1 悪魔がやってきた
はじめましての皆様も、毎度おなじみの皆様も、どうぞよろしくお願いいたします。
草木も眠る丑三つ時。
しかし、この処、続く熱波のせいで夜中を過ぎても三十度を切らず、付けた空調すらその暑さに負け、仕事をせず眠れない日が続く。
今日は、その上に雷が鳴りまくり、気持ち程度のお湿りが一度だけ室温を下げたが、湿度を爆上げしていくばかり。
「……だめだ。暑すぎて眠れない上に、このまま寝たら死にそうな予感がする」
村上沙奈子は、床暖房でないはずの生暖かい床から身を起こし、ノートパソコンを起動しネットの海にダイブする。
「だめだ。ぐあぁああ。涼しくなれる商品はないのか!?紫外線があたると、五度ぐらい温度が下がる夏用カーテンとか、床冷房になるマットとか誰か作ってくれやー」
そのまま、力尽きてバタッと床に転がる。先程も、沙奈子はあまりの暑さにベッドで眠れず、床に転がったのだが、その床すらも冷たくないことに絶望したのだ。
「猫なら、一番涼しいところをよく知ってるんだろうなぁ。下の階の黒猫ちゃんたちは、どこで涼んでるのかなぁ」
毎日四時前後に起きては大運動会をおっぱじめる、黒猫達に思いを馳せ、またノートパソコンに向かう沙奈子。
「上の階の人も、今日はさらに遅いなぁ。いつもなら一時には、帰ってるのに。何してる人なんだろ?」
沙奈子は、ネットの動画配信サービスを検索し、特集の中から、一番寒くなれそうなのを選択する。
「せ、せめて、気持ちだけでも涼しくなるか。お腹の中から涼しくなる準備も……ただしカロリーは控えめで」
沙奈子はキッチンに行って、魔法瓶に氷と冷やしたお茶を淹れ、小豆バーと酢昆布と茎わかめの袋を持ってくる。
「では、真夜中の鑑賞会を……」
フル画面にし、PCから少し離れベッドにもたれて、小豆バーにかじりつき、沙奈子はドラマ版のハンニバルを観始めた。
「わお!魅せてくるねぇ」
沙奈子は好きな役者に意識を集中させるが、突如、画面が遮られる。
「!?」
PCの明かりを逆光に、羽の生えた人型が目の前に現れたのだ。
「フッ。五百年ぶりの外界か。高位悪魔の我を呼び出せるものがおるとは……。そなた、人のくせになかなかやるな。では、早速、契約を始めようではないか」
「呼んでません」
「契約を……」
「だから呼んでない。そこに居たら邪魔!PCの前に立つんじゃない!」
「え?え??」
「どけっつってるだろ!」
「はい!すいません、どきます!」
暑さと睡眠不足に沸いた頭でドラマに集中していた沙奈子は悪魔を怒鳴りつけ、悪魔は慌てて沙奈子の隣に座り込む。
「羽邪魔!顔にあたる!しまえ!」
「はい!ただいま!」
沙奈子の異様な圧に、負けて、隣りに座ったまま、視線を明るい方に向けた悪魔。そして悪魔は、初めて見る映像に釘付けになる。
小さく悲鳴を上げたり、恐ろしすぎる場面に口に手を当て悲鳴を飲み込み、恐怖のあまり羽を出して沙奈子にぶっ叩かれた悪魔は、観終わった感想を漏らす。
「……人が、恐ろしくなりすぎておるのではないか?」
「生きてる人間より、逆に怖いものがあるなら、こっちが聞きたいわ!」
「……ないな。我らは契約に従って生きておるしな。無軌道な人よりも真っ当だ」
「で?あんたいつまでここに居るの?呼んだ人間、探しに行かないの?」
「そなたが呼んだのでは、ないのか?」
「確認するけど、なんにもない状態で呼び出せるもんなの?」
沙奈子に言われて、朝日でほの明るくなり始めた部屋の中を見回す、悪魔。
「……無理だな。最低でも魔法陣と生贄は必要だ」
「うち、集合住宅だから上下にも部屋があるんだよ。上か下で呼ばれたのに、突き抜けちゃたんじゃないの?」
「なるほど!では上の階に居ってみようではないか!」
「行ってらっしゃい」
消えた悪魔に、少し驚く沙奈子。
「……本物だったのか。まあ、いいや。少し涼しくなったし、寝よう。流石にもう体が保たないや」
そのまま、PCの目覚ましアプリをセットし、床に寝っ転がり、寝落ちる沙奈子。五分後に上階から、野太い男の悲鳴が上がるも、七時半に目覚ましが鳴るまで寝続けた、沙奈子であった。
ピピッ、ピピッ。
「……」
目覚ましを止め、視界の隅にはいる者を無視して、シャワーを浴びに行く沙奈子。
「…怖い、怖い」
聞こえてくる声を無視し、沙奈子は朝食を食べ、身支度を整え、空調の予約をすると、鞄とゴミ袋を持って家を出た。
ゴミ捨て場で、同じくゴミを捨てに来ていた住人に出会う。
