外伝 - 続・問題児たちが別世界へ行くようですよ?- その25
肌が熱い。
全身が焼けつく感覚は日差しではなく、戦場の空気によるものだった。たかが暗殺者に過ぎない自分にも感じ取れるほどの圧力は、相手のレベルと無関係ではないだろう。
(――最精鋭ではないのにコレとは。紛れもない化生だな)
『風見鶏』の拠点から一キロ程度まで接近したアカは、胸中でそう呟いた。
記録的な速さでの拠点発見である。
流石は『キズナ』が誇る探索部隊、恐らくは運営が想定していたタイムを大幅に上回っているだろう。
『レッド。そこ退いて』
『御意』
無論、独りではない。
尊崇すべき主、葵も一緒だった。
ハンドサインで意思疎通を交わしつつ、アカの視線は『風見鶏』から離れない。目をそらした瞬間、何があってもおかしくない相手だ。
(しかしどうしたものか。“師範”が来られても、突破口が見つからぬのでは無意味。我らで隙を見つけておきたいが……)
考えうる最高の手は、鷹が来るのと同時に強襲。
一撃を与えた上で撤退し、釣り野伏を仕掛けることだが――。
(……やはり無理か)
厄介なことに、その隙がまるで見いだせなかった。
否、それどころか、これ以上近づくことも出来はしない。葵と組んでいるとはいえ、向こうの警戒網へ引っかかれば勝ち目はないだろう。
「……ほんっと、始末に困るょ」
故にアカは歩哨に徹していた。
己の主。
近づけぬならばと、多彩なスキルを駆使して罠を生み出す葵を守るために。
「ああいうチートが一番萎えるんだよねー。つっまんないの」
憎まれ口くらいは愛嬌だろう。
普段の彼女なら危険など無視して――むしろあえて――突っ込んでいきそうなものだから、充分に自制している。『風見鶏』がチートしているというのは、完全に当てこすりだが。
(……師範も遥か怪物。主の閃きと共に、期待するしかないか)
完全に他人任せとは情けないが、任務失敗するよりは余程良い。
とにかく陣地から目を離さないよう、今は只管に監視を――。
「あは。見っつけたー☆」
「!?」
背筋に走った悪寒は、蚊の羽音ほどの小ささだったが。
それが死神に等しき声ともなれば、聞き逃すわけにはいかなかった。
「主……!? ぐっ!?」
反射的に葵を突き飛ばしたアカを、襲撃者の刃が抉る。
その一撃で左腕はこそぎ取られたが、『風見鶏』の戦士がその程度の戦果で止まるはずもなかった。翻る二刀目は頬を掠め、更なる刃が肩をなぞる。
「貴様、ラシャ……!」
「やっほー。久しぶり、アカくん」
攻撃の鋭さと反比例するかのごとき、軽い声。
だがその連撃は一つも過たず、首を狙っていた。しかも葵が手を出しづらいよう超至近戦を挑んで来ている――流石に練達の暗殺者、一撃たりとも無駄のない戦いぶりだ。
(く、下手を打った……!)
左腕を失ったことではない。
そんなことは大したことではない。
問題は『風見鶏』に目を光らせていたアカが気づけなかった、その一点――こちらの動きを予測されていた、その一点だ。
(どうする……!)
ラシャ以外のメンバーは未だ陣地から動いていない。
本陣と連携しない意味は何もないので、これはラシャがアカ達を発見したと伝えていないためだろう。哨戒中に見つけたので、とりあえず襲撃した――この戦闘狂ならば十二分にあり得る話だった。
(考えるまでもない、撤退だ!)
だが、そもそも偵察が『風見鶏』の指示だった場合は必ず援軍が来る。
そうなってしまえば終わりだし、そもそもラシャ自身の戦闘力も侮れない。見た目は幼いが、左手のハンデがなくとも彼女はアカを大幅に上回る暗殺者なのだ。
「主! 殿は某が……!」
「なに言ってんのさ! あたしのフェローが情けないこと言うんじゃない!」
アカの主は言葉より行動の方が早い。
この時も、彼女は既に攻撃態勢だった。
武装を短剣へ切り替えて、高速の一撃をラシャへ見舞う。
「ぶっ倒してなかったことにする! 文句ないね!!」
「――承知!」
己の意思を封殺して、アカは葵へ従った。
全体を考えれば一度撤退し、作戦が読まれていたことを本陣へ伝えるべきである。主の想定通りにラシャを瞬殺出来る可能性は非常に低く、無茶無理無謀の三か条だ。
だが――。
「この距離でもけっこー強い!? 葵さんって弓兵でしたよねー!?」
「遠近両用だ……ょ!」
「うわっ! あっぶなぁー!」
「喋るな。狩りにくい」
「っとと!? アカくんまで速くなってるしぃ!?」
その程度を為しえないなら、彼女の従者は務まらない。
周囲の樹木をも利用した多角攻撃――本当に人間か疑わしくなる三次元による立体機動は、葵直伝だ。無数の怪物が跋扈するEGFの世界においても、この動きが出来る戦士はそうはいない。
「うわーん! 二人相手って結構めんどうだぁー!」
泣き言を漏らすラシャは、真実想定外だったのだろう。
アカも同様である。
想定外――この場合は想定以上というべきだろうか、葵とアカの連合は格上であるラシャを徐々に追い詰めていた。『風見鶏』から助けが来ればリタイヤ確実なので、戦いながらも相手のホームからは遠ざかるよう腐心してはいたが。
「面倒だけど――」
しかし無論。
敵もそのままでは終わらない。
「ヒビキ様の言ってた通り、だね!」
「っ!?」
前後からの挟み撃ち。
基本にして必殺の型で決めにいった葵主従を、しかしラシャは不敵な笑みで迎え入れた。
(『アサシネイト』――!?)
