カンビョオーネ! 3
さて、雪音といえば主婦である。
現役の女子高生でありながら主婦。即ち奥様は女子高生――もとい、妹様は女子高生。それ主婦じゃないじゃん。
まぁそれはそれとして、雪音が父子家庭である伊達家の家事一切を取り仕切っているのは、紛れもない事実だった。その手並みも、勉学と両立しているとは思えないレベルで素晴らしい。
「……うーむ。面倒だよなぁ」
食器を洗いながら、一護はぽつりと呟いた。
たまにやる家事の初歩だが、これだけでも面倒くさい。面倒くさいし、それに――。
(一応だけど掃除はしたからいいとして……あとは風呂か? いや、そりゃまだ早いな……夕飯の買い物――冷蔵庫の中身は結構入ってるように見えるけど、買うべきなのかこれ?)
何をどうすればいいのか解らないのが問題だった。
詳しい話を訊こうにも、我が家の頼れるお母さんはおやすみタイム。起こすのも野暮だし、寝かしつけたのが一護ではバツも悪い。
(…………とりあえず出来ることだけやろう、うん)
風呂も掃除だけならしとけばいいし、洗濯も今日はしてなかった。
多分、雪音も一両日あれば回復するだろうし、まぁ最悪どうにかなるだろう――人任せとか言うなかれ。自覚してるから。
「さーて、洗濯洗濯……って、あれ?」
食器を片付けて洗濯機を覗き込むも、そこには何もなかった。衣服は無論のこと、タオルの類すらも見当たらない。
「……そうか。そういえば、着替えてないもんな」
考えれば当然だった。朝から調子の悪い雪音はもちろん、一護とて外出しなければ着替える必要もないわけで、ぶっちゃけ寝巻きそのままである。
「となると、洗濯物の取り込みだけか。さっさとやっちゃうかな」
幸いにして昨日は日曜日、アイロン掛けするような服は着ていない。
しかも親父が出張中とくればわずか二人分の洗濯物、簡単に終わるだろう――と思っていたわけだが。
「う……」
室内干しされた洗濯物を目の前にして、つい一護は躊躇してしまった。
当たり前だが干されているものは、昨日着用されていたものだ。しかも買い物へ二人で出かけていたため、しっかりと外出用の衣類である。
黒いヒートテックと暗い紫色のシャツ、地味な色のトランクスは一護の。雪音の分として、ツイーディーワンピースと厚手のカーディガン、薄い黒のニーソックス。
そして――薄い水色の布が二枚。
(……そりゃ干してあるよな)
出来るだけ直視しないように、一護はそれらの布――妹の下着を慎重に取り外した。
単なる布に過ぎないというのに、緊張を隠しえない。むしろ神々しさすら感じさせるのは、その布が護るべき場所の大切さゆえだろう。
「…………だめだ。クールになれ伊達一護」
お前の鉄の心はその程度じゃないだろう。この程度の危機、いつだって乗り越えてきたじゃないか――そう、今更雪音のぱんつ(&ぶらじゃあ)ごときで動揺するんじゃない!
誰がどう見ても動揺していたが、幸いなことにそれを突っ込む人間はいなかった。
「……気を取り直して、と。畳むか」
とはいえ布は布。他の服と一緒に抱えてリビングへ戻る頃には、流石に冷静になっている――と思ったのだが、自分の分を適当に畳むと不気味なオブジェが完成した。解せぬ。
(……もうちょい丁寧にやろう、うん)
雪音は繊細だし、痛んだ衣服なんて着たら病気が悪化する(かもしれない)。葵ならそこまで気を遣わない――というか一護自身より遙かに頑丈――のだが、雪音ならそこそこありえる話だった。
「……ん? メールか?」
“なんかバカにされた気がするょ!”
「……………………葵のやつ、エスパーか。気づかないフリしとこう」
時間からすれば今は授業中だし、あとで返信すれば問題ないだろう。
携帯を文字通り放り投げ、洗濯物の続きに取り掛かる。丁寧に丁寧に、折り目の角度すらも気にかけながら入魂していると――。
「ん?」
一護の耳が微かな異音を拾った。
静かにしてなければ聞き漏らしてしまう、申し訳程度の軋み音。天井を伝って聞こえてきたのは、抜き足差し足忍び足――明らかに隠密行動中の足音だった。
(……まさかあいつ、起き出したのか?)