「あ、おはようございます」
「あらぁ!おはよう!んっまぁ!目の下のクマがすごいわよぉ?大丈夫ぅ?」
お肌つやつやご機嫌の上の階の住人に、目の下のくまを指摘される沙奈子。
「この暑さで、眠れなくて。そちらはなんか、お肌ツヤツヤで羨ましいです」
「そうなのよぉう!夢見が良くってぇ。夢にぃ、超絶いい男が現れてぇ、美味しく頂いちゃうところで目が覚めちゃったのよぅ!」
「それはそれは。今度は美味しく頂いちゃうところまで見れるといいですね」
「ええ!ぜひ!いってらっしゃーい」
「いってきます」
上機嫌なハスキーな声の美人なお姉様に見送られ、駅への道を急ぐ沙奈子。空調の効いた電車で運良く座れ、沙奈子は、そのまま足りない睡眠を補った。
会社では、周りから目の下のくまの酷さを指摘されながら、営業補佐の事務仕事を終え、帰途につく。スーパーに寄って、水で晒すだけのそばと出来合いの天ぷらを購入して、自宅に戻った。
「お帰りなさい」
一六世紀の西洋装束姿(シュミーズ、プールポアン、オー・ド・ショース、バ・ド・ショース)の悪魔に出迎えられ、心臓が止まりかけるかと思った沙奈子。
「……あんたも、お帰りいただいて結構なんですけどね。なんでまだ居るの?」
「ただいまは?」
「……ただいま」
沙奈子は、苦虫を噛み潰したような顔で食材を冷蔵庫に入れ、スーツを脱いで風呂場に行く。途中キャッという悲鳴を聞いたが無視して、シャワーを浴びてスッキリし、部屋着に着替えて台所に行く。
物いいたげな視線を無視し、沙奈子はザルにそばをあけ、流水でそばをほぐし、丼に入れてその上に天ぷらを乗せる。
ぐるううううという、視線以上にうるさい音で騒ぐ悪魔のお腹に、目をやる沙奈子。
「「……」」
視線だけで物を言い、言葉惜しみする察してちゃんな悪魔を、沙奈子は無視し、そのままお盆に丼とビールの缶を載せ、台所を出ようとする。
「……済まない。私になにか食べるものを恵んで欲しい。ここに来てから、まだ水すら飲んでいないのだ」
悪魔は非常にやるせなさを感じつつ、沙奈子に懇願する。
「悪魔って、お腹すくんだ。んで、人の食べるものも食べられるんだね」
「人如きの餌など、片腹痛いが、背に腹はかえられぬ」
大上段からぶっこんでくる悪魔に、フーンと冷たい目を向ける沙奈子。
「あのね、悪魔の世界じゃ、どうだか知らないけどさ。日本じゃ武士は食わねど高楊枝という言葉があってね、プライドを優先するためには、やせ我慢するもんなのさ」
「ごめんなさい、すみません。ありがたく頂戴する所存にございます!」
あっさり折れた悪魔に、沙奈子は追撃をかける。
「言葉だけならただだもんね。お代は?」
「うぐっ。そなた同族か!?」
「失礼な。人間です」
「……ここの通貨の持ち合わせがない。フローリン金貨はどうだ?」
懐から取り出した巾着を手のひらに載せ、ニヤリと笑う悪魔。金に転ぶ人間を幾度か観てきた悪魔は、沙奈子もこれで転ぶはずだと踏んだのだ。
「買取りに出す手間が面倒だし、一食の値段に見合わない。お釣り出せないし」
「で、では対価にふさわしい願いを叶えるのではどうだ?」
顔にデカデカと手間かけさせるんじゃねえと書いた沙奈子に、焦った悪魔が契約を持ち出す。
「そうだね、そばだけなら百円ほど、天ぷら乗せなら天ぷらの数分上乗せになるけどどうする?」
「はんぶんこで」
エヘッと笑いながらいう悪魔に、沙奈子はいらっときたが、もう一つ丼を出してそばを追加し、すべての天ぷらを半分に切って載せていく。
「その、金属の筒はなんだ?」
恵比寿さんが笑う金の缶を指差す悪魔に、面倒臭さを顔に全面に出して答える沙奈子。
「ラガービール。エールとは違う発酵をさせたお酒だよ。飲むの?」
「ぜひ!」
「はいはい、対価上乗せしまーす」
沙奈子はもう一缶冷蔵庫からだし、お盆に乗せる。
「あのさ、お箸使えるの?」
「おはし?」
「知らなさそうだね。フォークにしとくよ。ほれ、向こうで食べるよ」
1Kしかない自宅の1に移動する沙奈子の後ろを、悪魔もついていく。ローテーブルからノートパソコンをベッドに移動し、そばとビールを悪魔の前に置く。
「いただきます」
「願いはいいのか?」
「食べながら、考えさせてよ」
「ん、承知した」
沙奈子が缶を開ける様子を見て、自分も缶を開け、そして口にする。
「ほお、これは!」
あれこれ言いながら、機嫌よく飲み食いする悪魔を無視して、食べながら、何を対価に願うか考える沙奈子。
「ごちそうさまでした」
