離陸
時刻は午前十時を指し、早くも滑走路には蜃気楼が見え始めていた。数百メートル先の空間が歪んでいるように見える中、ここ入間基地では巨大生物を相模湾に誘導するための作戦が実施されようとしていた。放射性物質を積んだ航空機を生物上空まで飛行させ相模湾に誘導する。それが本作戦の目的であった。しかしながらこの作戦に異を唱える幹部がいた。意見としては、上陸阻止を目的としているならば、その航空機をEEZの外まで飛ばせばいいのではないか。というものであった。だが反対に、EEZ外に追いやったとしてもまた、日本本土に上陸する可能性は高く、決するのであれば今しかない。その意見が多数を占め、今に至っていた。
「準備は。」
作戦を開始するにあたり、責任者となる入間基地司令は、市ヶ谷から空自のUH60でエプロンに到着するなり、出迎えをしてきた佐官に問い掛けた。
「はい。荷物の到着が遅れているため、現在五分の遅れが生じています。」
ヘリのダウンウォッシュが制服を揺らす中、二等空佐の階級章を付けた40代前半の男性は渋った表情を浮かべ、返答した。基地司令はその内容に自身の腕時計へ目を移す。
「分かった。事故のないように、且つスピーディーに行え。」
許容範囲内か。基地司令は頭の中で呟き、短く指示を出した。それを聞き、二等空佐の男性は一礼し、ジープに向けて走って行った。
「では、車両の方へ。」
制服姿で走って行く佐官の姿を見届けていると、次は一曹の階級章を付けた迷彩服姿の隊員が話し掛けてきた。彼の服装に目を移すと、文字通りのフル装備であった。鉄帽に防弾チョッキを着込み、鋭い表情で車両を指差していた。その先には軽装甲機動車が三両待機しており、基地司令は数名の基地警備隊員に防護されながら、中央の車両に乗るよう促され、その後部座席に腰を降ろした。同時にドアが力任せに閉められる。
(司令の乗車を確認。先頭車より前へ。)
それから二分弱。沈黙に包まれつつあった車内に、その声が無線越しに響き渡った。
(了解。周辺警戒を厳にしつつ前進する。)
オープンになった無線で業務的なやり取りが繰り返される。きな臭いな。基地司令はそう感じた。何故ならば、市ヶ谷は緊迫した空気など微塵もなかったからである。普通は上層部がきな臭い空気に包まれるものだが、基地司令が命令受領のため市ヶ谷を訪れた時には、そのような空気ではなかった。どこか遠い国の、他人事のような雰囲気がそこにはあったからだった。そのため基地司令は入間に戻ってきて、この空気に少し戸惑っていた。現場が一番きな臭い。後部座席に座り、そう感じていた。移動して5分。滑走路から一番近い格納庫に迫りつつあった。その時、
「あの車両の中にて、防護服を着て頂きます。降車の用意をお願いします。」
今まで口を噤んでいた助手席の空曹が正面を指差し、話し掛けてきた。基地司令は虚をつかれた形になったが冷静にその方向に目を向ける。するとそこには、通常ペトリオット部隊の隊員らが休む待機車があった。バスのような様相を思わせる車両は、格納庫の中に三両停車していた。その周囲には防護服に防護マスクを付けた隊員らが忙しく打ち合わせをしており、エプロンにはC1輸送機が待機していた。それに加え、その作戦を行うとされる一角は、滑走路に繋がる路面を省きそのほとんどが鉄条網で囲まれており、その光景は異様であった。周囲に目を移すと、陸自部隊の姿も見て取れた。滑走路の最終確認ポイントの横には、擬装する形で自走高射機関砲が待機し、上空に砲身を向けている。
「聞いてはいたが、市ヶ谷に行ってる間にここまでしていたとは。」
後部座席から身を乗り出す形で、基地司令は見入っていた。
「百里の二の舞はごめんですから。」
助手席の空曹は、そう吐き捨てた。基地司令はその返答に絶句する。確かにそうであった。入間も例外ではなくテロ攻撃は受けていた。とはいっても、正門付近における銃撃戦に収まり他基地のような、迫撃砲を滑走路に撃ち込まれるという事態にまでは発展しなかった。しかし、テロ攻撃を受けたという事実は変わらず、それ以降、警戒は厳重となっていた。そして今、放射性物質を扱う作戦だけに、現場の緊張はピークに達していたのだった。
「司令。間もなく陸自の化学学校から荷物が到着します。受け取りの許可を管制塔が求めています。」
降車位置に着き、基地司令が降りた直後、書類の束を持った尉官が許可を求めてきた。
「よし。収容態勢に入れ。」
今現在、防護マスクを付けていないのは司令と、同行してきた隊員らのみであり、基地司令は少し大きめの声で返答、そして防護服を着込むべく待機車の中に入って行った。
(トランスポート01。ディスイズ入間コントロール。司令からの許可が降りた。空域及び、収容態勢クリア。基地への進入を許可する。)
流暢な女性管制官の事務的な口調が、パイロットの耳をざわつかせた。空自仕様のCH47を操る一等空佐の四十代後半の男性は、短く返事をし機体を前に進ませた。彼は副操縦士と共に、大宮市にある陸自の化学学校から放射性物質を詰め込んだコンテナを運んでいた。コンテナは、CH47の中心部から吊り下げる形で空輸されていた。そのためコンテナが地上に落ちないよう最大限の留意をしつつの任務となっていたのだった。そしてようやく目的地に着き、一佐は小さく溜息をついた。エプロンに目を向けると、発煙筒が四方に焚かれ物資を降ろす場所が分かりやすく示されていた。
「あと一息だ。全員気を抜くなよ。」
副操縦士を含め、コンテナの管理をしていた機上整備員らクルーに、一佐は念を押した。高度計と姿勢指示器に目を移しつつ降下ポイントに近付いていく。
(コンテナ、姿勢安定。スポットインサイト。)
額から汗が流れてくる中、機上整備員が報告を入れてきた。
「了解。スポットへの指示送れ。」
あと少し。操縦桿を握る指に力が入る。
(ちょい右、ちょい右・・・ナウ!)
