地球編3 夢①
☆コウ視点の話です。
暑い。強烈な熱を孕む外気のせいで、風が吹くたび、熱風に煽られて肌が焼かれる。呼吸をする度、喉や鼻腔にも熱が流れ込む。体中から吹き出す汗がベタついて、不快だ。喉は枯れ、体は気怠い。目眩もする。
遠くに聳える活火山からは、溶岩が激しく噴き出し、火山口からは膨大な噴煙が立ち上る。天を覆う分厚い黒雲は、所々渦を巻く。熱された麓の岩山が、風に吹かれる度に煌々と朱色に光る。大地に草木らしきものは何もない。岩石のみが無数に転がる、赤褐色一面の世界。
時折、部分的に黒雲が薄くなると、そこから強烈な光が大地を照らす。
あまりの気怠さに、もう倒れ込みたくなる。だけど一度倒れたら、そのまま枯れて死ぬだけだろう。俺は必死で水源を探し求める。重い体を引きずりながら、土埃が舞う大地を踏み締める。
「魂体を宿す者よ」
重い足取りで何処ともなく歩いていると、俺は何かに呼び止められた。すると辺りに浮かんでいた霧が集まって、次第に老人の形を成した。白い髭を蓄えた魔導師のような姿だ。陽炎のように、目の前で揺らめいている。
「よいか、わが導きに身を委ねよ」
その老人の形を成すモノは手を伸ばし、俺の胸の前に掌を向けた。
反射的に振り払おうとしたが、体が硬直して動かない。
次第に体内に何かが巡っていく感覚を覚えた。老人が触れている胸から体全体に向けて温かい感触が広がる。
硬直が解け、力が抜けた瞬間、俺の体全体から金色の光の粒が煙のように溢れ出てきた。その黄金の靄のようなものが、両手から爪先まで、纏わりつくように揺れている。
「ほぅ、金色の輝きを持つか……」
老人は伸ばしていた手を下ろすと、俺の目を見据え頷いた。そしてすぐに霧となり散開した。俺はぼんやりとしたまま、眼前に起こっている出来事を受け入れられずにいる。
"業火を身にまとえ"
その時、先程の老人の形を成すモノの声が、脳内に直接響いた。
チリチリという音と共に、指先から煙が出たかと思った瞬間、一気に身体中が燃えだした。身体中に炎が纏わり付く。俺は必死で手足をバタつかせ転げ回る。ヒリヒリとした肌の感触が、すぐに刺されるような強烈な痛みに変わった。喉の奥も焼かれ、呼吸さえ出来ない。気が狂いそうな程の痛みで、頭がパニックになった。
「ぐっ………あ……がぁぁぁ…………」
肉が焼け、身をよだつ程の激痛が身体中を襲う。転がりながら手足を大きく振って、火を消そうともがくが、炎の勢いは衰えない。逃れたい一心で、よたよたとその場をのたうち回る。気を失いそうな苦痛で意識が飛びそうになるが、無理矢理叩き起こされるように意識が戻される。俺は、自我が吹き飛びそうな苦しみに晒され続けた。
______途方もない時が過ぎた気がする。いつの間にか、痛みが痛みでなく、苦しみが苦しみでなくなった。もはや、無の境地に近い。視覚や聴覚は消えている。
まるで炎と一体化したような錯覚に陥る。炎の揺らめきまで感覚として、感じられる。
暫くぼんやりしていると、急に意識だけが宙に浮いたような感覚になる。そのまま何処かに連れていかれるように流されていく。その流れが心地よく、微かにある意識をそれに委ねる。
「コウ……」
意識の奥で誰かか呼ぶ声がする。
なんか、懐かしい声だ。
「コウ!………ちょっと、コウ!」
目を開けると、柔らかい光が指す白い天井が見えた。そして、見覚えのある顔が覗き込んでいる。
「ん……ああ………」
「ずいぶんうなされてたけど、大丈夫?」
頭がボーッとして、状況が理解できてない。さっき迄、火山地獄のような場所にいたはずだ。
“俺は、生きてるのか?”
