べん・とー 中後編
長かった。これでようやく食べられる――と思ったのだが。
「うわ、なんですかそのお弁当!」
一護が蓋を開けると、即座に同席者達が驚嘆の声を漏らした。
「……何って言われてもなぁ」
ウインナーの入ったチャーハンに、チーズ入りカツレツ、クレソンとジャガイモのサラダ、バジルを混ぜたスクランブルエッグ、野菜をたっぷり使ったナポリタン――特に気になるようなメニューはない。
雪音の手作りだけに味は保証つきとしても、これほど騒がれるとは思わなかった。
「……普通の弁当だぞ」
「いやいや先輩、凄いですよこれ」
「壁を越えし匠による業(お店で売っているのみたい)……」
「冷凍食品とか……入ってない、よね?」
「はい。入れてません」
「ひょっとして揚げ物も手作り?」
「そうですよ?」
「…………えっと、昨日の残り物とか?」
「いえ。全部、朝に作りました。お兄ちゃんと私の分だけですし。あんまり作り置きしたくないので」
どこか誇らしげな雪音を、クラスメイト達は目を丸くして見ている。
尊敬半分、呆れ半分といった視線だが――これが普通の反応なのだろう。
毎日毎日、手作り弁当を作っている女子校生は少数派には違いない。
「俺も少しは楽しろよって言ってるんだけどな。この頑固者はちっとも聞いてくれないんだ」
「だ、だって……どうせなら一番美味しいの食べて欲しいし……」
「安心しろ。俺レベルの舌じゃちょっとくらい手抜きしても解らない。どっちにしろ美味いのは間違いないんだし」
「いいのっ、私が気にするのっ」
「あー、解った解った。降参降参。俺が悪かったから拗ねるな」
クラスメイトがいるならもしやと思ったが、やっぱりお気に召さなかったようだ。ぷっくり膨れてしまった妹に苦笑しつつ、とりあえず弁当を一口。
「うん、美味い」
「…………えへへ。良かった♪」
「だからこの味で何を心配するんだお前は……」
「心配なものは心配なんだもん……」
「……なんか置いていかれた感がハンパないですけど。ええい、強引にこっちも最終兵器! ちーちゃん、出番だよ!」
「え? あ、えっと、そのぅ……」
「最後の砦の上に最終兵器か。凄いなちーちゃん」
「最終兵器彼女(あなただけが頼りだよ)……」
「適当なこと言わないでよぉ……うう、こんなことならもっとちゃんと作ってくれば良かった……」
「そうか?」
千穂のランチボックスに詰められていたのは、色とりどりのサンドイッチだった。
ハム、レタス、チーズ、トマト、卵、チキン、オニオン――様々な具材を豊富に使ったサンドイッチは視覚的な楽しさもあり、少なくとも一護の受けた印象は悪くない。むしろ良い。
「普通に美味しそうじゃん。一個欲しいくらいだよ」
「ぜ、是非! 今なら私もついてきちゃうかもですよ!」
「いや、そのりくつはおかしい」
どんなセット販売だ。
「……じゃ、お言葉に甘えて」
とはいえ美味しそうなのも事実なので、一護はありがたく一切れ頂戴することにした。
手に取ったのはオーソドックスなハムとレタスのサンドイッチ。
シンプルイズベスト、単純なだけ純粋に腕が出る類の食べ物であるが、ちーちゃんの腕は如何に――。
「む」
口に入れた瞬間、一護は思わず唸った。
しっかりとした弾力を返すハムに、その瑞々しさでアクセントを与えるレタス、パンの舌触りもまた絶妙で、表面に塗られたほんの少しの辛味が味の全体を引き締める。
「……美味い」
驚いたことに、単品では雪音と遜色なかった。
サンドイッチだけでは昼食としての完成度は劣るものの、雪音と比肩できること自体、中々珍しい事態である。
「冗談抜きに美味いぞ、これ。ビックリした」
「は、はい! ありがとうございます!」
「どうですか(ドヤァ。先輩(ドヤァァ。ウチの最終兵器ちーちゃんは(ドヤァァァ」
「隅っこで縮こまってろドヤ子。確かに美味いけど、お前全然関係ないだろうが――」
「あ、あのっ。私にも貰えますかっ?」
「え?」
エリカへ冷たい視線を送っていると、横合いから雪音が食いついてきた。
先ほどまでの緩んだ表情はどこへやら。
千穂の作ったサンドイッチを、親の仇とでも言うような厳しい眼差しで見つめている。
「なんだ。雪音も食べたいのか?」
「……うん。気になるし」
「あ、じゃあもう一つ――」
「ん? ああ、いいよ。何個も貰うの悪いし」
「え? でも、それじゃ――」
「大丈夫大丈夫。雪音。ほい、あ~」
「え? あ、あ~……♪」
幸いにしてサンドイッチは食べかけだった。
くるりと半回転、一護が口をつけていない部分を選んで雪音へ与える。
そこかしこから息を呑む音が聞こえた気がしたが、ひな鳥にエサを与えて何が悪いと開き直った。
ただ、ひな鳥にとってそのエサは、あまり良いものではなかったようで。
「…………っ」
幸せそうな表情も一瞬。
