地球編2 曲に込められた想い
☆コウ視点の話です。
エヴァンとのツアーも終盤になってきた。今、ミネアポリスからシカゴまで車で移動している。目的地まで400マイル以上、94号線をひたすら南東に下る。俺はアメリカの広大さを感じながら、車窓の風景をぼんやりと眺める。
今乗車中の車は、エヴァンの自家用車だ。キャデラック製の大型SUVを、豪華な内装に改造してある。オットマン付きのリクライニングシートが後部座席に2台あり、中央にテーブルがある。TVモニタも各席に付いていて、映画やライヴ映像も楽しめる。小型の冷蔵庫やインターネットの環境も付属しているという、贅沢な仕様だ。
「こないだシボレーに乗ってたよね。車は5台持ってるんだっけ?」
俺は、上質な革張りのリクライニングの感触に身を委ねながら、隣に座るエヴァンに話しかけた。
「そうだな。あのシボレーは、自分で運転したいとき乗るんだよ。長距離移動になるときは、運転手付きでこれを用意してもらうけどな」
エヴァンは、自慢げに大理石調のカーボンで出来ているテーブルを人差し指で叩いた。俺を横目に見ながら、彼は言葉を続けた。
「それはそうと、今回のツアーはどうだ? もう少しで終わっちまうよな」
「そうだね……凄くいい経験になった。アメリカに来る迄、一人でしか活動した事なかったけど、バンドとして音楽をやる楽しさも知れたし。誘ってくれて、本当にありがとう」
「お前の曲を初めて聞いたとき、俺は感動したんだ。一緒にやりたいと思わせたのは、お前の才能だよ」
「はは。本当に感動してくれたなんて、エヴァンに言ってもらえた俺の方が、感動するよ」
「お前の曲、質感がいいよな。今の時代のサウンドだけど、まるでアンティーク家具みたいな味わいもある。アメリカの音楽の影響はベースにあるけどよ、また違う魅力もあるしな。ピュアで独創的だ」
「そっか……なんか、凄く嬉しいよ」
エヴァンに本気で褒められると、恐縮してしまう。俺は照れて、頭が真っ白になってしまい、言葉を繋げられず沈黙してしまった。雲の上の存在だったはずのスーパースターが、今は隣りに座って自分の楽曲を褒めてくれるなんて、本当に運命は分からない。
2人の間に沈黙が数分続いた後、エヴァンは思い付いたように、話し掛けてきた。
「あ、前からお前に聞きたかったんだけどよ。"Hold you"は、実体験の歌詞なのか? あの曲は愛と悲しみが同居してるだろ。リアルな感触が、俺の心に刺さったんだ」
「うん、そうだね。……もう2年以上前の話になるよ」
俺は普段は閉じている思い出を、そっと開くように、その記憶を辿る。
そう、あれから……2年と10ヶ月経つ。
愛野紗絵……
彼女と出会ったのは、俺が18歳の頃だ。もう5年近く前になる。
高校卒業後すぐ、ライブハウスでソロ活動を始めた。その活動資金の為にアルバイトも始めて、喫茶店で働く事にした。紗絵とは同僚として出会った。
俺は昼から夜までのシフトで週5日。紗絵は大学生で、週3日夜だけのシフトだった。
俺は一目見て恋に落ちた。彼女に会うのが楽しみで仕方なかった。
丸く憂いを帯びた瞳、真っ直ぐな鼻筋、少しカールした艶やかな髪。儚さも感じる美しい顔立ち。少し控えめで上品な仕草も、全てが魅力的で、彼女の事が片時も頭から離れなかった。そんな事は、初めてだった。
「コウくん、今日もよろしくね」
彼女から笑って話しかけられると、最初は目をまともに合わせられなかった。だけど、共通の趣味が音楽だと分かってから、一気に打ち解けることが出来た。
2人でご飯やカラオケに行くことが増えて、何度も会ってデートを重ねる内に……いつの間にか恋人になっていた。あの頃は、本当に幸せだった。
「コウくんの曲は、本当にいいね。私がファン1号だよ」
