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五等分の妹嫁 その13

「……とはいえ、どうしたもんか……」


 長女は無事に――あえて無事にと言う――送れた。送ったこと自体は、悲しくても後悔はしていないが、ここから先どうするべきかというのが問題だった。


 全員と話す機会を俺は作っている。


 そのトップバッターだったのが長女だが、普通に考えれば、次の誰かがやって来るのは彼女が戻ってからだろう。時間を大幅超過すれば業を煮やして来るかもしれないが、ただでさえ時間がない中でそれはいくら何でも下策だ。


「……言いに行くか」


 気は進まないが仕方ない。

 ストレートに伝えていいか解らないが、ありのまま伝えれば納得してもらえるはずだ。それで伝わらないほど浅い関係性ではない。


「――お兄ちゃん?」

「おぅっ?」


 などと考えていたら、扉の向こうから声がかかった。


 考え事のせいで少し裏声が出たが、それでも返答には充分だったらしい。


「お邪魔しま~す……」


 いつもより控えめに、恐る恐るという形で入ってきたのは――。


「……次女」

「え、えへへ。こんばんは、お兄ちゃん。さっきぶりだね」

「ああ。さっきぶり……ちょうどよかった。今呼びに行こうとしてたんだ」

「あ……うん。解ってるよ、お兄ちゃん」

「え?」

「長女ちゃん……還っちゃったんだよね?」

「……ああ」

「それが解ったから、私が来たの。二番手だよ」

「…………そうか」


 言われてみれば当然かもしれない。

 彼女達は本来、全員揃って雪音なのだ。普通の状態ならともかく、今回のような事態であれば伝わって然るべきだろう。


「全員解ってるのか?」

「……うん。うまく説明出来ないんだけどね。ちょっと前にね、こう、胸のあたりがぶわーってあったかくて懐かしい感じがして――ああ、長女ちゃんだ……って」

「…………なるほど。だから“還った”か」


 しっくりと来る表現だ。

 “いなくなった”とか“消えた”とかよりも余程いい。ほんのちょっとでも前向きで、先に繋がっている言葉の方がいいに決まっている。


「それじゃ早速だけど。何かしたいこと、あるか?」

「んぅ?」

「あんまり長い時間はないからな。サクサク行こう」


 あえて俺は明るく告げた。

 長女が還ったからか、次女はどこか沈みがちである。五人の中で一番元気、天真爛漫な彼女には似合わない雰囲気だ。


 これは良くない。

 こんな悲しげな様子では、安心して送り出せないではないか。


「なでなでか? 膝枕か?」

「えっと……その……」

「それともダブルか? 今日なら特別に許可するぞ」

「…………」


 というわけで、全力での甘やかしを開始しようとしたのだが――何故か次女の反応は芳しくなかった。


「……なんだ、今日は随分と控えめだな?」


 はてなと首を傾げる。


 俺が次女に持っている印象はそのままズバリ、“甘えん坊”だった。

 自分の欲求に素直で、それを表に出すことを躊躇わない。ほんの少しでも甘える機会があれば決して逃がさず掴み取る――生粋の甘えん坊。


 これだけ俺の方から甘えていいと言っているのに、素直に来ないのは予想外だった。


(あー。でも幼稚園くらいの雪音がこんな感じだっけ?)


 昔の記憶が不意に蘇る。

 雪音は今でも引っ込み思案だが、小さい頃は比較にならないほど大人しかった。幼馴染は愚か、俺に対しても遠慮がちで言いたいことを言えず、常に気にかけておく必要があったくらいである。


(懐かしいな……)


 しばらくの間、黙ったままの次女に遠い記憶を回想し――ふと気づく。


 あの頃の雪音は確かに引っ込み思案で、やりたいことを聞き出すのに手間がかかったが、それと同時に――。


「……抱っこ……」

「はい?」

「抱っこ……してほしいな……」


 それと同時に――俺の想像を超える甘えっぷりを発揮するのが常だったと。


「――なるほど。そう来たか」


 何もそこまで似なくてもいいのにとか思ったが、そういえば同一人物だったと思い直す。似るとか似ないとか以前の問題ですね。


「だめ……かな?」

「……いや、言い始めたのは俺だしな……解った」


 思わず深呼吸してしまったのは仕方ないだろう。


 じゃれついている時ならともかく、こんなに改まってハグする機会などそうないのだ。雪音を甘やかす時は出来るだけ余計な感情を挟まないよう心掛けているが、その難易度がハグは最も高い。


「……お疲れ様」


 抱きしめながら労いの言葉をかけたのは、なんとなくだった。

 立ち尽くす次女が寂しそうに見えたからだと思うが――何かを言わないと冷静さを保てないと、心のどこかが訴えたからかもしれない。


 そっと抱きしめた妹に、俺は思わず閉口した。


 実際の体温以上にあったかい体、全身へ返ってくる柔らかな感触、鼻をくすぐる香りはミルクのように甘いのに爽やかで――どこをとっても完璧な抱き心地には、何一つこちらを不快にさせる要素がない。


(…………相変わらずコメントに困る)


