五等分の妹嫁 その16
いよいよ残すは一人となった。
五女を無事に送り出せば、雪音は元の一人へ戻り、日常が帰ってくるだろう。少しだけ寂しく感じるのは大きな心境の変化だったが、だからといって今更止まれない。
「――よし」
最後だし、今度こそ迎えに行ってやろう。
今までも挑戦したが、なんやかんや四人が来る方が早かった。一回くらいは先手を取らないとお兄ちゃんの沽券に関わる。
「リビングかな――ってうおおおおおおおお!?」
だが扉を出た瞬間、俺は悲鳴をあげていた。
文字通りに一歩飛びのくと、影の中に目を凝らす。廊下の隅、ギリギリ見える範囲に体育座りでうずくまっていたのは――。
「……何してるんだお前は」
「…………」
言うまでもなく五女だった。
俺の問いかけにも答えず、彼女は無言で膝に顔を埋めている。五女は元々ダウナー系の性格だが、常日頃と比べても明らかに態度が違っていた。
(まぁ……しょうがないか)
他の四人は平静を保っていたが、あと少しで己が消える恐怖など俺には想像も出来ない。五女の思いつめたような態度がむしろ普通だろう。
「よいせっと……!」
「ひゃわぁ!?」
だが時間がないのもまた事実。
言葉による悠長な説得を諦めて、俺は強引に五女を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこ――元の雪音にも滅多にしてやらない、まさに出血大サービスである。
「お、お、お、お兄ちゃん!?」
「とりあえず部屋に行くぞー。言い分も文句もそこで聞く」
「は、ぁ、ぅ……ぁぅあぅ……」
とはいっても目的地までは数歩の距離しかない。
部屋に入り、電灯に晒された五女は気の毒なくらい真っ赤になっていた。
俺の首へ抱き着いていて表情は見えないが、どうやらめっちゃ恥ずかしがっているらしい。
「ほい、到着」
「ぁ……」
恥ずかしいなら早く離してあげようとベッドへ降ろそうとしたら、何故か名残り惜しそうな声が届いた。
「なんだ? まだ抱っこ継続がお望みか?」
「……べ、別にそういうわけじゃ……ありますけど……」
「あるんかい」
「……お、お兄ちゃんにくっついていたいわけじゃないんですよ? ですけど、だって、その、あの、えーっと……そ、そうだ。お姫様抱っこって、中々してもらえないし……」
「……解った解った。あとでもっかいするから、とりあえず今は降りろって。な?」
「………………絶対ですよ?」
「ん。約束」
「…………(む~」
ものすごく不満そうにしながら、五女が渋々と降りる。
……恥ずかしいんじゃないんかい、ってツッコミは無粋なんだろうな。やっぱり。
「元気でたか?」
「……はい。少しだけ、ですけど……」
「ん、良かった。にしてもマジでビックリしたぞ……あんなところで何してたんだ?」
「……考えてました」
「なにを?」
「…………私が最後でいいのか、って……お兄ちゃんごめんなさいって……」
「……何を言ってるんだお前は」
いきなりネガティヴ全開である。
少しだけ取り戻した元気も使い果たしたのか、五女の雰囲気がまたしおれていった。
「私、最後は嫌だったんですよ……? でも……みんな先に行っちゃうし……」
「あー、うん。だと思ったよ。さっき四女が来た時、お前じゃないのかって思った」
「……私が最後じゃお兄ちゃんも困るって訴えたのに……笑って押し切られちゃって」
「いや、まぁ四女じゃしょうがないと思うけど……俺が困るってのは?」
はてなと首を傾げる。
元に戻る際、五女が最後だと不都合が出るようなルールでもあるのだろうか。まったく心当たりはなかったが、そもそもが超常現象である以上、ありえないとも言えなかった。
「だって……私、暗いし、あんまりしゃべらないし……解り難いしワガママだし……よく怒るし……」
「んん?」
「……こんな私が最後なんて……お兄ちゃんだって嫌に決まってます……最後に見る子はもっと元気で明るくて、可愛い誰かの方がいいに決まってますもん……」
「……………………えーと、五女? まさかそれが理由か?」
「……はい」
うん、なるほど。
とりあえず不都合が出るようなルールはないようだった。それは素直に喜ばしかったが、このネガティヴ妹にはちょっと教育が必要らしい。
「なぁ五女。さっき俺、四女に怒られたんだよ……私達の愛情を軽く見すぎです!って」
「は、はい?」
「お前にも同じこと言うぞ――お兄ちゃんをナメるんじゃない」
五女の頭に手を乗せる。反論は許さぬと態度で示し、次いで言葉で示していく。
「暗い? お前は物静かなんだ。しゃべらない? 騒がしいより全然いい。解りづらくてワガママ? そんなことないぞ。よく怒る? 怒らせる俺が悪い」
「で、でも……」
「それにお前は細かいことによく気がつくし、料理が上手だし、悪いと思ったら素直に謝れる」
そうしないと伝わらないと――俺は彼女達に教わったから。
「確かに少しだけ意地っ張りだけどな。そこも含めて可愛い妹だ」
「…………」
「で? そんな子が最後だと困るって? 残念。なーんも困ってないよ、俺は」
トドメとばかりに笑みを浮かべると、ようやく五女がこちらを見た。
先ほどまでの不安に押し潰されそうなものではなく――ほんの少し希望を見出した瞳に、俺の笑みが深くなる。
「……………………そ、そんな恥ずかしいことよく言えますね。お兄ちゃん」
「事実だからな。俺の妹達に恥ずかしい部分なんて何一つない」
「……そう、ですか」
ぽつりとした呟き。
確かめるように、かみしめるように五女は呟き、そして――。
「そうなんですか……えへへ♪」
ほわぁと満面の笑みを浮かべた。
