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はたらくお兄さま! 前編

「ね~ね~、一護~」


 金曜日である。

 一週間にも渡る地獄の授業(注:普通)を潜り抜け、ようやく一息ついた放課後――幼馴染で連れ立っての帰り道、そう呼びかけてきたのは桃色の髪をした少女、八重葉風見だった。


「帰り、ちょっと寄ってって~」

「ん?」


 彼女の声に振り向いたのは、端正な顔立ちの青年である。

 やや短い艶やかな黒髪、優しさと鋭さの同居した双眸、遠慮のない連中からは生まれた瞬間からの勝ち組と称される男――伊達一護は、欠伸交じりに口を開いた。


「珍しいな? どうしたんだよ?」

「おか~さんが呼んでたの~」

「え"」

「あっはー。兄貴、ご愁傷様だNE!」

「うるさい。なんで楽しそうなんだよ、葵」


 横目でアホ――神楽葵を見やる。ニヤニヤとイタズラな笑みを浮かべた青色の幼馴染は、しなやかな肉体を存分に活用し、衛星のように一護の周りをグルグルグルグルグル回っていた。


「いやぁ、だって天見さんさー。面倒ごと大好きじゃん? それってつまり兄貴が振り回されるってことしょ? メシウマだNE!」

「いい加減怒るぞ、バカ……風見。呼び出しって俺だけか?」

「違うよ~。雪音ちゃんも~」

「ふぇ?」


 風見のセリフに、きょとんと首を傾げる美少女が一人。

 美しい茶髪にまん丸な翡翠色の瞳――紛れもなくアイドル級の容姿を持つ少女、伊達雪音はしかし、風見のフリについていけてなかった。


「私も……なの? 風見ちゃん」

「そうそう~。二人呼んできてって~」

「嫌な予感しかしねぇ」

「おいおい。そう言うなよ、折角の呼び出しだぜ?」

「……鷹。お前も行くか?」

「パス」


 けろりと言ってのけるのは、一護よりも頭一つ高い巨漢。葵と同じく明らかに楽しんでいる声音を隠そうともせず、最後の幼馴染――月都鷹が笑う。


「大体、俺ぁあの人は苦手だかんな。呼ばれても早々行きたくねぇよ」

「あ~。鷹ちゃんひどいんだ~」

「るっせ」

「……どうする? お兄ちゃん、行く?」


 妹からの問いかけに一護は暫し悩んだ。

 悩んだのだが――選択肢がないことは最初から解りきっていた。


 あの人が呼び出しをかけているのであれば――二重否定のようだが――行かないわけにはいかない。それだけの義理も恩もあるし、何より風見が逃がしてくれないだろう。経験上、伊達兄妹を連れてこなければ飯抜きくらいのことは言われているはずだ。


「……しゃーない。覚悟決めるか、雪音」

「う、うん」

「いってらっしゃーい♪ にしし♪」

「本気で殴るぞお前」


 下から覗き込んでくる葵を追い払いつつ。

 せめて簡単な用事ならいいなぁ、と一護は信じてもいない神へ祈ったのだった。


◆◇◆◇◆


 八重葉家は伊達家の隣にある。

 本当に隣、どこまでも隣、ザ・隣。伊達家の門から八重葉家の門まで数秒、精度の悪いGPS機能なら同じ場所を指し示すほどのお隣さんだ。(まぁ幼馴染は全員そうなのだが)


「ただいま~」

「「お邪魔しま~す」」


 しかし、距離と訪問頻度はまったくの別なわけで。

 それなりに来てはいるが、それでも数ヶ月ぶりの八重葉家へ一護達は足を踏み入れた。


 母娘の二人暮らしにしては結構な広さだが、至って普通の一軒家である。廊下の隅っこで雑多にまとめられた本や古新聞はご愛嬌、修羅場の最中ではゴミ袋まで散らばっていることを考えれば、まぁ綺麗な方だった。


「……お兄ちゃん。お掃除しちゃダメかな……?」

「我慢しなさい」


 しかしそれすら気になる綺麗好きをなだめながら、風見に続き二階へ。


 上がってすぐ左手の大部屋、【閣下のお部屋♪】とふざけたプレートが吊るされた場所こそが、家主――八重葉天見の“城”である。


「連れてきたよ~」

「おー。入んなー」


 まず一護が感じたのは、圧迫感だった。

 扉を開けた瞬間、目に入る圧倒的な量の書架。壁一面に敷き詰められた本棚は鷹の身長を超えるほどだったが、この部屋の書籍量は明らかに収納可能量を上回っていた。あちらこちらに建築された本のタワーは高層ビルの集合体のようで、ある種の荘厳さに満ちている。


