地球編6 エヴァンと紋章①
☆エヴァン視点の話です。
《エヴァン、朝から悪いわね。明日使用予定の機材が調子悪くて、一部が変更になったの。今日、会場は16時からなら開けてくれるみたいよ。サウンドチェックは来れそう?》
「ああ……分かった。行くよ」
《なんか調子悪そうだけど、大丈夫?》
「変な夢を見て……気分が悪い。まったく目覚めが悪いぜ。でも明日はラストだ、そんな事も言ってられないだろ」
《そう……。じゃあ、コウ達のリハーサルもやる予定だから、彼らの分を先に行おうかしら?エヴァンはゆっくりしてていいわよ。17時過ぎに迎えの車をマンションの下に寄こすわ。それじゃ、待ってるから》
「オーケー、了解だ」
俺は電話を切ると、スマートフォンを投げるように布団に置いた。マネージャーのダリアからの連絡だった。このタイミングで機材が壊れるなんて、面倒な話だ。だけど明日はツアーのラスト。サウンドは最高の状態にしておきたい。俺は気怠い体をゆっくり起こすと、部屋のカーテンを開く。
高層マンションの窓からは、ニューヨークの街並に朝日が差しているのが見える。ビル群の中に聳え立つエンパイアステートビルは、高い造形美を持つ尖塔だ。街の象徴として君臨し続けているその存在感には、胸を打たれるときがある。この物件を購入してから3年経つが、この摩天楼の景色は飽きない。眼下の街並をぼんやり眺めていると、この街に生きている人が当たり前に沢山いて、それぞれに人生がある事が不思議に思える時がある。
……にしても、さっきの夢は最悪だった。前に見た夢ともそっくりだ。何なんだ、一体。気味が悪い。思い返すと、胸糞悪くなってきた。俺は苛立つように額を掻きむしる。
背中を預けるようにソファーに倒れ込んだ後、上体だけ起こして、目の前のグラスにスコッチを注ぐ。瓶から注がれる琥珀の液体は、朝日に照らされ煌めいている。苛立つ気持ちを抑えるように、そいつで喉を潤した。
______またあの白髪の爺が夢に現れた。
魔導師ような格好をした老人が霧から現れると、俺を砂の海に突き落とす。
“大地に抱かれよ”
頭の中でそいつの言葉が響くと、あっという間に砂に飲み込まれた。もがくほど、体に砂がまとわりつく。鼻や口に、砂が入り込んできて息が出来なくなる。口の中に砂利の感触が広がるが、吐き出せない。喉まで侵入してきた砂を何とかしようと、嗚咽を繰り返す。息苦しさで気が狂いそうになった。
手足を動かして脱出したくても、砂の重みで身動きがとれない。指先さえ動かせない状態だった。次第に窒息状態になり意識が薄れ、体が痙攣してきた。すると、何かの力によって勝手に身体は引きずられて、地中を移動させられた。気付けば、今度は泥沼のようなベタついた土に塗れていた。
砂よりも密度と重さが増した泥に覆われ、完全に気道は塞がれ息さえ出来ない。身体中が軋むほどの圧迫感がある。強烈な苦痛に悶え、死を覚悟したが、意識は叩き起こされるように戻ってくる。次第に感覚が麻痺し、苦しみは消えていく。
……どのくらい時間が経ったかわからない。いつしか、大地の脈動を体で感じるようになった。まるで自分の感覚が地中に張り巡らされていくかのようだった。
暫くすると、意識がぼんやりしたまま浮上していく。そして浮遊したまま、何処かへ移動していく感じがした。それは心地よく、大河の流れに身を委ねる感覚だ。
……目が覚めると、俺は部屋のベッドの上だった。
先月も似た夢を見た。如何にも悪魔の王が出て来そうな、地獄のような光景の中で火達磨にされた。さっきの夢でも出てきた爺が、俺の胸に手を置くと一気に身体中が燃えだした。苦しみ悶えた後に、炎と一体になった感覚になると、いつの間にか目が覚めていた。
奴を目の前にすると、呑まれたように動けなくなる。しかし、何故か敵意を感じない。寧ろ、包み込まれるような、大らかな存在感だった。不思議な爺だ。
「何なんだ?夢見が悪い……いや、……これは夢じゃないのか?」
先月見た炎に包まれた夢の後、俺の胸に四角い痣が出来ていた。そして、今朝の夢の後はその痣が縦長くなり下部が丸く尖ってきた。まるで盾の紋章のようだ。その膨らみに触れると、はっきりと感触を感じる。
「これは、何か意味がある。……くそっ、どうなってるんだ!?まったく、明日大事なライヴだっていうのによ!」
俺は恐怖と不安に支配され、グラスを床に叩きつけた。砕け散ったガラスが飛び散り、ウイスキーの飛沫がマットに染みを作る。グラスの底の分厚い部分だけ、丸く形状を残し回転しながら大理石の床を滑っていった。
