第5部 第9話
今まで、至って普通の庶民生活を送ってきた俺には、
(いや、これからも普通の庶民であり続ける予定だ!)
当然、刺青の知識なんてまるで無い。
だから、組長とその付き人やら護衛やらに連れられて、
その「彫り師」の家に行ってちょっと驚いた。
「ここ?」
「そうだ。入るぞ」
なんか・・・普通の家だぞ?
本当にここで、刺青なんて入れれるのか?
「藤城」と書かれた表札の家の門をくぐり、
家の中に案内される。
中もごくごく普通の2階建ての家。
だけど、1階のある1室だけが、普通ではなかった。
簡単に言うと、「アトリエ」って感じだ。
なにやらよくわからない道具がたくさん並べられていて、
その真ん中に一人の男が座って絵を描いていた。
組長と同じ歳くらいだろうか。
いかにも芸術家って感じのちょっと長髪の男だ。
「ああ、組長。お待ちしておりました。どうぞ」
「悪いな。こいつに彫ってくれ」
簡単だな、おい。
「はじめまして。蓮と言います」
苗字はよくわかりません。
「はじめまして、藤城です」
そう言ってその藤城という男は俺に右手を差し出した。
思わず俺も右手を出し、握手する。
大きくてゴツゴツした手。
これが「彫り師」ってやつの手なのか。
「2月1日で二十歳なんだが、間に合うか?」
「そうですね。今からすぐ準備すれば。成人式はちょっと厳しいですが」
成人式まで、あと4ヶ月以上もあるのに、間に合わないのか?
って、彫る気ないんだってば、俺は!
「彫るのも時間がかかるけど、廣野家の場合はデザインもこだわりたいからね。
余計に時間がかかるんだ」
「デザイン?」
「刺青って見たことある?」
「テレビで遠山の金さんくらいなら」
「ははは。そうだ、ここに親父の最高傑作があるんだった」
最高傑作?
藤城さんはそう言うと、組長に顔を向けた。
「組長。ちょっと見せてもらっていいですか?」
「ああ」
組長は俺たちに背中を向けると、シャツの上半分のボタンをさっさと外し、
背中の途中までシャツを脱いだ。
そこには・・・
「!!!すげえ!!!」
「でしょ?これほどの刺青はなかなか無いよ」
全体が見えている訳ではないが、それでもその凄さがよくわかる。
今にも背中から飛び出してきそうな程の迫力の鷹。
大きく翼を広げ、その獰猛な瞳は何かを狙っているようだ。
「・・・」
俺は言葉もなく、見入ってしまった。
刺青なんて、ヤクザの肝試し、くらいに思っていたが、
これはもはや芸術だ。
これほどの大きさになると、入れるのにもかなりの金と時間が要るだろう。
「蓮君は、何か入れたい絵とかある?」
「絵、ですか」
「うん。廣野家は大体いつも動物だけどね。植物もいいんじゃない?それこそ桜吹雪とか」
それはちょっとヤだなあ。
「好きな動物は?」
「キリン」
「うーん・・・他には?」
「象」
「・・・」
いいじゃないか、象の刺青。
サファリパークから、1日園長の依頼が来るかもしれないゾ。
「蓮。真面目に考えろ。一生物だぞ」
「だから。俺、入れる気ないし」
「さっさと決めろ」
人の話を聞け!
「じゃあ、コアラ」
「・・・」
「うさぎ」
「・・・」
「つばめ」
「蓮。お前、プロ野球のマスコットを言っているだけだろう」
バレタか。
「じゃあ、虎」
どうだ!阪神タイガース!虎なら文句ねーだろ!?
だけど、組長が一瞬片方の眉をピクッと動かした。
藤城さんも、微妙な表情で組長を見る。
なんだ?刺青に虎って、ダメなのか?
キリンよりいいと思うが。
「・・・まあ、いいだろう。虎で」
「いいんですか?組長」
「ああ。藤城、後は頼むぞ。俺はもう用がないから帰る」
どんだけ傍若無人なんだ。
「蓮、帰りにもう一度屋敷に寄れ。ユウが会いたがってた」
強引にここに連れてきといてなんだ、それは・・・。
疲れる奴だ。
藤城さんは、彫り師やってるより画家になった方がいいんじゃないか、
というほどの手さばきで、次々とデザイン画の案を何枚も書いた。
こんなにスラスラと描けるもんなのか?
「実はね、昔廣野組で虎の刺青を入れたヤクザがいたんだ」
「へえ」
「僕の父が入れたんだけどね。組長の鷹に負けず劣らず傑作だったよ」
「その人、今は廣野組にいないんですか?」
「ああ。もう抜けた。19年前にね」
19年前?
