準備
神奈川県鎌倉市のゴルフ場に、キャタピラ音とブーツの駆ける音が響き渡る。
土地所有者の許可を受け、陸上自衛隊は大規模な特科陣地及び、戦闘団の司令部を、この広大な敷地を利用して開設しているのだった。
施設利用者のために洗練された芝生であったが、今となっては荒れ果てていた。99式自走155ミリ榴弾砲を始めとし、今は退役が進んでいる203ミリ自走榴弾砲も、射撃陣地を構築していた。また、少し離れた場所には地対艦ミサイル部隊が、12式地対艦誘導弾を展開。巨大な四角柱を天空に向けていた。
この臨戦体制下、射撃に関わる要員は勿論のこと、多くの裏方が奔走していた。ミサイルや、野砲の射撃システムを隊員らが確認する傍らでは、通信線を司令部まで引く隊員が走り回っていた。
今日においては無線が行き交い、有線通信が稀となってきている。しかし、自衛隊では有線通信は現役そのもので、無線通信よりも好まれていた。
何故ならば、自衛隊の通信網は民間回線に頼っている所があるからだ。そのため非常時には使い物にならず、今有事においても無線は極力使わず、有線通信を重宝する形になっていた。
「特科大隊陣地進入完了。射撃陣地構築中。なお、通信網は有線にて先程構築完了とのことです。」
ゴルフ場の一角に置かれた深緑色の大型テント。その中で迷彩服に鉄帽を被った通信隊員が報告の声をあげた。それを聞き、戦闘団長と指定された席に腰を降ろしている中年男性は小さく頷いて返した。
そう、このテントは生物の上陸を阻止する、戦闘団の前線司令部として機能していた。
そのため、このテントの周りは厳重な警備態勢が敷かれ、テント入口の両側には12.7ミリ重機関銃、通称キャリバーが腰を据え、その砲身を空に向けていた。
その他にも司令部の目として動けるよう、偵察用オートバイや偵察警戒車が待機、今まで感じた事のない緊張感がこの空間に漂っていた。
テント内は特にきな臭く、陸自の高級幹部らが砂盤を囲む形でパイプ椅子に腰を降ろし調整を行っている。その周囲では通信隊員が各部との連絡を忙しく行っており、いつ戦闘が勃発してもおかしくない様相を醸し出していた。
「敵の現在位置は?」
その中、今作戦の戦闘団長を務める田口富士学校長が問い掛けた。田口は今年で54歳になる陸将で、定年退職を待つだけの身となっていた。しかし、今回の有事を受け、各職種に精通している高級幹部として富士学校長の田口が抜擢されたのであった。普段であれば、戦闘団長は普通科連隊長たる一等陸佐が務めるのが正当であるが、今作戦の重要性を鑑みた結果、普通科連隊長には荷が重いと陸幕と統幕が考えた結果であった。
田口はその重大な任務に内心震えていたが、今、戦闘団長として腰を降ろしている彼の表情はとても50過ぎとは思えない闘志むき出しの顔つきをしていた。自らも迷彩服に鉄帽、顔には黒いドーランを塗ったその風貌は、周囲に緊迫感を与えていた。
「はい。空自からの報告によると、目標は現在C1の後に続き、八丈島近海を遊泳中。なお、目標が作戦開始位置に達するまで三時間と十二分です。」
二等陸佐のエリート感を漂わせる細身の佐官は、相模湾から沿岸部が描かれている砂盤に指揮棒をあてながら答えた。それを聞き、周囲の幹部らはペンを走らせる。
「よし、展開状況。」
田口は続けるようにして問い掛けた。それに対し、
「はい。藤沢市及び鎌倉市沿岸部に、戦車及び重MATを配置。市街地各交差点には、中多(中距離多目的誘導弾)を展開しています。尚、現在地であるゴルフ場には自走砲及び対艦ミサイル、MLRSが射撃待機中です。FH70も展開中ですが、射撃陣地構築に後40分は掛かります。また、ヘリ部隊は羽田空港にて待機中、命令から5分で離陸出来ます。」
一等陸佐の階級章を付けた大柄の佐官も、砂盤に指揮棒を指しながら口を開いた。
作戦の肝となる箇所だけに、高級幹部らの視線が険しくなる。
「FH70の展開、人員を増派し20分で完了させろ。」
