地球編3 夢②
☆コウ視点の話です。
なな姉との観光後半戦は、自由の女神から始まった。
アメリカの象徴だし、俺もじっくり見るのは初めてだから楽しみだった。女神の足元に行く為には、まずフェリーでリバティ島に向かう。フェリーが島に着くと、ダウンタウンやエンパイアステートビル、ブルックリンブリッジなどのNYの街並みが一望出来た。
台座の下に近づくと、自由の女神像の迫力に圧倒される。持っている松明は、移民たちの希望を表す象徴らしく、女神は作者のバルトルディの母がモデルらしい。冠の部分は展望台になってるみたいだけど、今回は時間がないから登るのはやめておいた。
周囲で自由の女神と同じポーズで写真を撮ってる人がたくさんいた。俺達も便乗して同じポーズで写真を撮った。
「よし、ここは外せなかったから満足したわ。和雄とも来たかったなぁ」
「あ、和雄さん明日着くんだっけ?」
「そうよ、ライヴもちゃんと行くわよ! アフターパーティーも楽しみー」
和雄さんは、なな姉の夫で俺の義理の兄に当たる。恰幅が良くて、優しくて体も心も大きい人だ。俺の音楽活動も凄く応援してくれている。
俺は姉夫妻を、ツアー終了後のアフターパーティに招待している。せっかくアメリカまでライヴ見に来てくれるし、その位はしてあげたかった。
______その後、なな姉のNY観光ルートを幾つか巡っている内に、少し陽が傾いてきた。スタジオの時間が迫ってきたのもあって、なな姉とは別れることにした。
「それじゃあ、今日も家泊まるんでしょ? 戻るときメールするから」
「あ、そうだったわ。お願いね」
「まだお店回るんでしょ? 何か困ったら連絡してね。じゃあ、気をつけて」
「うん。まだ行きたいリストは残ってるし、夕食も外で済ませてくるわ。トラブルになりそうな時は、連絡させてもらおうかな? じゃあね〜」
なな姉は笑顔で手を大きく振ると、人混みに紛れていった。彼女はまだ目的のお店が残っているらしく、ショッピングに勤しむらしい。英語はあまり喋れないけど、地図アプリと翻訳アプリの使い方はちゃんと分かってるし、多分何とかなるだろう。
「さ、スタジオに行くか」
NY公演がツアーのラストを飾る。ツアーではいつも同じセットリストを演奏しているが、明後日はそれに新曲も組み込む予定だ。今日は新曲の音合わせを中心に練習を行う。
現在、ファーストアルバムの話も進んでいる。元々1人で作っていた"Hold you" や"Don't cry" も、バンドの音で再録し直した。トーリス達のバンドサウンドが、ツアーを通じて成熟し、深みのあるものになったからだ。アルバムの中身ももう9割は録り終えている。
明後日の公演で、ファーストアルバムのサプライズ発表をする予定だ。アルバムの収録曲は、バンドメンバーと作り上げてきた大事な楽曲達だ。思い入れも強い。
「あ、コウ。お疲れ様」
「あれ? ダリア……森さんは?」
俺がスタジオに到着すると、ダリアがフロントの前にあるソファーで寛いでいた。話を聞くと、俺のマネージャーの森さんは別のプロジェクトを任されて今忙しいそうだ。ツアーもNY公演でラストだから、ダリアが俺達のマネージャーも受け持つ事になったらしい。
「……そうなんだ? ダリアも大変だね」
「まぁね。でもコウ達だから引き受けたのよ。あなた達メンバーは仲良しだし、問題も起こさないから、マネージャーとしては助かるの」
「あはは。そっか、なるほどね」
「そうそう。あ……それより、カリナは先に来てもうスタジオ入ってるわよ」
「……ほんとだ、奥からピアノの音するね。じゃあ、俺も先に入っとくよ」
俺は耳を澄ませると、奥の防音室から聴こえる音色に耳を傾けた。美しいピアノの旋律。どこかで聞いた事あるコード進行だ。近付いていくと、何の曲か分かってきた。
俺は防音ルームの扉を開けると、その旋律に合わせて歌う。
『I hope that I don't fall in love with you』
トム・ウェイツの名曲だ。
ピアノを弾いているカリナは、俺に気付くと笑顔になって頷いた。そして、そのまま演奏を続け一緒に歌いだした。この曲は……夜のバーで男が恋に落ちそうになる。それを誤魔化すように1人で酔うんだけど、やっぱりその娘が気になってしまう……そんな歌だ。
