五等分の妹嫁 その17-終-
そうして、彼女達との日々は終わった。
一人の少女が五人になるという超常現象は、始まった時と同じく――舞い上がる光の中で予定調和の終わりを迎えた。
「……………………」
当然だが達成感などカケラもない。
終わったという事実が疲労を強く訴えかけ、五人との思い出は感情を強く揺さぶってくる。胸を突く寂しさは紛れもない本物で、彼女達が俺に残した爪痕だった。
「おにい……ちゃん?」
ベッドの横でうなだれる俺に、呼びかける声。
懐かしい声――先ほどまで聞いていた五人と同じはずなのに、どこか違う。この二日間、聞くことのなかった声。
「泣いてるの……?」
「……いや、そんなことないぞ」
その声に悲しみが宿る前に、俺は笑った。
彼女に心配をかけるわけにはいかない。そのくらいの意地は、矜持は残っている。
「悪いな。起こしちゃったか?」
「……んーん。そういうわけじゃないんだけど……なんかね。急に目が覚めちゃって……」
雪音の様子はぼうっとして頼りなかった。
俺の拙い嘘も見抜けないあたり、どうやら本格的に寝ぼけているらしい。
「……色々お兄ちゃんとお話ししてたような気がするんだけど……あんまり思い出せなくて……変なの」
「……まぁ夢だろうしな。覚えてなくてもしょうがないさ」
髪の毛をくしゃりと撫でる。
ややくすぐったそうに微笑む妹を、俺は笑顔で見下ろした。
「疲れてるみたいだし、寝ろ寝ろ。明日も学校だぞ?」
「……うん。おやすみなさい。ありがとう、お兄ちゃん……」
元から夢うつつだったのだろう。
驚くほどの寝つきの良さで、雪音は夢の世界へと旅立つ。眠ってからもしばらく頭を撫で続けていたが、一向に起きる気配はなかった。
どこまで彼女達の影響かは解らないが、まぁ疲れているのは想像に難くない。
「…………寝るか」
そしてそれは俺も同じだ。
流石に今日は色々ありすぎた。肉体的にも精神的にも辛い。布団に倒れこめば、恐らくは泥のように眠るだろう。
「…………」
可能ならば、今日は幸せな夢を見たかった。
例えば――。
可愛い妹達が六人揃って笑いあう。
そんな、ありえない――だがこれ以上ないほどに幸せな夢を。
◆◇◆◇◆
だが、そんな都合の良い奇跡が起こるはずもなく――。
死んだように眠った俺は、夢すら見ることなく朝を迎えていた。
「おはよう。雪音」
「おはようございます、お兄ちゃん♪」
一方、雪音は朝からご機嫌である。
どうやら一晩眠ったら完璧に回復したようだ。
朝も早よからせっせと家事に勤しむ姿はいつも通りで、日常が返ってきたのだと感傷が沸き上がってくる。
「今日はパンにする?」
「……毎度だけど、よく解るなお前は」
「えへへ。お兄ちゃんのことですから♪」
答えてすぐに朝食が出てきた辺り、完全に読み切られていたらしい。
得意そうな顔を見せる雪音と差し向かいで着席し、静かに手を合わせる。チーズとハムが挟まれたホットサンドは最近のお気に入りで、そういえば昨日の朝も食べたなと思い出した。
「ん。美味い」
「えへへ、良かった♪」
昨日と同じ――だが少しだけ味付けが俺好みなのは、雪音と五女の料理スキルの差だろう。俺が食べるまで待っていたのもそうだが、やはりそこそこ違いはあったようだ。
「お兄ちゃん、どうかしたの?」
「ん? どうかって、何がだ?」
「私の方をじっと見てたから……あと、ちょっと寂しそうだし……」
「気のせいだ気のせい」
苦笑して誤魔化しつつ食事を続行。
やばいやばい。見抜かれないよう振舞わないと。
「昨日体調悪そうだったからな。ちょっと心配してただけだよ」
「ふに? そう?」
「ああ。夜中にぽけーって一回起きただろ。お前にしては珍しいしな」
「あ、あぅ……あんまり覚えてないんだけど……なにか言ってた?」
