第5部 第2話
それから俺の周りは急速に変化し始めた。
これが18年間も黙って待ってた男かよ?
そう思うほど、組長は素早かった。
母さんと俺の意見など無視して、
いや、正確に言うと、意見などは聞きもせず、
さっさと母さんを東京の病院へ転院させた。
「この病院・・・この部屋、なつかしいなあ・・・よく入院してたから」
と呟く母さん。
おい、なんだよ、「よく入院してた」って。
母さんは、別に病弱とかじゃねーだろ。
本田先生が精密に検査をしていてくれたお陰で、
母さんの病状は新しい病院でもすぐに把握され、
ちょっとした確認の検査の後、
「手術は1週間後で」
と決められてしまった。
入院費、手術費はもちろん廣野組持ちだ。
ありがたいには、ありがたい。
だけど、既に俺はついていけてない。
そして、こともあろうに組長はさっさと俺の実家も引き払ってしまった。
母さんは手術後10日ほど入院した後、廣野家へ引越した。
・・・まあ、色々、本当に色々文句を言いたいことはあるが、ここまでは我慢するとしよう。
だけど。
だけど、どうしても一つ、我慢できないことがある。
「蓮。お前今日から『岩城蓮』じゃないからな。『廣野蓮』だ」
組長に、廣野家へ呼ばれて、母さんの見舞いがてら渋々行ってみると、
いきなりそう言われた。
「どういう意味だ?」
「元々、『蓮』という名前は俺の親父が『廣野』の苗字に合うように決めた名前だ。
文句はないだろう?」
そういう意味ではなく。
なんでいきなり俺の苗字が変わるんだ。
「俺とユウが入籍したからに決まってるだろ。お前、意外と馬鹿だな。T大のくせに」
そっか、なるほど。
それで母さんの息子の俺も苗字が変わるわけか、
納得、納得、
・・・ってそんな訳あるかー!!!
「なんだよ、それ!?なんで俺に一言も相談がないんだよ!?」
「どうしてお前に相談する必要がある?」
「お、俺は!俺は母さんの息子だからだ!!」
「俺の息子でもある。父親と母親が結婚するのに、何を息子に相談するんだ?」
「・・・・・・」
ダメだ。
こいつには何を言っても通用しない。
なんか変な理屈でねじ伏せられてしまう。
「18年前は、俺の誕生日に入籍しようと言っていて結局できなかったからな。善は急げ、だ」
18年前入籍できなかったのは、どこの誰のせいだ!?
てゆーか、「善」なのか、これは!?
ああ、もう・・・
「ごめんね、蓮。事後報告になっちゃって。統矢さんが、どうしてもすぐに、って言うもんだから」
と恐縮気味の母さん。
でもその左手にはダイヤの指輪が光っていて、
母さんの表情もその輝きに負けないくらい輝いている。
それにしても、この指輪。
俺はアクセサリーなんて全然わからないけど、
そんな俺でもわかるくらい、なんだか古いデザインだ。
それに、小ぶりだし、既製品みたいだし・・・
いや、俺なんかではとてもじゃないけど買える代物ではないが、
あの組長が母さんにあげるにしては、随分と質素に思える。
それに。
「なんで中指?普通、薬指じゃねーの?」
「この指輪ね・・・。18年前、最後のクリスマスイブに私、蓮と一緒にディズニーランドに行ったの」
ああ、そういえば、そんな写真あったな。
「本当はその1年前に、統矢さんと『来年のイブは3人でディズニーランドに行きましょうね』って
約束してたんだけど、統矢さんが愛人作っちゃって、結局蓮と二人で行ったの。
でもね、統矢さん、当日の朝に1年前の約束を思い出して、慌ててディズニーランドにきてくれたの。
その途中でお店に寄って、プレゼントに指輪を買ってくれたらしいんだけどサイズが分からなくって、
とにかく店頭にあるのを適当に買ったんだって」
それが、この指輪ってわけか。
「でも、渡す前に私が『明日、蓮と廣野家を出ます』って言っちゃったもんだから、
統矢さん、渡せなくなっちゃったらしいの」
そう言って、母さんは恥ずかしそうに微笑む。
・・・なんと間の悪いことか。
もし、その時母さんが「出て行く」と言うよりさきに、組長が指輪を渡していれば、
母さんは出て行かなかったかもしれない。
ちょっとした誤解や行き違いやタイミングの悪さで、
18年も二人は別々の人生を歩んできたのだ。
まあ・・・
そろそろ一緒の道に戻ってきてもいいのかもしれない。
それに、その別々の人生があったからこそ、今の俺がある。
もし母さんが廣野家を出ていなければ、
今頃俺は廣野組の跡取りとして大切に育てられていただろうけど、
そこに少なくともサナはいない。
「そっかあ!よかったね、蓮のお父さんとお母さん!」
「うん・・・」
「まだ煮え切らない?」
「そうじゃないけどさ・・・」
「じゃあ、何が不満なの?」
俺は軽くサナを睨んだ。
「サナが組長の愛人やってるのが不満!」
「愛人?なによ、それ。そんなんじゃないわよ?」
「・・・これで?」
俺は辺りを見回した。
新築マンションの最上階の5LDK。
家具・家電付き。
しかも全て最新の一流品。
おう、なんだよ5LDKって。
何部屋あるのか、もはやわからない。
サナの強引さで母さんと再会できたことを組長がえらく感謝し、
ここをサナに買い与えたのだ。
こんなもん、ヤクザにもらって・・・
愛人以外の何者だと言うのだ。
さすがのサナも、俺に気を使ってか、ここで一緒に住もうと言ってくれたけど、
こともあろうにあの組長、凄いことを言いやがった。
「ダメだ。結婚前の男女が一緒に住むなんて、はしたない」
・・・どの口が言うのか。
しかも、サナのやつ「それもそうですよね」と納得して
アッサリ引き下がりやがった。
・・・面白くない。
めちゃくちゃ面白くない。
「蓮てば、わかってないなあ。いずれ私たちが結婚した時に、ここに住めるよう、
お父さんが買ってくれたんじゃないの。だから5LDKもあるんだよ。
蓮へのプレゼントでもあるのよ?」
「まさか」
「絶対そうだって。蓮って、意外と心狭いよね」
これを「心狭い」と言うのか。
だったら日本中の男はみんな心が狭いぞ!
「てゆーか、その『お父さん』ってゆーの、やめろ」
「どうして?蓮のお父さんでしょ」
「お父さんじゃない!」
「DNA的にも戸籍的にも父親でしょ?『お父さん』以外の何者でもないじゃない」
「・・・」
「それに、私『お父さん』って呼べる人がほしかったんだー」
「・・・」
「私と蓮が本当に結婚したら、私にとっても正真正銘『お父さん』だし」
という訳で、俺の「周り」は急速に変化した。
変化していないのは、俺だけだ。