ゆっくり咀嚼していた雪音はサンドイッチの味を確かめるなり考え込む表情になり、続いて悔しげに俯いた。
「……お、美味しいです。野乃崎さん、料理上手なんですね……」
「え? あ、ありがとう。伊達さん」
(本気で悔しがってるな。これ)
今にもぐぬぬと言いそうな様子である。あまつさえポケットから取り出したメモへなにやら書き込んでいるあたり、彼女の本気度が伺えた。
「……あのー、先輩。雪音ちゃんは何を?」
「ん? ああ。外食で美味い料理を食ったりすると、雪音はそれをメモるんだ。で、再現できないか家で試す」
「再現、ですか? そんなこと出来ます?」
「そうだな。だいたい一ヶ月かそこらで完コピかなぁ」
「ええ!?」
「流石に材料とかがバカ高いのは無理だけどな。それでも充分美味い――というか、雪音が作った料理で不味いのは食べたことないな。そういえば」
雪音が家事全般を取り仕切るようになって何年も経っているが、不味いものを食べた記憶はない。今日の弁当もそうだが、残す気にさせない美味さである。
「まさに食寶(美味しそう)……慨嘆を禁じえない(いいなぁ)」
「ん? 通訳。出番だぞ」
「リリちゃんが雪音ちゃんのお弁当、食べたいみたいですね。あと、あたしは通訳じゃないですからね?」
「エリち、訳してから言っても説得力ないよ……」
「その通り。で、雪音。ちょっとあげてもいいか?」
「んぅ? う、うん。でも、お兄ちゃんが足りなくなっちゃわない……?」
「まぁ大丈夫だろ。午後は省エネ運転するつもりだし」
「……あ。それなら――」
「お前はしっかり食べなさい。ただでさえ細っこいんだから」
「あうう……」
一護の先回りに雪音が小さくうめいた。自分が分けると提案するつもりだったのだろうが、そうは問屋がおろさない。これ以上細くなってどうするつもりだ。
「つーわけで、ほい。食べな。リリちゃん」
「あ、ありがとうございます(感謝感激雨霰……」
「リリちゃん、キャラどうしたの。ブレすぎってモンじゃないよそれ」
同感である。たかだかチャーハン分けただけで感謝し過ぎだろう、この子。
そんな思考が伝わったわけでもないのだろうが――にこにこ笑いながら、千穂がとんでもないことを言い出した。
「仕方ないですよ。リリちゃん、“DIF”のメンバーですから」
「……DIF? ディフェンス?」
「なんで防御力の話になるんですか。あたしはいつだってAGIに全振りですよ」
「そういうのはいい。ディフェンスじゃないなら、DIFってなんだよ?」
「アレですよ。いわゆる伊達一護ファンクラブ」
「なんだそれ!?」
「読んで字の如く、先輩のファンクラブです。知りません?」
「知るわけないだろ!?」
「あっれー? おかしいなぁ? “DIF”って公認系のクラブじゃないっけ?」
「私もそう聞いてたけど……」
「我が身も同意する(もぐもぐ」
「公認なんてするわけないだろ。つーか公認してたら怖いだろっ。自意識過剰が過ぎるだろ!」
「せ、先輩! 近い近い! あたしに怒っても意味ないですってば!」
「お、お兄ちゃん!?」
エリカの襟首を掴んで問い詰めると、何故かわたわたと慌てた雪音によって引き剥がされる。
だがそれでは一護のフラストレーションは解消されず、当然の成り行きとして、矛先は可愛い妹へと向いた(理不尽。
「雪音。お前、知ってたか?」
「え? あ、う。な、なにを?」
「いや、いい。その反応だけで充分だ。知ってたんだな」
「で、でも別に参加してないよ? 存在しか知らなかったし!」
「当たり前だ。参加してたら兄チョップだぞ、バカ者。だいたい、お前も“YYY”で苦労しただろうが。知ってたなら、なんで俺に知らせない?」
「ご、ごめんなさい……お兄ちゃんかっこいいし、他の子がファンになっちゃうのも解るから――」
「あのー……途中ですいません。YYY? ってなんですか?」
嫌な雰囲気を打破するためか、それとも単なる好奇心か。
絶妙なタイミングで割り込んできたのは千穂だった。雪音にはお説教出来ても、流石に彼女には出来ない。
「……ファンクラブだよ」
どうするか迷ったが、結局一護は正直に話すことにした。
「“YYY”――正式名称“やっぱやっぱ雪音ちゃん”。夏まであった、雪音の非公式ファンクラブだな」
「へぇー!? そんなのあったんですか!?」
「姫君ならば当然の仕儀……(雪音ちゃん、可愛いもんね」
「ふわぁ……」
三者三様だが、概ね好意的な反応である。苦い表情は伊達兄妹だけだったが、まぁ背景を知らなければそんなものだろう。
「で、それがなんで雪音ちゃんへのお説教モードになるんです?」
「……集団心理って知ってるか?」
「え? 赤信号、みんなで壊せば渡れない――ってアレのことですかね?」
「赤信号だから渡れないのはいいことだし、大筋合ってるのが腹が立つな……まぁそういう、大勢で集まると強気になったり、態度が大きくなったりするやつだよ」