「誰か……相談出来る奴はいないのか?」
俺はもう一度ソファーに体を預け、琥珀色に輝く液体が床面に広がったのをぼんやり眺める。前回夢を見た後、炎に包まれた夢の話を誰かにしようとしても、夢の内容が脳内から消えて話せなくなった。すぐに思い出すのだが、話そうとすると駄目だ。
ツアーのメンバーや専属の医師にも、夢の話は全く出来なかった。こんな、非現実的な事があり得るのか?俺は溜息をつきながら、両手の掌で顔を覆う。
「俺も27歳だ。ロックの呪いにでもかかったのか?」
俺は自嘲するように鼻で笑った。
有名なロックスターは27歳で死んでいる。ロバート・ジョンソン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン……カート・コバーンだってそうだ。まぁ、偶然が重なった迷信みたいなもんだけどな。
俺はロックを愛してるが、薬物はやらない。身体も鍛えてるし、ヘルスチェックも専属医に定期的にしてもらっている。死ぬ訳がない。
だけど、突発的にこの世から居なくなりたくなるときはある。俺は皆が知ってるスターだ。求められる偶像を壊したくない。……でも本当の俺はそんなに強い人間じゃない。
今はプライベートで出歩く回数も減った。パパラッチに追い回されるだけだ。
ある日、酔っ払って道路に倒れ込んで眠った時があった。数日後、みっともない写真を雑誌に載せられてニュースになった。
大事な親友の彼女と、親友の為にサプライズプレゼントを買いに行った時も、タブロイド紙に載った。それで浮気騒動に発展だ。その当時、俺も有名女優と付き合ってたからな。
まったく、馬鹿馬鹿しい……。
普通の暮らしに憧れる時がある。普通の家族が幸せそうに見える。俺は子供の頃は貧しかった。父親は売れない音楽家で、薬物にも手を出していた。生活は荒み、母親は金策に追われ続けていた。やがて、母親は疲れ果てたのか、家庭に愛想を尽かして家を出ていった。それから酒浸りになった親父は、アルコールと薬物のせいでその数ヶ月後に死んだ。
ピアノを教えてもらっていた事だけが、唯一の父親との良い思い出だ。母親は複数の仕事を掛け持ちして、いつも慌しい人だった。彼女に甘えた記憶は殆ど無い。
まだ小学2年生だった俺は、父親の兄である伯父に引き取られて育てられた。彼は音楽会社に勤めていた。今の音楽趣向や音響機器の知識は、彼からの影響もあるかもな。小学生を卒業するまで、父親から唯一教わったピアノも続けた。伯父の薦めでちゃんと講師に習った事もある。
中学生の頃、ベースボールに夢中になってからは、音楽からは離れてベースボールの練習に明け暮れた。そこから実力を認められて、奨学金を獲得して大学まで進んだ。一時は、MLBに入る事も夢見た時期もあったな。けど、度重なる故障でベースボールは続行不可となった。
夢破れ、どん底だった俺に伯父は声を掛けてくれた。当時、彼が勤める会社の関連事務所が、音楽グループを作ろうとしていた。ま、よくあるチャラチャラしたボーイズグループだ。加入してみたものの……結局、鳴かず飛ばずの黒歴史を作ることになった。けど、それが切っ掛けで敏腕プロデューサーに見初められて、アーティストとしてブレイク出来たんだ。
そんな過去があるから伯父には物凄く感謝をしてる。俺にとって、彼が本当の親と言ってもいい。けど、一方で……“普通の家族”にどこか憧れているところがある。暖かい部屋で両親と子供が仲良く暮らす……それだけでも羨ましい気持ちになる。
スーパースターになれたのは夢じゃなくて、努力した結果だ。音楽業界に入ってからは、ピアノやボイトレのレッスンを真剣にやり始めた。プロデューサーからも貪欲に音楽知識は吸収してきた。音楽を研究して、こだわり続けた結果が、今の成功に繋がっているはずだ。
「ふぅ、俺もいつまでスーパースターでいられるんだろうな……。ま、とりあえず、朝食でも食うか」
俺は空腹に気付き、キッチンに向かおうとした。だが、床に転がったグラスの破片に目が止まった。その欠片を拾って眺めていると、俺の心もこんな風になってしまうんじゃないかと思えた。
______18時前に、明日の会場に到着した。マディソン・スクエア・ガーデン。数ある有名なアーティストがステージに立ってきた、歴史ある場所だ。この場所に憧れるアーティストも多いだろう。
入口の扉を開けて奥に進むと、生演奏の音がアリーナの方から聞こえてきた。このサウンドは、多分コウのバンドだろうな。でも……聞いたことがない曲だ。新曲か?
