べん・とー 前編
久々に更新です。
とある日。
いつものように兄を起こし、いつものように兄と朝食を食べ、いつものように幼馴染で登校し、いつものように授業を受け、そうして訪れたお昼休み――まったくいつもと同じ過ごし方をしていた少女の日常に、ほんの少しの変化があったのは、お昼休み開始直後だった。
「雪音ちゃん。ちょっと訊きたいんだけど、いい?」
「え?」
呼びかけに顔を上げたのは、見た目麗しい少女である。
白い肌と大きな瞳、はてなと首を傾げる姿すら可愛らしい――そんな赤樹学園1年C組所属、伊達雪音は、絶賛お昼ご飯の準備中だった手を止めて、目を瞬かせた。
「いやぁ、ごめんねー。突然」
一方、彼女へ声をかけたのは大柄な体躯の女生徒である。
ざんばらに切られた黒い髪、猫のような切れ長の瞳――豪快な顔立ちは笑みの形に固定され、不思議な愛嬌となっていた。
彼女は米原エリカ。
姉御肌として評判の高い、クラスメイトである。
「えっと……何ですか?」
もちろん知らない顔ではない。
知らない顔ではないが、雪音の返事はどこか警戒したものだった。
だがそれも当然だろう。知り合いでも全員が友人というわけではない。帰宅部の雪音とバレー部の新人王(新聞部談)と言われるエリカは接点も少なく、今まで話したことがあるかも曖昧だ。
「そんな警戒しないで。別に取って食おうってわけじゃないからさ」
だがその程度でエリカはへこたれなかった。
笑って頭をかくと、するりと雪音の正面に腰掛ける。
まるで長年の友人を相手にするようなコミュニケーション能力で、あくまで自然に会話の姿勢を作り上げようとしている。
ただ――座ったということは、すぐに終わる話ではないということで。
「米原さん。そのお話、後じゃダメですか?」
「え?」
例えエリカが良くても、そうなると雪音は困るのだ。
「私、約束があるんです。だから、あまり長居していられなくて……」
「あー……そういえば雪音ちゃん、いつもお昼休みっていないよね? どうしてるの?」
「別の場所でお昼食べてます」
「毎日?」
「はい」
「はー……なるほど。ちなみに、こっちを優先してくれたりは――」
「出来ません」
「……そんなキッパリ言わなくても、うう……」
雪音の断固たる宣言に対し、エリカは半泣きで肩を落とす。
だが仕方ないだろう。
一般論でも先約は優先されて然るべきだし、それがなくたって今回の先約は相手が相手だ――例えこの世の全てが天秤にかけられたとしても、雪音には譲歩するという選択肢は存在し得ない。
だが敵(クラスメイトを敵と言っていいのかはあれだが)もさるもの。すぐに思いも拠らなかった提案をしてきた。
「あ、じゃあ。例えばなんだけど、同行ってだめかな?」
「え?」
「ほら。このタイミングってことは誰かと一緒にお昼ってことでしょ? 絶対に邪魔はしないから、同席させて欲しいなーって」
「え? あ」
「いやホント邪魔しないから! ね? ね?」
拝むように頭を下げるエリカ。
こうまで頼み込まれては仕方ない――とは当然ならず、むしろ雪音は己の警戒心が膨らんでいくのを感じていた。
(……まさか)
もやもやとした違和感が胸の中で渦巻き、あまりよろしくない予感が脳裏へ閃く。
彼女の目的は雪音そのものではなく――お昼休みの約束に同席することなのではないかと。
突拍子もない思いつきだったが、ありえないことでもなかった。
別に話ならいつでも出来る。食い下がる必要はないし、雪音が毎日、別の場所で昼食を摂っていることを知りつつ、エリカは昼休みに声をかけてきているのだ。
「…………」
これを怪しいと言わずになんと言おう。少なくとも自分の語彙では思いつかない。
色々と考え込んだ末、やっぱり断ろう――そう決意した雪音が、きりっと顔を上げた瞬間。
「ちーっす」
声が、聞こえた。
間違えようのない、間違えるはずのない、大好きな声が。
「っ!?」
今までの警戒も何もかも忘れ、反射的に立ち上がる。
目の前のエリカは愚か、居並ぶクラスメイトすら意識に入らない。今や雪音の意志はただ一つ、声の主を見つけることにのみ注がれていた。
(あ♪)
しかしそれも僅かに一瞬。
驚異的な集中力で声の主を見つけた雪音は、一瞬で己の頬が緩んでいくのを感じた。
「お。いたいた」
一言で表現するならば、端正な顔立ちの青年である。
いや、端正などという言葉では表現しきれない。艶やかな黒髪、優しい瞳、鼻筋の通った口元、細身だが筋肉質な体躯――全てのパーツが奇跡的なバランスで整うその姿は、雪音の知る誰よりも完成された容姿だった。
「入ってもいいかな?」
「ひゃ、ひゃい!?」
盛大に噛んだ女生徒は、恐らく見とれてしまったのだろう。
他の女子も多かれ少なかれ、似たような反応である。呆然とするみんなをすり抜けて、彼――伊達一護は、どこか照れたような顔で妹の元へとやって来た。
「よ。話し中だったか? 雪音」
「うん。でも大丈夫だよ」