「いや別に? 夢で俺と話してたとかなんとか、そんな程度だったしな」
まぁその前に三女から熱烈な愛の告白とか、四女の説教とかはあったけど、変なことではないだろう。うん。
「う~……ねぇお兄ちゃん。ちょっと変なこと訊いてもいい?」
「変なこと? 珍しいな、言ってみ?」
「うん……実は昨日と日曜の記憶がね、凄いあやふやで……お兄ちゃんと一緒にいたのは覚えてるんだけど、他が全然で……」
「……へぇ。お前が珍しいな」
心臓が跳ねた。
五人だった時の記憶がどうなるか心配していたが、的中である。
まったくないわけでもいい感じに整合性を取られたわけでもなく、薄ぼんやりと残っているらしい。俺と一緒にいたというのは、まぁ、純粋に“濃さ”の問題だろう。
「でも心配するようなことないぞ。日曜はのんびりして、昨日は普通に学校行って帰ってきただけだし。葵がちょっとだけ騒がしかったけど」
「そう? そうなのかなぁ……あとね、なんかお洗濯物もいっぱいあって……私のお洋服なんだけど、着た覚えがあんまりないっていうか……」
「……ああ、うん。今度着るって昨日まとめて洗ってたぞ?」
「えぇ? そ、そうなの?」
「おう。整理してたから、似合いそうだなーって褒めたら、洗ってくる! って」
デマカセ1。
「そ、そうだったかなぁ……えと……あと、さっき冷蔵庫覗いた時にお野菜の端材とか、お料理しにくいお肉とかが入っててね? 不思議な感じがしたんだけど……」
「あー、ごめん。昨日お使いした時に俺が間違って買った奴だな、うん」
「お兄ちゃんにお使いしてもらっちゃったの!?」
「いやお前に頼まれたというか、俺がたまには買って帰って驚かせるかって適当に……」
デマカセ2。
「え、えぅ……そ、そんなことあったっけ……うぅ、覚えてないよぉ……」
必死に思い出そうと頭を抱える雪音だが、完全に嘘なので無駄である。
この妹は基本的に俺の言うことは疑わないので、こういう誤魔化さなきゃいけない時は比較的楽だった。
俺の性格が悪いわけではない。
真実を話せば雪音は今以上に混乱するのは明らかなので、どちらかと言えばこれは彼女のための嘘である。
「まぁいいじゃんか。そういう日もあるさ」
「……うぅ。気になるよぉ……」
「あんまりのんびりしていると遅刻するぞ。コーヒーいるか?」
「あ、お兄ちゃん。私が――」
「いやお皿持ってくついでだし。お前も早く食べちゃいなさい」
「……はーい。ありがとう、お兄ちゃん♪」
「ん」
そんな決意が伝わったわけでもないだろうが、一度、飲み込んでくれたらしい。
しばらくはちょっとしたことで思い出そうとするかもしれないが、それも数日だろう。そう遠くない内に日常の中へ紛れていくに違いない。
(……俺はどのくらいかかるかね)
コーヒーを注ぎながら独りごちる。
数日か、数か月か、はたまた数年――あるいは一生。
たった二日しか一緒にいなかった妹達は、それでも確かなモノを遺していった。
たとえ記憶が摩耗して思い出せなくなるとしても、彼女達を忘れることはない。
親父が言っていたように――魂へ刻まれるモノは、確かにあるのだから。
「ん? ……何やってんだ、あいつは」
などとしんみりとした雰囲気を出していたせいか、気づくのが遅れた。
視線を庭に向けると、そこには青髪の幼馴染の姿が。昨日の不機嫌さはどこへやら、しまりのないにへらとした笑顔で手など振っているのだが――。
「…………嫌な予感しかしねぇ」
経験上、あの顔は厄介事を持って来た時のモノである。
大方、唯人がいないのを確認しつつ家探しに来たのだろう。
だが雪音が元に戻った以上、今の俺達に死角はない。入られても困ることはないので、ものすごく嫌な顔をしながらも声をかけようとした瞬間、なんだか玄関から物音、が――?
