第4部 第9話
翌日。
善は急げ、とばかりに、私は蓮と朝早く出かけた。
蓮は文字通り「生まれて初めて」の遠出だ。
しかも新幹線!
私までワクワクしてしまった。
こんなワクワクした気分、いつ以来だろう。
思えばここ数ヶ月、ずっと鬱々していた。
原因はもちろん統矢さんの浮気なんだけど、
今思い返せば私の努力も足りなかった気がする。
どうして昔みたいにもっと積極的に統矢さんにぶつかっていかなかったのか。
何をそんなに臆病になっていたのか。
でも、もういい。
出て行くと決めたんだ。
これからのことを考えよう。
新幹線から富士山を眺めながらそう思った。
なんと佐伯さんのお父さんは、わざわざ新幹線の駅まで車で私と蓮を迎えに来てくれた。
ここから会社まで1時間はかかるのに・・・ありがたい。
佐伯さんのお父さんは、まさに「佐伯さんのお父さん」という感じの人だった。
「はじめまして。広野といいます。娘から話は大体聞いていますよ、廣野さん。
って、同じ名前なんですねー、ややこしいですね」
そうなのだ。漢字は違うんだけど、何たる偶然。
もはや神のお導きとしか思えない。
「はじめまして。廣野です。あ、でもこれからは岩城です。じゃなかった、今までも岩城です」
「あははは、娘が言ってた通り面白い方ですね」
小柄だけどふくよかな身体をゆすって、楽しそうに笑う。
こっちまで和んだ気持ちになる。
会社は佐伯さんの言う通り、小さかった。
2階建ての古いビルの2階が会社になっていた。
1階はコンビニと整骨院。
お腹をすかして階段から落ちても、すぐにおにぎりを食べながら治療してもらえる。
(そんな機会があるかどうかは別として)
「岩城さんは運転できる?」
「はい」
「じゃあ、大丈夫。主な仕事は小さな事務用品を得意先に運ぶことと伝票処理だから。
岩城さんさえ良ければすぐにでもうちで働いてほしいな」
「え・・・いいんですか?面接とかないんですか?」
「娘はなんの取り得もないんだけどねー。人を見る目だけは確かだから、娘からの紹介だったら
全然問題ないよ」
そんな風に言ってもらえるなんて本当にありがたい。
会社の人たちもみんないい人たちばかりだった。
しかも、もうすぐ結婚するという男性社員がいて、今一人暮らしの家で使っている家電をくれるという。
「冷蔵庫と、洗濯機と・・・あ、電子レンジももってっちゃって」
いいのか?本当にいいのか?奥さんに怒られないか?
「せっかくの新婚生活だからさー。ちょっとしんどくても新しい物を揃えたくて。
気にせず貰ってくれていいよ。捨てるのもお金かかるしさ」
「・・・本当にありがとうございます。助かります」
うらやましいな、新婚生活か。
私にはそんなのなかった。
これからもないだろう。
でも、そのかわり、蓮との生活がある。
これからは狭い部屋に閉じこもることなく、誰にも遠慮せず堂々と蓮と生活していける。
そんな当たり前のことが嬉しくて仕方ない。
その後、広野さんは市営団地も案内してくれた。
こちらも空き部屋だらけでいつでも入居できるという。
役場の人に頼んで中を見せてもらうと、2LDKの全て畳の部屋だった。
蓮と二人だからじゅうぶんだ。
「今住んでいるところの転出届けを持ってきてくれたら、すぐに入居できるようにしておきますねー」
と、田舎ならではのアバウトさ。
というか、人間関係がしっかりしているから、どんな融通もきくんだろう。
こんなところで子育てできるなら本望だ。
本籍と住民票は運転免許を取るとき、実家から和彦のマンションに移しておいた。
廣野家に移してもよかったけど、まだ妊娠もしていなかったし、結婚の予定もなかったから、やめたのだ。
佐伯さんにこれからのことを相談してから、何もかもが順調だ。
ちょっと怖いくらい。
でも、これはきっとご褒美だ。
この1年間、色々と我慢してきたから神様からのご褒美だ。
神様・・・?
いや、違う。
神様じゃない。
これはきっと・・・蓮を見る。
「蓮のおじいちゃんからのご褒美だね」
「ばぶー」
「うんうん。きっとそうだね」
組長、ごめんなさい。
私は蓮を廣野組の跡取りにすることができませんでした。
でも、せめて一生懸命育てます。
蓮が幸せになるよう最善をつくします。
そう誓い、澄み切った空を見上げると、
遠くに富士山が見えた。