射撃陣地の展開時間に眉をひそめた田口は鋭い目線で指示を出した。一等陸佐の佐官はそれを聞き思わず姿勢を正し返答する。そして後ろに控えていた尉官らと調整に入った。
「続いて、空自との連携。」
調整する姿を横目で見つつ、田口は淡々と問い掛ける。
「はっ、空自はF2及びF4を羽田空港に待機させています。航空支援要請から十分で爆撃可能とのことです。尚、相浦から爆撃誘導班が到着。作戦位置にて待機中です。」
三等陸佐の階級章を付けた細身の隊員が応えた。彼の左胸には陸自のウィングマークが縫い付けてあり、その経歴を周囲に見せつけていた。適材適所だな。田口はそう心で呟いた。
「続いて海自。」
「はい。先程海幕より通達がありまして、現在戦闘中の第一護衛隊は補給のため、横須賀に寄港。それに代わり呉の第四護衛隊が、駿河湾に展開、ハープーン及びSSMによる間接攻撃を行うとのことです。よって陸自には間接攻撃指示を求めると。」
ミーティングが始まってもなお、周囲の尉官と打ち合わせを最後までしていた三等陸佐の佐官は、書類に目を通しつつ田口の問い掛けに答えた。
「分かった。間接攻撃実施については火力調整所との連携を密にしろ。」
自衛隊創設初となる、陸海空自衛隊の統合作戦。東日本大震災を始めとした災害時にはタスクフォースとして幾度も連携をしてきた。
しかし実戦における連携はこれが初であり、田口は連携にぬかるみが出ないよう担当部署に念を押した。その指示に担当の佐官は息を呑みつつ返答する。演習ではない。その重責さから顔が強張る。
「では最後に、避難状況!」
戦闘を行うにあたり、全ての情報は耳に入れた。田口は残った懸念事項を問い掛けた。民間人の避難状況。国民の生命と財産を守る自衛官として、一番大事な部分であった。ここで一人でも作戦区域に民間人がいれば、田口は一発の銃弾も部隊に撃たせる気はなかった。
「各関係機関及び、武山の隊員からは避難完了との報告を受けています。その報告を信じるだけです。」
警察、消防、海上保安庁、各自治体の職員。そして武山駐屯地の隊員を動員し、作戦区域内の一斉捜索を行った。武山駐屯地の隊員においては、勤務員のみならず、教育中の新隊員や高等工学校の生徒まで動員された。
全員が国民、市民を戦闘の巻き添えにしてはならないという一心で逃げ遅れた民間人の捜索を行った。そして出た結果が、作戦区域内における民間人なし。という報告だった。その経緯を知っている担当の二等陸佐は、その信憑性を伝えるため、田口の目を真っすぐ見つめ、そう告げた。
その対応に田口は彼の目を見つめ返し、
「分かった。」
コイツと、現場を信じる。田口はその思いを心に秘めつつ、短く返した。そして、
「では、目標が作戦位置に到達した時点で状況を開始する。今作戦においては目標を沿岸部まで誘導するが、上陸を許すのではない。敵は放射性物質が本土にある限り、必ず上陸をしてくる。ならば、早い段階で敵に効果を与え、今後上陸の企図の機会を与えないようにする必要がある。それが今作戦の目的だ。圧倒的火力を以て、敵の企図を挫く。海自の話を聞いてる者が少なからずいると思う。しかし、今は目の前の自分の任務に集中して貰いたい。本土を守る最後の砦として、その奮起に期待する。以上、掛かれ!」
統括と訓示、田口は立ち上がり、テント内の隊員全員を見渡しながら言い放った。途中、数人が緊張から息を呑むのが分かった。そして言い終ると同時に、全員に動き出すよう促した。
それを聞き、テント内は今まで以上の騒々しさに包まれた。命令を行動に移す。その姿が各所で見られ始めた。田口はそれを見つつ、自身も陸上総隊司令部との調整業務を始めた。
夏の日差しが照り付ける。時刻は午後二時を過ぎようとしていた。一日で一番気温が上昇する時間帯、それはつまり気温と比例的に体感温度も上がることを意味していた。鎌倉市の漁港で沿岸監視の任務を付与された偵察部隊の面々は止まる事のない汗に耐えていた。
「小隊長・・・。モップ下がらないんですかね・・・。」