アリーナに続く扉を開くと、広々とした空間が広がる。俺は2階席からステージを見下ろす。2万の空席の椅子が立ち並ぶ中に、コウの姿が見えた。ステージ中央でフォークギターを爪弾いている。モニターからは柔らかい音色が響く。必要最低限に削り落としたアコースティックな音は、シンプルで洗練されている。
バンドメンバーが放つサウンドも落ち着いていて、ピアノ、ベース、ドラムの音のゆったりとしたグルーヴが心地いい。こいつ等、普段から仲良いよな。その安心感が音にも滲み出ている。
郷愁を感じるメロディだ。
今の俺には、心地いい。
少年時代、
ずっと満たされないモノがあった。
父親も母親も、俺がヨチヨチ歩きの頃は仲が良かった記憶が微かにある。次第に2人の関係が悪化して、荒んだ生活に変化していく中でも、俺は両親の愛情を信じていた気がする。
焦がれ続けた、家族の温もり。
冷たい床に寝そべって見た、月光を思い出す。
ストロベリー・ムーン
恋焦がれた君も見てるかい?
皺が増えた手で、掴もうと手を伸ばす
ストロベリー・ムーン
もう夢の中でしか見れない思い出が
この瞬間だけ、輝き出すんだ
……ああ、こいつの歌って、凄えな。心に無遠慮に染みてくる。コウは、歌の中に無防備な弱さも曝け出す。そして何かの願いを込めるように、感情を込めて歌う。
純粋で真っ直ぐだ。だから、強い。
普段は頼り無さそうな奴だけど、俺より芯は強いのかもな。単純に音楽が好きで、雑念がない。ツアー中にバンドメンバーとも絆が深まる程、サウンドに深みが増していった。ほんと、羨ましくなる。
俺も駆け出しの頃は、純粋に音楽を追い求めた仲間達がいた。あの頃に戻りたい時もある。いつの間にか、大金を生むビジネスに変わってしまった。関わる人間の数も増え、俺には売れなくてはいけない命題が出来た。責任が重石になってしんどい時がある。もがくだけが精一杯だ。
でも、コウはマイペースで黙々と好きなものを追える奴だ。俺とは違う。あいつ、自分のことを内気な性格だと思ってるみたいだが、そうでもないだろ。自然と周りが引き込まれていく。こういう奴が本当の天才なんだろうな。
コウ達はリハーサルが終わるとステージを降りて、控室の方向へ歩き出した。俺は後ろからコウに近付くと呼び止めた。
「よう、コウ。今夜、飯でもどうだ?ツアーラストの前祝いでもしようぜ」
「あれ、エヴァン来てたんだ?……ああ、もちろん食事は付き合うよ!あ、えっと、俺だけでいいの?……皆は行かない?」
コウは、いきなり俺が現れたのに驚いた様子だったが、すぐに笑顔に変わり誘いを受けた。そして前を歩いていたバンドメンバーに声を掛けると、皆の様子を窺っている。
「んー?そうだな。ツアーが終わったら、お前ともゆっくり話す機会も減るだろうし……2人サシで軽く飲まないか?トーリス、悪いな。コウを後で借りていいか?」
「ああ、構わないぜ。俺達はコウのおかげでエヴァンのツアーにも参加出来た訳だし、最後に2人で話したい事もあるだろ?気にせず行って来いよ」
トーリスは俺を見て快く頷くと、コウの背中を叩いた。他のメンバー達も、何かコウに話している。どうやら俺と食事に行くよう促してくれた様子だ。コウは安心したような表情になり、俺の方に振り向いた。
「それじゃ、何時集合にする?」
「そうだな……20時くらいにしとくか?詳しい場所は後でメールしとくぜ。それじゃあ、次は俺の番だ。行ってくる」
「うん、サウンドチェック上手くいくといいね。それじゃ、あとで」
俺はコウ達と別れると、ステージへと上がった。
明日は、曲順やパフォーマンス自体には今までと変更がない。今日のサウンドチェックは、あくまで調整だ。モニターから出るサウンドを確かめる作業を繰り返し行う。機材変更後は、高音域の輪郭が強い傾向があった。低〜中音域の音とのバランスをとる作業を何度も行う。楽器や曲を変えながら、また同じ工程を繰り返した。
______2時間弱ほど、微調整とリハーサルを繰り返し、何とか納得できるレベルまで持ってこれた。俺は音響スタッフやバンドメンバー達に、オッケーサインを出す。最後に明日の流れを軽く打ち合わせして、解散した。
ステージを降りると、後からダリアが話し掛けてきた。
「エヴァン、お疲れ様。今からコウと食事なんでしょ?あまり飲み過ぎちゃ駄目よ」
「ああ、明日のステージを台無しにするつもりはないさ。最高のラストにするから任しとけ」
「あはは、期待してるわ。あの……明日少し話したい事があるの。私が昼頃、ホテルまで車で迎えに行くわ。その時、話しましょう」
「?……そうか、分かった。それじゃあな」
俺はダリアに見送られて、マディソン・スクエア・ガーデンの建物を出た。もう街は完全に日が落ちて、ネオンで照らされている。ダリアは珍しく緊張した面持ちで、話したい事があると言っていた。何か重要な話だろうか?
少し気掛かりだったが、俺はコウと待ち合わせをしているレストランへと足早に向かった。
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