初めて紗絵の為に作った曲を聞かせた時、とても喜んでくれた。あの時の嬉しそうな顔を、今でも鮮明に覚えている。
お互い初めての恋人だったから、クリスマスや誕生会を2人で祝ったのも新鮮で喜びに満ちていた。
2人で一緒に作ったカレーライス、いつもお馴染みになったカフェのショコラケーキ、100円ショップで購入したささやかな飾り付け……全てが愛しい思い出。
泊まり掛けでフジロックフェスに行った時、真夜中に大雨に打たれて2人でびしょびしょになったこともあった。終電を乗り過ごして、寒空の下、温め合ったこともあったっけ。
彼女と一緒にいれたら
何処にいても、何をしても、幸せだった。
笑い合っても、喧嘩しても
ずっと、そこには愛があった。
……そう言えば、2人でよく行くショッピングモールがあった。
ヨーロッパ調のアンティークな市場と、大きな桟橋が目印の人気のデートスポットだ。海沿いに並ぶカラフルでお洒落な露店を、2人で見て回るのが楽しかった。
「あ、お店新しいの出来てるね。行ってみたい!」
「ほんとだ! 見てみようか?」
市場の中に、南国を思わせるアクセサリー店が出来ていた。鮮やかなブルーや虹色のペンダントや、美しい貝殻を使ったネックレスや腕輪などが店頭に並び、どれもお洒落なデザインだった。
「コウくん、私どういうの似合うかな?」
「うーん。こういうシンプルなやつとか、どう?」
俺はショーケースに入ったネックレスの1つに、目を止めた。楕円形をした小さ目のターコイズの周辺に、上品な彫刻が施されたシルバーが装飾されている。透き通るような清涼なブルーが美しく、シンプルで上品な形状が華麗で、紗絵のイメージとピッタリだった。
「わぁ、素敵」
紗絵はそのターコイズの輝きに魅了されるように、目を輝かせた。
「これ、プレゼントしようか?」
「え、高いしいいよ」
彼女は目を見開き、びっくりした表情を浮かべると、両手を自分の顔の前で左右に振った。
「ほら、来週誕生日だしさ。ほんとはこっそりプレゼント買おうと思ってたけど」
「……んー? そっか。じゃあ、これにする」
紗絵は少し悩んだ表情になった後、一つ頷いた。そして瞳を細め、本当に嬉しそうに顔を綻ばす。その満面の笑みを俺に向けると、ペンダントを指さした。
俺達は支払いを済ませると、桟橋が眺められるベンチに向かい、2人で横並びに座った。海面には夕日が指し、水平線までオレンジ色の輝きが続いている。2人の影は、足元に長く伸びていた。
「はい、フライングだけど、誕生日おめでとう」
「あはは、ほんとだよぉ。でもありがとう…今着けてもいい?」
「え、もう?」
「だって、コウくんが選んでくれたの初めてだし。早く着けてみたい」
俺がペンダントが入った箱を渡すと、紗絵は大事そうに撫でた。そして綺麗な包装をゆっくり丁寧に剥がして、ネックレスを取り出す。
「綺麗だね……」
紗絵は、橙の光に反射する碧の宝石を、見とれるようにじっくり眺める。そして、彼女は大事そうに慎重な手付きで、首元にチェーンを巻いた。しかし、フックが上手くかからない様子でいる。
「ほら、着けてあげるから」
「へへ、じゃあお願い」
背中を向けた紗絵の髪を両肩に乗せて、首筋に銀色に煌めく、チェーンのフックをかけた。
「はい、もう大丈夫」
俺が声を掛けると、彼女は感触を確かめるように、胸元のターコイズを指先で撫でた。
「……嬉しいな。似合うかな?」
「うん、似合うよ」
紗絵は俺の方に振り向くと、俺の右肩に頭を委ねるように密着させる。そして、恥ずかしそうに両手で口を覆って、顔を赤くした。
「へへ……えー……嬉しい」
俺はそんな紗絵の仕草が、愛しくて堪らなかった。
長い桟橋に日が落ちて、橙色に照らされた海が波打つたびに、宝石のように輝く。市場の方を見ると、レンガ製のアンティークな建物が夕日に照らされ、そのシルエットが強調されていた。