額から流れる汗を拭いつつ、三曹の隊員が愚痴をこぼした。モップ。それは任務志向防護態勢と呼ばれる通称で、NBC戦における防護処置の段階を示すものであった。
段階は0から5まであり、5が最高となっている。今は低汚染地域装備となるモップ4が発令されており、作戦参加の全隊員が、この装備をしていた。しかし、モップ4とはいえ、真夏に全身厚着をし、モップ5ともなれば防護マスクまで装着しなければならず、早くも疲労の表情を見せる隊員が少なからず出てきていた。
「やばい時は言えよ。アンビに放り投げるからな。」
偵察小隊を指揮する二等陸尉の小隊長は周囲の部下にそう指示を出した。彼自身もかなりしんどかったが、指揮官として弱い所は見せられず、根性で耐えていた。
その言葉を聞き、小隊全員がアンビを見つめた。アンビ。自衛隊の救急車を指す言葉である。通常任務であれば赤色灯のついたOD色の救急車がそこにはあるのだが、今作戦においてはNBC対策として、今は古い73式装甲車が衛生車両として各地に展開していた。
「小隊長・・・もうダメっす・・・。」
その中、一人の隊員が力なくその場に倒れ込んだ。後期教育を修了し、部隊に配属されたばかりの1等陸士だった。意識が朦朧とし、口が半開きになっていた。近くにいた二曹の隊員が駆け付け救護処置を開始する。
「マルマル。こちらマルサン、現在地にて熱中症一名発生。後送を要請する。発症者、大村1士、時、1423。送れ。」
モップ4状況下のため、安易に防護衣を脱がすことは出来ず、二曹の隊員は首元を冷やしつつ、口に水分を含ませる応急処置しか出来ていなかった。それを見つつ、小隊長は険しい表情で無線に向かい話す。
(マルマル了。付近のアンビよりメディック派遣する。終わり。)
周囲に聞こえる音量で、本部から返答がきた。その内容に小隊長は安堵の顔を見せる。しかし、
「小隊長まずいです。意識ありません。バイタル低下、防護衣を脱がさないと死にます!」
脈や瞳孔を確認し、二曹は焦燥感を隠せない表情でそう口を開いた。防護衣を脱がす。その判断に小隊長は返答に詰まった。訓練では文句なしに脱がせていた。しかし今は実戦。脱がせる訳にはいかなかった。しかし脱がせないと熱が籠り続ける。小隊長は固まってしまっていた。
優柔不断で直ぐに決断出来なかったのだ。指揮官失格。その言葉が彼の脳裏をよぎる。
「脱がせます!」
小隊長の思考が停止したのを見、二曹は業を煮やして防護衣を脱がせた。それと同時に防護マスクを大村1士の顔に装着する。
「もう大丈夫だぞ。助かるからな!頑張れよ!」
そう言いつつ、厚いズボンを脱がせた瞬間、滝のような汗が地面に広がり、小隊の面々はその量に目を疑った。
「もう汗が出切ってる!誰かスポーツドリンク持ってないか!」
服の間から手を思い切り突っ込み、素肌の状況を確認する。本当に危ない。その思いから二曹は叫ぶように小隊の面々に投げ掛けた。
「俺持ってます!」
その声を聞き、少し離れた距離で監視を行っていた別の小隊の陸士長が、指揮官の許可を受け、そう叫びつつ近付いてきた。そして彼からスポーツドリンクを受け取った二曹は礼を言いつつ、大村1士の口内に少しずつ水分を含ませる。それから数分、担架を持った衛生隊員が二名駆け寄ってきた。
「衛生隊です。大村1士ですね、後送します。」
左腕に記された赤十字の腕章。それを見、小隊の面々は安堵する。しかし、
「これはまずい・・・。」
触診し、衛生隊員の一人は険しい表情を浮かべた。
「メディック03。熱中症患者一名触診中。武山への後送求む。」
携帯無線機に対し、呟くように話す。
(了。スポットまで後送し待機。UH1502到着予定。)
15時2分。その時刻に近くの後送地点にヘリが来るという内容だった。衛生隊員は反射的に自身の腕時計に目を移す。後10分。
「よし、運ぶぞ。」
険しい表情を崩さず、担架を広げ衛生隊員は大村1士を載せた。
だがその直後、相模湾の海面が隆起、大きな水しぶきと共に巨大な影が姿を現した。




