外伝 - 続・問題児たちが別世界へ行くようですよ?- その35
凄絶なるマナが戦場を迸っていた。
そのほぼ中央に位置するまかろんは、倒れていた体をむっくりと起こす。拍子に、殴り飛ばされた頬が痛んだ――届かぬはずの距離を超えて、レイがまかろんに与えた痛みである。
「想定外」
短い言葉ながら、それは紛れもなく賞賛だった。
まかろんは予測を外さない。
神域に届こうという彼女の頭脳が導く予測は、最早、未来予知に匹敵した。古の大軍師ですら及ばぬ神算鬼謀を覆すには、並大抵の無茶では届かない。
身を挺すことで、レイはそれを為したのだ。彼女の賞賛も当然といえよう。
「でも残念。やっぱり届かない」
だが――戦いの結末を覆すまでは至らない。
誰にともなく呟いて、まかろんは魔法陣を再起動した。
彼女が放とうとしていたのは、独自編纂した連鎖複合技能――漆黒が称するところの『神魔塵滅の炎』という超魔術である。
とはいえ突き詰めれば、その正体は単なる連鎖術式だ。
EGFのトッププレイヤーであれば大なり小なり使うそれが必殺技足り得るのは、まかろんの驚異的な演算能力による。千以上に及ぶ技能を最善・最適・最大・最高・最強の効率で組み合わせることにより、彼女にしか成しえない奇跡を体現するのだ。
「――煉獄の蓋を落とす。地獄の釜を押し開く」
今回もそう。
レイが自らを挺して防いだのは、まかろんが本来組み上げる術式からすれば未完成、僅かな一端でしかない。流石にまったく影響しないわけではないが、まだ誤差の範囲内だ。
「聖なるものは仰ぎ見よ。魔なるものは伏して待て」
詠唱が進むにつれて、まかろんの周囲に浮遊する幾つもの魔法陣が光を発する。
彼女の代名詞たる神話級武装『昏き探求のミスティリオン』が勢い良く回転し、連鎖解凍を滞りなく進めてゆく。
「我が放つは汝らが滅び、その果てに在る安寧也」
莫大な光が戦場を煌々と照らしていた。
狂乱するマナの緑光すらも覆い隠し、眩いばかりの紅蓮が天空を染め上げる。
神も魔も別け隔てなく呑み込み、滅ぼし、灼き尽くすそれはまさに太陽そのものだった。
「彼方へ消え行く塵と成りて、諸共に我が腕へ抱かれよ」
詠唱は既に終盤。
間もなく輝ける太陽は解き放たれ、擬似的な焦熱地獄が顕現する。
万物一切灰燼と化す死の波濤――常人であれば発動を躊躇する破壊の波を、だがまかろんは意に介さなかった。
「極死の陽よ来たれ――……」
何故ならば己は兵器。
善悪の区別なく。倫理もなく。彼の望みに従い、それを叶える唯の機構なのだ。そこに意志が介在する隙間はなく、その必要もない。
故にまかろんは感情に流されることなく、極めて機械的に、己の役割を果たそうとした。
だから――彼が間に合ったのは、決して彼女の落ち度ではない。
「―――」
最後の呪言が止まる。
放とうとした言葉の代わりに、斬り裂かれた咽喉から甲高い叫びが漏れた。
「……我では不足でしょうが」
黄金の瞳が驚愕に見開かれる。
振り返ったまかろんが視たのは、総身を朱色に染めた暗殺者。
「死出の道行き、御付き合いいただきます」
◆◇◆◇◆
何故、生き残ったのかは自分でも解らない。
破壊の光――抗えるはずもない圧倒的な死は、確かに自分を飲み込んだ。実際に半身はほぼ消失、即死しなかったのは奇跡以外の何物でもない。
だが、何であれアカは生き残ったのだ。
ならば――死んだ己にこそ出来ることがあるはず。どのみち時間が経てばバッドステータスによる継続ダメージで死ぬ身、いっそ命を有効に使い潰そうと、アカは決意した。
そして隠れ潜み、待った。
傷ついた体を癒すこともなく。
探知を避けるため技能も使わず。
今まで培ってきたスキルを総動員して、ただひたすらに『風見鶏』を追尾し――訪れるかどうかも解らなかった、この一瞬に賭けた。
「―――」
驚愕の表情で振り向いた大魔導師と目が合う。
己が咽喉を断ち切った相手を――“まかろんの撃破”という大金星をあげたアカを、彼女は興味深そうに見ていた。
「……我では不足でしょうが。死出の道行、御付き合いいただきます」
謙遜ではない。
この奇襲が成功したのは特殊な立地故だ。侵入ルートたる一本道を使わず、あえて切り立った崖を登るという暴挙を行ったが故の、特殊極まりない成功――とアカは推論したが、それだけではない。
まかろんは崖から来る敵も想定していた。実際に一本道には動体検知を、崖には技能検知を走らせている。アカが検知をすり抜けたのは、技能なしで崖を登ったからだ。
運動下手のまかろんが“実現性が低く非合理的”と切り捨て、緩めた警戒網の穴を偶然とはいえ見事に突いたのである。
(……いや、そもそもはレイのおかげか)
彼女は身を挺して攻撃を防ぎ、まかろんを殴り飛ばした。
そうして生み出した時間がなければ、既に大魔術は放たれていただろう。焦熱地獄が顕現し、あらゆる全てが一瞬で蒸発していたはずだ。
「では、さらばです」
幾つもの偶然が繋げた奇跡に感謝しつつ、二撃目を叩き込む。
まかろんは抵抗しなかった。
今まさに致死の刃が迫っているというのに、無表情のまま小さく体を捩るのみ。その矮躯へ間違いなく突き立った手応えに、アカはほっと息を漏らし――。
《浅薄》
「――――!?」
失ったはずの声をかけられ、凍り付いた。
《『キズナ』の暗殺者は甘いですね》
驚愕で体の動きが止まる。
アカの攻撃は確かに成功した。もはや雀の涙ほどしか残っていないHPがその証拠である。
《どこに驚く必要が? 即死しなければ良いだけです》
「くっ――ぐ、う……」
我に返ったアカが三撃目を叩き込むより、まかろんの杖の方が早かった。
後衛術者の物理攻撃など本来大した痛痒ではないが、アカも瀕死の状態である。情けなくも地面に転がり、立て直すのに時間を要してしまう。
《役目を果たすまで保てばいい。本式と比べれば威力は落ちますが、仕方ありません》
「く……“二重詠唱”か……!」
その名の通り、高位魔術師が技能を同時発動したい時に使う御業である。
声なき声を形作る技能――肉声を失ったまかろんは、それを利用して呪文を紡ごうとしているのだ。
《極死の陽よ来たれ》
もはや発動は止められない。
絶望的な予感を胸にしながら、しかし主に倣ってアカは跳ねる。
《――日輪よ、墜ちよ》
解き放たれる太陽。
全ての力を注ぎ込み消えゆくまかろんと共に、アカの総身が地獄の窯へと焼き尽くされた。