 種類もまた雑多で豊富だった。専門書、ハードカバー、漫画、歴史小説、ライトノベル、イラスト集に経典の類、さらには薄っぺらい自費出版物まで――ありとあらゆるジャンルの本が詰められてると錯覚するほどで。


 まさに本の世界、本の楽園――その、中央に。


 絶対的な支配者が君臨していた。


「おー。来たね。一坊、雪ん子」


 ポニーテールにまとめた、娘と同じ桃色の髪。しかし眼差しは娘にはない剣呑さを秘めている。出産経験があるとは思えないスタイルは極上のさらに上、二十代と言っても通じるほどに若々しかった。


 彼女こそは八重葉天見。

 風見の母、“厄介事の女王”の異名を取る女傑である。


「久しぶりだねー。またいい男になったじゃないか、一坊。雪ん子も見違えたよ」

「ご無沙汰してます、天見さん」


 ぺこりと頭を下げた雪音と違い、一護は渋い顔を隠さなかった。

 娘とは似ても似つかない天見の性格を知っている身としては、彼女の第一声が重要な意味を持っている。


「……天見さん、俺達の持ち上げから入ったってことは、何か頼み事ですね?」

「なんだいなんだい、一坊。疑り深くなっちゃってさぁ。お姉さんは悲しいよ?」

「違います?」

「あっはっは。いやぁ、実はその通りなんだけどねぇ。いよっ、名探偵!」

「…………」


 早くも頭痛がしてきた。風見もそうだが、この親子は独特の間があるので絡みにくい。


「やー、でも来てくれてホントに助かったよ。もしダメだったら可愛い娘に断食させなきゃなんなかったし、唯さんの家に殴りこむのは殺されそうで勇気がいるしねぇ」

「良かった良かった~。安心したよ~」

「……まぁ風見がいいならいいけどな。それより、天見さん。確認したいんですけど」

「ん? なにかな?」

「頼み事って、いつもの(・・・・)じゃないですよね?」

「……そんなおっかない顔しないでよー、一坊。お姉さん悲しいわ。よよよ」


 明らかな泣き真似には半眼で応えておいた。

 彼女のペースに乗らないようそのままじっと見やっていると、根負けした天見が苦笑する。


「大丈夫、今日は別件だよ。日程的にもまだ余裕あるし、いけるいける。絶対、きっと、多分」

「……ならいいですけど。あと段々自信なくすの止めて下さい」


 そこはかとなく不安だが、決して嘘はつかない人だ。一応は胸を撫で下ろす。


 ちなみに、いつもの――というのは天見の本業、いわゆる同人漫画のお手伝いだ。手先が器用な一護は葵とたまに駆り出されているが、代わりに“雪音を決して手伝わせない”と天見へ固く約束させていた。