「コウくんは、ずっと音楽活動続けるの?」
「分からないなぁ。音楽をやれればいいかな? 20代の中盤までには、楽器屋に就職するとか音楽講師になるのも考えてるよ」
「そうなんだ? コウくんの曲、凄く良いのに。プロ目指してもいいと思うよ」
「うーん。ネットで公開するのも考えてるけど、あんまり自信ないなぁ」
「絶対大丈夫。皆良いって思うよ、きっと。世界中の皆に、コウくんの曲聞かせようよ。私との約束ね」
紗絵は手を握って、俺の顔を覗きこんだ。今思えば、あの時の約束が、今の俺の背中を押してるのかもしれない。
「紗絵は、将来の夢とかってある?」
「私は……やりたい事まだなくて。だからコウくんが羨ましい」
「……そうなんだ? 好きなことの中から見つかったらいいね」
「好きな……あ……私、コウくんのお嫁さんになりたいな。……なんてね」
紗絵は口を滑らせてしまったという感じで、慌てて右手で口を覆う。そして、恥ずかしそうに俺の太腿を軽く叩いた。俺はその手を握り返す。
そして紗絵を抱き寄せて、キスをした。
______付き合って、2年目だった。
紗絵は風邪のような症状が続くようになった。
すぐに治るだろうと思って、最初2人とも軽く考えていた。だけどある日突然、彼女から「動けないほど体調が悪くなった」と連絡がきた。
俺は彼女を迎えに行くと、すぐに病院に連れていき、検査をしてもらった。
結果は急性白血病。
すぐに治療に入らないと危ない状態だった。彼女の我慢強い性格が、発見を遅らせてしまったのだ。その性格を理解して、無理にでも早めに検査させておくべきだった。
その後、壮絶な抗がん剤治療が始まった。
髪の毛も抜け落ちて、嘔吐を繰り返し口内炎も出来た……彼女が副作用に苦しむ姿を見るのは辛かった。無菌病棟に入院してからは、顔も合わせることも声を聞くことも、難しかった。
次第に症状は治まり、久しぶりに面会出来るようになった。彼女は顔を合わせるなり、強張った表情で「ごめんね」と謝ってきた。
「元気になって良かった」
俺がやせ細った紗絵を抱きしめると、彼女は安心したように笑顔になった。
彼女の病状も落ち着いて、寛解してきたところで、一度退院することが出来た。
よく行っていたショッピングモールに、“もう一度行きたい”と紗絵はせがんだ。体調が心配だったけど、2人の思い出の場所だ。行きたい気持ちは、よく分かった。
南欧の港をイメージして作られた建物が立ち並ぶ通りは、閑散としていた。レンガで舗装された道を2人で肩を寄せ合いながら歩く。彼女はたまにふらつきながらも、ゆっくり歩みを進めた。
「もうだいぶん良くなってきたね」
「うん、免疫力もだいぶ戻ったって言われた」
「……安心したよ」
「ここ、入院中、ずっと来たかったんだ。私の幸せが詰まった場所」
紗絵は本当に嬉しそうに顔を綻ばせる。前より痩せていたけど、愛らしい笑顔は変わらなかった。
「覚えてる?……あそこの桟橋のところでキスしたの。あの時さ、向こうのお店でこのネックレス、買ってもらったんだよね。……本当に、とっても嬉しかったな」
大事な思い出を宝箱から一つ一つ取り出すように、彼女は言葉を繋げていく。紗絵の首筋にターコイズのブルーが光っている。彼女はずっと大事に着けてくれていた。
「うん。俺もここには、幸せな思い出がいっぱいあるよ」
「……これからもいっぱい来て、思い出作ろうね」
彼女の嬉しそうな笑顔を見ると、これまで辛かった闘病も終わり、二人の幸せな未来が広がるんだと思えた。
その時、奥にある教会の鐘の音が響き渡った。建物の隙間から差し込む柔らかな陽が、祝福するように、俺達を包んでいる気がした。
……ふいに口から言葉が漏れた。
「紗絵、完治したら……結婚しよう」
「……うん」
紗絵は、涙を流して答えた。