そんな疑念が頭をよぎる。
基本的に雪音は一護の言うことを忠実に守ってくれるが、昼前の問答が気にかかった。薬が効いて体調が良くなったので、一護の足りない栄養素を補える料理をする――世話焼きの妹ならば充分過ぎるほど考えられる。
「……一応、言っとくか」
悩んだ挙句、一護は立ち上がった。
洗濯物も畳み終えたし、幸いにも部屋に戻るタイミングとしては申し分ない。トイレとか何でもない理由ならそれでいいし、さりげなく訊いてみよう。
「おい雪音。起きた――」
予定通り、畳んだ洗濯物を持っての急襲。
雪音に言い訳する隙を与えないよう、無駄にステルス機能を発揮して部屋へ舞い戻った一護だったが。
「え?」
飛び込んできた光景に言葉を失った。
「――の、か……?」
せっかく畳んだ洗濯物が、力なく地面へ落下する。だが視線はそれを追いかけることなく――落ちたことにすら気づけずに、一護はただ呆然と固まった。
華奢な外見からは想像も出来ないほど豊かな双丘と、抱きしめれば折れそうな細い腰。朱の差した白い肌には一点の曇りもなく、あるいは身につけた純白のショーツよりも輝いて見えた。
「…………」
「…………」
そう。雪音が身に着けているのは、純白のショーツのみ。
寝巻きのYシャツ(一護のお古)はベッドへ脱ぎ捨てられ、彼女の上半身は惜しげもなく晒されていた。兄と同じように驚愕の表情で固まった妹の手には、濡れタオル。
……ああ、体を拭いているのか。さっきの足音は、タオルを濡らしに行った時ので――。
(――じゃねぇ!?)
妹の下着を持って、着替え中の妹を覗く兄。
変態である。
誰がどう見ようと、紛れもなく言い訳も出来ないほどに変態である。
「ぁ、う……お、お兄ちゃん……?」
「お、おう……お兄ちゃんだぞ……?」
「えっと、えっと……み、見たい……の?」
「――す、すまん!」
間抜けな会話で呪縛が解けた。
脳内フュージョンした理性さんと道徳さんが渾身の力で、男の本能に支配された一護の体を反転する。勢いをつけたせいで肘とか諸々ぶつけたが、噴き出した熱と汗に比べれば些細な問題だった。
「わ、悪い。すぐ出てくから――」
「あ! だ、大丈夫。もう大丈夫だから、こっち向いていいよ?」
「そ、そうか? 本当に大丈夫だな?」
「う、うん」
その問いかけがされたのは、雪音だけではない。
一護自身の理性&道徳に対しても同様の問いかけがされていた。(ちなみに疲れた顔で“大丈夫じゃね?”という投げやりな返答された)
まぁ何はともあれ、いつまでも扉と睨めっこしている必要はない。
深呼吸を一つ、極限まで心を落ち着けて振り返った一護だったが。
「なんで服着てないんだよ!?」
「だ、だってこっちの方が早いし……」
服を着たとの予想に反し、雪音は掛け布団で体を隠しただけだった。いや、隠すというより布団を抱きしめているだけなので、脇腹とか横乳だとかがチラチラ見えている。THE チラリズム。
さっきは美しさが際立ってたが、今はどちらかといえばエロさが目立つぞマイシスター。
「そ、それでどうしたの? お兄ちゃん」
「……しかもそのまま話し出すし。いや、ひょっとしたらお前が起き出したんじゃないかと思って、釘を刺しに来たんだけど……すまん。ノックなしは軽率だったな」
「う、ううん。それはいいよ。全然問題ないよ」
「いや世間体とか色々あるだろ。真っ赤になりながら何言ってんだお前は」
「ほら! 野良犬にでも噛まれたと思って!」
「普通はお前がそう思う方なんだけどっ!?」
何故か雪音の中では一護が被害者になっているようだった。
気にしないでくれるのは助かるが、なんで微妙に嬉しそうなんですかね。この妹は。
「……それじゃ俺は一回出てくから、さっさと服着て横になりなさい。いつまでもそんな格好じゃ風邪が悪化するぞ」