 純粋培養された可愛い妹に、貴腐人様の毒は刺激が強過ぎる。


「あっはっはー。いやぁ雪ん子、愛されてるねぇ。羨ましいよ、ホント」

「え、えっと……ありがとうございます……?」

「ちょーっと過保護過ぎる気もするけどねぇ。雪ん子としては、その辺どうなん?」

「お兄ちゃんが大事にしてくれるのは、なんであっても嬉しいです♪」

「あっはっは! いいねいいねラブラブだねぇ! 爆発しそうだわ!」

「雪音。余計な燃料与えるな」


 基本なんでも引火するんだから。


「カザ。アンタもこういう相手はいないの? いい男ほど早く売れるんだよ?」

「ないよ~。特に必要もないかな~って思うし~」

「我が娘ながら欲がないねぇ、まったく嘆かわしい……折角あたし譲りの最強武器が、本当に宝の持ち腐れじゃないか」

「(こくこく」


 天見の言葉に何故か雪音が頷いていた。

 やはり女性の戦闘力はバストで決まるのだろうか……雪音も決して小さくないが、グラビアアイドル並みの八重葉家と比べれば流石に何歩か劣ってるわけだし。


「…………それより天見さん。そろそろ本題に入ってもらえませんか?」

「顔が赤いよ、一坊。胸の話(ガールズトーク)で照れちゃった?」

「帰る」


 言葉と共に反転した一護だったが、その頃にはしっかり腕を掴まれていた。くぅ、相変わらず風見の親とは思えない運動精度だ。


「冗談冗談。まぁ立ちっぱなしもなんだし、そこら辺に座りなって」

「……じゃあお言葉に甘えて」

「失礼します」


 雪音と並んでソファに腰掛ける。風見は天見の方のソファへ座ったため、伊達家と八重葉家が向かい合う形となった。


「さて、アンタらを呼んだのは他でもない。“喫茶マーブル”って店、知ってるかい?」

「マーブル? いや、聞き覚えないですけど」

「雪ん子は?」

「えっと……ひょっとして、商店街の外れにあるお店ですか?」

「そうそう! それだよ、それ!」

「ん? 行ったことあるのか?」

「んーん。クラスの子が話してたの。綺麗でお洒落な喫茶店って結構、人気みたいだよ?」

「一護、知らないの~?」

「全然。そうなのか……女子は耳が早いな」

「一坊が友達いないだけじゃないの?」

「なんてことを!?」


 この世には言ってはならないことがあるのに!


「……で、その喫茶店が何か?」

「話逸らしたね」

「ね~」

「うるさい。やかましい。黙れ桃色母娘。それ以上いじると作品タイトルが“はがない”に変わるぞこの野郎」

「お、お兄ちゃん。落ち着いて、ね?」

「うう……お前はホントにいい娘だ……」


 かくして妹に慰められる兄貴の図が完成。相当情けないが、これでも友達云々は密かに気にしてるのだ。


「あっはっは、そんじゃ希望通り話を戻して……その喫茶店のオーナーがね、実はあたしの親友なんだよ。夫婦でやってたんだけど、旦那が熱出して倒れちゃったらしくてね。店が回せないって泣きつかれたのさ」

「倒れた……って、大丈夫なんですか? 休業して看病した方がいいんじゃ……?」

「明日は生憎と貸切予約が入ってるらしくてね。どうしても開けなきゃならないんだと」

「信用問題って奴ですか?」

「ま、そうだね。それが大人ってものさ……まぁここまで言えば解ったと思うけど、あたしは店を回すためにバイトの斡旋を頼まれたんだよ」

「それを俺達に?」

「ああ。業種はコックとウエイターそれぞれ一人ずつ。勤務時間は10時から18時まで、明日1日限りの日雇いバイトだ。雪ん子と一坊なら軽い仕事だろう?」

「…………どうする? お兄ちゃん?」


 ちらりと雪音がこちらを見た。一護を伺うような視線は、受けるか受けないか任せるという意志表示である。


(確かに予定はないけど……)


 急な話なのも確かだ。特に明日は土曜、ゆっくり休んで然るべき曜日である。やってやれないことはないだろうが、体力の損耗を考えれば、断った方が無難では――。


「ああ、そうそう」


 その想いが通じたわけでもないだろうが。

 熟練の狩人のように笑った天見は、指を一本真っ直ぐ立てた。


「ちなみに給料は破格。1人頭1万円だ」

「ええっ!?」

「1万!?」

「どうだい? やる気になったかい?」

「やらせてもらいます」


 そして撃ち抜かれる一護の天秤。いや、だって必殺技喰らっちゃ仕方なくない?


「OK。安心したよ。これであたしも顔が立つってモンさ」

「でも天見さん。それだけ条件いいなら風見ちゃんも働いてもらえば……?」

「雪ん子。アンタ、ウチの子を飲食店で働かせられると思う?」

「……あ、あはは」

「ぐうの音も出ないな」

「えっへん」


 そして褒められてないのに胸を張るアホの子が一人。


「そんじゃ頼んだよ若人たち」


 満足そうに頷く天見によって、一日限りのバイトが決まった。

 これぞWIN-WIN――みんな揃ってウルトラハッピーだぜ!