それから数秒、ピンポイントを指す言葉が入り、一佐は反射的に高度を落とした。直後、地面を擦る衝撃が全身に伝わる。
(コンテナ着地!拘束解除!各部異常なし!)
無事に届けられた。その思いがこみ上げ、それまで力んでいた身体から力が抜ける。
「ユーハブコントロール。」
(ハイハブコントロール)
後は任せて大丈夫だろう。溜息をつき、後の操縦を副操縦士に回した。その頃、機内では機上整備員三名が、コンテナを機体から外すため奔走していた。熟練の隊員らが手際よく作業を行う。そして三分足らずで安全確認を含め終了し、
(拘束解除を確認。離脱して大丈夫です。)
その報告をコックピットに入れた。直後、機体が前斜めに傾斜し、CH47は入間空域から離脱していった。
CH47の起こすダウンウォッシュが地上要員らの防護服を激しく揺らす。その中、放射性物質を詰め込んだ四角形の白いコンテナの受け取りに輸送科の隊員らは走り回っていた。
「コンテナの着地を確認!C1への積載始め!」
拘束が解除され、CH47が爆音を響かせながら、離脱していく中、輸送科の佐官は防護マスク越しに指示を出した。それを聞き、指示された隊員らがコンテナに近付き、積載準備に入る。
「積載準備中。警備要員は警戒を厳。」
その最中、基地警備隊員らは周囲に目を光らせていた。それに加え、通常は対空機関砲として用いられるVADSであったが、今回はそういう訳にも行かず、鉄条網沿いに、その砲身は地上に向けられていた。
(二分隊の警戒方向、この方向異常なし)
その中、軽装甲機動車二両を以て編成した第二分隊の三尉は緊張した声で報告を入れる。全てが緊張の連続だった。そして、コンテナが到着して十分。
(積載開始。防護対象はC1。繰り返す。防護対象2から1。C1の防護態勢に入れ。)
その無線が入り、警備要員らは決められた陣形に配置を変換し始めた。64式小銃を携えた隊員らが格納庫の正面を走り抜けていく。
「十分で離陸出来るのか。」
その一方で、その姿を見つつ防護処置を済ませた基地司令が待機車から降車し、作業を見守っていた佐官らに問い掛けた。
「はい。そうですね・・・。十五分あれば飛ばせるかと。」
いきなりの基地司令登場に虚を突かれた面々は驚きながらも、そう返答した。
「そうか。じゃあもうC1はいいんじゃないか。エンジンスタートして。」
全体の状況を見渡し、基地司令はそう口を開いた。
「三分後と・・・」
「了解しました。C1エンジンスタート。整備員最終チェック。」
その内容に、一人の佐官が計画書を見、口を開いたが副司令が制し、割り込む形で指示を出した。
(C1エンジンスタート。機体への固定作業急げ。)
その指示を受け、各所で命令が復唱され始めた。そして数分後、
「司令。離陸準備完了。」
各所からの報告を集約した副司令がその声をあげてきた。基地司令は小さく頷き、
「市ヶ谷に、作戦開始の最終確認を。」
放射性物質という、日本人と最も因縁深い有害なモノ。それを扱わなければならない今回の作戦は慎重を何よりも必要とするものだった。
「市ヶ谷よりGOサイン出ました。離陸を許可するとのことです。」
基地司令の指示から一分足らず、その報告が通信要員よりあり、全員が息を呑んだ。
「了解した。作戦開始。C1離陸せよ。」
防護マスク越しだったが、その声は明瞭に聞き取ることが出来た。それを聞き、佐官らは直ちに各部へ詳細な指示を与え始めた。そしてそれから五分、C1輸送機は貨物室にコンテナを積載し、入間基地を飛び立っていった。