 少なくとも俺はこれ以上の抱き心地を知らなかった。

 このクオリティの抱き枕が販売されれば間違いなく売れるだろう。俺も買う、絶対。


「……お兄ちゃん」

「っ、な、なんだ?」


 アホなことを考えていたせいで反応が遅れた。

 いかんいかん、現実逃避をしている暇はないんだった。


「ふに? どうかした?」

「いや、なんでもない。なんでもないぞーう」

「そ、そう?」

「うむ。で、どうした。なんか気になることでもあるか?」


 抱きしめているので、当然、表情は見えない。

 だが思いつめたような声音だけで、彼女の心情は容易に知れた。


「えっとね……謝りたくて」

「謝る?」

「うん……」

「……いきなり懺悔されてもな。全然心当たりはないぞ」


 嫌なことをされた覚えがない。

 強いて言えば昨夜タックル食らって顔面ダイブしたことくらいだが、悪気があったわけじゃないし、その場で謝ってもらっているから既に無罪放免だ。


「なんだ? 知らないうちに無駄遣いでもしたか?」

「ううん……」

「じゃ、留守番している間に家探しでもしたか? 面白いものなんてなかっただろ?」

「そうでもなくて……その……甘えちゃったから」

「え?」

「いっぱい甘えちゃって……ごめんなさいって……」

「……おお。それはまた凄い謝罪だな……」


 予想外すぎる。

 “甘えてごめんなさい”って謝罪の意味もだが、今まさに甘えている状態でそれを言うのもまた謎だった。


「あー……説明してくれるか? その、何に対して謝ってるんだ?」

「……お兄ちゃんにはお兄ちゃんの都合があるよね?」

「そりゃまぁな。俺にも人権くらいはあるぞ?」


 人によっては無視されるが。


「でも私は……お兄ちゃんの都合を考えられなかったから。考えなくちゃって思っても、ずっとずっと我慢できなくて……甘えたいなーって思ったらすぐに甘えちゃってたから……」

「……あー。俺が許可する前に甘えたことを謝りたいってことか?」

「…………うん」

「……なるほど。まぁ確かにビックリしたこともあったけど……別に謝ることじゃないぞ。お前を甘やかすのは俺のライフワークみたいなもんだし」


 思わず苦笑が漏れた。

 こちとら雪音が生まれてずっと兄貴をやってきているのだ。許可を取る前に甘えてきたことも当然あるし、そもそも甘やかしすぎだと怒られた回数も覚えていない俺にとって、そんな程度は問題ですらない。


「驚かせたかったとかじゃくて、甘えたかったんだろ?」

「……うん」

「ならいいさ。甘えたいなら甘えればいいんだよ。俺も嫌だったら嫌って言うし」

「……ほんと?」

「もちろん。お兄ちゃんは滅多に嘘はつかないぞ」

「…………えへへ。良かった」


 ぎゅうっと抱き着く腕に力がこもる。

 今までは遠慮していたらしい――現金なその姿にさらなる苦笑が漏れた。


「まぁでも、元の雪音より甘えん坊なのは驚いたけどな。上には上がいるもんだ」

「……ううん、それは違うよ。お兄ちゃん」

「え?」

「私達は雪音(わたし)が持っていたもの以上は持ってないもん。“お兄ちゃんに甘えたい”って気持ちも同じだよ?」

「……えーっと。それはつまり」

「うん。元の私はすごーく我慢してるんだと思う。私以上にお兄ちゃんへ甘えたいのに」

「マジか」


 衝撃の事実だった。

 甘えん坊だと思っていた雪音だが、実は全力じゃなかったらしい。


 次女以上って四六時中引っ付いていないとダメなレベルなんだが、流石にそこまでじゃないよな……?


「……そうか」

「うん、そうだよ。だから――」


 優しくなった次女の声音と共に気づく。

 眩い光――長女よりも強く明るい光の粒子が、彼女からわずかに放たれていることに。


「だから、私が元に戻ったら……気にかけてあげて。お兄ちゃんが気にかけてくれたら、それだけで雪音(わたし)は無敵になれるから……」

「……ん。解った」


 無意識に抱き留める力が強くなる。

 だが光の粒子は止まらなかった。むしろ抱きしめる力に反比例するように、どんどんとその輝きを増していく。


「……他にあるか? やりたいこととか、言いたいこととか」

「んーっと……そうだなぁ……えへへ、幸せで考えられないや……」

「……大げさだな。ただの抱っこだぞ?」

「うん……そうだね……そうなんだけどね……えへへ。私にとって、ここは世界一の場所だから……やっぱり幸せなんだよ」

「…………」

「あ……お兄ちゃん……一つだけ……いい?」

「ん?」

「私ね、このまま眠りたい……お兄ちゃんに抱っこされたまま……おやすみ……って……」

「…………ああ。おやすみ、雪音」


 ありったけの愛情で抱きしめるのと同時、次女の体が光と化した。確かに感じていたはずの重みも温かさも、あっさりと霧散する。


「…………最後まで甘えん坊だな」


 だが俺の心は穏やかだった。

 “おやすみ”が届いたと信じられたから。消え行く未来に抵抗するように――ほんの僅かな時間だけ、俺の胸に光の粒子が残っていたから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ああぁ…次女が還った。どの雪音ちゃんよりも甘えたいという気持ちに全力だった。だからこそ、最後に謝りたかった。 次女も次女で、雪音という1人の少女なんだと思うと、良かったです [一言] …
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