19年前って・・・。
「僕の弟なんだよ」
「ええ!?」
「子供の頃から組長と仲が良くていっつもつるんでた。で、いつの間にか廣野組に入ってた」
話ながらも、藤城さんの手は絵を書き続ける。
「だけどね、ある日突然姿を消してしまったんだ。うちにも帰ってこないし。
ああいう世界だから、いつ何があっても仕方ないって覚悟はしてたけど、やっぱり心配だったよ」
「・・・見つかったんですか?」
「うん。しばらくして、組長がうちに来て事情を説明してくれたんだ。
弟は、組長の家族に対する態度があまりに悪い、って苦言を呈したらしんだけど、
組長は聞く耳を持たず、言い合いになったらしい。
で、弟は弾みで組長を殴ってしまった」
「組長を?」
「子供の頃は二人ともしょっちゅう殴り合いの喧嘩してたけどね、
さすがに組長が正式に組長になってからはマズイよね。
弟は責任を取るつもりで姿を消したようなんだ」
組長の家族って、母さんと俺だよな?
コータさんだけでなく、母さんと俺のためにそんなことしてくれた人がいたんだ・・・。
「組長は、自分が悪かったって頭を下げてくれたよ。さすがにもう弟を組には戻せないし、
本人も戻りたくないだろうけど、居場所は必ず調べるからって、言ってくれたんだ」
あの組長が・・・
「それから半年かけて、弟の居場所を突き止めてくれたよ。
向こうから連絡してこないから、こっちからも敢えて連絡してないけどね。
今は結婚して沖縄の小さな島に住んでるらしい」
「そうなんですか・・・」
たぶん組長は、藤城さんの弟が本当に危機に瀕した時は助けようと思って、
居場所だけは分かるようにしておきたかったのだろう。
組長は母さんと俺の居場所も知っていた。
知っていたけど、自ら会いに来ようとはしなかった。
母さんが自分の意志で帰ってくるのを待っていた。
でも、もし母さんと俺に何かあったら駆けつけてくれたのかもしれない。
母さんの癌が進行し、組長の知るところになれば絶対放っては置かなかっただろう。
これが組長のやり方なのかもしれない。
組長の愛情表現なのかもしれない。
「どうしても弟の虎のデザインが頭の中にあるからさ。どれも似たり寄ったりになっちゃうなあ」
そう言って、藤城さんは8枚のデザイン案を広げた。
確かに、似ている。
でもどれも微妙に違い、
その微妙な違いだけで8枚とも随分と雰囲気が違っていた。
「頭の中の虎のデザインに、蓮君のイメージをつけて・・・こんな感じで描いてみたけど、
気に入ったのある?」
「気に入ったのがあるどころか、どれも凄いです。目移りする・・・こんなに描いてもらったのに、
1枚しか選べないのがもったいないです」
本心だった。
「でも、俺、本当に入れるつもりはないんですけど・・・」
なんだか申し訳ない。
「うん。分かってるよ。継ぐ気もないようだ、とも、組長から聞いてる」
「・・・」
「ただし、『今は』、って付け足してたけど」
「いつまでたっても継ぐ気はありません!」
「ははは。そうだろうね。いきなり、お前は息子だから組を継げって言われてもねー」
ですよね。
「でも、残念ながら継ぐことになると思うよ」
「・・・どうしてですか?」
「組長がそうしろって言ってるからさ」
「・・・」
藤城さんは絵を眺めながら言った。
「今の組長は・・・統矢さんは、本当に凄い人だと思うよ。僕の父もそう言ってた。
僕の父は先々代の廣野組の組長から知ってるけど、中でも統矢さんはピカイチだって言ってた。
統矢さんがまだ小学生の頃から言ってたよ」
「何を見て、そう思うんですか?俺にはわからないですけど」
「わからない?」
「・・・」
ははは、とまた藤城さんが笑う。
「先代の組長もすごい人で組員からえらく慕われてたけどね。統矢さんはもっと凄いよ。
ただ慕われるだけじゃなく、最初は統矢さんに敵対している奴にも、いつの間にか、
『ああ、この人の言うことなら信用できるな』って思わせてしまうんだ。
簡単に言えば、口がうまい、って感じかな?」
それは認める。
確かに口はうまい。
いつも危うく口車に乗せられそうになる。
「そして、実際信用を裏切ることはしない。って、これは君に言っても説得力はないかな?」
「ええ、全く」
「ははは。でも、ちょっと時間はかかったけど、組長は君のことをちゃんと息子と認めてるし、
跡継ぎに考えてる」
「・・・」
「あの組長のことだ。信じて言う通りにしても、君に損はないと思うよ」
「・・・そうでしょうか?」
「うん。50年近く組長を見てきた僕が保証するよ。18年なんて目じゃないよ」
「・・・」
「取り合えず、はい、これ。気に入ったのあったら教えて。
他にこうしてほしい、とか意見があれば遠慮なく言ってね、書き直すから」
そう言うと、藤城さんは8枚のデザイン画を俺の手に渡した。