「はぁ。まぁ、聞き覚えくらいはありますけど……」
「うん。で、端的に言うとだな。そうやって態度がでかくなったバカ共に襲われた」
「う?」
「え?」
「へ?」
「…………」
あっさり告げると、三人娘は呆けた表情で固まった。
まぁそれはそうだろう。
この法治国家たる現代日本で“襲われた”などという単語はそうそう出てこまい。
「襲われた……って、せんぱいが……ですか?」
「おう。確か雪音と買い物行った帰り道だったかな。いきなり囲まれたんだよ。何人だっけ? ひのふの……」
「四人だよ、お兄ちゃん」
「あー、そうかそうか。確かに四人だったな、うん」
「そ、それでどうなったんですか!?」
「奈落の使者と邂逅……(ケ、ケガとかは?」
「ないよ。あんな雑魚に負けるほど落ちぶれちゃいない」
「…………えーっと、ひょっとして先輩、実は強かったりします?」
「少なくとも弱くはないな。うん」
自分で言うのは少々面映かったが、これでも中学までは鷹の道場に通っていたのだ。そこら辺のチンピラにはまず負けないし、そのくらいは言ってもいいだろう。
「ちなみに雪音もかなり強いぞ。俺と一緒に道場通ってたし、鷹も投げ飛ばしたことがある」
「「「えぇ!?」」」
というか、YYY事件の際にも一人倒した(投げ飛ばした)のは雪音だったりする。流石にそれは伏せたが、それでも細身の雪音が強いとは全然思わなかったのだろう。
「鷹……って、あの怖くてでっかくて強そうで怖そうで悪そうな月都先輩のことですか!?」
「そうそう。その鷹だ――って、怖がり過ぎだろ」
「そ、そうですか? 普通の反応だと思いますよ?」
「悪鬼か羅刹の類……(すっごく怖いです」
「せんぱいと仲良しなのを知ってても、流石にちょっと……」
まさかの総スカンだった。まぁ冷静に考えてみれば一護達が見慣れているだけで、一般感覚はこんなものなのかもしれない。
「……まぁ鷹は置いといて。そんなわけで、俺はファンクラブっていうのがどうにも好きになれないんだよ。解ってくれたか?」
「はぁ……一応。そんな漫画みたいなことってあるんですねー?」
「俺もそう思う。まぁそれ自体はケジメつけたから今更だけど、俺がファンクラブを気に入らないことを知っていて――」
「(びくっ」
「――内緒にしていた悪い妹がいるらしいぞ? なぁ雪音」
「(はうあう」
頭をちょっと強めにかいぐりかいぐりしてやると、悪い妹はやばいくらいに俯いた。うむ、このくらいは反省してもらわないと。
「あのぅ……せ、せんぱい?」
「ん? どした、ちーちゃん」
「えっと、ですね。リリちゃんも私も、その……“DIF”のメンバーなんですけど……や、やっぱり退会したほうがいいですかっ?」
「え?」
「だ、だってせんぱい、ファンクラブ嫌いなんですよね? だったら――」
「…………あー。まぁそういう話になるか」
あれだけおおっぴらに雪音をいじめたのだから、考えてみれば当然である。ちょっと伝え方がまずかったなと思いつつ、一護は苦笑して返答した。
「そりゃまぁ入ってない方が望ましいけどな。別にそのままでもいいよ」
「そう……なんですか?」
「ああ。そもそも“DIF”とかいうのに関るつもりがないからな。別に構わないさ」
「……わお。先輩、結構キツいんですね」
笑いながら、一護はエリカの発言を黙殺する。
相当気をつけたつもりだったのだが彼女は見事、こちらの真意を見抜いていた。
一護としては、ファンクラブが勝手に活動することを咎めるつもりはない。巡りめぐって自分達の周囲に迷惑をかけない限り、放置するつもりである。
何故ならば、純粋に興味がないから。
所属する会員も同様だ。
今日ここで話をした二人は流石に一歩抜け出たが、基本的には同じである。雪音や幼馴染は言うに及ばず、クラスメイトにも劣る程度の関係性しか存在しない。
(……とはいえ、フォローは入れといた方がいいか)
ないとは思うが、一護のせいで雪音がクラスで孤立することにでもなったら事だ。ここは兄として、大人として不安の芽を摘んでおかねばなるまい。
「まぁ、ファンクラブどうこうってより、この二人なら大丈夫だろって思うからな。いい子だし、バカなことはしないだろ?」
「は、はい!」
「無論!(もちろんです」
「うん。いい返事だ」
「……うーむ。流石は先輩、年下の扱いが手馴れてますね。ちょっと引くレベルで」
「失礼な」
なんでちょいちょい喧嘩腰なんだこの子は……。
最初は新鮮で面白みもあったが、エリカのキャラは長く相手していると疲れてしまう。
(あしらうか……いい加減、食わないと時間もやばいし)
微妙に失礼なことを考えつつ。
冷めても変わらず美味い弁当に、一護は本格的に取り掛かることとしたのだった。