だけど、……その時が最後のデートになった。
俺は思い出の詰まった本を閉じるように、目を瞑る。エヴァンは、ずっと黙り込んだまま話を聞いていた。ゴォーという車の走行音だけが、耳に残る。
「それで……彼女はどうなったんだ?」
エヴァンは、呟くように静かな声で俺に尋ねた。
「いや、結局白血病が再発して……ダメだった。あれから、もう2年以上経ったね」
「そうか……悲しい思い出だな」
「うん。……なかなか立ち直れなかった。その時期に彼女を想って作ったのが……"Hold you"だったんだ」
「……それが、胸を揺さぶる理由か……」
エヴァンは、悲しそうな表情で小さく頷いた。俺は喉が乾燥しているのに気づいて、コーヒーを手にした。温かかったはずだが、もう完全に冷めている。
再発した話を聞いた時も、"紗絵は絶対に完治する" と信じていた。結婚して養えるように、就職活動も始めた。けど就職先がようやく決まった矢先に、再入院した病院から信じがたい連絡があった。
体調が優れない時もあるとは聞いていた。だけど、お見舞いの時は笑顔も見せてたし、また治って退院出来ると思える程、元気な時もあった。彼女が危篤だなんて、耳を疑った。
急変の連絡が来て病室に着いたときは、もう意識がなく……最後に会話も出来なかった。
……危篤状態になって2日後、彼女は息を引き取った。
「紗絵! 紗絵ー!……嘘だろ、約束したろ!!」
俺は人目も憚らず、喚き、叫び、泣いた。
彼女の手に触れても、冷たい。
掴んだ手を離すと、力なく落ちていく。
彼女の表情は固く、変わらない。
俺は、現実を受け入れられなかった。
病室に置いてた結婚情報誌には、彼女が付けた付箋が貼られていた。
2LDKの部屋でも借りて暮らそう
彼女と暮らす部屋のインテリアを揃えに、またあのショッピングモールに行ってさ
色違いのマグカップにコーヒーを注いで、2人で音楽でも聴くのもいい
その内、子供の名前何にしようか?なんてリビングのソファーに座って、話したりして
……そんな夢、見てた。
2人の未来を、俺達は信じてた。
もう一度紗絵のために曲を作れば、彼女がまた目の前に現れる気がした。
「コウくんの曲は本当にいいね」
ってもう一度紗絵の声を聞きたかった。
あの笑顔を、また見たかった。
"Hold you"には、そんな想いが詰まってる。
「辛かったな?」
「……ちゃんと向き合えるようになるまで、時間がかかったよ。曲を公開するかも、悩んだ」
「そうだな。でもパーソナルな楽曲でも、それが色んな人の心の支えになるときがある」
「うん。俺自身も前に進まないとと思って、公開したんだ。彼女とも、約束したし」
ここまで彼女の話を他人に深く話せたのは初めてだった。エヴァンは、アーティストとして純粋で真摯だから、共感してくれるという安心感があったのかもしれない。
俺の頬には、いつの間にか涙が伝っている。まだ彼女のことを思い出すと、辛いんだと思う。彼女が死んだのに、俺は生きて、前に進み続けている。
俺は、ポロリと呟いた。
「生きるって、何だろ?」
「……さぁな。俺は答えが分からないから、藻掻いてる。その答えが何かは、自分次第だろ?」
エヴァンは目を閉じ、優しい口調で諭すように語る。まるで自分自身にも言い聞かせているようにも聞こえた。
「そろそろシカゴだ」
赤みがかった夕暮れも、紫色に変化してきた。気付けば何もない草原を抜けて、車窓には街の灯りが定期的に反射している。もう目的地まで、残りは10マイルを切る所まで来ていた。
意図せずとも時間は移ろい、踏み出した先には道が続く。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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