◆◇◆◇◆


 その日の夜。

 伊達家に戻った一護たちは、早々に夕飯と風呂を済ませた。明日一日の労働を考え、いつもより早めに寝ようと話し合った結果である。


 だが――。


『そんでー? 天見さんなんだってー?』


 それを見透かしたように、部屋へ到着した一護の携帯が揺れた。

 今日の顛末が気になった青い子から、電話がかかってきたのだ。話しながらも手は止めず、タオルで風呂上りの髪の毛を撫で付ける。


「どうもこうも、予想通りだな。手伝いの依頼だよ」

『あっはっは、嘘しょー? ゆっきがいるのに天見さんがアシ頼むわけないじゃーん』

「アシじゃなくて、他の手伝い。出張アルバイトみたいな感じだ」


 さて、タオル拭き終了。あとは自然乾燥に任せれば――と思ったが、同じく風呂上りの雪音が無言で櫛を掲げる。どうやら整えてくれるらしい。


(悪いな)

(んーん。全然♪)


 アイコンタクトで通じ合う兄妹です。


『なんか嫌な気配を感じたょ』

「気のせいだろ」

『そっかなぁ……まぁいいや。で、出張ってどっか行くのん?』

「うんにゃ、近場。商店街の辺りらしいが、店の名前は忘れた」

『へー……残念無念、明日じゃなけりゃなー。引っ付いてって仕事ぶり評価するのに』

「やめい」


 こいつは本当にやるから始末に困る。

 あと雪音、いつの間に髪の毛を梳くのが“櫛”から“手”に変わった。気恥ずかしいぞ。


「しかし明日、何か用事あるのか?」

『部活の方でちょっとねー』

「……珍しいな」


 全国でも屈指の運動性能を持つ葵は、水泳部に所属していたが――幽霊部員だった。練習で泳ぐのはつまらないと宣言し、今では大会くらいしか出ていないはずである。


「水泳部か? ……っと?」

『んー。関係はあるけど、全部じゃないょ。壮行会ってゆーか、残念会ってゆーか、お別れ会ってゆーか。まぁそんな感じの幹事を頼まれたから』

「……成る程ね。大会終わって一騒ぎってことか」


 納得の人選だった。葵は水泳部こそ幽霊部員だが、諸々の部活動で助っ人家業を担っている。こういうイベントを行うには打ってつけの人材だろう。


『そゆこと。そんなわけで明日は行けないけど、浮気厳禁ね?』

「ぬかせ。そっちこそちゃんと仕切れよ」

『誰に言ってんのさ。あたしがヘマするわけないっしょ?』


 にやりと笑う葵の顔まで脳内再生できたところで、電話は切れた。

 最後は軽口だったが、それも含めて幼馴染なりの激励である――詳しい内容は知らなくても、無条件に応援してくれるのだから有難い。


「葵ちゃん?」

「ん。天見さんの用が気になったんだと」

「何か言ってた?」

「見に来たいけど、部活連合のパーティーがあるんだとさ。あいつらしい話だ」


 さて、と一護は襟を正した。

 会話をしていた雪音に、真下を(・・・)向いて(・・・)視線を合わせる(・・・・・・・)


「で?」

「……で?」

「いや、何で不思議そうに見上げてくるかな……」


 いつものことといえば、いつものことだが。

 世話焼きモードから甘えん坊モードへシフトした妹君は、一護の膝枕にちゃっかり収まっていた。葵と電話している最中では文句も言えないし、狙い澄ませた匠の技である。


「俺の太ももは枕じゃないぞ?」

「……ご、ご褒美?」

「何で疑問系だ」

「ほ、ほら! お兄ちゃんの髪の毛でがんばったから……っていうのは……だめ、かな……?」

「いやまぁ膝枕が絶対ダメってわけじゃないけど……脈絡なさすぎるだろ」

「ごめんなさい……」


 しょぼんとしながら、しかし雪音は離れようとしなかった。

 なんとなくいつもより頑固な感じがするのは、もしかして明日を不安に思っているのかもしれない。


(人見知りだしなぁ、こいつ)


 たとえ天見の知り合いでも、一護が一緒だとしても、初めて会った相手と一日働くことになるのだ。不安がゼロとはいかないだろう。


「……ちょっとだけだぞ」

「ふに?」

「遅くならないなら許す。早く寝るんだろ?」

「…………うんっ♪」

「っ」


 天使の笑顔を垣間見て、ふいっと目を逸らす。


「!?」


 だが最初に逸らした先には艶かしい太ももが――次に移した先には白い谷間が手招きをしており、混乱した一護はばたりと後ろへ体を倒した。


「お、お兄ちゃん?」

「……なんでもない。ちょっと疲れただけだ」


 まったく、許可しておきながらなんてザマだろうか。


 熱くなった頬を風呂のせいと思い込み、目を閉じる。


(……やっぱ疲れてんのかな。断れば良かったか)


 出来れば明日のアルバイト、平穏無事に終わりますように――そんなことを思わずにはいられなかった。

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