「人間!我は満足したぞ!願いを言うが良い!」
腹が満ちて足りて気分が良くなったのか、それともアルコールで気が大きくなったのか、機嫌よく言う悪魔に、沙奈子は願いを言う。
「今年の九月三十日まで、室温を二十五度に保て欲しい」
「それでいいのか?」
「電気代に代えたら、それぐらいでしょうからね」
「承った。では、契約を」
真顔で嘘を付く沙奈子に気づかず、悪魔は空より、羊皮紙を取り出し、沙奈子と契約を交わす。
「おめでとう。契約は成立した」
途端に部屋は快適温度に変わる。
「ああ、これでやっと熱帯夜から開放だ(電気代も節約できた!)」
沙奈子は台所に行き、片付け物を済ませ、部屋に戻ってくる。
「人間とは、難儀な生き物よな。己で快適さを維持できぬのだから」
「創ったやつに、苦情を出したいけど、出す場所を知らないからね。で、あんたは、いつまでここに居るつもりなの?」
部屋で、人をダメにするソファでまったりくつろぎ、人間をディスる悪魔に、沙奈子が冷たい視線を投げる。
「契約を交わすまでだ」
「今、したじゃん」
「そうじゃない!あんなもので、帰れるわけなかろうが!……どの面下げて食事してきただけだと仲間に言うのだ?」
「別に、言わなきゃ、いいじゃないの」
「言わなくとも、彼奴等、興味を持てば調べ上げやがるんだ!」
「魂はやらん」
「そこをなんとか!」
「あのな?それより、呼び出した人と会えたの?」
「……下の階には行ってきた」
そう言って思いっきり視線をそらす、悪魔。
「行ってきたんだ。……あれ?あんたに気を取られてたから気づかなかったけど、黒ちゃんズが騒がしくない?あんまり声の大きくない子達なのに、珍しくニャーニャー聞こえるんですけど」
慌ててベランダに出る、猫好きの沙奈子。二匹の黒猫の声がよりはっきり聞こえてくる。その沙奈子に後ろから声をかける悪魔。
「あのだな。呼んだやつは死んでおった」
「……はいぃ?」
「生贄を用意してなかったのであろうな。自分が贄になったのだ。黒猫を贄にすればよかったものを」
「猫はだめ!って、ちょっとまって!それってこの暑さの中、死体が転がってるってこと?」
孤独死と事故物件いうネットニュースが、頭の中を駆け抜ける沙奈子。
「いや、下の部屋は、そなたの部屋より涼しかったぞ」
「涼しかろうが、死体が転がってることには変わりないでしょうが!」
「そうだな」
「やばい、やばい。電話!警察呼ばなきゃ」
慌てて部屋の中に入りスマホをとって百十番しようとして、手が止まる沙奈子。
「……なんて言って、呼べばいいんだ?死体があります?いつ見たんだっての!違うな、警察じゃねーわ。えーっと?管理人さんだ!あんた、この部屋から一歩も出ないでよ?見つかったら、ややこしい格好してるんだから」
「うむ」
沙奈子は、慌てて一階に常駐している管理人のもとに駆け込み、下の階の猫が騒いでいて、おかしいので様子を確かめてほしいと頼み、部屋に戻った。
人がよく、猫好きの管理人は、すぐに確認に向かい、異様な部屋と死体を発見することとなる。直ぐに警察が呼ばれ、沙奈子の部屋にも事情確認のために警察が来る。形式的な質問に答え、発見が早かったのは貴方のおかげですと感謝されて終わる。
「はぁ。疲れた。黒猫ちゃんたちは、管理人さんが預かってくれることになったって。良かった」
「見事な対処であった、褒めてしんぜよう」
「あのな!そもそもあんたを呼ぼうとしなきゃ、死なずに済んだんじゃないのか?この元凶!」
「それなんだが、どうもそのなんだ。召喚呪文を唱え終わった瞬間に、脳の血管が逝ったようでな」
「え、脳卒中?下の人、私より若かったはずなのに……」
何度か、顔を合わせて挨拶をしたことがある程度の下の住人は、外資に勤める30前後の男であったから、その若さに絶句する沙奈子。
「うむ、そこに魔法陣起動のための生命力が消費されてな」
「あっけなくあの世に召されたと。残念だったね、魂取れなくて」
「いや、まだ召されてない」
「は?」
「今、まだ、死神と交渉中でな、地縛霊になるかどうかの瀬戸際だ」
「はいぃ?」
「それに契約前の魂は、持っていけないのだ。悪魔は契約の上に成り立っているのだからな!」
えっへんと胸を張る悪魔よりも、今、階下にいるであろう死神と霊魂のほうが、気になった沙奈子であった。
そこに、インターホンが鳴り、訪う者が来たことを告げた。
誰か本気で冷房カーテンか床冷房をこさえてください!