「おっはろー! いやー、いい朝だねー?」
現れたのは――やはり青髪の幼馴染で。
「お、おはよう。葵ちゃん」
「はろはろ、ゆっき~。三日ぶりくらい?」
「……多分、昨日も会ってると思うよ……?」
朝っぱらから突撃してきた常識知らずに、妹が苦笑しながら返事する。
それはまぁ、今までにもあった朝の風景だった。
「……………………は?」
あった――のだが、こんな状況は知らない。
「んぅ? お兄ちゃん、どうかした?」
「「にひ~♪」」
リビングと同時、庭にいる葵も笑う。
そう。
同一人物が、二人そろって会心のイタズラを決めて笑っている状況など――知るはずもない!
「こーゆーことだよ、ゆっき!」
「ぇ?」
背後からの声に戸惑いながら雪音が振り返った。
俺が止める間もなく、彼女はその異常を――分裂した葵の片割れを見つけてしまう。
「…………ふぇ?」
前門の葵、後門の葵。
独りでもおなか一杯の奴に前後を挟まれ、雪音は忙しなく前後を振り返った後に――。
「お、おおおおおおおおおお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!!」
一目散に抱き着いてきた。
可愛らしい目をうずまき状にし、半分以上涙目で、現れた怪異(葵)を視界に収めぬよう俺に訴えかけてくる。
「あ、あお、葵ちゃんがプラナリアみたいに……!」
「ああ、うん……そうだな……そうだなー……」
「怖い怖い怖い!」
「うん、怖いなー……よりにもよって、だもんなー……」
「兄貴、実は結構冷静じゃない?」
「だよね? 思ったより驚いてないよね?」
「やかましい。怯えさせた元凶がクレームを吐くな」
「ちぇー。つっまんないのー」
「兄貴に“どひゃあ”って言わせたかったのにー」
「充分驚いてるっての。てゆーか、驚き方が古いな」
冷静に見えているとすれば、当然、昨日の顛末があったからだろう。
五人に分裂することを思えば、二人ならむしろ少ないくらいである。(※麻痺
「まー、いいや。ねーねー兄貴―」
「ん?」
「あたしって葵じゃん?(右側)」
「……うん?」
「あたしも葵じゃん?(左側)」
「…………まぁ恐ろしいことに、そうだな。で、それが――」
“どうした”と訊こうとした瞬間、二人の葵がふっと笑った。
ここからが本題。無意識に、だがそう確信した俺は、わずかに気持ちを改める。
「「どうもー、ダブルーでーっす!」」
「やかましいわ!」
俺の整えた気持ちを返せ!
無駄に“二人”と“葵”をかけるんじゃない!
「何してんの? 何してくれちゃってんの? 折角しんみり終わりそうな雰囲気だったのに、全部ぶち壊しなんだけど!?」
「なにいってんのさ、兄貴」
「そーそー。落ち着きなょ」
「ええい、お前がステレオになると二倍ウザったいな……!」
五倍になっても可愛かった雪音を見習え!
「お、お兄ちゃん……葵ちゃん戻った……?」
「ほら、今もこんなに可愛い!」
「なにその判定」
「無性に腹が立って来たょ」
「ええい、さっさと合体して元に戻――ん、親父だ。ちょっと待て」
「「げ。出るの?」」
唯人が苦手なのは変わらないらしい。
心底嫌そうにつぶやいた葵達は、しかし大人しく口を閉じた。
『オレだ。一護、雪音の様子はどうだ?』
「親父。大丈夫だ。何も問題ないと思う。でも――」
『でも?』
「今度は葵が分裂した!」
全力で叫ぶ。
照れくさそうな笑みを浮かべる葵は問題外だったが、雪音も“今度は”という単語を聞いて不思議そうな顔をしていた。
一方、電話口の向こうにいる唯人の顔は解らない。
解らなかったが――物理的な重圧さえ感じさせる沈黙は、昨日の比ですらなかった。
『…………出来るだけ早く戻る。絶対に家から出すな!』
それは果たして、叶うクエストなのだろうか。
まさか二倍に増えたトラブルメーカーを単騎で相手しなくてはならないとは――。
「……チクショウ。昨日の方が億倍マシだな!」
そう吼えずには、いられなかった。
というわけで、初・連続投稿への挑戦でした。
相変わらず遅筆ですが、ネタが思いついたらコソコソ書いてますので、またのんびり待っていただけますと幸いです。