先ほどの不機嫌さもどこへやら、やってきた兄を妹は飛び切りの笑顔で出迎える。いつどんな状況にあろうと、自分を訪ねてきてくれたのは雪音にとって紛れもない慶事だった。
「どうしたの? お兄ちゃん。クラスまで来るなんて珍しいよね?」
「ああ、今日の昼なんだけど。ちょっと予定が変わってな」
「ふぇ?」
「四時間目の家庭科で女子が調理実習だったんだよ。で、葵と風見はそのまま家庭科室で食うんだと」
「そ、そうなんだ……もしかしてお兄ちゃんも?」
「誘われちゃいるんだけどな。流石に男が俺一人ってのはどうも……鷹もサボリでいないし。お前が行くなら一緒に行くけど」
困った顔に、雪音はなんとなく状況を察する。
恐らく葵あたりが呼び出しているのだろうが、一護としては気が進まないのだ。行くにしても一人ではなく、味方となりうる雪音を伴ってと思っているに違いない。
「というわけで、どうだ? 行く気あるか?」
「……えっと。わがままかもしれないけど、出来れば別の場所がいいな……」
一護が頼ってきてくれたのだ。お誘いであれば否やはないが、こちらに選択権があるのなら周囲が上級生ばかりというのは遠慮したかった。伊達雪音は元々人見知りなのである。
というのが建前。
本音としては、二人きりで別の場所で食べるのが色々な意味でベストなのだが――。
「……あの~。ちょっといいですか?」
今後の方針が決定しきる前に、二人へ声がかけられた。
はっとして視線を向けると、そこには苦笑するエリカの姿が。申し訳なさそうに片手を挙げているのは、彼女の存在を完全に忘れた雪音への皮肉なのだろうか。
「っと。ごめんごめん。雪音と話してたんだよな? えっと――」
「エリカ。米原エリカです。伊達さんのお兄さん……ですよね?」
「ああ。伊達一護だ。よろしくな」
「はい♪」
にこやかな顔で二人は挨拶を交わす。
だが雪音としては色々複雑な心境だった。
単純に一護へ向けられるクラスメイト(複数)の熱視線だとか、教室中が耳を澄ませて会話を聞いていることだとか、そもそも彼が来る前にエリカが言いかけていた話だったりだとか――。
「えっと、先輩。それでですね。折り入ってご相談があるんですよ」
「……俺に?」
「ええ。先輩に、です。今話していたお昼ごはんなんですけど、あたしも同席させてもらえないですかね?」
「よ、米原さん!?」
――そして案の定。
あろうことか、物怖じしないエリカは直接一護へ直談判を始めた。
「先輩が来た時、あたし、雪音ちゃんの前に座ってたじゃないですか。アレって実は、お昼のお誘いをしていたんですよ」
「そうなのか? 雪音」
「え、あ、う。う、うん。そうだけど――」
「でも先約があるって断られちゃいまして。ほら、でもあたしとしては雪音ちゃんと仲良くしたいって常々思ってたんですよ、はい。だからこう、諦め切れなくてですね。で、どうせならご同席出来ないかなと」
「……初対面でアグレッシブなのな、君」
「あー。距離感が近すぎるってよく言われます」
一護が若干呆れた様子を見せても怯まない。驚嘆すべき胆力はどことなく青髪の幼馴染を連想させ、伊達兄妹は揃って苦笑した。
「なら俺がいない方がいいんじゃないか? 二人の方が話せる話題もあるだろうし」
「え、それは――」
「いえいえ。初お昼で盛り上がれると思うほど、あたしも楽観的じゃありませんよ。是非先輩もご一緒してですね、雪音ちゃんの緊張をほぐしていただければ、と」
「…………」
雪音としてはエリカと二人きり、というのは非常に遠慮したいシチュエーションだったので、彼女の言葉は願ったり叶ったりだったが――やはり釈然としない。
エリカの言動は、どうしても一護寄りに聞こえるのだ。
雪音というより、一護とお昼を食べたいがために、あの手この手で言い募っているように見えてしまう。
「……はぁ。解ったよ」
そうして暫し。
元より年下には甘い男である。エリカが雪音のクラスメイトであることも手伝い、ついに一護は頷いてしまった。
「諦めるつもりもなさそうだし、つまんなくていいなら一緒に食おう。雪音もいいよな?」
「え? ――あ、うん。お兄ちゃんがいいなら……」
「やったー! ありがとう、雪音ちゃん!」
「ど、どうしたしまして」
両手を突き上げて喜ぶエリカは、席から立ち上がって一回転……オーバーリアクションも大概である。そんなところも葵っぽい。
「あ、先輩。ちなみになんですけど。完全アウェーもなんなんで、友達連れて行ってもいいですかね?」
「そっちから希望しておいてアウェー扱いかい」
「いやぁ、先輩達の仲の良さは有名ですから。ソロで挑んでも大火傷と思いまして」
「だったら退けばいいだろうに……なんか釈然としないけど、まぁいいよ。あんま大人数は勘弁だけど」
「解ってますって!」
にしし、と笑みを浮かべるエリカ。
大好きな兄とのランチタイム。
本来は途方もなく嬉しい時間のはずなのに――。
(……うう。やっぱり気になっちゃう……)
彼女の浮かべた笑みが、某アリスに出てくる猫のようで。
なにか企んでいるのではないかと、そんな疑念が頭から離れなかった。