「う、うん……でも汗が……」
「ん? ああ、ちょっとくらい時間かかってもいいぞ? そのための濡れタオルだろ?」
「そ、そうなんだけど……」
「?」
今更恥ずかしくなったのか、布団に顔までうずめながら、ちらちらと雪音がこちらを伺う。何か言いたげな瞳は文字通り熱に浮かされ、微妙に潤んでいた。
「お、お兄ちゃん!」
だがそれも長くは続かない。
先ほどの一護のように深呼吸をすると、彼女はキッとこちらへ視線を合わせた。
「お願いがあるんだけど……いい?」
「ん? なんか微妙に嫌な予感がするけど、とりあえず言ってみろ」
「えっと、その……」
「どした?」
「~~~~~っ」
「は?」
一護が小首を傾げるのと同時、雪音は反転した。
折れそうなほど細い鎖骨。胸の中にすっぽり収まりそうな肩幅。そして神が心魂を注いだであろう麗しい背中が、一護の目の前に晒される。
「な、な、何やってんだお前!?」
先ほどから何回も言っているが、雪音は掛け布団を抱きしめている格好だ。
つまり前は隠せても、後ろは完全にノーマーク。艶かしいカーブを描く背中が、薄布一枚で覆われた女性らしい肉付きのヒップが、全部が全部見えてしまってい
る。
「お、お願いします……」
「なにが!?」
「せ、背中。汗かいちゃったから、拭いて欲しいなって……」
「誰が!?」
「お兄ちゃんだよぉ……」
「俺が!?」
「だ、だって私とお兄ちゃんしかいないし……私だと手が届かないし……」
「い、いやそりゃそうだろうけどさ。着替えだけじゃダメなのか?」
「このままだと着替えても張り付いちゃいそうで……ちょっと嫌だな……」
「……とはいってもな……」
悪いことに、理屈は通っていた。
汗だくになった状態では着替えても効果は半減。ただでさえ風邪で不快な気分だという中、少しでも清潔になりたいという要望は至極当然だろう。
「……仕方ない。お湯汲んでくるから、ちょっと待ってろ」
返事を待たず、一護は一回外へ出た。
お願いといいつつ、あの態度では雪音が退くとは思えない。あんな格好のまま問答するわけにもいかないし、体調を慮った当然の判断である。一護が拭きたいからとかそういうのではない。絶対にないので、勘違いしないように。
「ただいまー……ってやる気充分だな……」
「え、えへへ……」
誰に対してか解らない言い訳はともかく。
洗面器にお湯を入れて戻ってくると、雪音の姿勢は女の子座りからうつぶせに変わっていた。ベッドへ倒れこみ、腰の部分は掛け布団でガード。潰れてたわわな感じに膨れている胸さえ見なければ、先ほどよりは刺激の少ない格好である。
……最初からこの姿勢であればドギマギせずに済んだのだが、そこは不問にしよう。
「ほれ。タオル貸して」
「は~い」
タオルを受け取ってお湯を含ませる。体を拭く場合のほどよい水気は見当つかなかったが、気持ち多めにしておいた。
「――っしょっと」
「ひあっ」
「!? つ、つめかったか?」
「う、ううん。らいじょうぶ」
二人とも全然ダメダメである。
一護としてはもう落ち着いているつもりだったのだが、雪音の声に虚をつかれた。再び跳ね上がった鼓動を抑えつつ、丁寧に背中を拭いていく。
「痛くないか?」
「うん。……気持ちいいよ、お兄ちゃん」
「……そうか。何かあれば言えよ」
「うん」
自然な会話。普通ではまずやらないことをしているのに、始めてしまえば心は穏やかだった。
タオル越しに感じる温もりとか手触りとか、本当にシミ一つない背中の美しさとか、まぁ色々考えないようにしている部分はあるにしろ――。
「ふにゃあ……♪」
こんな風にとろけられてしまっては、邪な想いも抱けはしない。
無防備ながらも可愛い妹に苦笑しつつ、宝物を磨くような手つきで一護は奉仕を続けたのだった。