彼女が発動しようとしている技能を見て、アカの背中に戦慄が走る。
『アサシネイト』は極めて狭い攻撃範囲の代わりに、全カテゴリでもトップクラスの攻撃力を誇る大技だ。最上級技能のため消費MPはかなりのものだが、派手なエフェクトもなく発動が速いので、その名の通り暗殺者が奥の手としてよく使う。
(しまった!?)
ガチガチの盾職ならともかく、アカ達が防御なしで喰らえば即死は免れない。
だが回避しようにも、そう容易くは反応できなかった。先んじて放った一撃が必殺の意図を持っていただけに、あらゆる行動修正には時間がかかってしまう。
まさしく王手。
名うてのアサシンであるラシャが繰り出した、一撃決殺の秘奥だった。
(いや、これはあの男の策――)
迫り来る刃よりも、脳裏へ翻った白い外套に強い悪寒を感じながら、アカはここで散る覚悟を決める。
『アサシネイト』は単体物理。己が喰らえば葵は生かせるし、一死と引き換えであればラシャの片腕くらいはもぎ取れるだろう。
そうすれば、後は葵が始末してくれるはずだ。
主に尻拭いを頼むのは気が引けるが、彼女より後に果てるよりは遥かにマシというもの。
「!?」
――しかし、アカの決意は空振りに終わった。
必殺を発動したラシャの背後。
音もなく、だが強力な武の気配を撒き散らしながら、餓えた獣王が猛烈な速度で突っ込んできたのである。
「でっかいの!?」
「っ!?」
驚愕を漏らした葵の声に、ラシャは素早く反応した。
乱入者を最大の脅威と瞬時に判定、アカへ照準を定めていた『アサシネイト』の矛先を強制的に変更。
「やあああああああああっ!!」
それは最適な迎撃だった。
後で検討したとしても、このシチュエーションでは他の対応を取りえないだろう。
だから――今回は相手が悪かったというしかない。
「え?」
驚愕の声を漏らしたのは、一体誰だっただろうか。
同系統の実力者であるアカが惚れ惚れする精度・威力で振るわれた必殺は、しかし鷹の神業じみた体捌きに躱された。薄皮一枚、完璧な見切りがなければ不可能な距離で刃をやり過ごすと、彼はそのままラシャの矮躯へ覆いかぶさり――。
「っ!?」
鈍い、鈍過ぎる音が戦場へ響く。
本能的な怖気を呼び起こす音――EGF随一の剛力が、情け容赦なくラシャの頸部をへし折った音が。
「惜しかったけどよ。万全の格上に体勢崩した格下の技が当たるわけねぇだろうが。勢いだけで埋めれる差か考えろ。チビ助」
その忠告は、果たして届いただろうか。
暗殺者すら驚愕する一撃は当然のようにクリティカルであり、ラシャのHPはそれこそ消し飛んでしまっていた(恨み言を漏らせもしなかったことを考えれば、まず消滅の方が早かったと思われる)。
「師範……お手を煩わせました。すみませぬ」
「応。ンで、状況は?」
「通り魔だ……紛うことなき通り魔だょ……」
「うるせぇ。救いのヒーローだろーが。ンな序盤で脱落者出しそうになってんじゃねぇっての」
「出ないし? あそこからさらに大逆転だったし?」
「主……それは流石に無理がありますが」
「黙りんしゃい、レッド。大体、でっかいのだってカウンター決まったからあっさり落とせたんでしょーが。つまり囮役のあたし達の手柄ってことだよネ!」
酷い暴論だったが、その中に一握りの真実があるので尚更たちが悪い。
ラシャからしてみれば、『アサシネイト』は練りに練ったカウンターだっただろう。敵の手を見た上で放った、必殺の手札である――全身全霊・全集中の一撃を発動中に、横合いからいきなり急襲(しかも格上)されれば、一撃死も当然だ。
逆に鷹が普通に出てくれば、ラシャは迷わず『風見鶏』の陣地へ逃げただろう。雪音がよくピンチはチャンスと言っているが、まさしくその通りになったわけである。
「……もうなんでもいいから、状況だけ教えろ。とりあえずバレてねぇ――」
瞬間、鷹が唐突に跳躍した。
その足元から蛇のように伸び上がるのは、四対八本の蔦――『アイヴィーバインド』という拘束術式による先制を、獣じみた勘で躱したのである。
「ちぃっ!?」
見事、先制を乗り切ったはずの鷹は、しかし同時に舌打ちした。
だがその意味をアカが問う前に――。
「っ!?」
遥かな光が、世界を灼き尽くした。