感触を確かめるように顔に手をやる。不思議と何処も火傷してない気がする。ちゃんと普通に皮膚の感触がある。
天井には、球状のペンダントライトがぶら下がっているのが見える。顔を右に向けると白枠の窓から光が差し、カーテンが靡いている。微風と暖かい布団の感触が心地いい。
「おーい、今日観光ガイドしてくれるんじゃないの?」
姉の菜々子は、自分の掌を俺の目の前で左右に動かすと、顔を近づけて様子を確かめている。俺はようやく、ベッドの上で眠っていた事が理解出来た。
「なな姉……?……あ……そうか……俺の部屋にいるのか」
ベッドから体を起こすと、もう一度場所を確かめるように辺りを見回した。なな姉は不思議そうな顔して、長くサラサラの黒髪をかき上げながらこっちを見ている。
「ちょっと、何寝ぼけてんの?……もう9時前なのに。約束してたじゃない、早く起きて準備してよ!」
なな姉は、その整った顔を顰めると、呆れた様子で俺の頭を軽く叩いた。そう言えば、今日彼女のニューヨーク観光に付き合う事になっていた。俺は朝9時に出発する約束をしていた事を思い出した。
「あ、ごめん。急いで準備するよ」
「頼むわよー。行きたいコースもう決めてるから、よろしくね!」
ベットから慌てて立ち上がると、なな姉は声を弾ませながら俺の背中を叩いた。そして俺が準備を始めると、彼女は安心した表情で部屋を出ていった。
「はぁ……夢……だったのか?」
意識がはっきりしてきたが、先程まで見ていた世界があまりにリアル過ぎて、まだ夢と現実の狭間にいる感覚だ。
準備の手を止めて、もう一度手足や体を触って確かめるが、やはり何処も火傷している様子はない。俺は朝日に照らされた部屋を見回す。そして柔らかいソファーに腰を下ろし、その感触を確かめる。先程まで夢で見ていた世界と落差がありすぎて、何となくぼんやりしてしまう。
「ふぅ……。まぁ、とりあえず準備しなきゃな」
俺は夢の感触を振り払うようにふーっと大きく息を吐くと、急いで再び外出の支度を始めた。
「今日は、通訳お願いねー」
なな姉は、俺が最近ニューヨークに住み始めた事を聞きつけて、ここぞとばかりに観光ガイドを依頼してきたのだ。昨日から5泊7日でアメリカに旅行に来ている。俺はアメリカツアー・ニューヨーク公演の為に、一昨日から自宅に帰っている。今日は夕方からスタジオで練習と打ち合わせの予定だ。
「あぁ、分かったよ。明後日はライヴなんだから、夕方までしか付き合えないからね」
「はいはい、今や売れっ子だもんね。姉としては自慢の弟よ。お仕事頑張って~」
俺がジャケットを羽織りながら念押しすると、なな姉は、皮肉なのかお世辞なのか分からない口調で、ニヤニヤして答えた。
「早く行くよー!」
なな姉は、先に玄関から出ると期待で一杯という笑顔で振り返った。家を出て地下鉄の駅に向かう道中、なな姉は俺の数歩前を急ぎ足で歩いている。
「ちょっと、歩くペース早くない? どこ行きたいの?」
俺は、彼女の背中に向かって声をかけた。
「だって夕方までなんでしょ? スケジュール詰め込んでるから。最初はタイムズスクエアに決まってるでしょ! やっぱり一度見ときたいのよねー」
一瞬、顔だけこちらに向けると、すぐに前に向き戻り、なな姉は地下鉄の入口階段を駆け足で下りていった。彼女は、NYで地下鉄乗るのは初めてなはずだ。
俺はその後ろ姿を見ながら、改札口の前で「どうやって乗るのよ」って待ち構えている彼女の姿を想像した。
「……今日は連れ回されそうだなぁ」
なな姉は昔からアクティブな性格で、やると決めたら周りを巻き込んででも、目的を遂行する。彼女が見ていたNYの観光用の地図には、赤丸がたくさん書き込まれていた。忙しい1日になりそうだ。
それにしても……目覚めの悪い朝だった。あの夢……何か意味があるようにも思える。思い返す度、何故か胸騒ぎがする。
なな姉に夢の内容を相談しようとしたが、言葉が繋がらなかった。何故か、話が浮かばなくなるのだ。話そうとすると、頭が真っ白になり言葉が遮られてしまう。ま……気が滅入る内容だったし、もう深く考えるのは止めよう。姉との慌ただしいNYツアーも、今日は気晴らしにいいかもしれない。
タイムズスクエア、ロックフェラー、セント・パトリック大聖堂、メトロポリタンミュージアム……と観光名所を慌ただしく回った。全ての場所で、なな姉に写真を撮らされるし、観光ガイドでもうヘトヘトだ。
昼過ぎになって、ようやくセントラルパークで休憩をとれた。俺は疲れた足を休ませる為に、芝生に足を投げ出して寝転がる。
「ガイドありがとう。ランチは奢るわ。あんたハンバーガー好きなんでしょ?」
なな姉はそう言うと、公園の周辺にあるカフェまで歩いて行った。