俺は歌の世界に溶け込むように、バーカウンターに座る男の気持ちを思う。
気になる娘に声を掛けられず、想いだけが募る。哀愁の中に淡く灯る心。
それを切なく恋しい歌声で表現してみる。カリナの歌声でより艶のあるハーモニーが生まれ、より情景が豊かになっていく。
カリナは柔らかなタッチで哀愁漂うサウンドを響かせる。彼女の演奏をバックに俺も心地良く歌った。彼女は最後の音を鳴らすと、ピアノの鍵盤から手を離し、満足気に微笑んで手を叩いた。即興でのカバーはとても楽しいものだった。
「グレイト!」
「トム・ウェイツか……俺も大好きだよ」
「私も大好き。来るの早かったわね」
カリナは、バンドのピアニストだ。ラテン系アメリカ人で、褐色で艶のある肌を持つグラマラスな女性だ。彼女のグルーヴィでパワフルなプレイは多くの人を魅了する。
「慌てて来たら、ちょっと早く着いちゃってさ」
「ふふ……私もよ。それより、 "You gotta be kidding" は明後日やるんでしょ?」
「うん、初お披露目だね」
カリナは頷くと、ピアノの前で再び姿勢を整えた。そして鍵盤を押さえて、 "You gotta be kidding" のコードを繋げていく。軽やかでリズミカルな音色がスタジオに響いた。そしてイントロからAメロに繋がる部分まで弾くと、俺の方に顔を向けた。
「8小節目をこんな感じに変えたらどう? 少しおしゃれな響きになると思うの」
「おお、いいじゃん。そのコードってテンションコードかな?」
「そうね、ナインスの音がいいでしょ?」
「ああ! トーリス達が来たら、早速合わせたいね」
"You gotta be kidding" は、ロックンロールナンバー。自分としては、モータウンのスタジオミュージシャンが、チャックベリーみたいなR&Rを演奏するイメージで作った楽曲だ。
明後日のファーストアルバム発表に合わせて、新曲のお披露目の予定だ。盛り上がる1曲になればと期待している。
「この曲は演奏してて楽しいわ。きっとお客さんも反応良いはずよ」
「うん、こういうロックンロールナンバー昔から作りたかったんだ。カリナ達の演奏力があったから、作れた1曲だよ」
「あ……お待たせ」
俺達が話していると、防音室の扉が開いて、細身の背が高い男が入ってきた。彼はベーシストのジェイムスだ。髪を緑色に染めていて、唇の周りに2つピアスを付けている。猫背で無表情だから近付き難い第一印象だったけど、性格は大人しくて優しい人間だ。
「ジェイムス!……今さ、"You gotta be kidding"を少しアレンジしようって話してたんだよ。……もう直前になるけど、カリナのアイディアが良くてさ」
「そうなんだ? どんな感じにするんだい?」
「私、もう一度ピアノ弾こうか?」
「うん、聞きたいな……あ、でもトーリスももう来てるよ。一緒に音合わせしながら話そう。……なぁ、トーリス」
ジェイムスはカリナの提案に頷くと、防音室から廊下へ顔を出して、外にいるトーリスに手招きした。廊下の方からは、ダリアとトーリスが話している声が聞こえる。
「お、すまん。皆来るの早いな」
少ししてトーリスが、入り口の扉からひょっこりと顔を出した。髪型がバッチリ決まっていて、テーラードジャケットを羽織っている。最近、彼は服装もお洒落に決めてくることが多い。
「あ、トーリス。俺とカリナは早めに来てたんだ。彼女が新曲のアイディア持ってきたから、1度合わせてみようよ」
「そうそう。それじゃあ皆揃ったし、始めましょうよ。早速私弾いてもいい?」
俺とカリナは見合わせて頷いた。カリナは鍵盤を軽くタッチして、さわりの部分のコードを鳴らす。そして、トーリスに演奏開始の了承を得るように笑顔を見せた。
「ああ……勿論だ、へへ」
すると、デレッと口元を緩めてトーリスは答えた。俺は「トーリス、鼻の下が伸びてるよ……」と言いそうになった。顔は俺の方を向いてても、さっきから横目で何度もカリナを見ている。
そう、トーリスはカリナに恋をしているのだ。俺も最近彼から相談を受ける事がある。でもなかなか、進展させられてないみたいだ。もうツアーも終わるし、俺も彼の背中を押さなきゃと思ってる。ま、その前に明後日のライヴに集中しないとね。
「じゃあ、カリナ。お願い」
「うん」