見慣れた雪音の笑顔だが、そういえば五女のを見るのは初めてだった気がする。偉そうなことを言う割にその程度も解っていなかったとは、我ながら兄貴失格だった。
「えへへぇ……う、うう……口元が戻らない……えへ♪」
「……ついでにもっと甘やかしてやろう」
「ふぇ? ――ぁぅ……」
ぽふんと小さな体を抱きしめる。
贖罪も含めての抱擁。あやすように背中をぽんぽんと叩いてやると、五女もまたおずおずと腕を回してきた。
「……あれ? ひょっとして体調悪いか?」
「っ」
感じる体温がいつもと違う。
俺の指摘に五女はびくんと跳ねて、小さくため息をついた。
「……体調、じゃないです。辛いは辛いんですけど……その」
「ん?」
「……私の中にいる他のみんなが――全員眠ってくれているんですけど……それでも中にいるだけで大きな意味があるから……気を抜くと負けちゃいそうなんです」
「……負けちゃうっていうのは、つまり」
「……はい。私も還っちゃうってことです」
それがどんな状態なのか俺には解らない。だが五女が抵抗してくれているのは――この時間を惜しんでくれているのは、素直に嬉しかった。
「――なら負けるな。出来るだけがんばって、出来るだけ遅くするといい」
「……いいんですか? 私が早く還るほど、元の私も早く戻ってきますよ?」
「元の雪音も大事だけど、お前だって大切だ。妹に優劣はつけたくない――まだお説教が足りないか?」
「…………いえ、ごめんなさいでした。お兄ちゃんには野暮な質問でしたね」
くすりと笑う声。
今の五女がどんな表情をしているか見たい気もしたが、抱きしめる力が、それこそ野暮だと伝えてきた。
「……お兄ちゃんが寂しがるから、もうちょっとがんばってみます。どっちみち、早いか遅いかの違いですけどね」
「ああ、寂しいぞ。がんばれ」
「……期待しないでください。私、がんばるのあんまり得意じゃない子なんで……」
「ははは」
「……えへへ」
それから、どのくらい経っただろう。
無言のまま強く抱き着く五女をあやし続けて――数分も経った頃だろうか。
「…………お兄ちゃん。もういいですよ」
「安心したか?」
「……はい。悔しいですけど、満足しきっちゃいました」
落ち着いた声には、先ほどまでの不安定さは残っていなかった。
大丈夫と判断してハグを解除すると――穏やかな笑みの五女が視界に入る。本人の申告通り安心しきったその笑顔に、俺もようやく肩の荷が下りた。
「前置きが長くなっちゃったな。まだ大丈夫か?」
「……はい。大丈夫ですよ、お兄ちゃん」
「ん。それじゃ改めて、何かやりたいことあるか?」
「…………」
「五女?」
「……えへへ、はい」
「いや、はいじゃなくて。何かやりたいことってないのか?」
「……ありましたよ? ありましたけど、もう大丈夫です。あんまり時間もないですし」
「っ!? それは大丈夫じゃないだろ!」
唐突な告白に慌てる俺へ、だが五女は微笑みを崩さない。
「いいえ、大丈夫なんです。だって……さっきまでのやり取りで、私の望みは叶っちゃったんですから」
それは成し遂げた者の。
己の望みが叶い――満足しきってしまった者の笑みだった。
「……ひねくれ者の私は……お兄ちゃんに素直になりたかったんです。素直になって、お兄ちゃんに謝って……許してもらって……甘えたかった」
「…………」
「でも私程度が、そんなことをしていいのか……悩んで、廊下で動けなくなっていた私を……お兄ちゃんは見つけて、連れてきてくれました。私が何か言う前に……お兄ちゃんはやってほしいこと、言ってほしいことを全部やってくれたんです……」
ゆっくりと光が舞う。
少女の告白に応えるように、その心が満足したと――安心したのだと伝えるように。
「だから……がんばった甲斐がありました。えへへ、たまにはがんばるのもいいですね……」
「……たまに、なのか?」
「たまに……です。いつもだと疲れちゃうじゃないですか……」
「…………そうだな。雪音はいつも頑張り過ぎちゃうから、たまにくらいでちょうどいいか……」
俺の答えに五女が淡く微笑む。
彼女らしくない――元の雪音に近いその微笑みは、俺に終わりを強く悟らせた。
「……でも一つだけ忘れてるぞ、五女」
「…………忘れてること?」
「ああ。よっこいせっと……」
ひょいっと再び五女を抱え上げる。
もう力もあまり入らないのだろう。脱力した彼女は大人しく俺の胸に収まり、くすりと笑みを浮かべた。
「……お姫様抱っこ」
「もっかいするって言っただろ?」
「……えへへ、そうでしたね。幸せ過ぎて忘れてました……」
「ついさっきのことだろ。忘れるなよ、まったく……」
「……お兄ちゃん、このまま……私のベッドに……」
「……ああ」
俺のベッドから雪音のベッドまで運ぶ。
宝物を扱うように寝かしつけると、ふうと彼女は小さく息を吐いた。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
「…………そろそろ限界です。みんなも起き始めちゃいましたし……私も私がよくわかんなくなってきました……」
「……そっか」
元に戻る――ということなのだろう。
痛いとか苦しいとかじゃなさそうなのが救いだ。
舞い上がる光の粒子も相まって、神聖な儀式のようにさえ見える。
「……でも、そんな状況だから言いますね。これは、私達の総意ですよ……?」
五女の――雪音の微笑みが一層深く、美しくなる。
この世の誰よりも魅力的な笑みを浮かべた彼女は、ありったけの想いと共に呟いた。
「「「「「――お兄ちゃん。私達を愛してくれて、ありがとう――」」」」」