セントラルパークの広大な芝生には、沢山の人々がのんびり過ごしている。目の前にはニューヨークの摩天楼が聳え立っている。秋風が吹く度、芝生が僅かにそよいでいる。少しひんやりするが、寝転がると芝生の臭いが気持ちいい。
暫くすると、なな姉はロブスターサンドとハンバーガーを買ってきた。良い香りが食欲を刺激する。
「はぁ……疲れたー。急いで回ったけど、堪能できたの?」
俺は寝転がったまま、なな姉に尋ねた。彼女は、早速ロブスターサンドを頬張っている。それは昨日から何度も、スマートフォンで写真を見せられていたサンドイッチだ。渡米前に事前に調べていたようで、とても楽しみにしていた。
「これ美味しいっ!………ん? 何か言った? まぁ、今日は見たかったものを見るのがテーマよ。次の機会の時は、ミュージアムでもゆっくり見たいわ」
「そのゆっくりツアーのとき、ガイドしたかったよ」
「そうね、またお願いしようかな。 暫くはニューヨーク住むんでしょ? 次回も、また家泊めてね」
なな姉はいたずらっぽい笑顔で、無遠慮にお願いしてきた。俺は首を横に傾けて苦笑いすると、ハンバーガーの包装紙を開けた。
トーリスの勧めもあって、ツアー後はニューヨークを拠点にすることを決めた。期間は定めてない。都合よくトーリスの知り合いの一軒家を借りれることになったのだ。同じクイーンズ区内にトーリスも住んでいるのも心強い。
なな姉は、ロブスターサンドを食べ終わると芝生に身体を預けるように寝転んだ。そして何か思い出したように、しみじみと感慨深そうな表情になった。俺の方を向くと、寂しさと安堵が混じったような口調で話し始めた。
「……あんたが、今は充実してそうで良かった。有名になったりする事より、ちゃんと自分のやりたい事をやってることが、嬉しいわ」
「うん。……音楽で成功するっていう夢が叶ったよ」
「……紗絵ちゃんが亡くなった後のあんたを見てたから余計ね。ほんと安心した」
紗絵となな姉も親しかった。紗絵と2人でデート中に、なな姉に遭遇した事があった。その時紹介したのがきっかけで、2人は仲良くなった。
「うん。あの頃は、ほんと辛かった」
「紗絵ちゃんも、喜んでるよ。きっと」
______紗絵を亡くした直後、決まっていた就職の内定は断った。ひと月程は何もせずに過ごした。貯金が減ってきてから、単発の日雇いバイトを週に4回程始めた。それ以外は、何もする気が起きなかった。髪も伸ばしたまま、無精髭も剃らずに、インスタント食品を食べる。大した気力も沸かずベッドに横になり、たまに思い出にひたって涙する日々。
好きだった音楽も、聞く気にさえなれない。
……そんな日々が、3ヶ月以上続いた。
ずっと暗い表情で過ごしてる俺を見かねて、なな姉は俺の家まで叱り飛ばしに来た。
「あんた……いつまでそうしてるの? 辛いのはわかる。きっと自分の一部が無くなったような感じなのかもね」
「…………」
「紗絵ちゃんの病気が再発した時、私あんたの事、お願いされたのよ。『もし自分が死んでも、コウくんには前に進んで欲しい。あんたの歌が好きだから、ずっと歌ってて欲しい』って」
なな姉は目に涙を溜めたまま、俺の胸ぐらをつかんだ。
「今のあんた見たら、紗絵ちゃんが悲しむよ!」
______あの時の姉の言葉は、胸に突き刺さった。今の自分があるのは、なな姉が叱ってくれたお陰だと思っている。
音楽で成功するんだっていう夢は、あの時に定まった気がする。俺は空を見上げて、紗絵の顔を思い出す。自分の音楽が沢山の人に聞かれるようになって、彼女もきっと喜んでる気がする。
『世界中の皆に、コウくんの曲聞かせようよ。私との約束ね』
……あの約束、少しは果たせたかな?
そう思うと、心が少し暖かくなった。
紗絵が死んだ後、悔しかった。
無力だった。
何か他にしてあげられたこと、あったかも知れない。
後悔は、沢山ある。
でも秋空を流れる雲を見ていたら、そんな気持ちが少し軽くなった。時間は勝手に移ろって、もう過去は戻らない。だけど、紗絵の想いはずっと俺の中で生きてる。
「さて、食べ終わったね。さ、行こう」
「……え、もう行くの?」
なな姉は俺の胸の内を他所に、マイペースに立ち上がった。俺は感慨に浸っていた分、呆気にとられた。
「だってあんた時間ないんでしょ」
なな姉は、ロブスターサンドとハンバーガーが入っていたパッケージを素早くゴミ袋にまとめる。そして、地図を取り出して午後のスケジュールを再度確認した。
「さぁ、午後一発目は自由の女神よ!」
「オッケー、分かったよ……」
こりゃ感傷に浸る間もないな……と諦めるようにため息をつくと、俺はゆっくりと重い腰をあげた。
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