カリナのアレンジを聞くと、皆しっくり来た様子だった。俺達は何度もリテイクしながら、細かい部分を詰めていく。イメージの共有が早く出来たのもあって、すぐにアレンジは纏まった。その後、明後日プレイする曲を一通り演奏してみる事にした。
……3時間程でスタジオ練習は済んだ。トーリス達に夕食を誘われたが、俺は観光ガイドで疲れていたのもあって、早めに自宅に帰ることにした。歩き疲れて足が痛い。今日は熱めの風呂にゆったり浸かりたい気分だ。
「……あら? コウは、先に帰るの? じゃあ、私車で送るわよ。そろそろ帰ろうと思ってたし」
「あ、悪いね。じゃあ、お言葉に甘えようかな?」
俺達が練習を終えると、ダリアはフロントの前のテーブルで、パソコンを開いてまだ仕事をしていた。俺がトーリス達の誘いを断ったのを見て、彼女は声を掛けてきた。俺も疲れていたから、彼女の申し出を受ける事にした。
スタジオの前で待っていると、ダリアは車を目の前まで回してくれた。彼女の車はプリウスだ。よく日本でも見かける。一時期、アメリカでも流行ったらしい。俺は彼女に促されるまま、助手席に乗り込んだ。
「どう? 明後日は上手く行きそう?」
「うん。新曲は良い感じに纏まってきた。きっと盛り上がるよ」
「楽しみね。あとは、当日体調を万全にしとかなきゃ。何かあったらすぐ私に連絡してよ」
「うん、そうだね。……あ、でも今日は変な夢見たんだよ。あれ、何だったんだろ?……死ぬほど暑い場所で、身体が燃え始める夢だった」
自宅へ帰る途中、車内で会話を交わす。NYの街のネオンが明るく街を照らしている。ダリアとの会話の中で、俺は今朝見た夢を思い出した。
「……え……そうなの?…………まぁ、感情が昂ってたりしてるのかもよ。ツアーラストのライヴも明後日に控えてるしね」
「うーん、そうだね。やけにリアルな夢だったんだよなぁ」
「…………そっか……気を張って疲れてるのかもね。今日はゆっくり眠ったらいいわ」
ダリアはそう言うと、黙り込んだ。俺は今朝の夢の内容を思い出しながら車窓の外の景色を眺める。確かに、感情が昂ってるのもあるのかもしれない。深く考えすぎなのだろうか?まぁ、今日は濃密な1日だった。彼女が言うとおり、早めに寝ることにしよう。
「ここよね? 着いたわよ」
「あ、ありがと。助かったよ。じゃあ、ダリアも気を付けて帰ってね」
「うふふ。じゃあ、また明日のリハーサルはよろしくね」
考え込んでいる内に、自宅の前まで来ていた。車は家の前の歩道に横付けされた。俺はダリアにお礼を言うと、彼女は笑顔でウインクした。そして、プリウスを発車させて静かに夜道を走らせていく。俺はそれを見送ると、玄関の鍵をポケットから取り出した。
「あれ? まだ、なな姉は帰ってきてないな……先に風呂入るか」
俺は玄関の扉を開けると、すぐに浴室に足を運んだ。空腹よりも先に、体の疲れをほぐす事を優先したかったのだ。俺は蛇口をひねり、熱湯が出始めたのを確認してから、バスタブに栓をする。
俺は洗面台の前に立って、シャツのボタンに手をやった。すると、胸の真ん中辺りが血で赤く滲んでいることに気付いた。
「ん、血が出てるのか?」
慌てて上半身のシャツを脱ぐと、胸に三角模様の痣ができて血が滲んでいた。何かにぶつけたとしては、形が綺麗過ぎる。綺麗な正三角形だ。偶然出来たとは思えない。指でなぞるとくっきりと膨らんだ感触がある。
「な、なんだこれ!? …………あ、そうだ……」
俺は今朝見た夢の事が、頭に浮かんだ。
あの老人が胸に手を置くと、身体が金色に光り出した……。ちょうどこの痣の辺りに掌を当てていた気がする。とてもリアルな感触のする夢だった。絶対に何か関係があると、俺は直感した。そして急に背筋が寒くなり、言い知れない恐怖を感じた。
俺は鏡の中の自分を見つめる。そこには、血の気が引いて緊張した面持ちの俺が立っている。勿論、鏡に写った自分の胸にも三角の赤い痣が存在している。俺はもう一度確かめるように、そっとそれに触れる。
指先に感じる三角模様の膨らみに、得たいの知れない何かが憑依している気がした。
「これは、何なんだ………?」
読んでいただいて、ありがとうございます。
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