、忘れられずにいる。
彼の右手には、蒼く輝く宝石が嵌められている。彼女のネックレスからターコイズの石だけを外して、指輪に加工してもらったのだ。
コウは目を閉じて、彼女の笑顔を思い出す。
悲しくて、温かい思い出。
二度と戻らない、時間。
愛しい人との懐かしい日々。
あんな風に……愛する人と過ごして、笑い合っている人達が世界に沢山いるんだろう。
孤独に生きる人も、何か人生の中に意味を探して、毎日必死で生きてるんだろう。
それぞれの人達の日常が、当たり前にある。コウは、そんな当たり前の幸せを思い浮かべる。
そして、頭の中で想像した。
地球に何か凶悪な存在が到来して、世界が滅びる瞬間を。
その存在が、全てを奪い去る瞬間を。
コウは、紗絵が死んだ瞬間を思い出した。あの悲しく絶望的な感情が、世界中で渦巻くのかもしれないと、彼は想像した。
“あなたは、運命に選ばれし者。そして、この地球を守る力を持つ存在よ”
ダリアが言った言葉を思い返し、自分の心に覚悟を問い掛ける。
何故だか、彼の目から涙が零れた。
「……守れるのかな?俺なんかに」
『コウ君なら、大丈夫だよ』
コウが指輪を撫でると、紗絵の声が聞こえた気がした。彼が顔を上げると、金色の輝きが集束して、人の姿形を作っていた。彼の瞳には、何となくそれが彼女に見えた。
「紗絵……?」
コウがその輝きに手を伸ばし、触れた瞬間……光は散開した。その黄金の粒は、彼を包み込むように纏わりつくと、消えていった。
「……何だ、今のは?」
彼は目の前で信じがたい光景を見たのだが、不思議と心は穏やかだった。抱いていた不安が取り除かれた気分になった。
続けて、彼は不思議な感覚に陥った。遥か彼方にいる誰かの存在を感じたのだ。同時に、歯車が回り始める幻影がコウの脳裡に映しだされた。
不可思議な事柄が起こり続けているのだが、彼の心は落ち着いていた。まるで、この瞬間が予め用意されていたような気分にさえなった。
「この先に、何があるんだろ?」
コウは視えない未来に手を伸ばすように、右手を空へと掲げた。




